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楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

近くに神社がありました

2020-04-13 10:02:29 | 日記

武野神社とあります。満行寺を出ると同じ通りに沿ってすぐそばでした。

たけしの神社というのですね。武野神社は、新座市野寺にある神社で、創建年代は不詳ながら、かつては八幡社と称し、満行寺とともに十二天村にあったといいます。源義家が前九年の役で東征の際に、当社で戦勝祈願し社を北向きにしたといいます。康平6年(1063)には社殿が修復され、明治41年に栗原の浅間社を始めとする八社を当社に合祀、武蔵野と野寺より武野神社と社号を改めたといいます。

階段はかなり急な勾配ですね。

上がった場所には、このような由緒版が立っています。

拝殿は、質素ながら落ち着いた雰囲気ですね。

なかなか怖い狛犬ですよ。周囲を見て見ましょう。

お稲荷さんでしょうね。

ここは?御嶽神社かな?

お参りを済ませて、この先はどうなっているのでしょうね。

                             つづく

 


もうすぐ春、こんなことが

2020-04-10 08:57:00 | 日記

今度来たお寺は、ここ満行寺というお寺です。

どんなお寺なのでしょう?

真言宗智山派のお寺で、八幡山彌陀院と号します。創建年代等は不詳ながら、かつては十二天村にあり、八幡社だけでなく三十余りの社、三百の坊社など七堂伽藍を備えて著名だったといいます。在原業平(825-880)や准后道興(1430-1527)の歌にも詠まれているといいます。いつのころか当地へ移転して、当地周辺を野寺村と称するようになったといわれています 。

在原業平の歌碑です。

六地蔵も並んでいます。

弘法大師像でしょうか。

立派な本堂です、なぜか子どもたちが大勢来ていました。

近くに大きな水槽があり、中にはこんなカエルがたくさんいます。子どもたちはこれを観察に来ていたようです。卵もありました。

だいぶ古そうな本堂でしたが、近く建て替えるようですね。このような掲示板が立っていました。

境内には、一角に榛名山神社が祀ってありました。

                              つづく

 

 


その先には何があるんでしょう?

2020-04-05 09:12:47 | 日記

法臺寺を後にして、黒目川の方へと進みました。

道路沿いにこんな記念碑が立っていました。

今度は、こんな記念碑も立っています。そうだ、ここは新座の石神という場所なんですね。

そういえば、ここにこんなお稲荷さんがありました。出世稲荷神社というそうですが、すぐ傍には会館もありました。

さぁ、新座観音というお寺へ来ました。しかし、お寺の感じがしないなぁ。

近代的なビルのような建物です。正月の三が日は賑わうそうですよ。

そう、これがこのお寺を象徴する白衣観音像ですね。真言宗の寺院の新座観音は神護院といい、新座市道場にある真言宗系単立寺院だそうです。新座観音神護院は、出流山満願寺の本尊千手観世音菩薩の分身を本尊として、昭和57年に創建したといいます。

新座観音を出て、大通りに出て向かい側を入るとあるのが、ここ歴史民俗資料館です。いろいろ勉強になることがありますね。

                           つづく

 


この葵の門が見えるでしょう

2020-04-02 09:37:52 | 日記

入口では、こんなお地蔵様がお出迎えしてくれました。

お寺の案内板です。浄土宗寺院の法臺寺は大平山と号し、遊行二世他阿真教上人(元応元年1318年寂)が開基となり、時宗道場として創建したそうですが普光観智国師が当寺住職の代に、大長寺感譽存貞和尚に師事、法臺寺を浄土宗に改めたといいます。普光観智国師の尽力により、法臺寺は徳川家康より13石5斗の御朱印状を拝領、増上寺の旧本堂を当寺本堂に譲り受けたといいます。法臺寺板石塔婆・木造他阿真教上人坐像は県文化財に指定されています。法臺寺には多くの文化財がありますが、本尊は阿弥陀如来の立像、寺宝は観智国師の木像です。また、県指定の文化財である十一基の時宗板碑は貴重な資料で、鎌倉から室町時代にかけての立派なものです。本像の裏には、江戸時代末期に盛んであった富士講のための富士山が築かれ、そのそばの石碑には、北は入間郡、西は所沢・清瀬・東久留米、南は練馬・板橋にわたる二十五町村の名がみえ、当時この講がいかに盛大であったかがうかがえます。

さぁ、入りましょう。屋根瓦の一つ一つに葵の紋が入っています。

これらは、寺宝の解説版です。法臺寺板石塔婆(埼玉県指定有形文化財)
法臺寺は、鎌倉時代には時宗の道場で、遊行二世他阿真教上人の開基と伝えられている寺院です。ここに所在する県指定の板石塔婆は全部で十基あり、内訳は六字名号のもの八基、種子のもの二基で、他に致得(至徳の私年号)元年銘の六字名号板石塔婆が一基あります。下の写真の格子の中に保存されています。


木造他阿真教上人坐像(埼玉県指定有形文化財)
法黒目川沿いに古くから開けた片山の地に、鎌倉時代になると時宗という新しい仏教信仰が伝わりました。時宗は一遍上人智真を開祖とする宗派で、阿弥陀仏の救済により、西方極楽浄土に往生することを願う浄土信仰の一つです。踊り念仏や念仏札を勧めながら諸国を行脚し、定住の地を持たなかったため、遊行上人と言われました。十四世紀後半、南北朝時代の特色を残す貴重な肖像彫刻です。

こんな賑やかな石仏がありますよ。

 何だろう?

ここが本堂です。

梵鐘堂ですね。

六地蔵と思いきゃ、五つしか見えません。

これは、亀に乗った七福神です。上に載っている七福神が回ります。

本堂に掲げられている扁額も、独特の字体ですね。

 それでは、観音菩薩像にご挨拶して失礼します。

                             つづく