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湯屋番 (一)

2009-10-15 01:42:46 | 落語
 古い川柳に「居候(いそうろう)置いて合わず居て合わず」と言うのがありますが、どういうわけか居候と川柳とは仲が悪い。


 「居候足袋の上から爪をとり」


 「居候角な座敷をまるく掃き」


 「居候しょうことなしの子煩悩」


 「居候三杯目にはそっと出し」


というのは、まことにしおらしい居候だが、


 「居候出さば出る気で五杯食い」


なんて図々しいのがいる。中でも困るのは、


 「出店迷惑様付けの居候」


どうにも扱いに困り、置くほうで逆に居候に遠慮するなんていうのもある。


 お出入りの鳶頭(かしら)が、お店の若旦那が道楽が過ぎて勘当されたのを預かるというのが、よくある話で…… 。
 「ちょいと、お前さん。どうするんだい」


 「何を?」


 「何をじゃないよ。二階の居候だよ。いつまで置いとく気なんだい」


 「うん、弱ったな。居候を置くったって猫じゃねえから、はっきり日を切って置いたわけじゃねえ。
まあ、あの人のおとっつぁんに、俺は昔ずいぶん世話になったからなあ。
あの人が居るところがないっていうのに、見て見ぬふりもできねえじゃねえか。まあ、少しのことは我慢しなよ」


 「お前さんは、世話になったかどうか知らないけれど…… 本当にあんな無精な人はありゃあしない。
一日中ああして、寝たっきりなんだから、そのくせ飯時分になると二階からぬうっと降りてきて、お飯(まんま)を食べちまうと、また二階へ上がって寝てしまうんだから呆れるよ。掃除もしたことあないし、汚いったらありゃしないよ。
 あんまり何にもしないから『若旦那、あなたは横のものを縦にしようともしないんですね』って言ったら、『じゃあ、その長火鉢を縦にしようか』だって、癪(しゃく)に障るったらありゃしない。
 お前さんが口を利いたのが災難の始まり、こうやって家へ引っ張って来たのは、お前さんだからいいけど、あたしゃ、ご免だよ」


 「そこを何とか我慢して、まあ、世話をしておけば、先行き、またいいこともあろうから…… 」


 「何がいいことがあるものかね。だってそうだろう。親身の親でさえ呆れる代物(しろもの)だよ。
もうご免だよ。嫌だよ。どうしてもお前があの人を置くというなら、あたしが出て行くからいいよ」


 「おい、馬鹿なことを言うなよ。居候とかみさんと、とっかえこしてどうするんだよ。
じゃ、まあ、何とか話をしよう」


 「頼むよ」


 「しかし、そこでおめえが、ふくれっ面をしていたんじゃ具合が悪いから、隣の婆さんのところへでも行ってろ。 ……うちのかかあもうるせえが、なるほど二階の若旦那も若旦那だ。
もう昼過ぎるってえのに、よくもこうぐうぐう寝てられたもんだよな。
 ……もし、若旦那、おやすみですかい。ちょいと、若旦那ッ」


 「へっへっ、いよいよ来ましたよ『雌鳥(めんどり)すすめて雄鶏(おんどり)時刻(とき)をつくる』ってやつだ」


 「もし、若旦那ッ」


 「このへんで返事をしないと気の毒だな。 ……なーに寝ちゃいないよ」


 「起きてるんですかい?」


 「起きているともつかず、寝ているともつかず…… 」


 「どうしてるんです?」


 「枕かかえて横に立ってるよ」


 「何をくだらないことを言ってるんです。ちょっと話があるんですよ。降りてきてください」


 「急ぎの話か?」


 「大急ぎですよ」


 「じゃ、お前が上がって来たほうが早いよ」


 「無精だね、まったく。さっさと降りておいでなさい」


 「いま降りるよ。うるせえなあ。ああ、嫌だ。家にいる時分には、若旦那だの坊ちゃんだの…… 滑った転んだ言いやがった。つくづく人生居候の悲哀を感じるってえやつだな」


 「何をそこに立って、もぞもぞ言ってるんです。早く顔を洗いなさい」


 「洗うよ、洗いますよ。朝起きりゃ猫でも顔を洗ってらあ。況や人間においてをやだ。
 ……しかし、顔を洗うったっておもしろくないね。道楽している時分には、女の子がぬるま湯を金たらいへ汲んで、二階へ持って来てくれる。口をゆすいで、いざ顔を洗う段になると、女の子が後ろに回って、袂(たもと)を押さえてくれるし、ものが行き届いている。
 それにひきかえ、ここの家はどうだい。金だらいぐらい買ったっていいじゃないか。この桶(おけ)というものは不潔きわまりない。嫌なもんだね。
 雑巾(ぞうきん)を絞っちゃ、またこれで顔を洗うんだからなあ。衛生の何たるやを知らねえんだ。
 第一、この桶に顔を突っ込んでいると、まるで馬が何か食ってようじゃないか」


 「何をいつまで、ぐずぐず言ってるんです。早く顔を洗っちまいなさいよ」


 「もう洗ったよ」


 「洗ったって、あなた、顔を拭かないんですか」


 「吹きたい気持ちはあるんだけどね。この間、手拭(てぬぐい)を二階の手すりへ掛けておいたら、風で飛ばされちゃったんだ。それからというものは、顔を拭かない」


 「どうするんです?」


 「干すんだよ。お天気の日には乾きが早い」


 「だらしねえな。どうも…… 手拭あげますから、これでお拭きなさい」


 「ああ、ありがとう。やっぱり顔は干すよりも拭いたほうがいい気持ちだ。ちょいと待ってくれ」


 「ぷッ、さんざ朝寝をして拝んでる。何を拝んでるんです?」


 「何を拝む? 朝起きりゃ、今日様へご挨拶するのが当たり前だ」


 「お天道様を拝んでる?」


 「そう」


 「もう西へ回ってますよ」


 「そうか、じゃあ、お留守見舞いだ」


 「お留守見舞いさんざ、いいやね。 ……まあ、くだらねえことを言ってないで、お茶が入ったからおあがんなさい」


 「いや、ありがとう。朝、お茶を飲むってえのはいいね。朝茶は、その日の災難を除けるなんてえことを言うくらいだから…… 早速、頂こう…… うん、だけど、もう少しいいお茶だといいんだがなあ。
不味いお茶だ。これ、買ったんじゃないだろう? お葬式(とむらい)のお返しかなんかだろう?
それにお茶請けが、何にもないっていうのは情けないな。せめて塩せんべいでも…… 」


 「うるさいね、あなたは…… 」


 「ああ、どうもごちそうさま。では、おやすみなさい」


 「何です。おやすみなさい…… って、いい加減にしなさい。実はね、こんなことはわたしも言いたくはないんだ」


 「そりゃそうでしょう。あたしも聞きたくない」


 「じゃ、話ができない」


 「へへ、おやすみなさい」


 「まあ、待ちなさい。 ……実はね、今、うちのかかあの奴が…… 」


 「わかった、わかった。お前の言わんとすることは…… 。さっき雌鳥がさえずった…… 」


 「「雌鳥? 何です?」


 「うん、つまり、おかみさんが、わたしのことについて、ぐずぐず文句を言ったわけだ」


 「いえ、うちのかかあのほうも悪いには違いないが、 ……ねえ、若旦那、あなたもいつまでもうちの二階で、ごろごろしててもしょうがありませんから。
 どうです、あたしはあなたのことを思って言うんだが、一つ、奉公でもしてみようなんてえ気持ちになりませんか?」


 「ああ、奉公かい。いいだろう、奉公もなあ。あたしが居るために、お前がおかみさんから文句を、ぐずぐず言われるのでは、あたしとしても忍びない。
 まあ、あたしさえ居なければ、揉め事もなく、まるく納まるのなら、その奉公っての、行こうよ。
え? 何処なんだい、その奉公先てえのは?」


 「そうですか、行きますか。場所は小伝馬町ですがね。あたしの友だちで桜湯をやってまして、奉公人が一人欲しいと言ってます。どうですか、湯屋は?」


 「ほう、湯屋。女湯、あるかい?」


 「そりゃ、女湯はありますよ」


 「うふふふ、行こう、行こうよ」


 「じゃ、手紙書きますから、それを持ってらっしゃい」


 「そうかい、じゃあ行ってみよう。お前の家にもずいぶん世話になったな」


 「いえ、まあ、お世話てえほどのことはできませんでした」


 「ああ、そりゃまあそうだが」


 「何だい、ご挨拶ですねえ。 ……まあ、お辛いでしょうが、一つ、ご辛抱なすって…… またお店のほうへは、わたしが行って、大旦那に会って、よく話しておきますから」


 「ああ、わかったよ。おかみさんによろしく言っとくれ。そうだ、世話になったお礼といっちゃなんだが、お前の家へ何か礼をしたいなあ」


 「礼なんざいりません」


 「いや、何か礼をしたいね。そうだ、どうだい、十円札の一枚もやろうか」


 「若旦那、そんな金持ってるんですか?」


 「いや、持ってないから、気持ちだけ受け取って…… そのうちの五円を、あたしにおくれ」


 「馬鹿なことを言っちゃいけませんよ」



*こちらにGyaoで放映中
[ 古今亭菊志ん 「湯屋番」 http://gyao.yahoo.co.jp/player/00291/v01038/v0103800000000516353/ ]



たらちね (二)

2009-10-13 23:07:06 | 落語
 八っつぁん、ひとっ風呂浴びて、家に帰ってきます。
 「あー、いい気持ちだなあー、嫁さんが来るとなりゃあ、いいもんだろうなー。
だいいち家へ帰って飯を食うにしても、独りパクパク食ったんじゃ旨くもとも何ともありゃしねえや。
 『おや、お帰りかい、さっきから待っていたんだよ』 何だいこれっきりか。『今月はこれで我慢おしよ』 冗談言うねえ、百姓じゃあるめえし、人参(にんじん)に牛蒡(ごぼう)で飯が食えるけえ、刺身でもそう言ってきねえ。
 『八っつぁんはおかみさんが来てから、付き合いもしないで家で贅沢(ぜいたく)ばっかりしていると言われるのが辛いからさ』 いいからそう言ってきねえってことよ。『たまには女房の言うことを聞くもんですよ。これで食べておしまいッ』なんてな……」


 「おや、八っつぁん。どうしたんだい? 嬉しそうな顔してさ」


 「おっ、糊屋(のりや)の婆さんかい。なーに、今晩、この長屋に婚礼があるんだ」


 「この長屋で独り者は、羅宇屋(らおや・煙管を手入れする商売)の多助さんとお前さんだけじゃないか。
 羅宇屋の多助さんは、たしか七十八になったんだから、まさかお嫁さんも来やあしまいがね。
後はお前さんのところだけだよ」


 「そうだ、そのお前さんのところへ来るんだ」


 「へえー、そりゃ、ちっとも知らなかったよ。よかったね。おめでとう。そうだったのかえ、 ……いま酒屋から酒が来て、魚屋から肴(さかな)が届いたので預かってあるよ」


 「どうも、すいません。 ……しめしめ、ありがてえ、先ず灯りをつけて、うん…… 酒屋は来たし、魚屋は来たし、後はこれで嫁さえ来りゃあいいんだ。
 ……ああ、ありがてえ。足音がする。ちゃらこん、ちゃらこん、ちゃらこんと来やがら、ああァ、家主が雪駄(せった)を履(は)いて嫁さんが駒下駄を履いて来やがった。
 ……何だい、ありゃ選択屋のかかあじゃねえか。草履(ぞうり)と駒下駄と履いていやがる。
どうもあのかかあてえのは、いけぞんざいなもんだね、ええ? おや、また足音がする」


 「ごめんなさい」


 「へえ、おいでなさい」


 「長々、亭主に患われまして、難渋のものでございます。どうぞ一文めぐんでやってください」


 「殴るよ、冗談じゃない。婚礼の晩に女乞食に飛び込まれてたまるもんか。銭はやるから、さっさと帰れッ」


 「おっおっ、八っつぁん、えらい勢いだね。 ……さあ、こっちへお入り。待たせたね。時に八っつぁん、この女だよ」


 「あ、家主さん、どうも…… 」


 「まあ、かしこまらなくたっていいよ。 ……さあさあ、こっちへお入り。
他に誰もいやあしないから、遠慮なんかしないださ。今日からお前さんの家なんだから…… 
 おい、八っつぁん、どうして後ろを向いてるんだ」


 「へえ」


 「さあさあ、二人ともこっちへ並んで、何もじもじしてるんだ。
 この男は職人だから口のききようが荒っぽいが、決して悪気のある男ではない。
そこは勘弁して…… お互いに仲よくしておくれ。決して、二人して争いをしてはならん。
 ……いいか、万事略式だ。 ……杯を早くしなくっちゃいけねえ。
 じゃあ、俺がこれで納めにする。 ……いや、おめでとう。後は、ゆっくりと二人で飯にするんだ。
長屋の近づきは、明日、うちの婆さんに連れて歩かせるからな。媒酌人(なこうど)は宵の口、これでお開きにするよ。はい、ごめん」


 「家主さん、ちょっと待ってくださいよ」


 「俺がいつまで居たってしょうがない。また、明日来るからな」


 「ああ、行っちまった。弱ったなあ。 ……へへへ、こんばんわ。おいでなさい。
ま、家主さんから、あなたさまの事も承りまして…… へへへ、お前さんも縁あって来たんだが、あたしのところは借金もないが、金もないよ。ま、何分よろしく末永くお頼み申します」


 「せんにくせんだんあってこれを学ばざれば金たらんと欲す」
 (賤妾浅短にあって是れ学ばざれば勤たらんと欲す・『ふつつかで無学ではありますが、勤勉にお仕え申し上げたく存じます』という意味)


 「金太郎なんぞ欲さなくてもいいがね。ところで弱ったな。
家主さんにお前さんの名を聞くの忘れちゃった…… お前さんの名をひとつ聞かせてくださいよ」


 「自らことの姓名を問い給うや?」


 「へえ、家主は清兵衛ってんですが…… どうかあなたさまのお名前を…… 」


 「父はもと京都の産にして、姓は安藤、名は敬蔵、字(あざな)は五光。
母は千代女と申せしが、三十三歳の折、ある夜、丹頂の夢見て孕めるが故に、垂乳根(たらちね)の胎内を出でし時は、鶴女と申せしが、成長の後にこれを改め、清女と申し侍るなり」


 「へえー、それが名前ですかい? どうも驚いたなあ。京都の者は気が長えというが、名も長え。
こいつは一度や二度じゃとても覚えられそうにもねえ。すいませんが、これにひとつ書いておくんなせえ。
 あっしは職人のことで難しい字が読めねえから、仮名で頼みます…… 
えー、みずから、あー、ことの姓名は…… 父はもと京都の産にして、えー、姓は安藤、名は敬蔵、
あざなは五光。 ……何しろこりゃ長えや、俺が早出居残りで、遅く帰って来て、ひとつ風呂へ入ってこようという時に、おお、ちょっとその手拭を取ってくんな、父はもと京都の産にして、姓は安藤、名は敬蔵、字(あざな)は五光。母は千代女と申せしが、三十三歳の折、ある夜、丹頂の夢見て孕めるが故に、垂乳根(たらちね)の胎内を出でし時は、鶴女と申せしが、成長の後にこれを改め、清女と申し侍るなり、おやおやお湯がおわっちまわあ。
 それに近所に火事でもあったときに困るな、ジャンジャンジャン、おっ、火事だ、火事はどこだ。
何、隣町だ、そりゃ大変だ。おい、みずからことの姓名は父はもと京都の産にして姓は安藤、名は敬蔵、あざなは五光、母は千代女と申せしが三十三歳の折…… 何てやっていた日にゃあ焼け死んじまわあ。
 明日、家主に、もう少し短い名と取り替えてもらうとして、寝ることにしよう」


 そのまま枕についたが、夜中になると、お嫁さん、かたち改め、八っつぁんの枕もとに手をついて、
 「あーら、わが君、あーら、わが君」


 「えー、改まって何です?」


 「一旦、偕老同穴(かおろうどうけつ・共に暮らして老い、死んだ後は同じ墓穴に葬られること)の契りを結ぶ上は、百年千歳(ももとせちとせ)を経るとも君こころを変ずること勿(なか)れ」


 「へえ、何だか知らねえが、蛙(かえる)の尻(けつ)を結べって…… お気に触ることがあったら、どうかご勘弁を…… 」


 烏(からす)がカァーと夜が明ける。そこは女のたしなみで、夫に寝顔を見せるのは女の恥というので、早く起きて、台所に出たが、ちっとも勝手が分からない。そこで八っつぁんの寝ている枕もとに両手をついて、
 「あーら、わが君、あーら、わが君」


 「へい、へい、あーあ。眠いなあ。もう起きちまったんですかい…… 。
 え?おい、わが君ってえのは、俺のことかい? うわぁ、驚いたな、何か用ですかい?」


 「白米(しらげ)の在り処、何れなるや?」


 「さあ困ったな。あっしはいままで独り者でも、虱なんどにたかられた事はない」


 「人食む虫にあらず、米(よね)の事」


 「へー、米を知ってるのかい? 左官屋の米を?」


 「人名にあらず。自らが尋ねる白米とは、世に申す米(こめ)の事」


 「ああ、米なら米と早く言っておくれ。そこのみかん箱が米びつだから、そこに入っている」


 八っつぁんは、また寝てしまった。お嫁さんは台所でコトコトやってご飯を炊き、味噌汁をこしらえようとしたが、あいにく汁の実がない。そこへ八百屋が葱(ねぎ)を担いで通りかかった。
 「葱や葱、岩槻葱(いわつきねぎ)…… 」


 「のう、これこれ、門前に市をなす賤(しず)の男」


 「へい、呼んだのは、そちらで?」


 「其の方が携えたる鮮荷(せんか)のうち一文字草(いちもんぐさ・長ネギのこと)、値何銭文なりや」


 「へえ、大変なかみさんだな。へえ、こりゃ、葱ってもんですが、一把(いちわ)三十二文なんで……」


 「三十二文とや。召すや召さぬや、わが君に伺う間、門の外に控えていや」


 「へへー、芝居だね、こりゃ。門の外は犬の糞だらけだ」


 「あーら、わが君、あーら、わが君」


 「ああ、また起こすのかい。 ……おい、冗談じゃないよ。朝から八百屋なんか冷かしちゃしょうがねえや。腹掛けのどんぶりにこまかい銭があるから、出して使ってくんねえ」


 これで、すっかりお膳立てをして、また枕もとへ来て、両手をつき、
 「あーら、わが君」


 「あーら、わが君ってのは、止めてくれねえか。俺の友だちは、みんな口が悪いから、『あーら、わが君の八公』なんか、ろくなことは言わないから、何だい?」


 「最早、日も東天に出現ましまさば、御衣(ぎょい・服を着ること)になって、嗽(うがい)手水(ちょうず)に身を清め、神前仏前に御灯明(みあかし)を供え、看経(かんきん・お経を黙読すること)の後、御飯召し上がられて然(しか)るべく存じたてまつる。恐惶謹言(きょうこうきんげん・おそれつつしんで申しあげるという意味)」


 「おやおや、飯を食うのが恐惶謹言なら、酒を飲んだら、依(酔)って件(くだん)の如しか(そこで前記記載の通りであるという意味)」


 お後が宜しいようで……


*こちらにGyaoで放映中
[ 春風亭朝也 「たらちね」 http://gyao.yahoo.co.jp/player/00291/v01038/v0103800000000514663/ ]



たらちね (一)

2009-10-13 00:24:36 | 落語
 「おお、八っつぁんかい。さあ、ここへお上がり、いま仕事から帰ったのかい」


 「へえ、家主(おおや)さん。今日の仕事のほうは早じまいで…… 。
家へ帰ると、隣の糊屋(のりや)ばばあが家主さんから呼びに来てるから行ったほうがいいってんですが…… これから、ひと風呂、湯へ行こうと思うで…… ひとつ手っ取り早く片付けてもらいたいもんで…… 」


 「片付けろとは…… 何ということだ。他でもないが、今日はおまえ耳寄りな話を聞かせようと思ってな」


 「へえ、何で」


 「おまえ、どうだ、身を固めないか?」


 「何です、身を固めるってえのは」


 「女房を持ったらどうだ。この長屋じゅうに、独り者も何人かおるが、どうも独りでいる奴はろくな行いをしねえ。
 おまえは、言うとおかしいが、人に満足に挨拶(あいさつ)も出来ないような人間だが、仕事はよくやるし、若い者に似合わず堅え。
 ところが若い者の堅えは当てにならねえ。家をやりくりする女房がなくてはならぬ。昔から言うように、ひとり口は食えないが、ふたり口は食えるという譬(たと)えもある。おまえ、女房を持つ気はねえか」


 「ええ、そりゃまあ、持てえのは持てえんだが、あっしのような貧乏なところへ来るのがありますかねえ」


 「おまえにその気あれば、無いことはない。あたしが世話をしよう。どうだ?」


 「どうもありがとうございます。やっぱり女でしょうな?」


 「馬鹿を言いちゃいけない。むろん女に決まってるさ」


 「どんな女なんで?」


 「二十…… たしか二だったな、婆さん。……生まれは京都で、両親はとうの昔に亡くなって、屋敷奉公をしていたんだが、縁がなくって、嫁にいけないでいるんだ…… 横町に長役(ちょうえき)さんてえ医者があるだろう?」


 「へえ」


 「あそこが叔父さんなんだ。あそこへ先月、屋敷奉公の暇をもらって、身を寄せているんだが、それ、この間、家の使いに来た女を覚えてないかい?」


 「いいえ」


 「もっともあの時は薄暗かったが、向こうはおまえのことを知っていて、先方の言うには、長い間、窮屈(きゅうくつ)なところへ奉公していたから、嫁に行く先は、舅(しゅうと)や小舅(こじゅうと)のない、気楽なところへ行きたい、と当人の望みで、おまえなら気心も知れているからいいと思うんだ」


 「へえー、結構ですねえ」


 「どうだい? おまえさえよければ、世話する。八っつぁんには過ぎものだよ。針仕事も出来るし、読み書きも出来る。それにおとなしくって、器量も十人並みだ。どうだ、もらう気はないか?」


 「へえ、けれども、まあ、食うだけがやっとで、着せることも出来ませんからね」


 「その心配はない。まあ、たいしたことはないが、夏冬の道具一揃(ひとそろ)いぐらいは持ってくる」


 「夏冬のもの一揃いっていうと、行火(あんか)に渋団扇(しぶうちわ)?」


 「馬鹿なことを言うな。茶番の狂言じゃあるまいし、ただ、ついては八っつぁん、ちょいと疵がある」


 「そうでしょう。どうも話がうますぎると思った。そんないいことずくめの女が、あっしのような者のところへ来るはずげねえ。疵っていうと、横っ腹にひびが入って、水が漏るとか何とかいうんですかい?」


 「壊れた水瓶じゃあるまいし。 ……つまり疵というのは…… 」


 「じゃ、寝小便?」


 「馬鹿を言いなさい。そんなんじゃない。疵というのは、言葉だ。
 長い屋敷奉公とおとっつぁんが漢学者で、どうもたいへん厳格な育て方をしたんで、言葉が丁寧すぎる、それが疵だ」


 「何だ、そんなことなんですか。結構じゃありませんか。それに引き換えて、あっしなんか、ぞんざい過ぎていつもお店の旦那に叱言(こごと)を言われるんで、丁寧結構、ちょっとその丁寧を教わろうじゃありませんか」


 「なるほどな、おまえのところへ行けば、直に悪くはなろうが、何しろ時々難しいことを言い出すんで困るよ。
 この間もな、表で逢うと、いきなり、『今朝(こんちょう)は土風(どふう)激しゅうて、小砂(しょうしゃ)眼入(がんにゅう)す』と言ったな」


 「へえ、たいしたことを言うもんですねえ」


 「おまえに分かるか?」


 「分かりゃしませんが、そんなえらいことを言うなあ。感心だ」


 「分からないで感心する奴があるもんか。よくよく後で考えてみたら、今朝はひどい風で砂が眼に入る、と言う意味なんだ」


 「なるほど」


 「俺も即答に困った」


 「へえ、石塔に困ったんで? 墓場へ行きましたか?」


 「石塔じゃないよ。即答、俺も何にも言わないのは悔しいから、スタンブビョーでございと言ったね」


 「何のことで…… 」


 「ひょいと前の道具屋をみたら、箪笥(たんす)と屏風(びょうぶ)があったから、それを逆さにして言ったんだ」


 「家主さんまずいことを言ったね。あっしなら、リンシチリトクと言いますね」


 「何のことだい? それは…… 」


 「七輪と徳利(とっくり)を逆さにしたんで」


 「馬鹿なことを言うな。そんなことはどうでも、嫁の一件はどうするんだってえことよ」


 「どうか、ひとつ、よろしくお願い申します」


 「そうか、それなら、いま呼びにやるからここで見合いをしちまいな。
むろん、向こうはおまえを知ってるんだから、おまえさえ見合いをすりゃいいんだ」


 「何です。見合いってえのは? 見合わなくたってようがしょ。
いま直ぐ連れて来ておくんなさい。あっしはもらうことに決めましたから」


 「そうか、そうと決まりりゃ、吉日を選んで婚礼ということになるが、 ……婆さん、暦を出しなさい。ひとつ、いい日を見てやろう。 ……これは困ったな、当分いい日がないな」


 「ようがす、家の暦がいけねえのなら、隣へ行って、別のやつを借りてきましょう」


 「馬鹿なことを言うな、暦はどこへ行っても同じだ」


 「へえー、不都合なもんですね」


 「何が不都合なものか…… おっと、あった、今日がいい日だ」


 「そいつはありがてえ、じゃ今夜に決めちゃいましょう」


 「今夜はちっと短兵急過ぎるが、善は急げだ、おまえがいいって言うんなら、今晩輿入れということにするか」


 「え? 腰…… 入れ? そんなけちけちして、腰だけもらってもしょうがありませんよ。体ごとそっくり、おくんなさい」


 「そうか、それじゃ、これから向こうへ話をして、相手は女だ。いろいろ支度があるだろうから、おまえはこれから湯へでも行って身ぎれいにしておけ。
 隣の糊屋の婆さんに万事頼むといいや、あれでなかなか親切なんだから。お頭つきに蛤(はまぐり)の吸物でも用意しておきな。それに酒を少し、たくさんはいらないよ。俺は下戸、おまえが下戸、嫁さんは飲まないからそのつもりで…… 。
 それから、長屋へは月番へだけ届ければいい、おっと、これは、少ないけど、あたしのほんの心祝いだ。取っておくれ」


 「へえー、あっしに? すみません。やっぱり家主さんは、どこか見どころがあると思ってました」


 「おだてるんじゃないよ。おまえも早く帰って、支度でもしな。晩方には連れ込むからな」


*こちらにGyaoで放映中
[ 春風亭朝也 「たらちね」 http://gyao.yahoo.co.jp/player/00291/v01038/v0103800000000514663/ ]



猫久 (三)

2009-10-11 12:19:57 | 落語
 熊さんが家に帰ってきますと、さっそくかみさんの小言がはじまる。
 「何してんだい。この人ァ、まだそんな頭でうろうろして。
またなんだろう、途中でヘボ将棋かなんか、引っかかってやがってたんだろう。
どうするつもりだよ、お昼のお菜(かず)を…… い、わ、しッ!」


 「おゥ? この野郎。亭主が屋敷をまたぐがまたがねえうちに、もう鰯ィなってやがら。
そんな了見じゃ、とてもてめえなんぞには頂けめえ」


 「何を言ってるんだね、中にお入りな」


 「てめえの家へ入るのにかかあに遠慮なんぞしやあしねえ。
てめえに言って聞かせることがあるんだよ」


 「あらッ、嫌だよこの人ァ、座ったんだよねえ…… あたしゃおまえさんと一緒になって三年になるが、おまえさんの座ったの初めて見たよ」


 「てやんでえ、こん畜生、ふざけるない。えへん、もそっとこれへ」


 「なに?」


 「もそっとこれへ」


 「お飯かい?」


 「この野郎、よそってくれてんじゃねえやい。
もそっとこれへだよォ、もっと前の方へ出ろってんだッ」


 「何だい?」


 「だから、これへでえ…… でえ、でえ……でえ」


 「なに?」


 「出え、てんだよ」


 「何だよ、でえでえって。雪駄(せった)直し屋だよ、まるで」


 「おめえ、何だな。さっき前の猫ォとこのかみさんが刀ァこう三べん頂いたのを見て、笑ったろう?」


 「何を言ってるんだね。笑ったなあおまえが笑ったんじゃないか。
おまえが笑いながら、あたしに教えたんだよ、笑ったのァおまえだい」


 「そりゃ、俺ァ亭主だから先に笑うのが、当たり前」


 「誰だって可笑しきゃ笑うよ」


 「うん、しかとさようか」


 「何を言ってるんだねえ。笑ったのがそんなに悪いのかい?」


 「それに相違ないか」


 「ああ、相違ないねえ」


 「可笑しいと申して笑う貴様がおかしい」


 「何を言ってるんだい、どうしたんだい」


 「いや、その趣意を解せぬとあらば聞かせてとらす」


 「たいへん改まっちまったんだね」


 「汝…… 人間か」


 「やだね、この人ァ。見たら分かるだろう、人間だよう。だからおまえのかみさんになってらあね」


 「余計なことを言うない…… 汝人間なれば、魂はさいかちの木にぶらさがる」


 「何だい、それは」


 「何だか分からねえ…… 日頃、猫久なる者は…… 久六で八百屋で、どうもしようがねえ……」


 「何だねえ」


 「 ……ああ、朋友であるかてんだ」


 「何だい?」


 「何だじゃねえやい、本当に…… 日頃、猫久なる者…… ああそうだ。
だ、だ、だッ、だんし、男子だ。猫久は、男子であってみればよくよく…… よくよくのがれ、逃れざるやと喧嘩(けんか)をすれば…… 」


 「そうかい、ちっとも知らなかったよ。じゃあ、あの笊屋(ざるや)さんと喧嘩したのかい?」


 「そいじゃあないよ。逃れざるやッ!」


 「何だい、その、のがれざるやてえのは」


 「だから、ここへ来る笊屋と、わけが違うんだよ。逃れざるやの方だ。
逃れざるや…… 逃れざるやと喧嘩をすれば、夫は薤(らきょう)食って我が家に立ち帰り…… 日頃、妻なる者は、女でおかみさんで年増だ」


 「何を言ってるんだい、ばかばかしい」


 「てやんでえ…… 日頃、妻なる者は…… 夫の真鍮(しんちゅう)磨きの粉を計りよ。
ここはいいとこだぞ、おい…… 神前に三べん頂いたるは、遠方に…… 遠方に怪我(けが)のあらざら…… 夫に怪我のないように、祈る神さま仏さま…… とくらあ」


 「嫌だよこの人ァ。変な声するんじゃないよ」


 「身どもに二十五になる倅(せがれ)があるが……」


 「およしよゥこの人ァ、おまえさん二十七じゃあないか。二十五ォばる倅があるわけないだろう」


 「あればって話だよう…… こういう女をかかあにしてやりてえと、あーあ豪勢(ごうせい)、驚いた」


 「驚くのかい?」


 「ああ、ここんとこはずうッと驚くとこだ。なあ…… ああ驚いた驚いた。
世のことわざが外道の面、庄さんひょっとこ般若(はんにゃ)の面、てんてんてれつく天狗8てんぐ)の面」


 「嫌だよ、この人ァ。浮かれてるよ、本当に」


 「いや、その女こそさにあらず、とくらあ。いいか、おい、貞女や孝女、千艘(せんぞ)や万艘(まんぞ)、天晴れ(あっぱれ)天晴れ甘茶でかっぱれ。按腹(あんぷく)つかまつったとくらあ……どうだ」


 「何を言ってるんだい、この人ァ」


 「てめえだってそうだよォ。いいか、俺が何か持って来いったらなあ、何でもかまわず猫ォとこのかみさんみてえに、ちゃんとてめえ、頂いて持ってこれるか。分かったか」


 「何を言ってるんだい。何だと思やあ頂くのかい。そんなことァわけないよ。すぐ頂けるよゥ」


 熊さんがわけの分からない講釈をしている間に、台所の鰯(いわし)を猫が咬(くわ)えて飛び出した。
 「やい、こん畜生ッ! 泥棒猫めッ!! おう、おっかあ、おっかあ、何か持って来い。
おう、早くしろッ!」


 おかみさんは、擂鉢(すりばち)の中にあった擂粉木(すりこぎ)を手に持って、神棚の前にぴたりと座り、丁寧に三べん頂いて、熊さんに渡した。


 お後が宜しいようで……



猫久 (二)

2009-10-10 22:35:26 | 落語
 この話を傍(かたわ)らで聞いていたのが、恰幅(かっぷく)のいい赤ら顔の五十前後のお侍。
 「あいや町人ッ」


 「へえい…… 俺? 嫌だよ、親方ァ、お客さんじゃねえか。
それもいいけどお侍さんじゃあねえか。 ……どうもすみませんです。
旦那がそこへおいでんなるてえのァちっとも知らんかったもんですからねえ。
そいから大きな声で怒鳴っちまいまして…… 勘弁してくさいまし」


 「いやいや大声を咎めておるのではない。
最前からこれにて承れば、猫又の変化が現れ、人心を悩まし、人畜を傷つけるとか、穏やかならんこと、身ども年齢を取っても腕に年齢は取らせん。その猫を退治してくれよう、案内いたせ」


 「いえ…… 旦那ちょいとねえ、まあ気の早い御仁(ごじん)だ。いえ、あの、今ここで猫々ッて話しましたけどもね。本当の猫じゃねえんでござんす」


 「うん? 何? しからば豚か?」


 「いえいえ、じつはわっちの長屋の真向けえに久六という八百屋がおりまして。
こいつがおとなしくって、猫みたいな野郎だってんで、猫の久さんだ、猫久だってんで、あっしらだの、仲間だのはもう久の字ィ取っぱらっちゃて猫々ってんで、ええ、本当の猫じゃねえんですから…… 。
 何しろ、足だって二本しかねえんですから、かみさんもちゃんとあるから大丈夫です。
 その猫が、どこで間違いを起こしたのか、真っ青な顔して外から飛んで帰ってきて、相手を殺しちまうんだから脇差(わきざし)を出せ、と怒鳴ると、かみさんがまた変わり者で、止めもしねえで、脇差を引出しから出し、神棚の前へ座って何だか口の中で世迷言を唱えて、それからその脇差をぴょこぴょこと三度ばかり頂いて渡してやりやがってんで。
 気ちがいに刃物を渡すなんて呆れ返ったもんだと言って、さんざっぱら笑っちまったんで。
まあ、旦那、話てえのはまあこういうおかしな話なんで…… 」


 「ううむ、さようであるか。それは身どもとしたことが粗忽千万(そこつせんばん)であった。
しからば何か、その久六と申す者は、その方の朋友(ほうゆう)であるか?」


 「へえ、あのう…… ありがとうござんす」


 「いや、ありがたくない。久六と申す者はその方の朋友であるか?」


 「 ……いい塩梅(あんばい)のお天気でござんす」


 「いや、天気を聞いておらん。久六なる者はその方の朋友であるか?」


 「いえ、あの、何です。あいつの商売は八百屋でござんす」


 「いや、商売を聞いてはおらん。その方の朋友であるか?」


 「いえいえ、まるっきり違うんですから。あっしは大工でござんす」


 「分からん奴だな。久六なる者は、その方の朋友であるのかッ?!」


 「いえ、あの旦那、まああのお腹も立ちましょうが…… 」


 「何も申しておる。久六はその方の友だちであるのか?」


 「うふッ、 ……さようですか。
どうも…… 旦那がほうゆうか、ほうゆうか、と仰るもんですから…… 友だちであるか、ですか」


 「はっきりせん奴だな。では何か、その久六なる者の妻が、神前に三べん頂いて剣をつかわしたるを見て、その方は可笑しいと申して笑うたのか」


 「ええええええ、そうなんです。
ええ、世の中にはずいぶん変わったかかあがあるもんだてんでね。さんざっぱら笑っちゃったんで」


 「しかとさようか」


 「へ? へえ、あのう、鹿だか馬だか知りませんけども、可笑しいから笑ったんで」


 「それに相違ないな」


 「え、ええ…… あのう相違ありません」


 「可笑しいと申して笑う貴様がおかしいぞ」


 「はあ…… さようですかな」


 「その趣意(しゅい)を解せぬとあらば聞かせてとらす。もそっとこれへ…… これへ出い…… これへ出い」


 「ちょいと、親方ァ…… あの、何とか言ってくれねえかな、おい。
えれえことンなっちまって…… どうも旦那すみません。
いえあの、旦那がね、猫のご親戚だってことをちっとも知らなかったもんですから…… へえ、いえ、わざわざ笑ったわけじゃねえですから。ほんのちょいとなんで、旦那勘弁(かんべん)してくんねえな」


 「汝、人間の性あらば魂を臍下(さいか)に落ち着いて、よおっく承れ。
 日頃、猫と渾名(あだな)さるるほど人の好い男が、血相を変えて我が家に立ち帰り、剣を出せいとは男子の本分よくよく逃れざる場合、朋友の信義として、かたわら推察(すいさつ)いたしてつかわさんければならんに、笑うというたわけがあるか。
 また、日頃、妻なる者は、夫の心中をよくはかり、否とは言わず渡すのみならず、これを神前に三べん頂いてつかわしたるは、先方に怪我(けが)のあらざるよう、夫に怪我のなきよう神に祈り、夫を思う心底、天晴れ(あっぱれ)女丈夫(おんなじょうぶ)ともいううべき賢夫人(けんぶじん)である。
 身どもにも二十五になる倅(せがれ)があるが、ゆくゆくはさような女を娶(め)らしてやりたいものであるな。
 後世おそるべし。世のことわざに、外面如菩薩内心如夜叉(げめんにょぼさつないしんにょやしゃ)なぞ申すが、その女こそにあらず、貞女なり孝女なり賢女なり。
天晴れ天晴れ、じつに感服(かんぷく)つかまつった」


 「うふッ…… えへへへ…… 按腹(あんばい)でござんすかねえ。
何だかちんぷんかんぷんだが、さにあらずだよ、べらぼうめ」


 「何を言っておる」


 「つまり、ま、旦那の仰ることは、よく分かりませんけれども。
こう頂くかかあと、頂かねえかかあとどっちが本物だってえと、頂く方が本物だてえんで、へえ、ご尤もでござんす。
 ええ、そう言われますと、うちのかかあなんてものァもう、場違えでござんすから、ええ、とても頂けっこありません。
 ……おいおい親方、聞いてみなくちゃ分からなえなあ、笑う貴様が、さにあらずだぜえ」


 「おい…… 何だ、何だい、おい…… どうするんだい熊さん、帰っちまうのかい?
頭ァどうするんだい?」


 「いいよ、また出直すよ。いいこと聞いた、さっそくかかあに教えてやろう」