熊さんが家に帰ってきますと、さっそくかみさんの小言がはじまる。
「何してんだい。この人ァ、まだそんな頭でうろうろして。
またなんだろう、途中でヘボ将棋かなんか、引っかかってやがってたんだろう。
どうするつもりだよ、お昼のお菜(かず)を…… い、わ、しッ!」
「何してんだい。この人ァ、まだそんな頭でうろうろして。
またなんだろう、途中でヘボ将棋かなんか、引っかかってやがってたんだろう。
どうするつもりだよ、お昼のお菜(かず)を…… い、わ、しッ!」
「おゥ? この野郎。亭主が屋敷をまたぐがまたがねえうちに、もう鰯ィなってやがら。
そんな了見じゃ、とてもてめえなんぞには頂けめえ」
そんな了見じゃ、とてもてめえなんぞには頂けめえ」
「何を言ってるんだね、中にお入りな」
「てめえの家へ入るのにかかあに遠慮なんぞしやあしねえ。
てめえに言って聞かせることがあるんだよ」
てめえに言って聞かせることがあるんだよ」
「あらッ、嫌だよこの人ァ、座ったんだよねえ…… あたしゃおまえさんと一緒になって三年になるが、おまえさんの座ったの初めて見たよ」
「てやんでえ、こん畜生、ふざけるない。えへん、もそっとこれへ」
「なに?」
「もそっとこれへ」
「お飯かい?」
「この野郎、よそってくれてんじゃねえやい。
もそっとこれへだよォ、もっと前の方へ出ろってんだッ」
もそっとこれへだよォ、もっと前の方へ出ろってんだッ」
「何だい?」
「だから、これへでえ…… でえ、でえ……でえ」
「なに?」
「出え、てんだよ」
「何だよ、でえでえって。雪駄(せった)直し屋だよ、まるで」
「おめえ、何だな。さっき前の猫ォとこのかみさんが刀ァこう三べん頂いたのを見て、笑ったろう?」
「何を言ってるんだね。笑ったなあおまえが笑ったんじゃないか。
おまえが笑いながら、あたしに教えたんだよ、笑ったのァおまえだい」
おまえが笑いながら、あたしに教えたんだよ、笑ったのァおまえだい」
「そりゃ、俺ァ亭主だから先に笑うのが、当たり前」
「誰だって可笑しきゃ笑うよ」
「うん、しかとさようか」
「何を言ってるんだねえ。笑ったのがそんなに悪いのかい?」
「それに相違ないか」
「ああ、相違ないねえ」
「可笑しいと申して笑う貴様がおかしい」
「何を言ってるんだい、どうしたんだい」
「いや、その趣意を解せぬとあらば聞かせてとらす」
「たいへん改まっちまったんだね」
「汝…… 人間か」
「やだね、この人ァ。見たら分かるだろう、人間だよう。だからおまえのかみさんになってらあね」
「余計なことを言うない…… 汝人間なれば、魂はさいかちの木にぶらさがる」
「何だい、それは」
「何だか分からねえ…… 日頃、猫久なる者は…… 久六で八百屋で、どうもしようがねえ……」
「何だねえ」
「 ……ああ、朋友であるかてんだ」
「何だい?」
「何だじゃねえやい、本当に…… 日頃、猫久なる者…… ああそうだ。
だ、だ、だッ、だんし、男子だ。猫久は、男子であってみればよくよく…… よくよくのがれ、逃れざるやと喧嘩(けんか)をすれば…… 」
だ、だ、だッ、だんし、男子だ。猫久は、男子であってみればよくよく…… よくよくのがれ、逃れざるやと喧嘩(けんか)をすれば…… 」
「そうかい、ちっとも知らなかったよ。じゃあ、あの笊屋(ざるや)さんと喧嘩したのかい?」
「そいじゃあないよ。逃れざるやッ!」
「何だい、その、のがれざるやてえのは」
「だから、ここへ来る笊屋と、わけが違うんだよ。逃れざるやの方だ。
逃れざるや…… 逃れざるやと喧嘩をすれば、夫は薤(らきょう)食って我が家に立ち帰り…… 日頃、妻なる者は、女でおかみさんで年増だ」
逃れざるや…… 逃れざるやと喧嘩をすれば、夫は薤(らきょう)食って我が家に立ち帰り…… 日頃、妻なる者は、女でおかみさんで年増だ」
「何を言ってるんだい、ばかばかしい」
「てやんでえ…… 日頃、妻なる者は…… 夫の真鍮(しんちゅう)磨きの粉を計りよ。
ここはいいとこだぞ、おい…… 神前に三べん頂いたるは、遠方に…… 遠方に怪我(けが)のあらざら…… 夫に怪我のないように、祈る神さま仏さま…… とくらあ」
ここはいいとこだぞ、おい…… 神前に三べん頂いたるは、遠方に…… 遠方に怪我(けが)のあらざら…… 夫に怪我のないように、祈る神さま仏さま…… とくらあ」
「嫌だよこの人ァ。変な声するんじゃないよ」
「身どもに二十五になる倅(せがれ)があるが……」
「およしよゥこの人ァ、おまえさん二十七じゃあないか。二十五ォばる倅があるわけないだろう」
「あればって話だよう…… こういう女をかかあにしてやりてえと、あーあ豪勢(ごうせい)、驚いた」
「驚くのかい?」
「ああ、ここんとこはずうッと驚くとこだ。なあ…… ああ驚いた驚いた。
世のことわざが外道の面、庄さんひょっとこ般若(はんにゃ)の面、てんてんてれつく天狗8てんぐ)の面」
世のことわざが外道の面、庄さんひょっとこ般若(はんにゃ)の面、てんてんてれつく天狗8てんぐ)の面」
「嫌だよ、この人ァ。浮かれてるよ、本当に」
「いや、その女こそさにあらず、とくらあ。いいか、おい、貞女や孝女、千艘(せんぞ)や万艘(まんぞ)、天晴れ(あっぱれ)天晴れ甘茶でかっぱれ。按腹(あんぷく)つかまつったとくらあ……どうだ」
「何を言ってるんだい、この人ァ」
「てめえだってそうだよォ。いいか、俺が何か持って来いったらなあ、何でもかまわず猫ォとこのかみさんみてえに、ちゃんとてめえ、頂いて持ってこれるか。分かったか」
「何を言ってるんだい。何だと思やあ頂くのかい。そんなことァわけないよ。すぐ頂けるよゥ」
熊さんがわけの分からない講釈をしている間に、台所の鰯(いわし)を猫が咬(くわ)えて飛び出した。
「やい、こん畜生ッ! 泥棒猫めッ!! おう、おっかあ、おっかあ、何か持って来い。
おう、早くしろッ!」
「やい、こん畜生ッ! 泥棒猫めッ!! おう、おっかあ、おっかあ、何か持って来い。
おう、早くしろッ!」
おかみさんは、擂鉢(すりばち)の中にあった擂粉木(すりこぎ)を手に持って、神棚の前にぴたりと座り、丁寧に三べん頂いて、熊さんに渡した。
お後が宜しいようで……