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1990年代パチンコ・パチスロ実戦記「バラのつぼみ」

私が学生時代に書き留めていたパチンコ・パチスロの実戦データをベースに当時を懐かしむブログにしようと思っています。

僕がブログを書き始めたきっかけ「まにあっく懐パチ・懐スロ」の事

2023-01-07 19:55:06 | 機種情報他
ここの所、収支日記以外の記事をUPしていないと思ったので、ブログを始めたきっかけを書こうと思います。

ブログを始めたきっかけは実に単純で下記に紹介するブログに触発されたからです。

今から7、8年前になるでしょうか「まにあっく懐パチ・懐スロ」というとても面白い
ブログを発見、夢中になって読み倒しました。こちらのブログは1990年代のパチンコ・パチスロ台を
紹介していらっしゃるのですがもう、台のスペック、攻略法、その他サイドストーリーと
圧倒的な情報量を誇ると共に情報が正確無比で読んでいて感動を覚える程の内容です。
私もレトロパチンコマニアですので間違った情報が掲載してあるサイトはすぐに違和感を感じて、
そうなるとすべての記事の正確性に疑問をもってしまいます。ですがこちらのブログには一切これはおかしいなと
感じる部分(間違い)がありません。今でもそうですがこのブログを知ってから旧台の情報を調べる際は
まずはこちらのブログで情報を探すようになりました。youtubeの人気チャンネル「ぱち馬鹿っ!!」さんなどの
動画中で引用されることの多いブログなので正確さは折り紙付きだと思います。

その他にも1990年代に私と同じく東京を中心にパチンコを打っていらっしゃったので
当時の東京パチンコ事情も詳しく掲載されていて共感できることが多かったです。

このブログの記事をいつも読むようになってから自分もこのブログの管理人さんのように
なりたいなと思い、自分のブログをはじめました。記事のクオリティーは今だ雲泥の差ですが・・・

こちらのブログ、毎日のように更新していらっしゃいましたが2017年9月を最後に突然
更新が止まっています。管理人さんをとりまく状況が変わって更新作業が出来なくなったのか、
更新のモチベーションがついえたのか・・・状況は知るべくもないのですが突然また更新が
始まる事を楽しみにしています。

更新が5年以上ないブログですが絶大な人気があるようでいまでもgooブログアクセスランキングでは
常に100位以内をキープしていらっしゃるようです。

1990年代のパチンコ・パチスロに強い関心を持つ方は是非こちらのブログも読んでみて下さい。
きっと気に入って頂けるはずです。

「まにあっく懐パチ・懐スロ」
https://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc

当時良く打った機種:ニューパルサー(山佐)

2021-02-28 16:20:49 | 機種情報他
本日2月28日はニューパルサーの日らしいですね。ニューパルサー誕生28周年という事で特設サイトも作られているようです。
それを記念して(?)私も山佐の4-1号機ニューパルサーについて記します。
1992年末に初の4号機として登場したチェリバー(A-Cタイプ)、次いで登場したトロピカーナ(Bタイプ)、ロイヤルタカシーRT(Bタイプ)がユーザーに一番親しまれていたAタイプではなかったため、BIGとREGでコインを増やしていく正統派Aタイプが待ち望まれていた中でデビューしたのがニューパルサーです。ハード的には2-2号機ビッグパルサーから使われている筐体のマイナーチェンジ版で上部パネル部ランプが変更された事とFM音源が採用されました。FM音源の採用によってBIGをカエル絵柄で揃えるとゲコゲコとカエルの鳴き声がしたのも当時としては斬新でした。その後当たり前となるキャラクター絵柄をBIG絵柄として採用したのもこの台が最初だと思います。発売は1993年4月頃と記憶しています。葛西には4月頃に導入したお店が1店舗あったので早い時期から打っていました。最初のうちはリプレイ・等倍返しの有無やリーチ目といった3号機スーパープラネットとの違いに戸惑いながら、どちらかというとスーパープラネットの代わりといった感じで消極的に打っていたと思います。一番受け入れられなかった違いは等倍返しが無くなった事により左リールにチェリーが出現してもボーナスへの期待がさほど持てなくなったことです。3号機までの山佐機であればボーナスフラグ成立後は等倍返し処理が働きチェリー確率が(多分)1/2以上位になっていたため左リールにチェリーが出ただけで微かにボーナスへの期待が持ててハサミ打ちでボーナス絵柄で挟めば更に期待度UP(100%ではない)、その後は中リール入魂目押し必須の激アツTIMEでした。ニューパルサーの場合、逆にチェリー付き挟み目が挟んだ時点でボーナス成立100%だったのが何か物足りなかった様に覚えています。それと他の4号機も同じですがやはり慣れるまではリプレイでプレイリズムが狂ってしまい4号機は避けてしまいがちでした。ですがニューパル人気は凄まじく葛西駅周辺のパチンコ店でも設置していない店はないという位に普及して、パチンコ・パチスロで勝とうと思うと必然的にニューパルを打つことが選択肢に入ってきました。ニューパルにはリプレイ外しと設定判別という2大攻略法がありました。リプレイ外しについては完璧にこなして十数枚の増加でしたが小役を取るときも割とシビアな目押しが強いられたので私はリプレイ外しをすることはほとんどありませんでした。また、4号機の攻略法としては後にスタンダードとなる小役カウンターを利用した設定判別の方ですが、これもニューパルが初めて判別が発見された機種ではなかったでしょうか?設定判別法はパチスロ攻略マガジンの方で発見されました。発見後1年位経った後にはBIG終了後に何枚手入れを繰り返すといった手法でクレジットの枚数調整を行い効率よくかつ簡単で分かりやすく判別ゲームを稼ぐことが可能になりましたが1995年の時点ではちょっと記憶が薄れてうまく説明できませんが全然洗練されていない非効率な判別方法しかなかったためニューパルで設定判別をすることはあまりありませんでした。2000年に発売された後継機のニューパルサーRではリプレイ外し・設定判別共に簡単になっていたので存分に活用させていただきました。
また、何枚手入れといったスマートな手順も攻略マガジン誌で開発されたため必勝ガイド誌はいつまでも洗練されていない方の手法を利用せざるを得ないばかりか洗練されているマガジン誌の手法を批判する始末で非常にダサくガイド信者の私は当時本当に悲しい気持ちでガイド誌を読んでいました。
両攻略法を利用しないとなると必然的に正攻法で勝ちを目指さなければいけません。幸い設置店は当時腐るほどありましたので設定状況の良さげなお店で良さげな台を選んでひたすら粘るといった正攻法で勝ちを拾っていたと思います。
数多にあったリーチ目はというと、通常時はDDTとリーチ目限定効果(リーチ目をたくさん覚えるのがめんどくさかったので・・・)を兼ねて常に左リールにカエルチェリー7の7を上段に狙い中リールはベルの目押しが必要なのでカエルを狙い右リールはオヤジ打ちをしていたので左リール上段7からのリーチ目で気が付くことがほとんどでした。中リール下段にカエルが止まると右リールは上段か下段にボーナス絵柄が止まればリーチ目(カエル上段時は同時にベルが揃うので非リーチ目)なので少しだけ期待して右リールを止めていました。
以前このブログに書いた新台導入時のエピソード以外には今でも記憶に残っているようなインパクトに残る思い出はありませんが、1993年~1996年頃においてニューパルサーは間違いなくパチスロ界のメインストリームであり、当時パチスロを打っていた人達の記憶にはありふれた日常の1アイテムとして強く印象が残っている機種ではないでしょうか?
誕生30周年時にはどんなイベントが開催されるか今から楽しみですね。



私の楽しんだ平成のパチスロ その②

2020-12-29 00:27:27 | 機種情報他
2019年6月に「私が楽しんだ平成のパチスロ」というタイトルで初4号機チェリーバー登場まで語りましたがその後が滞っていましたのでその②として書きます。

1992年末にエレクトロコインジャパンより初4号機チェリーバーがA-Cタイプとして発売されました。2号機3号機のA-Cタイプとは違い規制によりパンク確率が1/150以上になったため一撃長打の破壊力がなくなり不満が残りました。その後も集中時のシングル確率を高め集中時1Gあたりの増加枚数を増やしたり(ユニバーサル販売のソレックス等)、B-Cタイプにしたり(ユニバーサル販売のキングオブカリブ、ハリケーン等)して集中役の存在感を向上させようとしていましたがユーザーを満足させるに至らず、4号機でBIG以外の役がメイン役となるのはAT機の獣王の発売を待たなければいけません。また4号機には付き物のリプレイ外し攻略法も通用しました。チェリーバーは他機種と違い2枚掛けにするとジャックイン確率が上がるというおまけもついていたので小役ゲームを25Gくらいまで引っ張れたように記憶しています。元祖4号機のチェリーバーから続くリプレイ外し攻略ですが1995年8月にクランキーコンドルが発売されるまではBIG1回あたりの増加枚数10枚~30枚程度で割と地味攻略法扱いというか実践者がそこまで多くない攻略法として存続していきます。

チェリーバーに続く4号機はメーシー販売のBタイプ機トロピカーナや高砂電器産業の同じくBタイプ機ロイヤルタカシーが発売されました。Bタイプは2号機の頃からあったと思いますが、2号機3号機は各メーカー2機種までしか発売できませんでしたので保守的なAタイプの発売が多く、4号機からメーカーごとの発売機種の制約がなくなったためある意味奇抜なBタイプも積極的に開発・発売されるようになります。と、Bタイプが2機種発売されるのですがユーザーはやはりAタイプを望んでいたようで2機種とも大ヒットとはいきませんでした。そんな時に山佐から満を持して発売されたAタイプがニューパルサーです(1993年4月頃の発売だったと思います)。ゲーム性自体は2-2号機のビッグパルサー、3-1号機のスーパープラネットと概ね違わないのですが、ユーザーがオーソドックスなAタイプを求めていたからか大ヒット機種となります。確かに4号機初期のチェリーバー、トロピカーナ、ザンガス、オリエンタルⅡ、ソレックス、ペガサスワープG等々ほとんどの機種が何らかの告知機能を有しており、当時のパチスロの醍醐味の一つであったリーチ目を楽しめる機種が少なかった事もあってニューパルは他メーカーの機種と一線を画す完成度だったと思います。その後当分はどのお店に行ってもニューパルサーが設置してあるといった状態でニューパル(山佐)天下が続きました。
その他メーカーはオリンピアがプレイガールVを発売しますがこちらもレギュラーなしのA-Cタイプだったため中途半端な感じが否めませんでした。ユニバがリールフラッシュの呪縛から逃れられなかったのと同様にオリンピアはバニーシリーズにあったフルーツの集中の呪縛から逃れられていなかった印象を受けます。3号機で唯一小役ゲームが期待値方式だったミラクルで存在感を示した尚球社の4-1号機は他メーカーより一歩遅れましたがその分満を持した感じでジャックポットⅡを発売しました。ミラクル譲りのMAXBETボタン搭載で操作性も良くリプレイ外しは出来ませんでしたがなかなか楽しい台でした。
で、山佐対抗の大本命のユニバーサルグループですがリールフラッシュへのこだわりが災いしたのか山佐の後塵を拝す事になってしまいました。じりじり山佐にシュアを奪われたであろうユニバーサルグループはこだわりのリールフラッシュを捨てイブXやフリッパー3といった代役絵柄を利用したリーチ目機種が発売します。ですが出目テーブルを使った山佐機と違い単純なコントロール方式で基本的に一直線系かテンパイ系のリーチ目しかなくテーブル方式リーチ目の奥深さに及ばず大ヒットには至りません。テーブル方式のリーチ目を搭載した機種は1995年8月に発売されたクランキーコンドルまでまたなければいけないのですが、この機種が皆さんご存じの通り一世を風靡する事となります。

疲れたのでクランキーコンドル後のパチスロ事情はその③にします。

番外編:殿堂上野店でレトロ台を打ってきました。

2020-02-23 23:50:19 | 機種情報他
新型コロナウイルスの関係で騒がしい中、所用で横浜・東京に行っていました。
東京といえば上野のレトロパチスロゲームセンター殿堂さんということで朝一から向かってきました。

最初に打つのをどの台にしようかと悩んだのですが、あまり売れていないレア台だったタイヨーの4号機「マフィアX」から打ってきました。
タイヨーは4-1号機ゴールデンダック(プレイガールVと同じ)、4-2号機マスターダック(ビーチガールと同じ)とオリンピアと提携してほぼオリンピアと同じ台を販売していたのですが、この台は一転3-2号機トライアンフで使われていたタイヨーオリジナル筐体、リール制御もズレ目&成立フラグをセンターライン以外で揃えようとするなどトライアンフと同じ(元をたどればスーバニと同じですが・・・)とタイヨー臭がプンプンする危険を感じるマシンでした。私はこの台が現役時代に打ったことがありませんでしたが、バキバキ連荘するということは雑誌で確認していたので、トライアンフ好きとしては当時から是非打ってみたい台だったので念願かなって打つことができました。

実際うってみるとトライアンフとは違い、チェリーを目押ししていても頻発するガセズレ目、ルックスからして3号機気分で打っているのに
リプレイがそろってなんか調子が狂っちゃう感じで、BIGとREGを1回ずつ引いたところでもういいかなと終了しました。

この日はブログにアップするためできるだけ多くの台を打とうと頭の片隅で考えていたので足早に2台目のワイルドキャッツに移動します。

2号機3号機で好きな台BEST5には入るこの台、打ち始めると早々に左リール、ネコ7ネコが出ます。この目はチェリーの取りこぼしかボーナスなのでそこそこ期待してしまいます。お次のゲームでなんと現役時代に多分一度もお目にかかったことのなかった、この台の代表的小役がらみのBIG確定リーチ目左リールレモン-ネコ-7からレモンがそろいます。

で、BIGスタートで当時の懐かしいサウンドに思わず涙をします。

その後は連荘する訳でもなく、これといったドラマもなくゲームは進みます。途中、左リールオレンジ-ネコ-ベルからベル聴牌したのでベルorBIGということでカラ回しをしてトイレに行って(いわゆるトイレ目)、見事ベルが揃っていないのでBIGかと思ったのですが、そういえば中リール継ぎ目のベルは例外でアウトだったと気が付きとんだ赤っ恥でございました。
でも、ワイルドキャッツはいつ打っても懐かしい気分にしてくれます。

3台目はスーパープラネット

スープラは今までも殿堂を含め複数のレトロ台ゲーセンで打ったことがありましたが、この日はレトロ台としては初めて赤パネルを打ちました。
レトロゲーセンで今まで目にしてきた白パネルは現役時代の初期に設置されたもので間に青パネルを挟んで後期に赤パネルが設置されたと記憶しています。
1991年からパチスロを始めた僕にとってなじみ深く、当時の新台入れ替えでワクワクした気分でご対面していた赤パネルを打てたのは大きなこの日の収穫でした。

で、この日唯一のボーナスはまさかの生入りでプラネットなのにリーチ目写真はありません・・・

BIGの写真も撮り終えたのでそそくさと4台目スープラの兄貴分ビッグパルサーに移動します。

こちらは初期バージョンの赤パネル、スープラと同じ理由で個人的には後期に出回った黒パネルの方がなじみがあるのですが
殿堂さんは赤パネルです。
これまた個人的な話で恐縮ですがスープラよりビッパルの方がリーチ目に奥深さを感じて好みです。

大好きな左リールWBARからの中リールBARスイカでの2確目BARWテンパイ、WBARから挟み打ちで右リールにBARを狙い枠下BARでBIG確定もいいですが
どちらかというとこちらの順押し2確がより好みです。

からのBIG、ビッグパルサーは7図柄が美しいですね。アークテクニコの7と双璧の美しさと思います。

さらに台移動を重ね5台目コンチネンタルⅢへと移動します。

3号機を代表する台とも言えるメーシー販売の名機中の名機、3号機A-Cタイプで唯一集中継続のリーチ目がある台だったような・・・
やっぱりそこが人気の元だったと思います。で、こちらもいきなりBIG生入り・・・

上段テンパイした時点でボーナスorシングルなのですが普通ほぼほぼシングルボーナスなので右を適当に押したところ
揃ってしましました。殿堂さんによると設置してあるこの台は猛爆必死の爆裂台でコインの先流しにご協力くださいとのこと
ふむふむ連荘するのかなと思っていた矢先のBIG終了後9ゲーム目にキタ――(゚∀゚)――!!

で、コンチ3でリーチ目が出た際のお約束がまずBARを狙って外れるとほっ、お次にBIGを狙って外れると
キタ――(゚∀゚)――!!なのですが

BAR揃っちゃってて落ちがわかるのですが、BAR上段テンパイは3ボーナス共通のリーチ目で右下がりテンパイがBAR確定リーチ目なので
BARテンパイを狙ってBARが上段にテンパイした時点ではもらった!という気分だったのですがまさかのそのままBAR揃い・・・
連荘(?)もBIG→BARの2連で終わりまた別の台へと移動します。

そして6代目はピストルことユニバーサル販売の3-1号機アメリカーナマグナムさんです。

この日も期間限定台ということで設置してあったのですが、私もレトロゲーセンでお姿を見かけるのは初めてのレア台です。
ユニバ系として最初に発売された3号機でユニバ系の他3号機と違い2号機同様にJACゲームが1リール判定なところが個人的に好みです。
この台はシングルボーナスでもBIGREGと同じリーチ目が出るのが長所でもあり短所でもあるところなのですがこの日も


などのゴージャス目から


REG、シングルの嵐・・・アメマグらしいといえばアメマグらしいのですが結局BIGを引けずに時間切れ

アメ横界隈の飲み屋さんが気になりだしたのでこの日はやめ、焼きトンの名店「大統領支店」へいそいそと向かいました。

この日は懐かしの3号機を中心に多数打って多数ボーナスが引けたので大満足の1日でした。





私の楽しんだ平成のパチスロ

2019-06-23 23:42:16 | 機種情報他
令和の始まり5月3日に平成のパチンコを懐かしむ記事をUPしました。当初はパチンコとパチスロを並記するつもりでしたがパチンコだけでもボリュームが大きくなってしまいパチスロは後日に・・・という事で置いていましたので本日、振り返ってみようと思います。

私がパチスロを初めて打ったのは、多分平成2年冬~平成3年夏にかけての間です。記憶があいまいなのは島端にあるコイン貸機を両替機と間違えて1,000円分パチスロ用コインを借りてしまいしょうがなくビッグパルサー(山佐2-2号機)を1,000円打っただけで本格的に打ち始めたのはもう少しだけ後になってからだからです。話が少しずれましたが初めて打ったのが平成3年頃ですのでその少し前の平成初期・2号機全盛時代は残念ながらよく知りません。パチスロ雑誌で後に読む事となるアニマル(アークテクニコ2-2号機)基板改修やリバティーベルⅢ(メーシー販売2-2号機)リバティーベルⅣ(ユニバーサル販売2-2号機)のイリーガル連チャン等も実体験はしていません。平成初期はパチスロもまだ混沌としている時代だったと言えるのではないでしょうか?

私がパチスロを打ち始める少し前の平成2年6月に高砂電器産業から初の3号機であるドリームセブンが発売されその後、スーパープラネット(山佐)、アメリカーナマグナム(ユニバーサル販売)、コンチネンタル(瑞穂製作所)、ワイルドキャッツ(アークテクニコ)等が続々と発売・設置されて行きます。コンチネンタル、ワイルドキャッツ、セブンボンバー(バルテック・ワイルドキャッツの兄弟機)は後にメーカー主導の違法連チャンプログラムが発見され検定取消・メーカーは3年間の販売禁止処分を受ける事となるのですが設置当初はその連チャン性で客を虜にしていましたので良くも悪くも初期3号機を象徴する存在であったと思います。私もパチスロの打ち方を教えてもらった友人がワイルドキャッツが好きだった事もありパチスロビギナーの頃はワイルドキャッツを中心に打っていました。といっても当初は貯金システムなども知らなかったのですが、近所の設置店が幸い多めにモーニングサービスを仕込んでくれている店だったのでモーニングからの貯金放出の恩恵に授かることが出来てそれなりに楽しんで打っていました。ちなみに当時のパチスロの島の雰囲気は本当に鉄火場という言葉がぴったりでパチスロを打っているのは一癖も二癖もあるような人達ばかりで島に入るのには覚悟を必要としました。話は戻ってコンチネンタルの方はというと平成3年頃は既にCS-90という連チャンプログラムを仕組んだコインセレクターは外されており、多分ノーマル状態の台を私は打っていましたが当時としては極大のBIG絵柄、BARBAR7でもBIGボーナスという斬新さ、中段単チェリーで1確という潔さ、BIGボーナスファンファーレのゴージャスさなどが気に入り結構打っていました。この頃参考にしていた攻略誌といえばパチスロ必勝ガイドでしたがまだ隔月刊の時代でしたので、攻略法発覚から雑誌発売までのタイムラグを埋めるために月刊誌だったパチンコ必勝ガイドにもカラーで数ページパチスロコーナーが設けられていて攻略法やら新台の実戦データやらが毎月掲載されていて参考にしていました。初期3号機人気機種が検定取消の憂き目にあった後もアラジンⅡ(サミー工業)、スペーススペクター(日活)、デートライン銀河Ⅱ(興新産業)といったように発売即裏物といった機種ばかりで平成4年頃に全台基板改修・再封印作業が行われ裏物が一掃されました。その後一時はほぼ唯一のノーマル3号機ともいえるスーパープラネット(山佐)のゲーム性の良さが見直され人気を博したのですが、またしばらくするとトライアンフ(タイヨー)、グレートハンター(エーアイ)、ミスターマジック(サミー工業)、アポロン(北電子)といった裏物パチスロが蔓延します。平成初期の3号機時代はノーマルのゲーム性がク〇な台が多かったせいか裏物と縁が切っても切れない時代でした。

上記のような時代だったですが絶対に注射できないという触れ込みのROMを搭載した4号機が平成4年の年末に発売されます。発売第1号機はチェリーバー(エレクトロコインジャパン)で4号機で初めて搭載されたリプレイに戸惑いながら打ったものです。私が初めて打ったのは発売されてすぐに上野(御徒町?)の百沸$みたいな名前のお店で空き台待ちをしてようやく打ったことを思い出します。

このペースで平成30年というか私がパチスロを打っていた平成15年頃まで行くと思うと気が遠くなるので4号機以降はまた後日という事で本日のブログはここでお終いにします。