イコールの橋 くれはやし・しゅん

生きていくことの大切さを多くの若者に伝えたい!
そして、一緒に平等の橋を渡りたい・・・。

犬もくわない

2009年06月27日 | 身辺雑記篇
夫婦げんかは犬も食わない。

この格言は嘘である。

夫婦げんかは、犬も食うのである。

なにを、けんつくを・・・。

夫婦げんかをしたら、

悲しげな目つきで

犬が、人間世界を哀れむのである。

どのように犬らしい仲裁の仕方をしようかと、

うちのトイプードルは悲しむのである。

愛しい犬ではある。

名前はララ。

雌の1歳である。

つれづれ

2009年06月27日 | 身辺雑記篇
安部公房の小説、掌編であるが、その中に、「公然の秘密」という

ちょっと、シュールな短編がある。

弱者の痛みに、見て見ぬふりをして

現代社会が「かりそめの安定」を保とうとして

必死になっている、という風刺のきいた小説だ。

雨宮かりん(かりんはむずかしくて書けない)さんだったかが、

インタビューで、「ティッシュに醤油をかけて腹を満たしている、

首を切られたフリーター」の話をしていたが、

安部公房は、ずいぶん以前から、この格差社会の

怪奇さを、その小説で体現させてもいたのである。

生きていれば、ノーベル賞であったかも・・・。

いま、安部公房を読む読者は少ない。

義父の17年忌法要

2009年06月27日 | カンボ再び
義父が死んで17年になる。

義父は、石川啄木が死んだ年にこの世に

生をうけた。

不動山の真言密教を信じていた母は、

どうしたことか、私の妹の婿、すなわち義弟の家の宗派に

突然鞍替えしたのが、義父が死んだ日であった。

まあ、そんなことはどうでもよい家柄でもあったろう。

私も、宗派はどうでもいい。

スンニ派でも、シーア派でもかまわない。

魂魄を慰めるのに、なにほどのことがあろうか?

それで、義父は、田川市にある、白鳥山成道寺に埋葬された。

総本山は、福井の曹洞宗永平寺、田川では名刹である。

御坊さまも、永平寺の厳しい修行をされて、

いま、長男様も、永平寺にて、修行をされているとのこと。

托鉢のことや、永平寺での修行のことなどを聞いていたら、

仏前講話が、またたくまに、一時間もなり、

おいとまをした次第。

納骨堂を移して、我が妹の宗派にまた義父は

鞍替えするという。

私は、こよなく、この成道寺に義父を安置したのであるが・・・・。

アーカイブス

2009年06月27日 | カンボ再び
NHKで、石原裕次郎さんの特集をしていた。

はたして、今の若い人は、裕次郎さんをしっているのだろうか?

と疑問を持つ。少なくとも、40歳以上の人でなければ、

そのカリスマ性を、わからないのではないだろうか?

10年近く前に、小樽へ行って、裕次郎さんの遺品などを眺めたが、

昭和の代表的な、ひばりさんも、ゆじろうさんも、

神話の中でしか生き残らないのかも、しれない。

小学校の低学年で、「赤いハンカチ」を歌っていた、

私どもの心情は、だれも、わからないであろう。

むかしの話

2009年06月24日 | 身辺雑記篇
いまとなっては、50年ほど昔の話だ。

僕は小学校の低学年。

そのころ、こっぺぱんと脱脂粉乳の

給食があった。

みんなは、笑うかもしれないけれど、

あのころの給食は生きていくために、貴重だった。

自分ちの昼飯よりも、いいときがあったからだ。

僕は、そのとき当番に当たっていた。

なんの当番かと言えば、

担任の女の先生は、心優しくて、

当日欠席した人の隣の席の人が

給食のコッペパンと

ジャムを持って行って、

いわゆる安否確認をしてくるのと、

明日はちゃんと学校へきてね、という

挨拶をしてくる当番だった。

僕は、その日、隣の席の小倉みさこが

学校を休んでいたので、

コッペパンとジャムを運ぶ運命になった。

小倉は大きな2階建ての洋館に住んでいるという噂だった。

少なからず、僕は小倉に好意を抱いていたので、

給食を届けるのが、いやではなかった。

学校の小さな道をくだって、校門をくぐると、

右手に行けば、我が家。しかし、小倉の家は、左手に大きく湾曲した

山道をまた登るのであった。

距離にして、学校から300メートルほどの近さに

小倉の家は、森の中に、噂通りの洋館然とした

お屋敷であった。

コンクリートの門柱に埋め込まれている

呼び鈴を押すと、家政婦さんみたいなおばさんが、

現れて、用件をいうと、お嬢様は風邪のために

出てくることができないという話であった。

その家政婦さんと話をしていると、

大きな犬が、家の裏手からゆっくり歩いてきた。

とても、人間に慣れているらしかった。

僕は、犬が怖いのと、家政婦さんのあまりにも

ていねいなものいいに、なんともいわれぬ、いたたまれなさを感じて、

白い紙に包まれた、コッペパンとジャムをその家政婦さんに素早く

手渡して、引き返した。あんまし、話が子供の頃から

上手ではなかったので、その家政婦さんとどんな話をしたのか

少しも覚えていない。

ただ、門を辞して、ふりむくと、家政婦は、僕が今し方に届けた

コッペパンを、歩いているその大きな犬に投げていたことを

思い出す。むろん、犬はその場で一噛みで、コッペパンを

喉に入れ込んだ。

つまらない話だが、50年前の記憶は、いまだに残っている。

「階級」を僕が意識し始めたのは、そのころからかもしれない。

成金饅頭

2009年06月21日 | カンボ再び
義父の法事で筑豊に帰る。田川ですくのかめを食べる。美味である。鞍手に戻って成金饅頭を食べる。成金は ガワタンのカステラと中の 手亡豆が いかに調和を保ったハーモニーを紡ぎ出しているかであろう。40年前位に食べていた、あの 四宮の成金饅頭の味わいは今は懐古するだけである。かくして、伝承は滅びるか?なぜなら 味は 否 味ばかしは この舌が覚えているだけであるから…。

テレビの影響

2009年06月21日 | 身辺雑記篇
6月20日は、世界難民の日。

国民国家の幻想が続く限り、

難民は増え続けるしかない。

NHKで、いま、「風に舞い上がるビールシート」が放映されている。

これは、UNHCRを舞台にしたものだが、よく短編作品を

テレビドラマとして、制作していると思う。

日本人は、国民国家の幻想に浸って、決して、

私たちは、「難民」なんかには、ならないと

考えている。

もうそこで、堕落が始まっている。

まず、精神的な難民が、

なんと、この国には多いことであろうか?

難民とは、国を失うだけではなく、

心さえも、失うのである。

写真

2009年06月16日 | 身辺雑記篇
昨年、夏に娘が結婚した。

9月にイタリアへ新婚旅行に行った。

いま妊娠4ケ月で

帰省している。

この地で子供を出産するために

産婦人科を探している。

CD3枚分の新婚旅行の

写真集を、みなでパソコン画面で

見ている。

「世界ふしぎ発見」みたいな

話ばかりが出る。

フィレツエやベネチアやローマや

バチカンや、ポンペイやピサの斜塔やが

ふんだんに、画面上に出てくる。

ポンペイは、たしか紀元前79年だったかに

火山灰をかぶって滅びた町である。

近年、遺跡が発掘されて、その概要が

わかるようになったが、

娘が「ここは売春宿だったとこよ。」と説明してくれるが、

なんとなく腑に落ちぬ。石のベッドは、狭すぎるし。

まあ、楽しい勉強になりました。

娘はたまにしか帰ってこないので、

このときばかりは、家族の共同体意識が、突如として

芽生える。(笑)


お好み焼きパーティー

2009年06月16日 | 身辺雑記篇
私の甥っ子のけんちゃんは、お好み焼きがうまい。もちろん、作るのが。

高校時代は、高専だごの荒尾の下井手の、みつや食堂で

アルバイトをしていた。

やはり、本店での修行のせいか、玄人はだしである。

なんさま、旨い。

食べさせてやりたいが、料理を文字化するのは、こんなんである。

もう、ずいぶん前に、明治時代の「食道楽」という本を

NHKのアナウンサーの方が朗読をしていなさるのを

聞いて、実におもしろい文章やなあ、と聞き惚れたことがあったが、

では、おのが自分自身で、良い料理を文章化できるかというと、

答えは、否である。

私は、広島まで、過去3回、

お好み焼きのために、行ったことがある。

しかし、けんちゃんが作るお好み焼きの方が

やはりうまい。

お好み焼きは、性格が、反映される料理である。

観劇に感激!

2009年06月13日 | 身辺雑記篇
久しく見たいなあと思っていた、鄭義信さんの「焼き肉ドラゴン」をやっと

見ることができた。地方にいれば、観劇は無理。

そこで、昨晩の、NHK教育のテレビで見ました。

私は、在日のドラマは、果たして、成功するのかどうか

非常に、いぶかっていたから・・。

在日のくそリアリズムを超克するリアリズムの創出には

血と涙と汗が必要だからである。

でも、杞憂であった。

劇中なかんずく、父親役の、申哲振さんの抑制と充溢が交互に織りなす、

独白は、(相手に語りかけているようで、その実、あれはパンソリのモノローグで

ある。)見事であった。また、体当たりで、演劇をしている母親役の高さんの

在日の一つの母親像の造型は、長く語り伝えねばならない演劇のエキスであろう。

ただひとつ、長女に右足の傷跡を負わせることで、鄭さんは幾分か、その傷に

もたれてしまい、今ひとつ超えられない壁を内部から作ったような気がしないでも

ない。

これは、私の無い物ねだりでもあるが・・・。

いずれにしろ、在日のくそリアリズムの超克が課題であった、我が国の

在日朝鮮人文学に、深く深く、鋭いくさびを打ち込んだ文学が、鄭さんの

脚本であった。情念を、文字に形象化するために、鄭さんは、いくつの

アリラン峠を、足を引きずりながら越えてきたのであろうか?

死ぬまでに「見とけ!」と言いたいが、日本人にいくらいうても、わからん。

ちょっぱりに、まあ、見てもらう必要はないか?

在日はみるべし。今夜は、月はどっちに出ている?