イコールの橋 くれはやし・しゅん

生きていくことの大切さを多くの若者に伝えたい!
そして、一緒に平等の橋を渡りたい・・・。

船の名前のつけ方

2007年07月31日 | 身辺雑記篇
ヤフーの検索で、調べたら出てきました。ありがたい。

2つの意味がある。

1,可愛く大事にしている者に、命名するときは、牛若丸などと、「丸」をつけるそうである。ただし、宝刀などにも、「丸」をつけるとのこと。

2,明治になって政府が、船の名前には「丸」をつけるように指示したとのこと。ただし、海軍は独特で、「武蔵」や「大和」といった、「丸」をつけない船の命名である。

*古文書には、「仁和寺古文書」に「板東丸」という名が出てくるそうである。(私は未見)

外国は、けっこう人の名前がついてるようだ。

バブルのつけはどうするのだ?

2007年07月30日 | 身辺雑記篇
国鉄は清算された。そして、バブルの時代に、東京などを中心にして、たくさんのヤードが残って、バブルのせいで、売り惜しみをした。そして、固定資産税をはらわなければならない、また、利子を払わなければならない。これが年間で、相当数の借財として、残っている。それは、国民に犠牲を強いる結果となっている。

今の、株式上場の企業であるJRは一切、つけを払っていないのである。会社がちがえども、JR東日本が借金するときは、民間よりも高利の北海道や西日本のJRから、融通してもらっているという矛盾も、いまだある。

みせかけの黒字と、ほんとうの赤字。人件費を削った分、それは土地ころがしに転用された。しかし、土地は売れ残っている。

選挙戦でスポーツニュースが没

2007年07月30日 | 身辺雑記篇
我がホークスは、本日さよなら勝ち。ムネリンが頑張った姿を見ることはできない。
これは、日本人の美意識の問題である。

選挙より、スポーツが大事だと、頭の片隅で思う。

27時間も「みんな投票には行こうね。」などとおらんでたら、どうだ。

井口が頑張ったところもなしか! 井口は、電撃トレードで頑張ったのになあ。

ちょっと、選挙番組でスポーツ放送がなし。残念。

夏グッズプレゼント応募に応募する

2007年07月29日 | 身辺雑記篇
デジカメが当たるという。でも、賞品は選ぶことはできないということである。

いま、もっている、デジカメは、510メガのソニーのサイバーショットであるが、型が古い。

画素で思い出したが、今回、ケータイが壊れた、しかも液晶が・・・。どうしようもない。それで、現在D903iTVにしたのだが、難あり。

つまり、TV機能とカメラ機能は、重複できないのである。

つまりつまり、ケータイのTVを見るとカメラの画素は下がるのである。

もとのケータイは200万画素だったのが、今度のケータイは、150万画素である。情けない。機械化された世の中で、これは矛盾ではないだろうか?

ちいたあ、ユーザーのことを考えて欲しいのである。






大蛇山フィナーレ

2007年07月29日 | 身辺雑記篇
大牟田の夏祭りは、やはり大蛇山の山車。今年は、13基も出たとか。

景気は、悪いといいながらも、ひきやまが、去年より多いというのは、まあまあの景気か?

私は、寝ながら、日韓戦のAFC三位決定戦を見ていて、昨日は、総踊りも出場せず。1万人以上の人が、日頃は、このゴーストタウンの表通りを、練り歩く。超高齢社会の大牟田の町に、なんでこんなに人が多いのかと、驚くほどの人の山。

このひき山は、築町の大牟田神社の氏子がひく、大蛇山である。最近は、男女平等思想の普及で、おんな山も出る。まことに慶賀である。

アヒムナ

2007年07月29日 | 身辺雑記篇

アヒムナ平和運動に参加しているスタッフと、その平和学校の生徒さんたちとの交流会を開催した。

韓国の教育運動も、むずかしい局面を迎えているようだ。 アヒムナのフリースクールも運営面が、とてもむずかしいようだが、どこのnpoもこのようなものである。

 アヒムナのHPは以下。 

http://www.ahimna.net/ahmnsmain.htm

 


ふと忘れかけた、中学校校歌?

2007年07月26日 | 身辺雑記篇
今は、もうない、私の中学校。校舎も校庭も、あろうことか、私たちが運動会をしていたグラウンドは、裏田団地と名前を変えて、分譲住宅として切り売りされてしまった。そして、おやじと、お袋が、校庭の一部を買って、豪壮な家を建てた。

剣中学校は、今は、鞍手北中と名前を変えて、細々と存続しているはずである。私の、妹も、姪っ子も、この学校に通った。

校歌を思い出すが、多少、忘れかけている。

たしか、その当時、教頭でおられた小南双波先生の作詞と覚えているが・・・。?

間違っていたら、訂正をしてください。

「あかねあやなす 剣岳 仰ぐ希望の 雲高く 新生の意気 はつらつと 命もえたつ わが集い 剣中学 剣中学 栄えあれ。」

*この「わが集い」というのが、どうも「わが母校」であったような気がしてならないのである!もうかれこれ、40年ほども前の話である。

私はあまりよい生徒ではなかったが、いまでも、青春とよべるような感覚で、苦くほろ甘く思い出すのは、中学校時代である。


ふと思い出したので、書いてみる

2007年07月26日 | 身辺雑記篇
小学校は、ボタ山の裏にあった。剣南小学校である。

校歌をを覚えている。

「しずかなる世の 中山の 野良れし里の炭掘りの わざににぎおう今の世は 地下にも文化 開けゆく。」

筑豊炭田ど真ん中。三菱新入炭坑、私の旧家は、六坑にあった。

級友たちの中には、母子家庭が多かった。炭鉱の落盤事故で、父親を失った同級生が多かったのである。

鞍手町の中心は、やはり中山であり、そのまわりに、猪倉(いのくら)、小牧(おまき)、立林(たてばやし)、今村(いまむら)、そして在日の人がたくさんいたA町、そして、炭鉱の納屋は、六坑と呼ばれていた。

どべたんのすゆい臭いが、夜になってもしみじみと、私たちの食卓に流れてくる町であった。ここで、私は、幼少期を、ひねくれた少年として十年ほど過ごしたのであった。
今も、剣南小学校は、私の実家のすぐそばにある。

キプリング短編集を読む

2007年07月26日 | 身辺雑記篇
ないものねだりを、ついしたくなるのが、キプリングの文章である。

岩波の短編集を、ぱらぱらと読む。

「領分を越えて」は、植民地文学の徒花である。

ロマネスクなものが、キプリングの生きた時代のヒンズーの町の中には、拒絶と万雷の拍手をもって迎えられるという、奇妙な野合が存在していたのであった。

時代を超えるということが、ついに、キプリングにはなかった。

AFC杯のゆくえ

2007年07月26日 | 身辺雑記篇
決勝は、日本、逃しました。これで、韓国との3位決定戦。

優勝争いは、サウジとイラクである。

個人的には、イラクに勝って欲しい。

お金の面では、サウジが数段、良い条件でサッカーができる。

復興?をアピールするために、イラクのサッカーチームがプロパガンダに利用されるという人もいるが、素直に、イラク国民が、やる気を出して、民族自決の気持ちを、もう一度鼓舞するのであれば、勝ってもいいのでは・・・。私は、本気でそう思っている。