イコールの橋 くれはやし・しゅん

生きていくことの大切さを多くの若者に伝えたい!
そして、一緒に平等の橋を渡りたい・・・。

過敏性腸症候群

2005年02月03日 | 身辺雑記篇
小学生の頃の夢は、笑うなかれ、6畳くらいの部屋に、真ん中に、トイレ(それも、ボットンじゃなくて、水洗式)があって、机とベッドがあって、とかの夢を、よく見ていました。
おなかが緩くならない人には、おそらく考えられないけれども、あの、いきなり、突如、ぬきさしならぬ、悶絶とともに、はるか彼方の異次元からやってくる、そこはかとなく、悲しく、きゅるるきゅると襲撃してくる、あの腹痛というか、脂汗というか、ああいうことが、わからず、4,5日便秘やんねえとか、のたまう御仁には無用の苦しみとて、はっきしいうて、下痢症は、ウンチのにおいとともに、やってくるのです。
なんべん、目的地まで行くまでに、各駅停車で、トイレに駆け込んだでしょうか? ポケットには、テッシュが、必ずあります。これがないと、むかし、カブトムシを取りに行って、きゅるるときて、ちり紙がなくて、ハンケチで、尻拭いたことがあります。カブトムシとクマンバチは同居していて、いつケツ刺されるか、わからん、空襲警報の中で、脱糞したことがあります。
山登りに行って、きゅるるときて、一人コースをはずれて、ちり紙がなくて、胸ポケットの裏地を破って、ケツ拭いたことがあります。
また、某西鉄電車は究極の拷問列車で、トイレのある車両がないのであります。何度か、クレームとか、お客様提言箱とか投書とか、のあらゆる手段で、西鉄社長に訴えましたが、株主でもない私の、しかも、下痢症の、小汚いジジイの意見は、無視されたままです。
藤田さんか、藤山さんだったかの、エラーイ寄生虫学の先生は、日本人は「かふんしょう」ですとかといっておられました。漢字で書くと、「過糞症」だそうで、誰が、計量したのか知りませんが、アメリカ人は1回につき150g、日本人は400gだそうで、まあ、ウンチタレ、ウンコタレの国民なんだとかいっておられました。そして、そのエラーイセンセは、「腸という臓器は、考える臓器なんです。」とかも言っておられました。
小さいときに、早く、そんなことを教えてもらっていたら、なにも、ウンコタレを卑下することもなかったと、私は思うんです。
小学校が厳しかったですね、ウンコに行けないんです。周囲の人間の目を気にして、また、ぐるりの人間もウンコタレ情報を面白がるしで・・・。
なにさま、駅に着くと、トイレの場所をしっか、確認するのがならわし、会議に行くと、トイレの近くの席をまず、「場所確保」。だいたい、きそうだなあ、というのは、わかるのであるが、問題は、どのくらいまで、ウンコタレ、こんちくしょう、我慢できるかが、皆目わからないところに、ウンコタレの苦しみはあるのであります。
恥ずかしい話、我慢にガマンを重ねて、玄関までたどり着いたのはいいんですが、ウンコタレがまんできず、なぜなら、せいていたので、玄関の鍵穴がわからず、玄関で、ウンコタレは、ズボンの中に、うんこたれたこともあるのです。こういうときに、実存の悲哀を痛切に感じるのです。世界内在空間といいますか、我と汝、われとウンコ。
まあ、腸が考える臓器であり、わが腸あり、ゆえに下痢す。すこし、エライセンセの話は有益でしたが、下痢症は治るはずもなく、うちにも、TOTOの音姫がいるのかも・・・。くそー。

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1 コメント

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コメント送ってる間に・・・ (あやめ)
2005-02-03 21:48:50
イコールの橋の怖いところは、読んでいたりコメント書いている間にも、どこかのパソコンからくれはやし様がチョコチョコと書き込みしていて、チョット読み忘れていると、ぎゃんたまっているところです。それは、まるで忙しくて読めなかった新聞のようで…。ちなみに、私は今までの人生において下痢体験は数えるほどしかありません。というか、数えるほども記憶にありません。いわゆる直腸癌予備軍です。
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