三重県の端の小さな地域の寺に松尾芭蕉が来ていた
全国の有名な名所等には、芭蕉の句碑等が建立されているのを旅行した時によく見かける
しかし、観光地でもない こんな名も知られていない片田舎の寺に芭蕉が立ち寄ったのだ
芭蕉の出身地に近いと言えば近いけど、どうして何もないこの小さな地の寺に寄ったのだろう
なぜ、芭蕉が寄ったのかが分かったのは偶然です、広くないこの地なのに寺が多い事に気が付き
寺巡りしようと思い立ち、たまたま2つの寺に寄った所芭蕉の句碑を見つけた
最初に寄ったのが、源盛院と言う寺です
立派な鐘楼がありました
住職の言葉が書かれていました
芭蕉の句碑が有りました
側に読まれた句が書かれていました
1689(元禄2)年 芭蕉は奥の細道紀行の最終地の大垣で曽良の出迎えを受けて
長島の大智院で逗留しているが、その時にこの土地まで足を運んだかどうかは
定かでないが、この土地には江戸時代に建てられた芭蕉句碑が2基あるとのこと
その一つが1694(元禄7)年に詠んだ
<青柳の泥にしだるる潮干かな>で
1758(宝暦8)年俳人・富田松州が句碑を源盛院に建立したと 記録されている
もう一つの寺が了清寺である、源盛院から1kmほどの距離にある
寺の名前が表示されているものが見当たりませんが地図ではここです
ここも立派な鐘楼が有ります
ここにも芭蕉の句碑が有りました
全く字は読めませんが側には、詠まれた句が説明されていました
また、寺の案内文によると
碑表に左記の句 碑陰;宝暦八戌寅年三月十二日 松州謹書
碑右側;雲に入って雛を慕ふや揚げ雲雀 一巴
と彫印されているようだ
ここも芭蕉がこの地を訪れた確かな記録はないそうですが、1758(宝暦8)年に
一巴(白木金太夫)が建立したと書かれている
有名観光地でもないこの小さな土地に、それも2か所の寺に芭蕉が立ち寄って詠んだとは
良い発見が有りました