昭和36年から39年の高校生の3年間利用していた
名古屋の市電の写真をWEB上で見つけたのでお借りしました。
名古屋の西部方面の田舎を走る風景です、当時はまだ発達していませんでした
それに単線でした
通っていた学校の停留所です、尾頭橋方面行です
こちらは、築地口方面行の停留所です
築地口停留所、下之一色線の南方面の終点です
ここから、江川線の市電に乗り換えていました、こちらは複線でした。
写真の右側下に写っている「とらや」の看板は大判焼の店でした
ここでほとんど毎日仲間と一緒に入って大判焼を食べていました
いつも5時頃になるので、小腹が減る時間でした美味しかった
時々、学校の事務の女性と帰りが一緒になった時、ご馳走してくれました
本当は、学校帰りにはどこも寄ってはいけない規則でしたが
お構いなしに仲間と食べてました、いい思い出です。
路線図の左の方、尾頭橋から築地口までが下之一色線です。
朝は、築地口で江川線から乗り換えるのですがいつも学校の始業時間ぎりぎりに
間に合う時間の電車に乗っていました、当然皆も同じ考えだったので
満員でした時には乗れないこともありましたが、そんな時事務の女性が
タクシーを拾って一緒にに乗せてくれました。
名古屋の市電の写真をWEB上で見つけたのでお借りしました。
名古屋の西部方面の田舎を走る風景です、当時はまだ発達していませんでした
それに単線でした
通っていた学校の停留所です、尾頭橋方面行です
こちらは、築地口方面行の停留所です
築地口停留所、下之一色線の南方面の終点です
ここから、江川線の市電に乗り換えていました、こちらは複線でした。
写真の右側下に写っている「とらや」の看板は大判焼の店でした
ここでほとんど毎日仲間と一緒に入って大判焼を食べていました
いつも5時頃になるので、小腹が減る時間でした美味しかった
時々、学校の事務の女性と帰りが一緒になった時、ご馳走してくれました
本当は、学校帰りにはどこも寄ってはいけない規則でしたが
お構いなしに仲間と食べてました、いい思い出です。
路線図の左の方、尾頭橋から築地口までが下之一色線です。
朝は、築地口で江川線から乗り換えるのですがいつも学校の始業時間ぎりぎりに
間に合う時間の電車に乗っていました、当然皆も同じ考えだったので
満員でした時には乗れないこともありましたが、そんな時事務の女性が
タクシーを拾って一緒にに乗せてくれました。