再開 セーターの初心者ブログ

もうすぐ10年



NHKの 鶴瓶の家族に乾杯 を見たらマラソンの高橋尚子さんの三陸訪問でした

印象に残ったのが津波が迫るのを全く知らないで店の前の車にいる写真を上から新聞社のカメラマンに写され
次の写真は巻き込まれそして助かった人 
 
津波が引いて寄せてくる少しの間に助けまわり避難場所で知り合い
震災ラブと自称した女性 その8年後現在30才 二十歳年上のご主人と結婚して可愛らしい男の子2人の母となり
当時助け合った人達と近所同士で家を建て住み何があっても助け合える人と暮らしている


あの時 10年前の3月11日午後2時46分 御茶ノ水駅すぐそばの勤務先でした
ビルの6階 波のように揺れました 一晩会社事務所に泊まりました
女子社員を含めて30人位いました

窓から見下ろすと帰宅難民者が渦を巻いていました
遅く退社する人もあり翌朝で10人位になっていました

翌日は土曜日でしたが信濃町の大学病院に定期健診日でしたので午前行きました
そこは外来患者が年間80万人くる混雑した病院ですがさすがにシーンとしていました
担当医は昨日はここ信濃町から徒歩で千歳船橋まで帰宅した
お嬢さんが心配だったと話しました

昨日の事のようにはっきりと思い出せます

コメント一覧

kumamotosetatw
kinshiroさま それは無謀でしたね。かって住んでいた佐原は昔からの建物は崩れるし旭市は海沿いは津波で被害出ました。そちらはご無事で何よりでした。本当に知らないとは恐ろしいですね。私も人様に偉そうには言えません。
nk-kinshiro-1228
もう、10年❗かつてない経験の揺れでも、その恐ろしさを知らず、無謀にも津波ってどんな風に来るのか?本当に来るのか?などと海に金四郎散歩で出てしまい、後から子供たちから、こっぴどく叱られました。
幸い大きな被害からは、地域としては、免れましたが、軽はずみな行動が、どれ程危険な物かと、、。
両親の、ふるさとである、福島の被害は、未だに❗
やはり、東京勤めの方は、帰れなかったお一人でいらしたんですね。
この、コロナ禍と共に一生思い留めておき、後世に伝えなくてはなりませんね
kumamotosetatw
フーミンさま 10年一昔と言いますが早いですね。津波の暗い映像を思いだします。
volvo2433
フーミン
こんにちは。私も昨日のことのように覚えています。
2階にいたところ、ゆっさゆっさ建物が揺れ、東海地震が
いよいよ来たかと身構えました。すぐに、テレビをつけると
ここではなく東北地方だと・・・・。画面を見ながら、津波の
恐ろしさに震えていました。東京にいる次男のことが心配で
落ち着きませんでした。今でも思いだすと恐ろしくなります。
あれから10年ですか。感慨深いものがあります。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る