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ウトピア

真実と欲望が出会うところ

愛のない家庭

2014-12-15 23:26:00 | Weblog
日本人の悩みというものは、人類普遍的なものもあろうが、日本の歴史的に形成された特有のものが悩みの中に紛れ込んでいることに注意する必要がある。
我々の行動や意識を形成するのは日本の社会であり、家庭である。自分が自由に自分の意思や感性を作って、成長してきたわけではない。
日本の家庭を見てみると。やはりさまざまな問題がある。先の大戦後、民主憲法が成立して、急に家庭の在り方も大きく変わったはずであるが、長年の習慣は変わっていない。法整備も戦前の憲法違反の規定を様々な法律の中に残し、官僚も、政治家もこれを放置する事がしばしばで、憲法違反の訴訟が戦後長く行われていた。あまつさえ、民主憲法が成立してかなり年月がたつ今でも儒教的な男尊女卑、男女同権を否定する言動がみられる国会議員もいる。
戦前の婚姻は、「家」と「家」の戦略的関係において成立するもので、本人同士の意志や家庭の愛など問題ではなかった。家庭内での家長の高い権威が法的にも保証されていたのである。これが長く続き伝統となった。憲法が変わったといってもすぐに人々に理解されはしない。
こういった家庭の伝統が我々の心の中に潜んでいる。さらにこれが資本主義経済の進展によって、経済的な利害が婚姻の中に持ち込まれる。
このような日本の家庭に公正な民主主義と人権を尊重する子供が育つのは難しい。学校教育がこれを強調しようとも家庭では相変わらず、理性と人権を尊重する人間性に基づく愛は行われ難い。さらによく見れば、学校教育も単なる行政の下請け機関と化している事例もあるので、現場がよほど注意しなければ論語読みの論語知らずの教育が行われる。教育委員会制度の形がい化がその一旦を示している。
こういった社会状況で、虐待によって子供の命を脅かすほどでないにしても、愛のない家庭が、利害関係や猫かわいがりの誤った愛の家庭が形成され、子供が育てられる。利害関係と根拠のない暴力的な支配がメインとなるので、子供たちもこれを無意識に学び習慣化する。ただ学校教育は理想的な事を教える。本音と建前のか乖離がひどくなる。
子供たちは多感な思春期になればここで大いに迷い、また自己の悩みが深くなり易い。人生で悩むことはどの国、社会にもあることで、思春期にそれが深くなることも共通しているが、前述した日本的背景がある。この歴史的経緯を知ることがこれらの悩みに対処するときに常に意識する必要がある。

石油危機再来か

2012-01-12 13:54:39 | Weblog
「老師よ、また、私の心は心配の感情がいっぱいで、どうしたらよいかわからぬのです。教えをお願いします」
「ふむ、何をそんなに深刻なっておるのじゃ。不治の病にかかったか、殺し屋に命でも狙われておるのか?あー金を貸してくれというのは全く期待には添えぬ。」
「いえ、その、さっきニュース番組でイランがホルムズ海峡を封鎖する可能性があって、日本の石油輸入は8割がこの海峡を通るというので、大変なことになりそうなのです。石油の8割使えなくなるんですかね。備蓄はあるようですが」
「ふむ、君は社会現象に心配の種を見つけて来るようじゃな。しかし、日本のいつものことだからいたしかたない。政治家も官僚も企業経営者も同じことを繰り返し、騒ぎたて、それでまた、彼らの権力や利益の足しにしようとしておるのじゃろう」
「同じことが前にもあったのですか?また、石油が入ってこないことが官僚や経営者にとって利益になるのですか?」
「ふむ、やはり若い君は現代史に疎いようじゃのう。同じことを繰り返しておるのだ。継続は力なりだ。1970年代の石油危機を忘れさせられておるようじゃ。あの時、危機が一段落して時、石油輸入先の多角化がよくいわれたものだ。経済効率だけでなく政治的な危機、国際紛争を見据えた独自の国家戦略がないから、いまだに石油輸入先を中近東に偏ったものにしておる。目先の利益を追うのが先決じゃというのが業界の常識だからじゃ。なぜ利益になるは、先の石油危機でも、石油業界のなかで交わされて文章に表れておる。この危機を千載一遇の機会と表現して、カルテルを結んでおる。このことが明らかになっても関係者や企業に対する処罰は軽微なものであった。このことについてニュース番組は触れておったかのう?」
「いえ、はじめて聞きました。そんなことがあったのですか?でもなぜテレビは触れないのでしょう」
「ふむ、それは原発は安全だ安全だとテレビが放送していたことと大体根は同じだ」
「スポンサーがらみ」
「そうじゃ。」
「では、われわれはどう対処したらよいのでしょう?」
「まあ、伝統的な健全な日本国民であれば、泣き寝入り」
「えー!?そんなー」
「いやなら、まともな民主主義の市民なら、やるべきことはあまりに明らかであるな」
「うーよくわかりませんが、・・・・・・それにしても官僚や選挙で選ばれた人たちはどうしてこんなに国際問題に対して準備ができていないのですか?」
「ふむ、田舎政治家ばかりだからじゃ、官僚も田舎政治家に仕える、彼らを利用するので知らず知らすに田舎政治の感覚が身について居るだろうから、国際的な感覚にはなじめない、少なくとも国際的感覚でやろうとはしない習性なのじゃ。田舎政治家ばかりなのは違憲状態の選挙制度とメデイアの在り方が原因じゃな」

正義とは?

2010-12-13 01:18:02 | Weblog
「正義とは強者の利益にほかならない」(プラトン)
観念的道徳的な考察のみでは正義とは何か、正しいこととは何か、翻って悪いこととは何か、は明確でないことは明らかである。しかし、世間は自明のようにこれが、マスメデイアや法律の規範を基準に考えられている。すでにある、基準というものに疑いの目を向ける必要がある。

暴力支配

2010-12-12 15:25:56 | Weblog
先日、テレビで、今、人気の戦場カメラマン渡辺陽一氏のイラクでの話を聞いたが、暴力に対する習性が日本人もイラク人も同じであることがわかった。イラク人の大半はイスラム教徒で日本人の文化的なものからはかなり遠い文化を持つにもかかわらず、暴力に対して同じように反応するということはかなり普遍的な習性とみてよいだろう。
渡辺氏の話は、次のようなもの。つまり彼がイラクで取材中、複数の武装勢力メンバーに襲われ殺されかけた時、彼の雇っていた元イラク特殊部隊員のガイドが、彼を救うために、かれは武装勢力のリーダーに襲い掛かりこれを徹底的に痛め続けた。これを見た他にメンバーたちは、渡辺氏を襲うのをやめて、逃げ出したという。これは多勢の敵と戦うときそのリーダーボスをねらえば、他のメンバは戦意を喪失という喧嘩の鉄則をつらぬいたものだろう。ちなみにこの鉄則は民主的な国の軍隊には通用しない。その場の指揮官が指揮不能となったときは次席の階級者が指揮を臨時的に行うのが決められているから。つまりこれは理性的に統制されない自然の感情に近い本能のようなものを基盤とする習性であろう。これが通用する集団は理性や高度の感情、愛等が重要視
されない暴力をに支配されている集団におおく見れれるはずであろう。
また、これと似た例をこの日本でも見ることができる話を聞いたことがある。
ある偏差値のかなり低い私立高校は内部では荒れ放題の状況で、校内は番長組織がかっぽして、授業もまともに行われているか怪しい状態である。かろうじて学校の秩序が保たれているのは、学校側が番長を時々、「開かずの部屋」につれこんで焼きを入れているからだという。竹刀で滅多打ちにするのであろうか。これによって、いざとなれば、学校側の最終通告が生徒たちに少なくともそのときには威力を発揮する。しかし、生徒は忘れやすいので、ときどき生贄に焼きを入れねばならない。
こうしてみると、日本人も、イラク人もかなり文化的背景が異なって育ち、生きてきたはずなのに、暴力によって支配される集団においては同じ反応をすることがわかり、これが、犬の序列意識と同じように人間の普遍的な本来の習性、本能であろう。
我々がこれらの暴力から逃れるには理性を使って、理性のない連中を支配することができる可能性をしめしているが、しかし、暴力はやはり大なり小なり使わねばならない。否、このとき使われる理性を伴う、理不尽な暴力を防ぐための暴力は、暴力ではなく古来より肯定される武力であり、警察力、正当防衛力といえよう。


神風特攻隊

2010-08-16 09:52:14 | Weblog
「老師よ、私のつたなき問いにお答えください。今日は8月15日で終戦記念日ですが、そのーずーとこの時期はテレビや新聞でよく先の戦争について番組や記事が出るのですが、いつも少々おかしく思うのです。その報道の扱いというか。特に特攻隊についてですが。明らかにあれはおかしいですよ。作戦として国家が推進する戦術とはおもえません。単なる狂気の沙汰です。とおもうのですが」
「ほう、よくみておるな。そのとうりと言える」
「なぜ、テレビやメデイアやいわゆる有識者と言う方はそれをいわないのですか?」
「それは彼らにとってその真実を言うことが著しく不利になるからであろう。まず、多くの特攻隊員の死が反面教師としての無駄死にの例ということになる。遺族としてはそれは認めがたい。彼ら遺族もそして当時の日本国民の多くは心の底ではどう思っていたかわからぬが、公の場所では特攻隊員を称賛し、お国のために死ね、といっていたから。これも狂気の沙汰だ。つまり日本国民の全体が表向きはみな狂気の沙汰であったことを認めることになる。その狂気の国民が自分たちの親、祖父母で今の我々はその親に教育を受けて育ったのだからね。親兄弟に精神に障害者がいたことは隠したいのが人情だ。それをばくろされては多くの国民の恨みをかうことになる。だから、重要なことはいわない。お涙ちょうだいの物語や戦争の悲惨さをえがいたり、国民を戦争の被害者として描く番組や意見を述べれば四海皆おさまるということだ。ただし、これによって、真実は虚飾よりより意味がないということが、多くの国民人間の深層心理に刻まれ、本音と建前のかい離はやがて人間関係をうわべだけのものにしていく。」
「大変なことをおっしゃっているように思います。戦争の時代、日本人は皆狂気の沙汰ですか?理性と言うものがない国民でしょうか、日本人は?」
「そんなことはない。日本人は理性があるが、情に流されやすい。さらに、反逆の精神を失っているというか、忘れてしまったのじゃろう。江戸時代のなかで、反逆の歴史を忘れて、農民たちは苦し紛れの一揆をおこしても封建体制変革を要求しなかった。少しばかりの年貢の減額等が実現するとなると、指導者の首をさしだし、おしまいとなる。奴隷根性が身に付いてしまったといえよう。鎖国体制は見事に反逆の精神を消し去っておる。すくなくとも社会的な反逆精神はきわめてうすくなったといえよう。」
「そうですか、でも、明治大正昭和とそれなりに日本も近代的、合理的精神の発達があったはずですが」
「もちろん、鎖国はなくなったからね。いろんな思想の書物も日本に入ってきたし、中江兆民のような外国留学で人間性尊重や民主主義の精神を伝えるものもいたし、日本人の近代科学の習得は外国人教師の驚きでもあった。しかし、和魂洋才だから、西洋で発達した理性を軽視した。それは理屈だ、は日本では現実的でない、軽蔑の意味でつかわれる。『知は力なり』は成立しないのが日本だ。わずかに希望が持てる兆候としては、つまり、先の大戦中においてだが、海軍の軍人の中にも、この特攻作戦に公然と反対したものがおることだ。なかでも、一海軍航空隊長でしかない美濃部正少佐などは自分の部隊から一人の特高志願者も出させなかった。それでいて、彼の部隊はそれなりの戦果をあげている。彼はヒューマニストではないが、軍人としての合理的精神で特攻を否定したのだろうが、もっと、このことは日本のメデイアで取り上げられるべきなのだろうに。NHKで一度ぐらいしか見ておらんのう。この種のものは。このようなメデイアのたいどは 戦争や政治に対して『一億総白痴化』推進に役立っておる面もある。」
「何か絶望的ですね」
「そうでもない。常に歴史、真実を知ろうとすること、有力になる政治意見に反対の原理、思想を考えることを忘れないで感情と理性を分離して、考えてみることだ。ただし、無条件に発展性のある人間性の尊重ということを忘れないこと。また、豊かな感性も理性を支えるものとなる。理性のない感情に訴えるものが安易に放送されている。宣伝されやすい。戦争の責任は指導者にあることは言うまでもない。それを隠ぺいするために『一億総懺悔』等メデイアは並べた。戦時中はその同じメデイアが『一億玉砕』を喧伝しておったのう。日本国民はこれで、日本人自身による戦争責任追及を忘れたようだ。勤勉で能力も高い国民でこんなに支配しやすい国民も珍しい、と日本の支配階級はほくそ笑んでおることじゃろうて。故に、民主主義と人権尊重は民衆のために実現せねばならぬ。われわれがそれを意識し続け、行動する限り希望はある。40年くらい前に、『力を合わせることさえ忘れた』とうたわれた我々であっても。」

参議院選挙

2010-06-29 15:34:16 | Weblog
老師よ、いよいよ参議院選挙ですね。老師は今度の選挙は何が一番の争点とお考えですか、消費税のこととか公務員のこととかいろいろありますが」
「ふむ、そうじゃのう、やはり、選挙法の改正であろうなー。」
「は!?・・・・。老師よ、それは、、、、どうもよくわかりませんが、テレビでも新聞でも、各政党もそれについてはふれておりませんが」
「それは、日本が偽物の民主主義を実践しておるからじゃよ。では聞くが、なぜ、消費税のことが問題になるのじゃな?」
「それは、当り前のようにおもいますが。国民にとって増税になるし、消費が減って景気が悪くなるかもしれません。貧乏な人にはさらに生活が苦しくなる」
「それは貧乏を作りだしておる社会の仕組みが原因でしかない。生活が苦しくなっていかんと君はなぜ考えるのだな」
「えー、とその人間は生活して生きる権利がありますです。それに、格差が大きくなって」
「格差が大きくなってなぜいかんのじゃ」
「それをほっておくと、つまり、あの極端な話、無差別殺人の温床を作るように思います。同じ人間なのに、自分はあまりにみじめな生活をしている。そんな感情が極端なあのような犯罪を生むと思います」
「なかなか、考えておるようだが、ではなぜ同じ人間なのに差別や格差があることに人は怒りを覚えるのだろう?」
「それは、学校で人は本来平等だとおしえられていて、それに憲法にもそう書かれています。あれは法的な扱いを平等にするということでしょうが」
「法的にも平等が実現しておらんのだからして、人が平等だと思うのは間違った考えだといえるのではないかな?」
「老師のお言葉とも思えませんが、人が平等であることは間違った考えなのですか」
「そうではない。憲法に法の下における平等が規定されておるが、それが法的に実現されておらん状態が、ずーと少なくとも30年以上明らかに続いておればそうなるであろう。憲法に規定されていても、法律がそれを保証していない逆に、不平等を規定しておる。それが最たるものが選挙法じゃ。参議院の選挙区の議員定数の是正は一向にすすんでおらん。30年以上前の最高裁判決が参院議員定数の6対一の格差を認めておるが、最近でも5対1ぐらいである。これを放置して、改革だ、格差是正だと言っても、それは弱い立場の人間をより弱い立場にすることを肯定していることになる。マスメデイアもこの問題を取り上げることはほとんどなくなって居る。選挙のたびにこの格差に対する選挙無効裁判が発生するのも当たり前のことなのだが、これもマスメデイアもどういうわけかほとんど取り上げぬ。かれらも支配階級と同心を持ち始めておるのじゃろう。まー、したがってまともに日本を良くしようとするならまずは民主主義の基本である、法の下における平等を実現することじゃな。そんな難しいことではない。欧米諸国は18世紀のイギリスの腐敗選挙区の改革からとうにこと問題について、大体か帰結を見ておる。人口比に応じた議員数、当り前ではないか。これをほっておいて、なんで庶民の生活が守られるものか、喝!!」
「はあー。どうも話が飛びすぎて凡人にはついていけないのですが」
「まーそれだけ、日本国民が洗脳されておるということだな。日本は法的には平等であると思いこまされておる。よく見れば、いたるところに不平等な制度は存在しておる。それは是正されない。なぜなら、自由と民主主義は我々日本人がこの国で、積極的に作っておらんからだ。これから作っていくのが選挙でもあるから、今度の選挙でも当然、争点になってしかるべきであろう。」