民族が自民族を決める、どういうことか、民族の集団としてそこに暮らしをともにするのは地域民族とでも言い得るが、外界との交渉を持たぬままに、あるいは持っていたとしても、長い年月に自分たちの意思で生きていくことができる、そのような自治とでもいうべき自民族の決定である。隣国半島と、そのまた隣りの大陸と、そこで起こっていることは、この70年近く、もっと短く設定をすることもできるが、そこには100年の時間を経て出来事として見ることができることどもの、その成り行きがこの70年、そして民族の動きには数年のこととして変化が表れている。
暑そう、熱い、あつく
2009年09月06日
なんとも残暑の、まぶしいこと
国選の論文が翻訳されたVOICEで波紋呼んだハトヤマさん
日米同盟を訴えてオバマさんからも総理就任前の電話があった
日本の孤立があっては立ち行かなくなる
国民は自民に愛想を尽かしたところで、政権を変えたのだ、という
庶民は政権選択に、これまでの政治にお灸をすえた、ということなのか
民衆は民主の政策を選んだはずだが、それを期待していない、という
民意はタシカな手ごたえを得た、というところで、民心の成長は果たされるか
わたしたちが民主主義を、その政治を作り上げていかなければならない
天声人語が紹介する季節の音、それはオノマトペ
音の歳時記という詩、那珂太郎さん
一月は「しいん」。厳冬に天地は静まる。
二月は「ぴしり」。春が兆して氷が割れる。
三月の「たふたふ」は雪どけの川。
四月は「ひらひら」。野を越えて蝶(ちょう)が飛ぶ。
五月は「さわさわ」と風がわたる。
六月「しとしと」。
七月の「ぎよぎよ」は蛙(かえる)の合唱だ。
八月の「かなかなかな」から、
九月は「りりりりり」。
音の呼びさます季節感も趣は深い
十月「かさこそ」、
十一月は「さくさく」と続く。
十二月は「しんしん」。雪が降って、時の逝く音だそうだ
心をすませば聞こえるかもしれない。
日々の喧噪(けんそう)から、ときには心身を解き放つのもいい