BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

敵に向かうとは

2023-06-16 | 日々新た





衝撃と言った。
ショックだとか、物理的にどうだとか、そのような意味内容という、それよりも、もっと考えなければならない。
この語が敵に向かって突き進む、打って出る言葉だと思うからである。見るからに、ついたてに撃ち込む。

ヨーロッパの西と東はNATOとロシアの領土の奪い合いだという過激な構図だと思われたのが民主主義に自由国家と標榜するグループが一人の独裁者の核爆弾脅威に対峙する長い消耗戦となり攻勢がやまない月日が経過する。
日本国憲法が役に立たないと思わせてしまう事実を見せつけられつきつけられているのは次に南西アジアで起こりそうな軍事侵攻という事態にいまある休戦状態からの南北半島の触発である。

日本人同士の打ち合いに至るような、訓練中とは言っても、自衛の銃を同朋に向けたのであるから、すべての前提を失う。
兵が先輩、上官に発砲するという事態だというのは、どこでも起こりうると、退官将校が平然と語るような、そういう組織になってしまっているのか。
憧れと志を持って入隊したと言うが、それでも人が人を撃つ行為を敵の殲滅に向けては受け入れられるものではない、と思うから、戦争とは自衛防衛、攻撃略奪、兵の殺し合いだということをどう教えるのか。

首相が爆弾で狙われ爆発があり、元首相が路上の演説で狙われ銃殺され、代表者の議員が議場で殴り合いを続けてきている日本の姿は変わり果てている。
いまの日本が戦争に加担し自衛の戦争の文言にまやかしがあることを知らない者はないのだから本当に防衛をしなければ国土蹂躙の様態は明らかとなりつつある。
だまし合う手口で社会不安は電話一つからネットサイトの勧誘に暴力をもってする強奪事件が次か次へと留まるところなく闇の暗部として広がっている。














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