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ちゃらんぽらん亀のなんでもあり

お笑い中心のおバカなブログです

わくわくアートの詩(うた)

2015-03-28 14:53:17 | 無題

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そこには 自由が ある


そこには ひらめきが ある


そこには 笑いが ある


そこには 集中が ある


そこには それぞれの個性やドラマがある


そのままでいいんだよ ありのままでいいんだよと


ささやいてくる声がする


あらかじめ 答えのない世界を


歌いながら 踊りながら 心は 旅していく




地上は不安や恐れに満ち溢れているけれど


それさえも 旅のプロセスであるのなら なおのこと


笑いながら 歌いながら 踊りながら


心の旅は続いていく





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う~~ん 

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う~~ん
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う~ん
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(神もどきちゃん) ・・・・・・・
(くろっぺ)・・・・・・・
(亀)ちょ、ちょっとちょっと 何か 言わんか~~~い!
(神もどきちゃん) 言ってほしいの?
(くろっぺ) 亀ちゃんって 今日はまじめすぎ!
(亀) や、やっぱ 育ちのよさがでるのかな~
(神もどきちゃん) ・・・・・・・・・
(くろっぺ) 亀ちゃんが育ちがいいって話聞いたことないけどな~
(亀) だ、だから~ うそも方便とか
    亀もおだてりゃ木に登るってことわざあるでしょ
    亀っておだてられて育つタイプなんだよ
(神もどきちゃん)・・・・・・・・・
(くろっぺ) すご~~~い 亀ちゃんってすご~~~い
        あこがれちゃう 尊敬しちゃう
(亀)  ま~ 亀って尊敬されちゃってなんぼのもんよ
(くろっぺ) おだてりゃ 木にだって登るし すっぽんぽんで 町にくりだすもんね
(亀) そ、そりゃ そうだけど

 


う~~ん ん?だれじゃおまえは?イメージ 4



コメント (16)
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怒涛の長文更新だじょ~

2015-03-10 18:30:13 | 無題


亀はほとんど毎日 物思いにふけった言葉をノートに書き連ねている
それは 誰かに伝えたいわけでもなく理解してほしいわけでもないので
そのままになっている


たまには そんな 物思いの何日かの言葉を載せてみようかという気になったので
載せるね




生きてると何かを感じる 何かを思う
それは人間の自然性 それは意識の自然性

なぜぼくは生まれてきたの?
なぜぼくはぼくなの?

という問いのそばに 季節が巡る
もうすぐ春がやってくる


だれもが待ちわびている春ではないかもしれないけれど
自分は冬が好きなんだという人がいるかもしれないけれど
自分は夏が好きだ 自分は秋が好きだというがいるかも知れないけれど
もうすぐ春がやってくる
北の国にも南の国にもやってくる


(北極方面の住人) 基本的にはいつも冬なのよ!
(南極方面の住人) 基本的にはいつも冬なのよ!


ぼ、ぼくらは いまいる場所で いまある思いで計ろうとする
ぼくらはいつまでたっても たわけもの


で、では たわけもの音頭歌います


♪たわけもの~♪たわけもの~♪
♪何があっても~たわけもの~♪
♪朝から~晩まで~たわけもの~♪
♪煮ても焼いても~たわけもの~♪


この幻の名曲はヒットすることもなく 時代の荒波とともに消えた
な、なので 新たなるたわけものの歌を歌おうと思う


♪たわけもの~寝ても覚めても~たわけもの~♪
♪何があっても~たわけもの~♪
♪確定申告なんのその~♪非課税亀ちゃん~うししのし~♪
♪たわけて~歌って~♪踊って~生きる~♪
♪たわけ音頭の~真骨頂~♪
♪あらえっさっさ~♪ あらあらあらあら~えっさっさ~♪




「げ、芸術とは何か」


なれ親しんでる風景 なれ親しんでる思い なれ親しんでる関係
そんな中に潜んでいる何か
か、亀は どちらかといえば芸術的なので 
ど、どちらかといえば美的な装いに惹かれるが
芸術家というには あまりにも あんぽんたんで
だ、だ、だ、だからこそ あんぽんたんの視点からみえる美
あんぽんたんの視点からみえる真実
あんぽんたんの視点からみえるあんぽんたんを追求するのである
あんぽんたんというのは寝ても覚めてもあんぽんたん
どこまでいってもあんぽんたん




人はどこにむかって どこに行こうとしているのか よくわからないけれど
あんぽんたんが評価されたりメインになったりすることはないけれど
あんぽんたんの世界に踏み込んで そこで自分を回復し
そこで自分の生きる道を見出し
そこでみんなにエールを送ろうと
あんぽんたんは
生きていても何の役にも立たないけれど
でも あんぽんたんが生きていけるってことは
とても素敵な天からの贈り物だと思える
あんぽんたんは世界を救うことはないけれど
あんぽんたんが生きていられるあいだは
大丈夫と思えてならない


み、みんなが あんぽんたんになったら出番がなくなるので困るけど
あんぽんたん ばんざいだ~~


し~ん


ん?


し~~~~ん


ん? え~と え~~と なんちゅうか
もうすぐ春だね






「たとえば亀ってだ~れ?」


たとえば 亀が宇宙に思いをはせているとき
君は地上にでんといる
たとえば 亀がプロセスが大切だと思うとき
君は結果がすべてだという
たとえば 亀が輪廻転生ってあるよねってはしゃいでいるとき
君は一回こっきりよと 突き放す


それって いいことでも悪いことでもなく視点の違い
違いはいつでもどこでもつきまとう


たとえば 戦争は二度とごめんだという体験者の思いもあれば
それとは別に国家だの宗教だの民族だのの ゆずれない思いもある
ぼくらが立ち会っている今は亀の理解を超えている
じゃ~どうするんだということになれば
亀は自分の中にあるいろんな思いを頼りにしてにじりよっていく他ない
亀は日々旅をしている
そして人も旅している
植物も動物も旅している
地球も旅している
宇宙人も旅している
その旅の中でそれぞれが望むメロディーを奏でる
いつも心地よいメロディーとはかぎらない
どちらかといえば不快なメロディーにつつまれてしまう
不協和音のメロディーが闊歩する


亀がいまある 気持ちや思いや心や魂のたたずまいは
どこかに届くんだろうか
もとよりどこに届かなくてもいいんだけど
せめてせめて自分にだけは届けたいと思っている


自分とは誰かという問いは
自分はどこからきてどこにいくのかという問いはとても大切な問いだと思っている


その解答はすぐれた先人たちが提出してくれているけれど
なんと言ったらいいんだろう どう言ったらいいんだろう
自分で見出したいっていうか 自分で納得したいっていうか
なんちゅ~か なんちゅ~か 
亀って へんてこりんで、あんぽんたんでしょ




どんな思いも決して切り捨てないで!
どんな思いも決して無視しないで!
絶対少数を生きることは望んだことではないかもしれないけれど
生きてるんだよ のかすかなメッセージを亀は受信する
亀は受信してしまったからには返していきたい
そのスタイルはあんぽんたん
今ここで生きているんだもん
歴史に連なるかかどうかなんて関係ないんだもん
それがどこかでなにかであればいいんだもん
あんぽんたんの真髄はあたたかい
あんぽんたんは世渡りが苦手
ある場面で生きるか死ぬかの決断を迫られたときには死を選ぶ種族
そのあんぽんたん族の末裔の亀は歴史の表舞台に登場することもなく
みんな違ってみんないい(金子みすずをパクるんじゃない)
そのじゅ文が 届くといいなと思ってる
思いを届ける作業はおもわぬ困難をともなう
思いを超えて事態が次々起きる
情報はいまや瞬時に全世界を駆け巡ってしまう
情報争奪戦ともいえる
そういう世界の中で生きている
古きよき世界というような言い方では生きることが難しい世界になっている


それぞれの人が自分に縛られ 他人に縛られ 法律に縛られ
民族や国家や宗教に縛られ 神に縛られ
あてのない旅人となる他ないのかもしれない
それでも亀は旅をする


そ、そんな亀ちゃんって かわいいでしょ




「人の思い」


亀の思いは どこかで 普遍性に真実に連なっているのではないかという問いを
携えている
姿 形は違えど 同じ命として 同じエネルギー体として
大いなる何かのもとで発生し 進化し
そのプロセスの中で
地球上では人間が天下を取っている感じだけど
そして自分こそが天下を取るんだと同じ人間どうしの中で競いあっている
人間の歴史の中での 命を生かしあうのではなく
命を奪い合うドラマは今も繰り広げられている
人間がやってしまうふるまいは
どう考えても自滅への道だと思うけれど
それは 地球への 命への にっちもさっちもいかないふるまいだとは思うけれど
善悪の根拠は解釈自由の世界なので
あるいは 思い込みの世界でもあるので
そんな風に人間の意識は進んできたので
それを進歩ということも出来るし進化ということもできるけれど
なんか そういうプロセスをギリギリまで体験しなければ
それぞれの国、民族、宗教の都合を手放せないのかもしれない
そして 地球の自然が介入し宇宙人が介入せざるをえないという情報もある
ぼくらはおそらく まったなしの時に生きているのかもしれないと思う


そ、それはそれでいいのだが
か、亀の脳の働きがリピートを繰り返している
何か毎日毎日 リセットボタンを押している感じがする
亀は事実の背後に潜む真実に焦点をあてようとするのだが
近眼 老眼 乱視の影響で焦点が定まらない
ぼやけた風景の中で見ようとしている


亀がこれまで獲得した 体験 認識は
いつでも本物志向であったし いまでもそうであるけれど
それは あんぽんたんの世界で
かろうじて表現されることになる
えも亀はどちらかといえば
外側よりも内側に重きを置いてきた人間なのだが
それでも精一杯外側の事実や状況を繰り入れてきた


人が生きるとは何か
自分が生きるとは何か
関係とは何か
神とは何か
全くもっていまだ 納得いく答えはない


それでも この今を この自分を生きることを余儀なくさせる






3:11が またやってくる
日本人であれば 直接体験した人もそうでない人も
つらく 重く のしかかった事実
あまりにも重く あまりにも切なく あまりにも それまでの日常が非日常になり


どこかで深く問いかけていく他ない日常となってしまった
直接体験してしまった人と現実と
そうでない人との差はあまりにも大きいけれど
なんか どこかで亀も体験してしまったという思いがある
希望を語ることも絶望を語ることもありだけど
どんな思いを秘めていようと 今を生きる他ない
どんな体験をしようと どんな思いをしようと今を生きることを余儀なくされている
今をどんな風に生きるのかはそれぞれにまかされるし
どんな風に表現するのかもまかされている
それくらいの自由はまだあると思っている


毒にも薬にもならないあんぽんたんが
あんぽんたんであることが何かだと思っている亀である


亀ちゃんって ちょっと かっこいいでしょ


ん? な、なんだよ~






おまけ

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