黒いエネルギーの塊
言葉ではそう表現する他ないのだけど
亀の心の奥底に
溜まりに溜まった 黒いエネルギーの塊がある
若いころ あるワークショップの中でブリージングをやったことがある
意識的に過呼吸をやって変性意識状態にする
そうして自分の中で起きることに身をまかせる
亀に起きたこと
叫びだした
苦しくて苦しくて 叫びだした
心の中にある その黒いエネルギーの塊を吐きだそうと何度も試みた
のどもとまではくるのだが 通らない でていかない
あまりに苦しくて飲み込んでしまう
トレーナーが来て手伝ってくれる
だがそのエネルギーは出ていかない
今もその黒いエネルギーはある
自分が生まれてきてから体験した出来ごとによる痛みのエネルギー
勝手に傷ついて痛んだエネルギーが格納庫の中にしまわれている
亀はいつも思い 感じていることなのだが
心の闇を懸命に生きていると思える人の思いにフォーカスする
それは自分が自分の中にある闇を懸命に生きているだけの話といえば
そうなのだが
真っ暗な闇を突き抜けていこうとする そのけなげさに
そのふるまいに そのオープンさに
圧倒され続け 励まされ
なんとしてでも くらいついていこうとする
亀のけなげな試み ありよう 生き様という風に
思ってもらえると とても嬉しい
言葉はエネルギーなので
選択した言葉が
ポジティブであったりネガティブであったりするけど
今の亀の認識のありようとしては
ポジティブであろうとネガティブであろうと
いっこうにかまわない
どう言えばよいか
自分の中にある 真黒くろすけの闇を
とてもとても大切に思っているから感じているから
その思いや気持なしに今の自分を表現はしないから
亀は善も悪も同じことと思っている 感じている
光も闇も同じことと思っている 感じている
光だけを伝える気にならない
闇だけを伝える気にならない
生身が光だけを伝えようとする意識に出会うと
亀はどこかで引いてしまう
生身が悟っているならまだしも
あるいは悟った意識がこの世に降り立っているのならまだしも
そう簡単に生身の悪戦苦闘の意識を
普遍性をおびた意識からだけみていると哀しくなってしまう
亀はどこかで感じている
もともと悟っている わかっている
ただ忘れているだけ
忘れることによって
この生身を この瞬間を
新しくみずみずしく生きることが出来る
一瞬先は闇であり光である
快 不快 原則でいえば光は快であり闇は不快である
快に生きようと不快に生きようと
それはおまかせなのだと思う
亀ははっきりしている
快不快をひっさげて生きる
どちらかを選ばない
カオスを生きる
生身は善悪を生きる
善だけでは生きられない
悪だけでも生きられない
それがこの世の定めだと
いかんともしがたい意識のエネルギーの発露の場所であると覚悟している
なので
亀は善人でもある 悪人でもある
そして
善人でもなければ悪人でもない
どこからせめいっていても ここに落ち着いてしまう
亀はだれでもない
それでも生身は亀である
亀は思う
亀は悟りたくはなくなった
成長したくもなくなった
そこに焦点があたらなくなった
生身はそのときどきで
どこかしこに焦点をあてるけど
別にそれが真実というわけではない
それが普遍というわけではない
それは単に個別性
どこまでも個別であることで
普遍性に拮抗しようしていると思ってもらえばいい
個別の意識を普遍化するためには
膨大な手続きを必要とする
個別が手に入れた普遍性の意識はそのままでは普遍性にはならない
というのは 亀のなかでは前提になってしまっている
亀はものすごく微妙なところのエネルギーを言葉として
表現しようとしているのだが
いつまでたっても表現した言葉に納得したことがない
自分が納得していないので人が納得するはずもない
亀は言葉の遊びをやろうとしているわけではない
言葉のこちら側にあるエネルギーを言葉に変換しようとしている
多分 言葉ではうまくいかないのだと感じている
それでも言葉を通して何かを表現しようとする試みをやっていると
思ってもらえればいい
絵でも書でも それは言葉である
初めに言葉ありきという意味での言葉である
絵に託した思い 書に託した思い
それは普遍性ではない
普遍性そのものではない
どこまでも普遍につらなろうとする個の思いにすぎない
この世では普遍性を生きることはほとんど不可能に近い
個をギリギリ生きることによって普遍性のはしっこの方に手が
かかるにすぎないと思える
個の意識の到達した地点を普遍性だと思いなしたり
そこからのみ現象を見渡すのは
今の亀にはカテゴリーエラーだと思えて仕方ない
今はどんな情報もほとんど手にはいる
えっと思い感じる情報もいっぱいある
事実は一体どうなってるんだ
ありのままをみるとはどういうことなのか
ありのままを生きるとはどういうことなのか
自己都合をはずしてみないと
ありのままの正体はみえてこないと今の亀には思える
ただ意識は 思いは 気持は
どこまでもプロセスなので
それぞれのプロセスなので
ガチンコ勝負もあり
決めつけもあり
おもいやりもあり
なげやりもあり
あきらめもあり
区別もあり
信もあり
不信もあり
亀の今の視点は
自他の意識 思い 気持をそのままに理解しようとするだけ
亀は自分を信じない 人を信じない
自分を信頼しない 人を信頼しない
亀は自分を理解しようとする 人を理解しようとする
そのプロセスを生きるだけ
こんな表現の仕方で何が伝わるのか
とてもこころもとないけれど
このへんのことをねほりはほりやっておかないと進めない亀なのです
最近 生身を生きてるよねーと感じているのだけど
あまりにも刺激が強すぎるので いっぱいいっぱい
それでも蓋をするんじゃない 閉じるんじゃないと必死
そこやらないと今回の意味がないというくらいの思い
人からみると すごく テンパってるんじゃないと思われるかもしれないけど
そう テンパってるんです
残りの時間があまりないもんで
多分あまりないと思うんで
おふざけの時間帯が少ない
でもね ちゃらんぽらん亀なので ふざけますよ
ふざけてなんぼの亀ですから