K.H 24

好きな事を綴ります

義賊とカルトの温床。僕らはどれを選ぶのか。④

2020-01-18 14:47:00 | 小説
④翔子からの依頼

「頑張りましたね。新田さん。元気な女の子ですよ。」
 初めて梅木翔子が助産師として、新生児を取り上げた瞬間だった。勤務3年目の事だった。
「ありがとうございます。梅木さん。初めての子、梅木さんに取り上げてもらえて良かったです。」
 初産だったこの妊婦と翔子は汗だくで、喜び溢れる産声を浴びていた。翔子が助産師として、自信を重ねる経験となった。
 それから5日後、予期せぬ事態が起こった。翔子が初めて取り上げた新生児が誘拐されてしまった。
「わ、私の子、盗まれた?紗英が誘拐された?何故?私の子が?絶対みつけて。私に生きて返して。」
 母親の新田佳代子が、パニック状態になった。
「はい、絶対に。警察には連絡しました。私どもも、全職員の所在を確認中です。もし、うちの職員がそうしたとしたなら、逃亡する恐れがありますから。一応、こう言った事態に備えて緊急時マニュアルを警察に協力してもらい、作っております。新田さん、不安でたまらないと存じますが、出産直後ですから身体に障ります。お部屋に戻りましょう。たいへん申し訳ございません。梅木さん一緒にお願いします。」
 看護師長の上田忍が言った。
 程なくして、警視庁捜査二課から刑事が五人来た。一人の刑事が病院長と事務長と共に、新田佳代子の部屋へ訪れた。
「この度は、私どもの病院の管理体制の甘さが、このような事態を招く事となりましてたいへん申し訳ございませんでした。」
 病院長の田代優作が謝罪した。
「警察の方もいらして居ります。我々も全面的な協力体制を取らせて頂きます。万が一の場合は、私と病院長が責任を取る覚悟で早期解決に努めさせて頂きます。」
 事務長の岡部誠司が言い、院長と共に頭を下げた。
「宜しくお願いします。絶対、紗英は生きて帰ってきますよね。」
 佳代子は、ギャッジアップされたベッドにもたれ掛かって座り、俯き、泣きながら言った。
「新田さん、初めまして。警視庁捜査二課から参りました、松重明穂(あきほ)警部補です。」
 警察手帳を見せ、名刺を渡し、挨拶した。
「捜査の方針は、暫くマスコミには、非公開で進めて行きます。上田看護師長からもお話があったように、全職員の所在確認をしております。これは、後、30分で終わります。そして、警備室で二課のものが、防犯カメラを解析してます。また、病院周辺の聞き込み、監視カメラの解析を同時に行ってます。それと、この病院で出産を迎えて、死産や出産後1年以内に何らかの原因でお子様を亡くされた方をカルテから抽出して、その人達の身辺も調べます。恐らく、容疑者を洗いだす事が出来ると思います。犯人はこれまでの事例からも、子供が欲しいと言う動機から、犯行に及んだ女性の可能性が高いです。そのような女性だと、赤ちゃんを乱暴に扱うと言った事はありませんので、どうか新田さんも気丈になって頂いて、捜査へのご協力お願い致します。」
 松重警部補は、新田佳代子の不安を少しでも軽くしようと考え。説明した。
「では、暫く私と新田さんだけでこの部屋に待機させて下さい。院長はじめ、職員のみなさんは業務に戻って下さい。くれぐれも、情報漏洩が無いように細心の注意を払って下さい。通常通りに仕事して下さい。捜査員への協力も宜しくお願いします。」
 松重警部補は冷静に指示を出した。
「新田さん、携帯電話はお持ちですか?分かりやすい場所に置いてて下さいね。それと旦那様には、既に連絡しました。奥さんの体調が悪くなったからと行って来て頂きます。これも情報漏洩の予防です。旦那様が到着されましたら、私どもの一人とこちらの職員で、事情を説明し、ここへいらしてもらうようにします。ご心配なさらないで下さい。後、ご実家のご両親には何も伝えておりません。いらっしゃった時に、ご主人と同じように説明させて頂きます。それと、旦那様は、もう新幹線に乗って向かってるようです。名古屋がご自宅なんですね。」
 松重が言った。
 しばし、時間が止まったように、二人には沈黙が流れた。
「松重さんは、お子さんいらっしゃいますか?」
 新田佳代子が聞いてきた。
「はい、中学1年の長女と小5の長男が居ます。主人は幼馴染で精肉店をしてます。」
 松重は言った。
「じゃあ、2人のお子さん達は、お肉盛り盛り食べて学校生活を楽しんでるのでしょうね。」
 新田佳代子の言葉が穏やかになり、顔も上げて話す事が出来て来た。
「はい、お陰様で。2人は柔道をしております。凄い食欲です。下の子はお姉ちゃんにまだ勝てなくて、練習の鬼と化してますよ。部活が終わって、家で晩ご飯食べて、夫と稽古するんです。勝ち負けには拘らず、柔道が好きになって、いつまでも柔道を楽しんでくれると良いなぁと思ってます。」
 松重は言った。
「逞しいですね。うちの紗英も好きた事を見つけて夢中になって欲しいなぁ。」
 新田佳代子は言った。
「あっ、報告メールが来ました。病院職員の所在は明らかになったようです。ですから、職員さん達の中に容疑者が居ないのが明らかになりましたね。順調です。」
 松重が言った。新田佳代子は少し安心した。そして、新田佳代子の夫、新田大吾が到着した。
「佳代子、大丈夫かい?紗英はまだ戻ってないだな。この方は?」
 大吾が言った。
「うん、大丈夫よ。落ち着いて来たは。こちらの方は、警視庁の松重さん。」
 佳代子は言った。
「初めまして、警視庁捜査二課の松重明穂警部補です。」
 名刺を渡して、挨拶した。
「ご夫婦が揃いましたので、早速ですが、お聞きしたい事があるのですが?」
 松重はそう話しを始めた。
 その内容は、2人に恨みを持ってる人は居ないか。身近に、子供が欲しい事を熱望する人はいないか聞いた。
「私達の同世代の夫婦は誰でも子供は欲しいと思います。しかし、熱望してる人までは分かりません。」
 佳代子は言った。
「私も、そろそろ産まれる事を喜んでくださる人や、夫婦で力を合わせて育児をするようにとか、説教じみた事を最近よく言われます。」
 大吾は言った。
「とりあえず、奥様がおっしゃった、〝熱望する〟までは言わずとも、羨ましいがる人のお名前と連絡先等教えて頂けますか?」
 松重は言った。
「はい、分かりました。」
 佳代子は3人の女性の名前と電話番号を教えた。
「では、この方々の現状を調べます。あくまでも、容疑者から外すための捜査ですので。」
 そう言うと、メールで部下達に情報を送り、捜査を始めさせた。
 松重に報告のメールが届いた。この病院で、不幸にも死産になってしまった女性2人と、不妊治療を受け、子供を授かれなかった2人の女性がいたのが分かった。その女性達の捜査も開始された。この日、これ以上の進展は無かった。
 翔子は、勤務の途中に、二郎に連絡を取った。
「二郎君、今日、病院から私が初めて取り上げた赤ちゃんがね拐われたの。看護師長が警察と協力して、緊急時マニュアルを屈しして、全職員の所在は分かったわ。逃亡した人が居ないって事よ。でも、新生児室から運び去るなんて、出来るのかしら。不思議でたまらないわ。」
「翔子ちゃん、辛いね。でも、僕に話してもいいのかい。って言うか、こんな話、漏らさないけど。」
 翔子から電話で事件の事を聞き、二郎は言った。
「二郎くは信用出来る人だもん。二郎君達にも調べて欲しい。お願いします。」
 翔子は半泣きで言った。
「分かった。翔子ちゃん、一文字です。防犯カメラから見てみるよ。携帯は持ってられるの?勤務中でしょ。」
 一文字さんに代わり、翔子に聞いた。
「うん、大丈夫。いつも持ってるから。」
 翔子は言った。
「分かった事があったらメールするね。」
 一文字さんは言い、電話を切った。
 医局の自分のデスクのノートパソコンで、一文字さんが翔子の病院のサーバーに入り込んで、新生児室の防犯カメラ映像をみた。
 深夜1時以降から録画された映像を早送りで見た。深夜勤の看護師さん達、3人は、定期的に、1人1人の新生児の様子を見廻りしてた。この3人がどの子を見るか決まってるようだ。
 午前5時頃だった。拐われた紗英ちゃんのベッドの下から一瞬、1秒も満たないくらいの長さだけど、手が見えた。そして、何ら変わらない映像が流れた。一文字さんは、見逃さなかった。そして、その瞬間の映像を静止させた。
 〝手袋してるよ。それも掌に滑り止めが付いた手袋だよ。この手が犯人だね。きっと。恐らく防犯カメラの位置が分かってる人だ。それと、防犯カメラを操作してる人も居るね。〟
 一文字さんは言った。
 〝同じ時間帯の出入り口の動きに変化ない?。〟
 アヤナミは言った。
 〝ここでも一瞬だけ扉が動いたよ。〟
 手が見えて数10秒後にその扉の変化が確認出来た。そして、その1時間後、紗英ちゃんが居なくなった映像に突然、切り替わった。そして、3人の看護師が紗英ちゃんのベッドに駆け寄って来た。3人のうち、1人の看護師さんは、他の2人よりも慌てた素振りが少なく、紗英ちゃんが居ないのに気づいてたかのように、ベッドに近づいて来た。その日、紗英ちゃんを見てた看護師だった。
 〝これは、この時間帯に勤務してた人しか出来ないトリックだ。恐らく、外で子供を受け取る人が居たはずよ。〟
 アヤナミは言った。そして、防犯カメラを見た結果を翔子にメールした。
「犯人は独りじゃないのか。うちの職員と外部の人なのね。」
 メールを読んだ翔子は呟いた。二郎からのメールの最後に、『仕事が終わったら、実際に、翔子の病院の出入り口近くの防犯カメラや効率良く逃走出来そうなルートを探してみるよ。』と、あり、『ありがとう。』と、翔子は返信した。
 一方、警察の捜査では防犯カメラ映像で午前6時に紗英ちゃんが突然、姿を消した映像を確認したものの、二郎達が見た、それよりも1時間前の手袋をした手や出入り口の扉の動きには気づけないでいた。そして、新生児室のナースステーションにある壁に埋め込められた、カメラの操作盤に異常がないか、指紋の検出も行った。
 その結果、操作盤に付着してた指紋は、このカメラを取り付けた業者の物である可能性があった。しかし、その業者は静岡県に本社を持つ会社で、東京支店等は存在しない。松重は、捜査員の1人を静岡に行かせた。捜査が一旦、中断する事になった。
 二郎は仕事が終わると、アヤナミと交代して、翔子が勤める病院へ向かった。正面玄関辺りを見回していると、翔子が私服で出てきた。
「あ、アヤナミさんで来たの。お久し振り。」
 翔子は声をかけた。
「お疲れ様、翔子さん。仕事、終わった。一緒に廻ってくれるとありがたいけど。」
 アヤナミは言った。
「うん、お願いします。」
 翔子は言った。
 2人で、後、2箇所ある出入り口を確認する事にした。1つは救急車で搬送された人が運ばれる出入り口だった。その出入り口前の駐車場スペースの路面には、オレンジ色で、緊急車両専用と4角形の線に囲われバツ印の2本の線が交差する中央にその字が書かれていて、建物に平行に2台は車が停められるスペースになっている。その建物側の4角形の一遍と平行に建物に向かって、左から右へ薄くなる泥で塗られたタイヤ痕があった。右端だけ少し濃くなってた。また、軽自動車程の幅で、ゆっくり走らせて来て停まったような痕だった。この1点だけ怪しく思えた。
 次に、夜間通用口に向かった。ここは、面会時間が20時で終わる時や深夜勤の職員に使われる出入り口で、特に変わった様子はない。
 マヤナミと翔子は、正面玄関先のベンチに座った。
「防犯カメラ、確認する。翔子さん、一緒に見て。」
 アヤナミが鞄からノートパソコンを取り出し、頭の中で一文字さんが言う通り、ハッキングした。紗英ちゃんが拐われた時間帯の救急搬送される出入り口の画像を見た。その出入り口より3m前くらい、丁度、画像の切れ目に一瞬、白い車の屋根が見えて消えた。そして、病院の敷地から車道に出る車の出入り口、白い屋根が見えた位置から15mくらい先に右折するウインカーを点滅させてる白い軽自動車の最後部の側面が突然現れて車道へ向かって行った。
「あの、泥のタイヤ痕は白い軽自動車ね。2箇所で見えたわ。屋根と尾尻の部分。ナンバープレートが黄色、数字は見えなかった。」
 アヤナミは言った。
「私、見えなかったけど?」
 翔子は言った。
「うん、見えないかも。私達、6人の視力合わせられるから。じゃあ、車道に行こう。」
 アヤナミは言い、驚いた翔子は無言でついて行った。
 車の出入り口から右を向くと、10m先に調剤薬局、コンビニ、コインランドリーが並んでて、交差点になっていた。そこまで歩いて行くと、車の停止線の直ぐ横にコインランドリーが位置してて、車道側を向く防犯カメラが店内の奥に設置されてた。このコインランドリーは24時間営業になっていて、出入り口は常に開いている状態だった。
「もしかしたら、映ってるわ。」
 アヤナミはそう言うと、コインランドリーの洗濯機にノートパソコンを置き、ここを警備してる会社にハッキングした。すると、助手席側の窓ガラスが降りた、白い軽自動車がゆっくり進んで来て、車体に赤色が反射してたのが緑色に変わると、一瞬、助手席を見て加速した。この画像をコピーして、スロー再生し、解像度を上げた。運転してるのは、女性、30から40代。助手席には、黒い大きめのファスナーが開いたまま、丸めた白いバスタオルのような物が入ったボストンバックが置かれてた。
 その女性が助手席に顔を向けた瞬間を静止した。解像度も更に上げた。
「この人、見た事ある。不妊治療でうちに入院してた。私、病院に戻る。」
 翔子はコインランドリーを駆け出ようとした。
「待って、ここでもみれるわ。」
 アヤナミは止めた。
 病院にハッキングして、カルテを見た。
 『相田千鶴、46歳、不妊症』
「この人よ、間違いない。子供が欲しい、欲しいって、新生児室を長い時間見てたわ。私達に気兼ねなく、気さくに話して来てた。半年前だったはず。」
 翔子が言った。
「この人の家に行きましょう。」
 アヤナミは言った。
 一方、警察は静岡の防犯カメラの会社でこの病院の担当者の指紋を提供してもらい、静岡県警で照合した。結果は、その担当者の指紋だった。病院内では、防犯カメラの画像の解析をしてた。新生児室での変化、救急搬送者の出入り口の画像の変化を気づかずにいた。
「手がかりが無いわね。ナースに話聞きたいけど、みんな忙しそうで、そんな暇はないわね。深夜勤の人達も手がかりになる証言がなかったから。謎だらけだなぁ。」
 松重警部補は、困った顔で呟いてた。
「刑事さん、ほんとに紗英は大丈夫なの。なんか頼り無いだけどっ。」
 母親の佳代子は怒って松重に噛みついた。
「佳代子、相手はプロだ。時間かかるんだよ。落ち着け。」
 父親の大吾は、他人事のように言った。
「大吾は私の気持ち、分からないのよ。あの子が出来た事を話した時も素っ気なかったし、悪阻で苦しんでる時だって、病気じゃないんだから、寝てろとかしか、言わないし。それでも父親なの。」
 佳代子は大吾の言葉に余計、怒りを増した。
「申し訳ございません。どうかご夫婦揉めないで下さい。最善を尽くしますので。」
 少し、強めの言葉で言い、松重は深々と頭を下げた。
 警察の捜査は、全く進展していなかった。
 看護師長は院長室に呼ばれてた。総看護部長と事務長、4人で今後を話してた。
「私、この事件が解決したら、責任取らせてもらいます。」
 看護師長の上田は言った。
「な、何言ってんだよ。師長、後ろ向きな考えはよしなさい。」
 事務長の岡部が言った。
「そうだな。産婦人科も閉めないといけない事態になりかねんな。」
 院長の田代は苦い表情で言った。
「待って下さい、院長。そんな事になったら、収益減ですよ。不妊治療は保険外でも受ける患者さんが居ますから、収益激減しますよ。成績も良いし。上田師長も医師達も頑張ってますよ。職員の給与だって、減り兼ねませんよ。」
 岡部は言った。
「すみません。私独りで責任取りますので。」
 上田師長は、涙目で言った。
「みなさん、こんな時が正念場ですよ。私は、上田師長が辞める事も、産婦人科を廃止するのも反対です。今回の事件がどんな結果になっても、我々は真摯に捉え、反省すべきです。そして、これまで以上に、来院される方々の信頼を高める機会にするのです。ですから、耐えるのです。職員が団結するのです。」
 総看護部長の夏目節子は言った。
「そうです。そうです。」
 岡部は言った。
「でも、事勿れ主義ではないが、私は安心、安全を重視したいな。収益が落ちるのであれば、それなりの経営をすればいい。有資格者は、食いっぱぐれがないから、他の病院に移ればいいさ。」
 田代院長は冷ややかに言った。
 このように、警察は捜査が難航し、経営陣は事件後の後処理に迷走していた。
「歌音に代わるわ。こんな場面は、彼女が得意だから。翔子さんは、犯人と会わない方がいい。」
 紗英ちゃんを誘った松田千鶴の家の近くで、アヤナミは翔子に言った。
「分かった。任せる。あの公園で待ってます。」
 翔子は不安な表情を見せないようにアヤナミに言った。
「こんにちは。相田さん、金井です。」
 このアパートの隣りの家の表札と窓越しに、千鶴と同年代らしき女性が見え、その人のふりをして、玄関先で歌音は言った。
「はーい。ちょっと待ってぇ。」
 千鶴の声がした。
 相田千鶴は、3年前に夫と離婚し、アパートで独り住まいをしていた。離婚の原因は、千鶴の執拗なまでの子供欲しさへの執着と夫の不倫であった。夫はその不倫した女性との間に子供を授かった。それに対し、激怒した千鶴は上限額の慰謝料を請求し、財産分与した土地を売却し、今、住んでるアパートを購入して、家賃収入で生計を立ている。経済的な不安がない生活を送ってた。
「えっ、あなた何方?」
 玄関を開けて、歌音の顔を見ると、千鶴はそう言った。
「お邪魔しますね。紗英ちゃんはどこかな。」
 歌音は土足のまま強引に家に上がり込んだ。
「なによっ、あんたは。」
 千鶴は、横切る歌音を捕まえようとしたが、歌音は千鶴の腕を取り、脇固めで千鶴を床に押さえ込んだ。
「千鶴さん、気持ちは分からないでもないわ。私も子供が産めない身体なの。でも、他人の子を奪うなんてあり得ない。出産がどれだけ命がけな事か分かってるはずよ。女として恥ずかしくないのっ。」
 歌音は強い口調で、千鶴に言った。すると、千鶴は泣き出した。小さな声で啜り泣いた。抵抗する力が抜けた。歌音は腕を離した。
「ご、ごめんなさい。どうしても、どうしても子供が欲しかった。子供を育ててみたかった。不倫されて、あいつには、子供が出来て、悔しくて、悔しくて。」
 泣きながら言った。
「千鶴さん、座って、私を見て。」
 歌音は優しく言った。千鶴はゆっくり起き上がり、歌音の顔を見ながら座った。
「私はね。卵子が作れないの、不妊治療も出来ないの。だから、子供は作れないの。でも、大切な仲間が居る。兄や姉のような人、弟や妹のような子達。その仲間達がね、私が困ってると支えてくれるの。私を慕って来るの。一生、側に居て欲しい、側に居たいって言ってくれるの。まるで家族みたいに。自分の身体を僻んで、身勝手に、利己的に生きてたら、そんな仲間は出来なかった。千鶴さんの現状はあなた自身がそうさせた要因だって有るはずよ。よく考えて。紗英ちゃんをご両親に返しなさい。」
 歌音は、力強く千鶴に言った。千鶴は緊張の糸が切れて、肩を落とし、俯き、沈み込んだ。数分間、動けないで居た。
「分かったわ。そうね。紗英のお母さんだって、お腹を痛めて産んだのよね。命がけだったはずよね。お父さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、きっと喜んでるね。私、自分勝手な事したね。こんなんじゃあ子育てどころじゃないね。親になる資格がないね。人間失格だ。情けない。」
 千鶴は涙を流し言った。
「私、病院まで一緒に行ってあげる。さあ、紗英ちゃん、ご両親に返すわよ。」
 歌音はそう言うと、立ち上がった。
「あなたは、病院の方?それとも警察?」
 千鶴も立ち上がって、聞いて来た。
「どちらでもないの。ただ、紗英ちゃんが拐われた事を聞いて、探し回っただけ。紗英ちゃんと千鶴さんも救いたくて。誰だっていつからでもやり直せるから。」
 歌音は言った。
 千鶴はポカンと不思議そうな表情をしたが、紗英ちゃんを連れて行く準備を始めた。
 歌音は玄関先に出て、公園で待ってる翔子に電話した。
「翔子ちゃん、私は、千鶴さんと2人で病院に行くね。あなたは、やっぱり千鶴さんと一緒じゃない方がいいわ。1人で病院に戻っててね。」
 歌音は言った。
「分かりました。紗英ちゃん無事なんですね。良かったぁ。歌音さんありがとうございます。」
 歌音と千鶴は白い軽自動車で紗英ちゃんを連れ、病院へ向かった。
「もしもし、益田です。今、大丈夫。二郎君かしら、今は誰?」
 千鶴と紗英ちゃんを連れて、白い軽自動車で移動中に益田絢子からの電話だった。
「歌音です。大丈夫ですよ。」
 絢子に返事した。
「私の後輩から依頼があったんだけど、歌音で良いわね。田代第一病院に行ってくれない。誘拐事件があったの。神路三姉妹も今から向かうから。警視庁の松重って言う女刑事が居るから、協力してあげて。」
 どうやら、松重警部補は、先輩の益田が運営する防犯研究所に捜査協力を依頼したようであった。
「はい、今、向かってます。紗英ちゃんも無事です。」
 歌音は言った。
「えっ、なんで?知ってたの?そうか、翔子ちゃんからね。うんうん、ご苦労様。じゃあ、宜しくお願いします。」
 益田は驚いたが、納得して電話を切った。
 千鶴が病院へ着くと、外来診察が終わった時間帯で、手の空いた看護師が集まって来た。そして、警察官も来た。外来看護師が紗英ちゃんを抱っこして、もう1人の看護師が付き添って、2人で3階にある産婦人科病棟へ向かった。千鶴は、警官が控え室として使用してた、5階の会議室に連れて行かれた。歌音は、駐車場で千鶴と別れ、アヤナミに代わり、翔子と合流した。
「ありがとうございました。アヤナミさん。ホッとしたわ。歌音さんは?」
 翔子は言った。
「歌音、疲れたみたい。あの人、母性本能が強いから。私と違って。」
 アヤナミは言った。
「分かる気がする。ゆっくり休んで下さい。歌音さん。」
 歌音に聞こえてるかどうか分からないが、翔子は言った。
「アヤナミさん、仕事早いわね。絢さんから連絡あったけど、一応、来てみたわ。あなたが翔子さん?二郎君の彼女さんなの?初めまして、防犯研究所の職員になった神路姫子です。妹の美里とサキです。宜しくお願いしますね。」
 神路三姉妹も駆けつけて、アヤナミと翔子に出会い、挨拶した。
「二郎君から聞いてました。梅木翔子です。宜しくお願いします。」
 翔子も挨拶した。
「二郎君やるわねぇ。こんな美人さんが彼女なんだ。サキでーす。仲良くしてね。」
 サキは翔子の手を握り、笑顔で言った。
「サキ、また馴れ馴れしいわよ。すみません、美里です。宜しくお願いします。」
 美里も挨拶した。
「二郎が言ってる、宜しくって。」
 アヤナミが言った。
「翔子ちゃんも居るんだから、アヤナミちゃんと代わればいいのに、ジロちゃん。」
 サキは言った。
「ブラしてるから私。二郎と一文字さん、シンジ君は嫌みたい。着替えないと代らないの。佐助は嬉しいみたいだけど。ほんと、変態。」
 アヤナミが言った。
 翔子も姫子も美里、サキも大笑いした。
「変態で、ごめんね、ごめんねー。」
 一瞬、佐助に代わって、古いギャグを言った。
「ごめんなさい。多分、一文字さんに怒られてるはず。」
 アヤナミが言うと、また、みんな笑った。
「翔子さん、アヤナミさん、研究所にいきませんか?一応、絢さんに報告した方がいいんじゃないかしら。」
 姫子は言った。翔子もアヤナミも了解し、5人で研究所に戻った。
 その後、紗英ちゃんの誘拐犯は、その日、深夜勤だった看護師3人と警備員1人が共犯だったのが分かった。病院側は解雇にせず、1年間の給与3割カットの処分を課せた。そして、総看護部長と上田看護師長、田代院長は、1年間給与5割カットを直訴した。そして、病院職員は、一丸となり、接遇の研修を受け直し、業務がマンネリ化しないよう努力した。
 紗英ちゃんは、両親は勿論、祖父母達から沢山の愛情が注がれて育てられた。母親の佳代子は、第2子も田代第一病院で翔子が取り上げる事になった。
 一方、千鶴は、身代金目的ではなかった事、自ら紗英ちゃんを返しに来た事、反省も充分にしてる事から、執行猶予が付き、実刑を間逃れた。そして、翔子が母親を伝って、児童デイサービスを紹介し、そこで働く事になった。千鶴は、子育て、ましてや、発達障害を持つ子供達の養育に難しさを痛感し、日々、試行錯誤しながら子供達に向き合い、充実した生活を送った。もう二度と同じ過ちはしないと誓って。
 歌音は、千鶴に本音を言っていた。みんなは、それには触れなかった。子供を産んでみたい。子育てしてみたい。千鶴と同じ気持ちを抱えてた。流石に心痛めた事案だった。

つづく


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