家に帰ると次の日のお弁当が楽しい。
今日はパエリア。
外出のない日の会社って、ランチしか楽しみがないわ。
だから本当は2時間くらいかけて外に食べに行った方が気分転換にもなるのだけど、
みんながワンコイン弁当を食べるから・・・・。
昨日の夜、ロスジェネ世代(知人)と団塊世代(父)に働き方の話をしてみた。
私としては、
人間らしい豊かな生活というものを問いたい(価値観を問いたい)
↓だから
労働時間短縮の話を持ち出す
↓するとなぜか
「受注確保しなければならないために長時間労働はやむを得ない、それで仕事が無くなったらどうする」
「自分自身の評価にもなるしチャレンジしたいから長時間労働になってもいい。」
という話になり、議論の焦点が変わった。
が、よくよく内容を考えてみると、土俵は違っても根本にあるのは価値観の問題である。
とりあえず、この2人の視点には違いがある。
・団塊世代
①中小企業の保身の視点、②労働者自身の保身の視点
・ロスジェネ世代
自分自身のやりがい的な視点
ここでロスジェネさんの「自分自身のやりがい的な視点」は、私が日頃問題視している「豊かな生活」に関する問題ではあるのだけれど、
自分自身に働き方の裁量がある上での選択肢になってくるから、今回はとりあげないことにします。
まず、①のような発想になるのは、大企業が下請けを選べて自己利益を中心とした経営をする(ことが当たり前)、だという考え方が根底にあるから。
そして②。労働者自身がそれを断った場合はクビになるかもしれない、
という労働者の経営者に対する立場の弱さから労働者自身には選択肢がない、と考えているから。
(昔は労働者は会社に忠誠をつくすことで、永年雇用で企業が労働者を守ってくれた面もある)
今、正規社員なのだから自分の保身を第一に考えなければいけない、
そして、非正規の人は気の毒だけど自分は置き換わることはできないしどうしようもない、
という個人主義的な考え方が垣間見える。
ということで、国が社会保障や法規制で労働者を守る仕組みがない中、
企業に忠誠を尽くしていれば自分とその家族は安泰、
豊かな生活とはおカネがあれば実現できるという価値観の中で働いてきた人に対して、
(おカネを減らしても豊かな生活、雇用の分配をするために、という考え方を含んだ)労働時間短縮の是非、
を持ちかけても話し合いにならないことが分かった。
だけどそういう人達が、今、労働社会を牛耳っている。
労働時間を減らして、給与も低くなっても、全体としての雇用者数をあげる。
そうすることで、生活が貧しくなるわけではなく、人間的な生活ができるはずだから。
私の言いたかったこの2行に立ちはだかる壁は、想像以上に大きい。
今日はパエリア。
外出のない日の会社って、ランチしか楽しみがないわ。
だから本当は2時間くらいかけて外に食べに行った方が気分転換にもなるのだけど、
みんながワンコイン弁当を食べるから・・・・。
昨日の夜、ロスジェネ世代(知人)と団塊世代(父)に働き方の話をしてみた。
私としては、
人間らしい豊かな生活というものを問いたい(価値観を問いたい)
↓だから
労働時間短縮の話を持ち出す
↓するとなぜか
「受注確保しなければならないために長時間労働はやむを得ない、それで仕事が無くなったらどうする」
「自分自身の評価にもなるしチャレンジしたいから長時間労働になってもいい。」
という話になり、議論の焦点が変わった。
が、よくよく内容を考えてみると、土俵は違っても根本にあるのは価値観の問題である。
とりあえず、この2人の視点には違いがある。
・団塊世代
①中小企業の保身の視点、②労働者自身の保身の視点
・ロスジェネ世代
自分自身のやりがい的な視点
ここでロスジェネさんの「自分自身のやりがい的な視点」は、私が日頃問題視している「豊かな生活」に関する問題ではあるのだけれど、
自分自身に働き方の裁量がある上での選択肢になってくるから、今回はとりあげないことにします。
まず、①のような発想になるのは、大企業が下請けを選べて自己利益を中心とした経営をする(ことが当たり前)、だという考え方が根底にあるから。
そして②。労働者自身がそれを断った場合はクビになるかもしれない、
という労働者の経営者に対する立場の弱さから労働者自身には選択肢がない、と考えているから。
(昔は労働者は会社に忠誠をつくすことで、永年雇用で企業が労働者を守ってくれた面もある)
今、正規社員なのだから自分の保身を第一に考えなければいけない、
そして、非正規の人は気の毒だけど自分は置き換わることはできないしどうしようもない、
という個人主義的な考え方が垣間見える。
ということで、国が社会保障や法規制で労働者を守る仕組みがない中、
企業に忠誠を尽くしていれば自分とその家族は安泰、
豊かな生活とはおカネがあれば実現できるという価値観の中で働いてきた人に対して、
(おカネを減らしても豊かな生活、雇用の分配をするために、という考え方を含んだ)労働時間短縮の是非、
を持ちかけても話し合いにならないことが分かった。
だけどそういう人達が、今、労働社会を牛耳っている。
労働時間を減らして、給与も低くなっても、全体としての雇用者数をあげる。
そうすることで、生活が貧しくなるわけではなく、人間的な生活ができるはずだから。
私の言いたかったこの2行に立ちはだかる壁は、想像以上に大きい。