ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

プライドとエゴ

2014年10月21日 | ●セルフコーチング

 

 

何かをしたいと思いながら、
なかなかそれを始められないこと、ありますよね。

阻んでいる理由はいろいろあるでしょう。
でも、要するに、突き詰めれば、
その理由は、本人の気持ち。
具体的に言えば、怖れ、とは言えないでしょうか。

失敗したらどうしよう?
人になんて言われるだろう?
生活ができなくなったらどうしよう?
何が起きるかわからない。。。

怖い。


怖さは、ある意味、生物として正常な反応です。
だって、何の警戒心もなく、ノーテンキにいつでも突き進んでいたら、
崖から落ちるかもしれないし、
天敵に食べられてしまうかもしれないから。

命を守るために、生物には
「ホメオスタシス」(恒常性)というものがあると言われます。
今ある状態を維持しようとする機能です。
それがあるから、体温を一定に保ったり、ということができるのです。


心も同じで、今ある状態を強力に維持しようとします。
仮に、今の状態が決して好ましくなくても、
今より悪い状態よりはましだと思ってしまうのでしょう。
そうして、今よりずっといい状態を手に入れるチャンスを
捨てていくわけです。 

今と違うものを選んだところで、
命を失うことは、ほぼないに等しいでしょう。
なのに、「恥ずかしい」などといったつまらない「プライド」が
邪魔をする。

プライドは、言ってみれば、心の命なのかもしれません。


でも。
それって、本当のプライドなんでしょうか?

本当の心の命であるプライドとは、なんなのでしょう? 


それは、
自分が、大切だと思う価値や人、
それらのためを考えたときに、
それらにとって真に大切で必要なものを守ったり、
育てたりすることではないでしょうか?
そうするのだという自分自身の思いや決意、
それがプライドでは……? 


たとえば、子どもを本当に大切だと思えば、
子どものした失敗を償うために
親として、誰かに頭を下げることが必要かもしれない。

あるいは、表面的に話の分かる親を演じて、
子どもとの間に波風を立てないようにして
何でも子どもの言うことを聞くのではなく、
たとえ子どもと取っ組み合いになっても、
ダメなものはダメ、
そう身をもって伝える必要があるかもしれない。

そっちのほうがずっとエネルギーがいります。
疲れます。
でも、だからと言ってそれを避けることは、
誰のためになりますか?

もし、それが自分のためだとしたら、
それは、自分のプライドなのでしょうか?

たぶん、それは、プライドと間違われやすい
「エゴ」 という名の生き物ではないのかと思います。


「プライド」が「心の命」であるとすれば、
それは、自分が自分の本当に大切なもののために生きる、
という決心や思い。
つまり、根底にあるのは「愛」ではないのかな、と思うのです。



状況は何時も白か黒かわかりやすいわけではく、
多くの場合、グレー。
そんな中で、自分が守るべきものを守るには、
どちらがいいのか、迷うこともあると思います。

たとえば、家族を大切にするためには、
家族との時間をまったく持てないこの仕事を続けるべきか否か、など。
でも仕事がなければ、根本的に家族を養えない。
そういうジレンマに陥るときもあるでしょう。

たしかに、簡単ではないのかもしれない。


でもきっと、根底に愛がある選択をすれば、
結果がどうであれ、
その先には愛があると思います。

根底に愛のない選択をすれば、
結果がどうであれ、
そこには、言い訳や、次なるエゴの塗り重ねが
生まれることになるのではないだろうか、
そう思います。


どうなんでしょうか……

 



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