goo blog サービス終了のお知らせ 

堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

三小運動会

2011年06月01日 | 日記

 昨日は三小の運動会。
 土曜日、日曜日と雨が続き延期、延期で昨日となる。
 春の運動会はやはり雨にたたられる。

 今年は、何時になく早い梅雨入り。
 つゆの季節、好きな人はいないだろうが、うっとうしい。

 そのうっとうしさを吹き飛ばすような、元気いっぱいの運動会であった。

     
      

 全校3クラス、立川市内でも児童数の多い学校であろう。
 子どもの数が多いと、運動会らしい。
 子どもたちの元気いっぱいな声を聞き、はつらつとした動きを見るのは気持ちの良いものである。

 放課後子ども教室・さんさんクラブが始まってから4年が経ち、最上級生の6年生にも顔なじみの子も多い。
 さんさんクラブに登録していなくても、校庭での顔なじみの子も多い。
 その分だけより親近感が持てる。
 今年は始めから終わりまでいた。

 1年生から6年生まで、全校生徒がそろうと、小学校の6年間は子供たちが大きく成長している姿が如実に出ているような感じがする。
 その変化の著しさを、顔つきの変化や一挙手一投足に感じる。人生の中における教育の重要性をいまさらながら思う。

 写真も相当撮ったが、公開できないのが残念である。


里山

2011年05月31日 | 日記

 先日、NHKのBSで里山をやっていた。
 懐かしい風景が画面に映し出された。

 今から思えば、子どもの頃の思い出に、里山の風景が幾つか浮かぶ。

 高幡の山には色々な思い出がある。

 多分、小学生の頃だろう。
 近所の農家の人がサツマイモの苗床や堆肥を作る為に、くずかき・落ち葉拾いに、荷車を曳いて出かけた。
 行は乗せてもらい、帰りは後押しをして帰ってきた。
 大人たちが仕事をしている時に、子ども達の楽しみは、自然薯ほりとユリの根ほりであった。
 成果を上げるためにはちょっとしたコツがある。
 自然薯もユリも若い物は小さく味も落ちる。そこで大きく成長したものを収穫するために、枯れかかったときに上に生えている茎や葉をきれいに取ってしまい、自分たちしかわからない印をつけておく、くずかきに行った時その目印を頼りに掘り起こす。
 ユリ根はそれほど深くないが、自然薯堀は一仕事である。木の根が邪魔をして掘りずらい、短気を起こすと途中で折れてしまう。完全な形で掘り出した時の達成感は何とも言えない。

 中学生になると、高幡の山は昆虫採集、特に蝶が多くいた。
 同じ昆虫採集好きの裕福な家の子は夏休みに親と一緒に地方に行き、珍しい蝶を採って来て、見せてもらった時の複雑な心境だったことを今でも思い出す。
 昨年の夏、何十年ぶりに多摩動物園に行った、昆虫園で蝶を見たときに、子どもの頃を思い出した。

 蝶の採集と言えば、裏高尾にもしばしば行った。勿論、交通手段は自転車である。自転車と言っても、今の様なサイクリング用の軽快なものではなく、大人も使う重たくてがっしりしたものである。
 交通量も少なく、危険性は全くなかった。

 現在の子供たちと比べ、活動範囲は格段に広かったような気がする。
 余談だが、自転車で神田まで古本を買いにいった記憶もある。中学時代だったのか高校に入ってからなのかは記憶にない。

 身近なところにも自然は一杯あった。
 特に、多摩川は自然の教室であった。書くことが多すぎるので、後日に譲りたいが、その番組のなかでひばりが出ていた。
 ヒバリについては思い出がある。
 子育て中のヒバリの巣を探す楽しみであった。
 ヒバリは用心深く、歩いて、巣から離れ、飛び立つ。ところが、降りるときには、一刻も早く雛に餌を与えたいのか、直接巣に降り立つ。その時をねらって、巣を探す。
 勿論、巣は見るだけで、いたずらはしない。

 真っ青に晴れ渡った、大空でさえずるひばりは、子どもの頃の思い出である。「美空ひばり」とはそのものずばり、直截な命名である。

 現職の頃、矢川緑地の保全、根川の清流復活に全魂を傾けたのも、こんな思い出があったからかもしれない。

     
               初夏の根川に遊ぶサギ

 これからも身近な自然に親しみ、写真も撮りたいと思う。ちょっと遠出もしてみたい。
 


街の風景

2011年05月27日 | 日記

 NHKの番組に「美の壺」というのがある。
 先日、昭和の家というのを放送していた。
 番組の中で、小金井にある江戸東京たてもの園「前川國男邸」も紹介されていた。
 前川國男と言えば東京文化会館を設計し、ル・コルビジェに師事し、モダニズム建築を日本に紹介した、近代建築の父とも言われる人で、丹下健三も弟子の一人である。
 その人が自ら設計し、住まいとしていた建物が和の中に洋を取り入れたものだ。

 以前、青少健の研修で、親子一緒に小金井公園に行ったことがある。
 その時初めて、同行した建築士の人から前川國男のことを話され、その自宅を見たとき、一見して気に入った。
 それ以来、昭和初期に建てられた建物に興味を持つようになった。

 用事で出かけるときはなるたけカメラを持ち、数少なくなった、本来の木造の建物を撮っている。
 先日も青梅に行った時、図らずも、津雲国利が住んでいた家を見つけた。
 外観からして、人も住まず、廃屋に近いようにも見えた。嘗て住んでいた人を象徴するようでもあった。

 今この人を知る人が何人いるのであろうか。
 津雲邸の保存運動もあるようである。

     

 昭和レトロの家は洋風の応接間を持ったものであり、改まって客を招じ入れる機会の多い人たちが建てたものであり、一般の庶民の家とは少し違う。
 市井の人たちの建てた昭和の木のぬくもりがあり、時を経て、時代を見てきた家には言葉に言えぬ良さがある、これからも、町の中にひっそりと佇む昭和の家を探しながら、撮り続けていきたい。

     
                青梅で見た家


名も知らぬ花

2011年05月25日 | 日記

 もうすでに花は終わりに近くなっているが、我が家のブロック塀と舗装道路のわずかな隙間に名も知らぬ花がここ何年か続けて咲いている。

 背丈が15センチほどの小さな花である。
 花弁は6枚である。
 中心部が赤く、花弁全体は薄いピンクである。
 最初は、花弁の中心部が全部赤だと思っていた。
 写真を撮って初めて分かったが、赤い部分は6枚の花弁の内下半分の3枚だけである。

 鳥が実を落としたのか、風が運んできたのかわからないが、毎年可憐にけなげに咲いている。
 あまりにかわいいので、移植も考えたが、ブロック塀と舗装道路のほんのわずかな隙間で必死に生きる姿を見ると、その場所が花として生きる最高の場所かとも思いそのままにすることとした。

 もうだいぶ前のことだが、我が家の庭に桜の花びらが落ちていた。
 近所には桜の木はないので不思議に思っていた。
 ところが、よく見ると、家のかげの、隅の方に一本の桜の木があった。
 ソメイヨシノは実をつけないので、山桜の一種であろう。
 これも鳥が運んできたのであろう。
 家を建て替える時、庭が殆どなくなってしまったので、止む無く切ってしまった。
 今から思えば残念である。

 人間も同じで、環境が厳しく、過酷なものであっても、その場で、最善を尽くして生き切ることに価値があるのかもしれない。

 最盛期を過ぎた花の姿を見ながら、一番きれいに咲いていた時の写真を載せた。

 どなたか花の名前が分かりましたら教えてください。 

       


匂い桜

2011年04月08日 | 日記

 このブログもしばらく中断していたが、放課後子ども教室・さんさんクラブの初日から再開することとした。

 今年度は、今日の保護者会の日に登録申し込みとと言う事で、同時に始めた。

 校庭での体育の授業が強風で中断する位の悪条件で、一時、体育館に子供たちを体育館に入れたが、子供たちは元気に校庭で遊びまわっていた。
 砂埃がすごく、スプリンクラーで散水し、どうにか砂塵に見舞われることはおさまった。今後はもう少し早い時に散水しようと思った。

 南門の所に立っていると、どこからかいい匂いがしてきた。
 匂いの源を探っていくと、一本の白い桜らしい木が満開であった。

      

 匂いのよい桜はあまり聞いたことがないので、当然その桜の名前は分からない。
 木の肌や花の形から桜であることはほぼ間違いはないと思った。
 ネットで調べてみると、においのある桜は何種類かある。
 ほぼ「駿河台匂」であると思うが自信はない。
 この写真だけではわかりにくいが、名前が分かったら教えてほしい。
 念のため、花の接写の写真を載せておく。

     

 さんさんクラブの帰りに夕日に輝く「錦六遊び場」・ゼンリンの住宅地図にはそう載っている・・・正式名称かどうかは分からないが・・・の桜が目に入った。

 さんさんクラブの行き帰りに何か所かで撮ったが、桜の写真は真っ青な晴天でなければだめだ。

     


縁とは

2011年03月02日 | 日記

 録画リストを見ていてふと気が付いた。
 撮りっぱなしで未だに見ていない録画がたまっている。
 その中に無縁社会についてのものが二本ある。

 「無縁社会」は西欧ではなんというのであろうか。
 英語ではinvolvementを使うのであろうか。

 「縁」とはもともと仏教からきた言葉であり、日常的にさまざまな形で使われている。
 「縁は異なもの味なもの」「縁もゆかりもない」等であろう。

 この「縁」という言葉が象徴的に使われている例として「袖すりあうも多生の縁」というのがある。
 「多生の縁」と正確に書ける人はどのくらいいるのだろうかと思う。特に若い人は。「多少」と書く人が多いのではなかろうか。
 「袖すりあう」のも、その人と少しは縁があるからだろうと解釈されがちである。
 本当は、袖すりあったその人とは、前世で縁があり、今世で袖すりあうという結果が出たと言う事である。

 縁という言葉には哲学的に深い意味がある。
 無縁社会という言葉の裏には、日本的、東洋的な人間関係が言い表されているような気がする。
 企業形態も日本型からアメリカ型に変化してきている。そこからさまざまな問題も起き、今再び日本型企業形態、経営形態が見直されてきている。

 「縁」で思い起こされる言葉に「縁側」というのがある。
 「縁側」というと、今の若い人は、多分、すしネタのヒラメの縁側を思い浮かべるだろう。
 都会育ちの若い人は建物の「縁側」での体験を知らない人が多いのではなかろうか。

 家の内でもなければ外でもない、その中間で曖昧な場所が縁側である。
 日常的な付き合いでは、玄関からではなく縁側から家の中に入る。
 そこに、日常的な人間関係が生まれ、近所づきあいが円滑に進行する。
 地域の結びつきも、当然に濃密になる。
 防犯上の観点からは、現在の様な壁で厳然と外界を遮断した建物の方がよいに決まっている。
 しかし、玄関という公式の入り口から入るより、気軽に縁側から家に上がる方がより自然な人間関係が築かれるのではないだろうか。
 個人と地域の関係にも影響してくるのではなかろうか。


第45回青梅マラソン

2011年02月20日 | 日記

 第45回記念青梅マラソンを見に行った。話に聞いたり、マスコミ報道では知っていたが、実際に見たことはない。

 立川でも様々なイベントが行われている。
 前にもこのブログで書いたが、立川でも商業振興、町の活性化などをうたい文句に様々な組織や団体が中心になりイベントが行われているが、手段であるべきものが目的化され、補助金という名の税金が浪費されているような気がする。
 そのような観点から、成功例としての数少ないイベントとしての青梅マラソンを見に行くこととした。

 最初に、30㎞部門の当日受付の場所である河辺小学校に行った。

     

 校庭をとり囲む様な形でTシャツ交換所、受付等が配置されている。
 河辺駅直近でランナーにとっても都合がよい。
 青梅マラソンでは体育館、市役所等の公共施設が最大限の効果を発揮していたように感じた。
 立川でも駅伝で市役所がスタート地点であったが、その使い方について比較検討する必要があるのではないかと感じた。

 青梅マラソンのコースが奥多摩街道で、主要公共施設がその沿道に作られているという地の利があることはその成功の要因の一つであろう。

     

 注目点の一つが仮設トイレであった。
 仮設トイレを見ると常に思い出すのが阪神淡路大震災の時、地震発生後1週間後の神戸の町であるである。
 当時地震の発生を全く予測していなかったので、当然、仮設トイレの備蓄はなかった。
 全国各地から届けられたものを使っていた。様々な種類があり、正に見本市の観を呈していた。

 青梅マラソンの場合、受付場所である河辺小学校はもとより公園や空き地に数多く設置してあった。感心したことは、直近にバキュームカーが置いてあったことである。

     


池波正太郎記念文庫・澄川喜一

2011年02月17日 | 日記

 青少健の委員長連絡会が主催して管外研修に行た。
 目的地は台東区、説明を聞いたのは台東区の生涯学習センター。説明をしてくれたのは台東区の青少年・スポーツ課の職員。

 若干気になったのは青少年関係とスポーツ関係が一つの課であること。
 両者ともに住民と行政の連携が必要不可欠の部門であり、協働関係が問われる分野。台東区の基本的な考え方を知りたい。

 興味を引いたのはセンターの一階に中央図書館があり、その中に池波正太郎記念文庫があったこと。
 池波正太郎の作品は暇つぶしに読んでいたが、近頃は、暇もなくなったので少し遠ざかっている。
 上野・浅草が池上の故郷だったことは知らなかった。下町を舞台にした小説が多いことは知っていたが台東区との関係については知らなかった。
 記念文庫を見たかったが、定休日、残念また来る日まで。

 東京で、興味はあるが一番行っていない所は下町かもしれない。仕事や色々な関係で23区に行くことは多いが下町に行っていないと言う事は、多摩とはやはり疎遠な所なのか。
 今後機会を作って行ってみたい。
 東京にいながら、東京のことはあまり知らない。
 地方に行くと、必ず日の出とともにの起き、ホテルの傍を散策した。歩き回ることにより地域の生活が実感できた。
 歩き回り、それなりの成果を上げるためには若干の知識が必要である。
 そこで、その手がかりの一つにと思い、毎日新聞に連載されたものの一部をまとめた赤瀬川源平の「散歩の学校」を買ってある。
 それを手掛かりに、出かけてみたい。

 帰りに「スカイツリ-」を見学した。東武線の業平橋駅前にあることは知らなかった。

 スカイツリ-が話題になりだしたころから、とてつもなく高いものだと言う事ぐらいしか知らず、あまり興味はなかった。
従って、知識もほとんどない。
 台東区生涯学習センターのロビーに「MASK]と題する彫刻があった。作者は澄川喜一。
 現職の頃彫刻のあるまちづくり推進したころから、目についた作品は写真に撮り、ネットで調べる習慣が身についてきている。
 その例にもれず、調べたら、意外な結果が出た。
 澄川喜一の名前も作品も今日が初めて、しかし、著名な彫刻家であり、すぐれた作品も数多くある。
 一番驚いたのは、スカイツリーのデザイン監修も行っていると言う事。

        
                 「MASK] 澄川 喜一

            
 スカイツリ-の根元に業平橋駅のホーム、古い小さな駅、これもいずれ変わるだろう。
               


大学連携事業・・プレ錦まつり

2011年02月01日 | 日記

 先日、1月29日(土)錦学習館で学芸大生と過ごす錦学習館の一日と銘打って、大学連携事業としてプレ錦まつりがおこなわれた。

 今、立川市では従来の公民館を学習館と改め、生涯学習の新たな展開が図られている。
 その一つが、学習館運営協議会である。
 学習館の運営を市民と立川市の職員とが一体となって推進している。

 市民・住民は当然館の利用者であり、行政サービスの受け手である。
 従って、館の運営については意見や要望をもっている。
 それらを適切に運営に反映させれば、館の機能を十分に発揮し、市民・住民の満足度は高まる。

 一方、市や職員は館を長い間運営してきた結果として、ノウハウや多くの人脈を持っている。

 両者が一体となって学習館を運営すればより適切に地域における生涯学習が進む。
 市民・住民が単なる行政サービスの受け手にとどまらず、提供する立場に立つことである。
 これが、新しい公共の一つの側面である。

 今回の事業の発端は、運営協議会のメンバーの一人である学芸大学の先生、勿論市民ではなく学識経験者として協議会に参加をしているが、の発言である。
 この種の協議会における専門家の存在も重要である。

 市民と行政に大学生のもつ若い感性と視点が加わり、学習館運営に幅と厚みができたような気がする。
 今回は、大学生が単に大学生であると言う事で参加したのではなく、大学の授業の一環として行われたもので、理論を実際の場面で検証することができたという点である。
 ある意味で、大学にとっても学習館にとっても実験的な事業であったと言える。

 今後の学習館運営に新たな展望が開かれ、可能性が広がったという点で高く評価できるのではなかろうか。
 発想の転換の一つの契機になったことは間違いない。

             
                   子どもの作品の一つ


弧宿の人・・・宮部みゆき

2011年01月27日 | 日記

 このところ暫く小説を読んでいなかった。
 気分転換にと思い、古本屋に行った。
 宮部みゆきもしばらく読んでいないので、表紙の絵が気に入って、弧宿の人を買ってきた。

 小説、特に文庫本は一回読めば再び読み直すことは滅多にないので、古本で済ましてしまう。
 寝る前に気分転換に本を読む。
 あまり考えなくて良いものがいい。思索を巡らす本だと、安らかな眠りにつけない。
 頭のリフレッシュには手ごろではないかと思い買った。

     

 4月に統一地方選がある。リーフレットに私の一冊みたいな感じで紹介されているが、4年間もしくは直近の3か月間で読んだ本を全部上げてもらうと、読書量と読書傾向でその人を判断する好材料になる。

 図書館ではプライバシーの保護のために利用者の借り出したデーターは保存していないはずである。
 その人の読んだ本によって、その人の考え方や行動の起点が分かる。勉強量も判然とする。
 任期4年間、全くと言ってよいほど読書しない人もいるかもしれない。

 私も引退してからは専門書の類はあまり読んではいない。調べ物は殆どネットで間に合わせている。

 以前は、少し専門的になると、立川では手に入れることができず、新宿の紀伊国屋に行った。
 しかし、今は、オリオン書房のノルデ店でほとんど手に入る。
 オリオン書房のHPでも本は探せるが、やはり、店に行って、全体を眺めないと良い本は探せない。

 ビックカメラとオリオン書房のおかげで大変に立川も便利になった。
 市外からの来街者が多いのもそのためかもしれない。

 ITについては、ビックカメラが八王子の南口の再開発ビルに出来た。
 まだ行ってみていないので、品揃えについては把握していないが、影響はあるのではないだろうか。