毎月1日は月並み念仏会
本日午後7時より行われました。
勤行、別時念仏の後、皆さんで「当たり前」について考えてみました。
当たり前の時には、気にも掛けないけれども、
当たり前でなくなって初めて、その事が有り難いことだとわかるんですね。
最後に『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』の著者 井村和清先生の詩
「あたりまえ」をご紹介しました。
あたりまえ
こんなすばらしいことを みんなはなぜ
よろこばないでしょうか
あたりまえであることを
おとうさんがいる
おかあさんがいる
手が二本あって 足が二本ある
行きたいところへ 自分であるいて行ける
手をのばせば なんでもとれる
音が聞こえて 声がでる
こんなしあわせがあるでしょうか
しかし だれもそれをよろこばない
あたりまえだと 笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ そして又 朝がくる
空気を胸いっぱいにすえる
笑える 泣ける 叫ぶこともできる
走りまれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを みんな決してよろこばない
そのありがたさを 知っているのは
それをなくした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』 より
本日午後7時より行われました。
勤行、別時念仏の後、皆さんで「当たり前」について考えてみました。
当たり前の時には、気にも掛けないけれども、
当たり前でなくなって初めて、その事が有り難いことだとわかるんですね。
最後に『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』の著者 井村和清先生の詩
「あたりまえ」をご紹介しました。
あたりまえ
こんなすばらしいことを みんなはなぜ
よろこばないでしょうか
あたりまえであることを
おとうさんがいる
おかあさんがいる
手が二本あって 足が二本ある
行きたいところへ 自分であるいて行ける
手をのばせば なんでもとれる
音が聞こえて 声がでる
こんなしあわせがあるでしょうか
しかし だれもそれをよろこばない
あたりまえだと 笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ そして又 朝がくる
空気を胸いっぱいにすえる
笑える 泣ける 叫ぶこともできる
走りまれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを みんな決してよろこばない
そのありがたさを 知っているのは
それをなくした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』 より