昨日の方広寺に続いて、豊臣秀吉のお話です。
実は、梵鐘のある方広寺と、豊国神社は隣通しにあります。
もともとは、広大な土地を持っていた方広寺の敷地内に神社が作られたということかもしれません。
秀吉がなくなった時に、朝廷から「豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)」という神号をもらって、神様としてまつられたそうです。
しかし、大坂の陣で豊臣が滅亡してからは、一転し、その神号は剥奪され、ただの人となって、神社自体も廃絶となったそうです。
なかなか、複雑な歴史を持った神社ですね。
北政所のたっての願いもあって、かろうじて社殿は残されたそうですが、修復は一切許されなかったそうです。
手水舎にもひょうたんが飾ってありました。
ここにも大きな唐門があり、綺麗な装飾がなされていました。
裏側から見るとこんな感じです。
扉には、鯉の彫刻がなされていました。
至る所に、豊臣の家紋があります。
昨日かいた方広寺と同じく、明治になって、秀吉が再び祀られることになり、神社が再興されたそうです。
神になったり、人になったり、秀吉の波乱万丈の人生を象徴するような神社ですね。
京都十六社朱印巡りの一つにもなっているみたいです。
私も御朱印を頂きました。
先日、下鴨神社で購入した御朱印帳に書いていただきました。
秀吉のお墓は、この場所から東の方にある阿弥陀ヶ峰山頂付近にあり、埋葬されているらしいです。
山の上の方にあって、登るのが一苦労だと書かれていました。。。
さすがに、そこまでは行けませんでした・・・。