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タイの沼は海ですか?

義城編が好き過ぎる私へ

私は『陳情令』『魔道祖師』の義城編が大好きだ。
この公式のTwitter、なんて不穏なビジュアル……。そして、なんて魅力的……。(あれ?スマホだとちゃんと表示されない?最後のMay 21 のところをタップするとツイがそのまま見られます💦)

↓そして、こちらはアニソシの公式Twitterより。この、薛洋の笑顔が胸に刺さるのよね。😭


(以下、ネタバレしています)



ご存知のように義城編はちょっと異質なんだよね。そこだけ全体のお話の中でちょっと浮き上がって見える。ストーリーは地獄そのもの。親友(知己?道侶?)同士がいて。その片方に相手を殺めさせるゲスい男がいて。その男は片方に異常な執着があって……。

ここだけで別の物語として成立してしまいそうなほど密度が濃い。作者はどうしてこの義城編を『魔道祖師』の中に入れる必要があったのか……。考えてみるけど、まだよくわからない。金光瑶の企みを実行する上で、陰虎符作成に協力する人物が必要で、薛洋を登場させたかったから……?それにしても、あんな地獄を描く必要はないような気もするけど。

初めてこの義城編を『陳情令』で見たとき、ドラマをすすめてくれた友達に思わずLINEしてしまった。
「何、この激ヤバ愛?!」と。
衝撃だった。こんな関係性が『陳情令』で描かれるなんて……。
そう、薛洋の暁星塵への【執着】のことである。ドラマの公式サイトでは【愛】とは表現されていないけど、私は紛れもなく【愛】だと思った。(タイBL『KinnPorsche』でのベカピーに惹かれる人にはわかっていただけるかも?)

しかも、この物語の中では当の薛洋さえも、それが【愛】だと知らないまま終わるのだ。

もう、そこが最高。

イタイし切ないしエロい。

……え?

😅

いやはや、私の性癖に刺さりまくるのである。でも、こんなにハマるのは少数派のようだ。

例の友達へのLINEでも返ってきたのは「あれは悲劇」のひと言だけ。
Twitterでフォローしている方も「義城編、魏嬰が少年たちに指導するところがいいですよね!」と、なんか違う方面を推してくる……。あれれ。💧
もちろん、探したら私と同じように義城編にハマってる人も少なからず見つかったけれどねw。

ならず者で暴力的な薛洋と、清風明月と称され人格者である暁星塵。正反対の個性を持つ人物のカップリングに、なんでこんなに惹かれるのか、自分自身よくわからない。
ちょっと乱暴に仮説を立てると、ふたりのどちらにも自分を投影してしまうからかもしれない。攻撃性や慈愛。世の中を嫌う気持ちと信じたい気持ち。あるいは人間としての未熟さと目指したい在り方。アンビバレントな面の双方が自分の中に確かにある。
どちらかに振り切ったキャラクターが薛洋と暁星塵であって、そのふたりの危うさや交流に目が離せなくなるのは自然な流れのような気もする……。うーん、複雑だ。

対象の中に自分を見るということ。
これは薛暁カプ(と言ってしまおう!)成立のキモかもしれないのだ。
もしかしたら、薛洋も暁星塵も互いにそれを感じていたかもしれない。はじまりは異質な相手へのシンプルな興味(嫌悪という感情も興味の範疇である)だったとしても、相手を知るうちに自分と似た匂いを感じたのかも……??

全く正反対であるように見えるふたりだけれど、意外に共通点もあるのだ。

それは、薛洋も暁星塵もバランスの悪い人間であること。極端でしょ?彼ら。
そして、それを本人たちもある程度自覚している節がある。

人格を形作る上でのはじめの一歩、ベースの部分で似ているふたり。
わけもなく通じてしまうところがあったのではないだろうか。
それが、「君といると笑ってしまう」という暁星塵の台詞にうかがえる。剣を振るうのに支障が出るほど、薛洋のジョークに笑ってしまうらしい。

人って、笑いのツボが似ているとなんか、うれしくなりませんか?自分と笑いのセンスが似ている人、好きになりません?

きっと宋嵐といるときには、暁星塵は笑って困るなんてことはなかったはず。彼とは笑いのツボが違うのだ。
いや、そもそも宋は人を笑かそうなんてしないかもしれない。勝手な思い込みだけど彼は不器用で真面目一辺倒のイメージがある。思想とか修道観での一致や、人間性への共感、あるいは好感(もしかしたら好意以上の何か?)はあっただろうけれど、一緒にいて楽しいと感じたのは薛洋の方ではなかったか……。残酷だけれど、人ってそういうところがあると思うんだよね。もちろん、宋嵐といる時は危険を伴うシビアな状況が多かったことも、笑いとは無縁な生活の一因であるとは思う。

正体を隠した危うい関係性のまま、薛洋と暁星塵は2年以上の歳月を共に過ごす。
その間、薛は目の見えない暁を騙して罪のない人間を殺めさせ、清廉な彼を汚していく。
毎日、暁から飴🍬という無償の愛のメタファーを貰いながら、どんどん自分と同じ罪の世界に引き込んで同化させようとするのだ。そして、ついに暁星塵に宋嵐を殺させてしまう。
最悪だ。本当に悲劇である。決して許されることではない。

これは、【執着】?……いや、やはり自分の側に引き寄せ、同じ目線で向き合いたい、向き合って欲しいという、【愛】ゆえの行動のように思える。破綻した原理であり、極めて歪んでいるが、これは【愛】ではないか。

真実を知り絶望し、自害を選んだ暁星塵の遺体と霊魂を、薛洋は8年間も保管していた。そして、夷陵老祖(魏嬰)が訪れるのを待っていた。生き返らせて欲しくて、不遜な態度ながらも魏嬰に頼み込むのだ。
凶屍でもいいから生き返ってほしいと願う気持ち……。ドラマ版では遺体を呪符で囲み、生き返るのを甘やかな笑顔で待つシーンがある。ほんの短い時間だけれど、薛洋役の王皓軒くんの魅力的な演技と共に印象的なシーンだ。アニメ版では暁星塵の死を目の当たりにし、我を忘れて血を止めようとするシーンがある。これは、ならず者と自称する者の取り乱し方ではない。愛しい人を今まさに失う人間の所作なのだ。

そして、この義城編の最も美しく、最も残酷なのが、先述した通り、薛洋本人もそれが【愛】だということを知らないままこの世を去ること。

これこそが正に悲劇なんだろうな……。
切なくてたまらない。😭


薛洋自身が語った小指を失うことになったエピソード。あの頃に暁星塵のような人と出逢っていたなら……。

暁星塵にしても、幼い頃に現実を、この世の汚さ、不条理を知っていたなら……。

まだ何者でもない子どもの頃にふたりが出逢っていたなら、互いに影響しあい平穏に(平凡に?)生きていけたのでは……。

そんなしょうもないことを考えてしまうほど、この義城編は私のこころを惹きつけてやまない。まあ、義城編に限ったことではないけれど、『魔道祖師』という物語には余白が多い。作者が意図してのことなのか、編集者がいない(?)ウェブ小説のもつ特性なのかはわからないが、完結してもなお考察を誘う物語なのだ。


アニソシ吹替版が、木曜深夜WOWOWでの放送でついにラストを迎えた。
映像コンテンツはスピンオフを含めこれで全てだ。

終わってしまった……。

拭いきれないロスと共に、長いこと自分の中で反芻していた義城編【愛】を書いてみた。長くなっちゃったよ。😅(それでも好きなシーンのこととかまだ書き足りない!)



え?

『魔道祖師』ラジドラもあるって?!

しかも完結してないって?!




うう……。💧











※そして、私にはこの曲が義城編にしか聴こえない……😭

『シャンディ』by超特急










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