こもれびの日記

日々の暮らしをつづります。コモちゃんは夫です。コメントは管理人の判断で削除する場合があります。ご了承下さい。

ペルシャからアナトリアへ ⑧ 世界遺産ネムルート山

2024-08-01 | 2024年6月イランとトルコ

7月2日、世界遺産ネムルート山へ登るため午前2時半起き。

専用車で20分、登山口のゲートに着く。1987年にユネスコ世界遺産に登録。

暗い中階段を上っていく。みんなどんどん行く。だんだん遅れてきて添乗員さんが、人が多く迷うといけないと言って最後までついてくれた。普通は10分で頂上に着くが、小生は30分以上かかった。歳だなあ・・・

天気が良く日の出を見れた。 100人近くいる。

標高2134mの頂上には古代コンマゲネ王国のアンティオコス1世の墳墓が残っている。後ろは盛り土。

ギリシャ神話に出てくる神々がペルシャ風の帽子をかぶっていることからヘレニズム文化の結晶ともいえる。

石像はもとは2m超えていたのではと言われている。

これは後から観光目的に作られたよう。

 

6時には下山開始。

 

 

ホテルに戻り休憩。

 

周辺観光。

コンマグネ王国の墳墓、カラクシュ。もとは7本あったが2本しか残ってない。

 

 

ジェンデレ橋。ジェンデレ川の一番狭いところに架けられた橋。ローマ人によって建設された最長のアーチ橋。

橋のたもとには2本の柱。

 

川では子どもたちが泳いでいた。

 

 

ユーフラテス川。

 

川べりにあるレストランで昼食。

 

ニジマスのフライ。おいしくて完食。

 

ペレ遺跡。古代都市ペレは東ローマ帝国とペルシャをつなぐ重要な道路上にあった。

 

1世紀から5世紀にかけて宗教都市として重要な役割をした。

 

発掘は2019年に開始したが、2023年2月のトルコ・シリア地震の被害甚大により中止されている。

 

現時点での見学はネクロポリス(墓地)と工業エリアの二つ。

 

シャンルウルファ空港へ向かう。車窓からモスク。

 

車窓からユーフラテス川。

 

シャンルウルファ空港に着き、20:30発のターキッシュエアラインでイスタンブールへ。

 

22:30、イスタンブール空港に着く。

7月3日、午前2時発ターキッシュエアライン、11時間で関空に着く。ホテル泊。

7月4日、高松に帰る。

 

2週間後添乗員さんからレポートが届いた。ブログに大いに参考にさせてもらった。感謝。

 

 

 

 

 


コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ユーフラテス川 (高御位山)
2024-08-02 10:10:50
 素晴らしい写真ありがとうございました。
日本の歴史、紀元2600年 軽くて吹き飛んで
しまうような歴史ですね。日本は木の文化、西洋は
石の文化。パリのオリンピックを観ながら文化の
違いをつくずく感じます。
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Unknown (ally)
2024-08-02 11:30:26
楽しく旅行記を読ませていただきました。まるで一緒に旅しているようでした。トルコには行ったことがあるのですが、イランはまったく私にとっては未知の国。機会があれば旅してみたい国の一つになりました。素敵なお写真や思い出をありがとうございました。
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Unknown (コモ)
2024-08-03 10:57:19
お二人のコメントうれしく拝見しました。興味を持って頂きありがとうございます。
考えてみれば50年前はバックパッカーとして1人でローマからカルカッタ迄陸路を行きましたが、何の不安も感じませんでした。
しかし今や政治も経済も宗教も不安定になり、入ることができない国が増えて平和の尊さを強く感じる旅になりました。
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Unknown (ゴロスケホッホ)
2024-08-09 10:47:31
長旅お疲れ様でした。
体力充分ですね。
ネムルート山には、強い興味がありました。
有難う御座います。
シルクロードとの出会いは、トルコが最初でした。
日々劇的に変わる風土の多様性は、心に沁みます。
国民性も日本人良く似て、義理人情に厚く、信念が強いです。
「私達は混血によって、こんな姿になりましたが、貴方達日本人と同じルーツです。発音も日本語と同じです」そう話しかけたくれた、トルコの若者の顔が浮かびました。
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