今、写本を1時間ほどしてみたところ。
いや~、ほんと、きちんと継続することの難しいこと。
「後悔先に立たず」とは人類永遠のテーマ。
特に私なんか、何度やっても懲りません。
また新たな気持ちでやってしまいます。
「『学習』ってことがあんたはできないのかね。」と自虐することしばしば。
とはいえ、過去は過去。どうにもなりません。
そこで今日のテーマは
「『時』って何だろう?」です。
たまには、青年時代の時のように、こんなことをぼんやり考えてみるのも良いようです。
人は、未来にのみ歩める。
「今」は瞬時にして「過去」になる。
そして人は「過去」へ遡ることができない。
まるで車窓の風景のように「今」が過ぎていく。
過ぎた過去を取り戻したい、と逆向きの電車に乗り換えたところで、
もうその時の自分ではないし、見える景色も違う。
時は過ぎてしまうと、自分が経験したことでさえも自分の時間ではなくなる。
何の関わりを持つこともできない。
感傷的になることはできるが、それは只のイメージでしかない。
実体はすでにそこにはない。
それどころか、「今」というこの一瞬すら感じることはできない。
結局、我々が実感できる「現在」は、未来にしか存在しないようだ。
これからやるべきことを考えたり、
様々に未来を想定しては、その対応策を準備する。
この未来への対策や計画を練っているときは、
旅の計画などのようにワクワクしたり
会議や事業準備をするときのように緊張感を感じたりする。
その時は、未来でありながらリアルなものを感じることができる。
ところが本番になってみると、
実際、その中のいくつかのパターンや
想定外のパターンが現実に起こるのだが、
その時は「今」だと思うまもなく、
瞬間的に私から離れ、過去のものとなる。
そうして、すでにその時は「なかった」かのようである。
そこにはもはや自分にとって何の意味も価値もない。
そして「次は何?」、「その為に、今何をすればいい?」
と、また考えることで、生きている実感を得ていくのである。
「光陰矢のごとし」という。
人は未来にしか生きることはできない。
だが、未来も有限だ。
私の人生も、そうこうするうちに、光のごとく瞬く間に過ぎてしまう。
虹のように捉えどころのない「時」
でも生きている間だけしか感じることのできない「時」
この不思議な「時」を意識してみると、自分の人生も愛おしくなってくる。