石を珠(たま)といへども珠とならず珠を石といへども石とならず
〔同生同名御書(どうしょうどうみょうごしょ)、1114㌻・編482㌻〕
石を珠と言っても、珠とはならない。珠を石と言っても、石とはならない。
◎法華経《珠》と爾前経(にぜんきょう)《石》との違いを、珠と石との違いを例に引いて、示されている個所です。
◆妙法こそが“最高の珠”
1979年(昭和54年)、会長勇退直後の池田先生に、長野研修道場でお会いする機会がありました。“縁に粉動(ふんどう)されてはいけない。信心を深めることだ。日蓮大聖人の仏法は絶対だから”と、先生は語ってくださったのです。この日を私の信心の原点の日として祈り、戦い続けてきました。
92年8月、先生が飯田平和会館に初来訪され、“悪増のため、一番苦しんだ皆さまが、これから一番、幸福になる権利がある”と慈愛の励ましを送ってくださったのです。第1次宗門事件で悪増の謀略に苦しめられた飯田の同志は、この日を「宝の日」として立ち上がりました。
以来13年を刻む本年の上半期、歴史に残る「拡大」に、歓喜の戦いで“大勝利の金字塔”を打ち立てることができたのです。
本抄を頂いたのは四条金吾の妻です。その金吾の領地(殿岡)のあったゆかりの地で、妙法という“最高の珠”を受持し、師のもと「創価の庭」で信心を貫いていける素晴らしさを、語り抜いてまいります。そして、創立75周年を師への「報恩」の心で、大勝利で飾ってまいります。
〔長野第4総県婦人部書記長〕
(きょうの発心 2005.08.13 土)〈11108〉