夢見るおばさん、KOKKO パラダイス

日本、故郷の伝統文化、風習、自然、山河、小旅行など
気の向くままに綴ります。

佐竹本三十六歌仙絵巻・その2

2013年04月28日 | 日記
三十六歌仙絵巻  七百年のはるかなる旅路

◎摸写本の存在

18世紀後半に活躍した大坂の文人で、木村 蒹葭堂、という人がいる。
このひとが絵巻模写したのであるが、その時点では「下鴨神社の宝物」として
あった、と述べている。従ってこの絵巻が佐竹家に移ったのは18世紀後半~
19世紀(つまり幕末)の頃と推察される。

ところが徳川家の別口の記述では、吉宗の時代(享保年間)には、佐竹家に
あった、と記されている。
ただ、「藤原信実筆の歌仙絵巻」となっており「三十六歌仙」とは書かれていない。
     ↓藤原定家の甥で、六歌仙の姿絵を描いた。(似せ絵の名手)

このように佐竹家に移るまでは、この絵巻のたどったはるかな道のりは、
今となっては、ほとんど知ることが出来ない。
おそらく何代もの名のある人々の手を経てきたものであろう。

◎なぜ、みちのくの佐竹家の手に?

数多いる、京や江戸の公家、有力大名をさしおいて佐竹家の所有になったのは・・・

   *京都にゆかりの深い家系であった。
   *清和源氏の流れをくむ一族で、鎌倉以来の名門。
    徳川幕府を支えてきたのは、ようは武士であった・・・
    その点、格のある佐竹は芸術を理解していた・・・

   *米どころ、秋田スギの美林、院内銀山、・・の財政基盤。
    ただ借財しても、是非手に入れたいとの審美眼に優れていた。

大物・佐竹家は常陸の大大名であるが、関ヶ原の合戦で「日和見主義」を
したため家康に睨まれ、1602年に54,5万石を没収され、秋田の地に
所がえになったお殿様である。本来の戦国大名は長らく安東氏であった。
秋田人気質は、佐竹氏以前に育まれたもの・・・と言われている。

さて8代藩主の義敦以後、美術好きの藩主が続いたようだ。
自ら絵筆をとっている。

会で展示された、絵巻や掛け軸でご覧ください。









透かし絵のように裸婦が描かれている。
西洋画にも触れ、貴重な証拠品とか・・・・




絵巻の「伊勢」の写本を掛け軸にしたもの

 

城あとは、千秋公園となり、
今は、お隅櫓が立っている。
 


秋田で作成された模写本、小野小町、については次回とします。
不順な天候で、ちょっと風邪気味のKOKKOでした 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿