<其角が市川団十郎に贈りし句>
宝永元年七月、山村座興行の平安城都定に二代目団十郎年甫(はじ)めて十五、大江のハル丸をつとめて大評判なり。
宝井其角が送りし句に左のごときがあり、
塗りかほや父は長柄や雉子の声
翌二年其角の門に入りて、俳号を三舛(さんしょう)と号せり。其の歳の顔見世に、其角より与へし句に、
三つ舛(ます)や凡そ氷らぬ水の筋 「俳優逸話」より
<芭蕉、西山宗因の奇才を誉める>
或日、市村竹之丞座芝居見に行たるに、芭蕉居合わせ、初めて宗因と対面す。時しも門人何某の句に、「子は勝りけり竹之丞」として、上の五文字を置きかね、宗因に乞ひけるに、「おやおやおや」と冠すべしと教へける。後に芭蕉この事を弟子に示して其奇才を称歎せしとなり。「浪花人物誌」より
宝永元年七月、山村座興行の平安城都定に二代目団十郎年甫(はじ)めて十五、大江のハル丸をつとめて大評判なり。
宝井其角が送りし句に左のごときがあり、
塗りかほや父は長柄や雉子の声
翌二年其角の門に入りて、俳号を三舛(さんしょう)と号せり。其の歳の顔見世に、其角より与へし句に、
三つ舛(ます)や凡そ氷らぬ水の筋 「俳優逸話」より
<芭蕉、西山宗因の奇才を誉める>
或日、市村竹之丞座芝居見に行たるに、芭蕉居合わせ、初めて宗因と対面す。時しも門人何某の句に、「子は勝りけり竹之丞」として、上の五文字を置きかね、宗因に乞ひけるに、「おやおやおや」と冠すべしと教へける。後に芭蕉この事を弟子に示して其奇才を称歎せしとなり。「浪花人物誌」より