
【要旨】
2024年10月9日に衆議院が解散され、総選挙となりました。この際に解散の根拠とされたのは憲法第7条「天皇の国事行為」であり、かねてからその正当性が疑問とされ、石破首相自身もかねてより否定的な考えを示していたことや、内閣不信任案の審議の途中で強引に「詔書」が運び込まれるという強引なやり方が取られたことから、かなり話題になりました。
改めて、「7条解散」とは何なのかを考えてみた所、原理的には「国権の最高機関」である国会の意思を無視している点で肯定できず、「解散の詔書」を持ち込むと解散になる、という慣習は戦前の旧憲法下で行われていた、天皇の解散権に基づくやり方を踏襲しているに過ぎないことが分かりました。
現行の憲法の下での解散については、いまだにそれにふさわしい正しいやり方が定着していないと言えます。戦後80年にもなる現在、払拭しきれずにいた戦前的なものは、もう拭い去らねばなりません。
(写真は、「議場に運ばれる解散詔書 毎日新聞 20241009」 )
憲法第7条による衆議院の解散についての疑義
衆議院の解散については、いくつもの疑義があります。2025年10月9日の今回は、①内閣不信任案が提出され、議題として宣言される ②「解散詔書」を官房長官が議場に運び込む ③衆院議長がこれを読み上げ「憲法第7条により」解散となる というものでした。変です。
まず古文書学的には、「解散の詔書」は、どの時点で有効なのでしょう?天皇が「御名御璽」を記した時点で文書としては完成しますが、この時点で解散される訳ではない。議長がこれを読み上げることで有効になる。このタイムラグは、けっこう重要です。つまり、(内閣とは別の存在である)議長が無視することは可能。
内閣が天皇の権限を利用して議会を解散しようとしても、議会側は実は抵抗できる訳です。今回は、議長が不信任案の審議に入った所で「解散詔書」が運び込まれましたが、議長はそれを無視して、「審議の方が優先される」として不信任案の討議と採決を行うことはできたはずです。
https://mainichi.jp/articles/20241009/k00/00m/010/281000c
なんだか当たり前のように、「解散詔書」の朗読を優先してしまっていましたが、これでは、議会は内閣が思うままに操れる、下請け的な機関になってしまいます。三権分立を犯し、議会制民主主義を形骸化させ、独裁に道を開くもので、非常に危険だと思います。こういうことに、慣れて
「解散詔書」なんて、所詮はただの紙切れです。それが実効性を持つも持たないも、関係者がそれをどう扱うか、というただそれだけの問題です。不当な内容であれば無視すれば良いのです。当事者主義の中世だと、「所領回復」などの文書を出してもたいてい無視されます。道理がなくて従わないのは当然。
憲法の規定では、衆議院の解散が行われるのは、第69条の、不信任案が可決(もしくは信任案が否決)された場合だけです。つまり、議会が自らの意志で解散の前提条件を作らない限り、解散はないのです。内閣の側が天皇の形式的な権限を使って勝手に解散させるなら、それは議会制民主主義の否定です。
憲法論的には、今回のように「憲法第7条により」解散というのは、石破氏自身も以前語っていたように、とにかくおかしい。実際に最初の解散は69条(不信任案可決)によるものでした。7条(国事行為)は、あくまでも天皇が勝手にしないように内閣の助言が必要、というもので、
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a196256.htm
憲法第7条は、解散の要件を定めたものではありません。天皇が衆議院を解散するのは内閣の助言によるのが当然なので、あえて言う必要はないし、それで要件を満たしているとは言えない。学校で卒業証書に署名するのは校長でも、その前提には「単位を取得したので」がなければならない。同じことです。
近年、内閣に権限がないことを脱法的な手段で強行してしまうことが目立っていますが、それは法治にも民主主義にも反します。こういうことに慣れてはいけないのです。それについて正論を言っていたのが石破氏なのですが、権力の座についたとたんに手のひらを返し、党利党略と保身に走る。
石破首相は、人間的には本当は良い人で正しいことをしようとしていたのだと思いたいですが、権力というのは、げに恐ろしきもの。必ず自己目的化して人を取り込み、暴走します。それを防ぐための法や制度が次々に無効化されつつあることを憂慮し、せめてここで指摘しておきたい。
「7条解散」が可だとしても、7条は天皇の国事行為という手続きを定めただけなので、内閣が自由にできることではなく、要件を満たすことが必要です。それは、議会が自ら解散・総選挙の必要があると認める、具体的には与野党が合意することで、それがあれば不信任案を茶番で可決する必要はないでしょう。
しかし今回の解散は内閣が全くの自己都合で行っているので、明らかに憲法の趣旨に反します。民主主義とは、少数派の意見もよく聞いて熟議を尽くすことです。少数派(野党)が「もっと議論したい」と言えば、多数派(与党)は必ず応じなければならない。この精神を自ら放棄した石破首相の罪は大きい。
衆議院の解散は、衆議院の側が内閣不信任案を可決、すなわち「あなたとはもう一緒にやっていけない。辞めるか、選挙で国民に信を問うか、どちらかを選べ」と突きつけて初めて可能になる、というのが憲法の建て付けです。主導権はあくまでも国会。「国会は国権の最高機関」(憲法41条)なのだから当然です。
今回は、内閣不信任案が審議されようとするタイミングで、それを阻止するために解散する、という強行手段だったため、内閣の意志の方が議会の意志よりも優位にあること、 内閣>国会 という関係が明確に可視化されました。明らかに憲法の趣旨に反します。「7条解散」の根本問題はそこです。
今回の衆議院解散の報道では、「解散詔書」を職員が恭しく掲げ、衛視に囲まれて廊下をしずしずと歩く場面もありました。そんなに神格化(?)するようなもの?と何だか可笑しくなりましたが、古文書学的に、その文書が「どう扱われたか」というのも、考えてみると大事な問題。
https://www.youtube.com/watch?v=GQ5RGQTrwyI
一つ思い出したのは、足利義満が明の皇帝から送られた勅書を披見する儀式で、仰々しいのですが、本来の方式からすれば略式で内輪であるとも言われるようです。文書の機能を考える上では重要ですから、運ばれ方、開かれ方、読み上げ方などは、どの文書についても考えてみる必要があります。
様式的に言うと、本来の「詔」は律令官制の中で様々な手続きを経て作られるものだったはずですが、現在の「御名御璽」によるものは、天皇の署名の下に「天皇御璽」の印をあたかも個人印のように押す、ある意味書状的な簡素なもので、それも内閣が安易に用いる一つの原因かもしれない。
そのくせ、この簡単な文書が神格化?され、衆議院の議事をストップさせて解散させてしまう、という絶大な効力を持つ、というのは何だか変です。解散という重大事は、こういうものに頼らずに、きちんと与野党が話し合って、国民のために行うものでなければ。色々、おかしなことをしています。
衆議院の解散が、内閣不信任案の審議が始まった所で「解散詔書」が議場に運び込まれ、それによって議事がストップして解散、という形で行われ、議長が唯唯諾諾としてそれに従ってしまうのが何とも納得がいかないのですが、これは戦前の「帝国議会」のやり方らしい。
西原史暁さんという方が、「衆議院解散時の詔書朗読とバンザイのタイミング」という興味深い記事を書いておられますが、これによると、帝国議会では衆議院の審議中に「詔書降下」が告げられ、起立、朗読、万歳、散会、というパターンが大正時代頃から定着したようです。
https://hi.fnshr.info/2014/11/22/shugiin-banzai/
帝国議会での「解散詔書」の本文は、「朕帝國憲法第七條ニ依リ衆議院ノ解散ヲ命ス」というもので、これは、「大日本帝国憲法」の、奇しくも同じ第7条に「天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス」とあることに基づきます。天皇に解散権があるので、それ以上の理由は不要でしょう。
ところが、日本国憲法の第7条は、国事行為を内閣の「助言と承認」によって行うという規定なので、天皇が自らの意思で解散する訳ではなく、別の理由が必要で、それは第69条の内閣不信任案という、議院側の意思に基づくものになるはずです。だから、戦前のように、議院の審議に優先するものではない。
それをあたかも戦前と同じ様に、「解散詔書」を恭しく運び、「これが目に入らぬか!」と言わんばかりに、問答無用で議会を解散させる、というやり方は、およそ日本国憲法下の解散にふさわしくありません。こんな「帝国議会ごっこ」は、もう止めるべきです。
https://mainichi.jp/articles/20241009/k00/00m/010/281000c
衆議院の「作法」が、というより考え方が全く戦前さながらで、戦後80年近くも経つのに、いまだに旧態依然であることに唖然としてしまいました。そういう頭の古い人たちには、もうみんな退場してもらいましょう。アップデートができない国は当然衰退します。今度の選挙は、「旧弊一掃選挙」に。
(2024年10月10日~11日 X(ツイッター))
2024年10月9日に衆議院が解散され、総選挙となりました。この際に解散の根拠とされたのは憲法第7条「天皇の国事行為」であり、かねてからその正当性が疑問とされ、石破首相自身もかねてより否定的な考えを示していたことや、内閣不信任案の審議の途中で強引に「詔書」が運び込まれるという強引なやり方が取られたことから、かなり話題になりました。
改めて、「7条解散」とは何なのかを考えてみた所、原理的には「国権の最高機関」である国会の意思を無視している点で肯定できず、「解散の詔書」を持ち込むと解散になる、という慣習は戦前の旧憲法下で行われていた、天皇の解散権に基づくやり方を踏襲しているに過ぎないことが分かりました。
現行の憲法の下での解散については、いまだにそれにふさわしい正しいやり方が定着していないと言えます。戦後80年にもなる現在、払拭しきれずにいた戦前的なものは、もう拭い去らねばなりません。
(写真は、「議場に運ばれる解散詔書 毎日新聞 20241009」 )
憲法第7条による衆議院の解散についての疑義
衆議院の解散については、いくつもの疑義があります。2025年10月9日の今回は、①内閣不信任案が提出され、議題として宣言される ②「解散詔書」を官房長官が議場に運び込む ③衆院議長がこれを読み上げ「憲法第7条により」解散となる というものでした。変です。
まず古文書学的には、「解散の詔書」は、どの時点で有効なのでしょう?天皇が「御名御璽」を記した時点で文書としては完成しますが、この時点で解散される訳ではない。議長がこれを読み上げることで有効になる。このタイムラグは、けっこう重要です。つまり、(内閣とは別の存在である)議長が無視することは可能。
内閣が天皇の権限を利用して議会を解散しようとしても、議会側は実は抵抗できる訳です。今回は、議長が不信任案の審議に入った所で「解散詔書」が運び込まれましたが、議長はそれを無視して、「審議の方が優先される」として不信任案の討議と採決を行うことはできたはずです。
https://mainichi.jp/articles/20241009/k00/00m/010/281000c
なんだか当たり前のように、「解散詔書」の朗読を優先してしまっていましたが、これでは、議会は内閣が思うままに操れる、下請け的な機関になってしまいます。三権分立を犯し、議会制民主主義を形骸化させ、独裁に道を開くもので、非常に危険だと思います。こういうことに、慣れて
「解散詔書」なんて、所詮はただの紙切れです。それが実効性を持つも持たないも、関係者がそれをどう扱うか、というただそれだけの問題です。不当な内容であれば無視すれば良いのです。当事者主義の中世だと、「所領回復」などの文書を出してもたいてい無視されます。道理がなくて従わないのは当然。
憲法の規定では、衆議院の解散が行われるのは、第69条の、不信任案が可決(もしくは信任案が否決)された場合だけです。つまり、議会が自らの意志で解散の前提条件を作らない限り、解散はないのです。内閣の側が天皇の形式的な権限を使って勝手に解散させるなら、それは議会制民主主義の否定です。
憲法論的には、今回のように「憲法第7条により」解散というのは、石破氏自身も以前語っていたように、とにかくおかしい。実際に最初の解散は69条(不信任案可決)によるものでした。7条(国事行為)は、あくまでも天皇が勝手にしないように内閣の助言が必要、というもので、
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a196256.htm
憲法第7条は、解散の要件を定めたものではありません。天皇が衆議院を解散するのは内閣の助言によるのが当然なので、あえて言う必要はないし、それで要件を満たしているとは言えない。学校で卒業証書に署名するのは校長でも、その前提には「単位を取得したので」がなければならない。同じことです。
近年、内閣に権限がないことを脱法的な手段で強行してしまうことが目立っていますが、それは法治にも民主主義にも反します。こういうことに慣れてはいけないのです。それについて正論を言っていたのが石破氏なのですが、権力の座についたとたんに手のひらを返し、党利党略と保身に走る。
石破首相は、人間的には本当は良い人で正しいことをしようとしていたのだと思いたいですが、権力というのは、げに恐ろしきもの。必ず自己目的化して人を取り込み、暴走します。それを防ぐための法や制度が次々に無効化されつつあることを憂慮し、せめてここで指摘しておきたい。
「7条解散」が可だとしても、7条は天皇の国事行為という手続きを定めただけなので、内閣が自由にできることではなく、要件を満たすことが必要です。それは、議会が自ら解散・総選挙の必要があると認める、具体的には与野党が合意することで、それがあれば不信任案を茶番で可決する必要はないでしょう。
しかし今回の解散は内閣が全くの自己都合で行っているので、明らかに憲法の趣旨に反します。民主主義とは、少数派の意見もよく聞いて熟議を尽くすことです。少数派(野党)が「もっと議論したい」と言えば、多数派(与党)は必ず応じなければならない。この精神を自ら放棄した石破首相の罪は大きい。
衆議院の解散は、衆議院の側が内閣不信任案を可決、すなわち「あなたとはもう一緒にやっていけない。辞めるか、選挙で国民に信を問うか、どちらかを選べ」と突きつけて初めて可能になる、というのが憲法の建て付けです。主導権はあくまでも国会。「国会は国権の最高機関」(憲法41条)なのだから当然です。
今回は、内閣不信任案が審議されようとするタイミングで、それを阻止するために解散する、という強行手段だったため、内閣の意志の方が議会の意志よりも優位にあること、 内閣>国会 という関係が明確に可視化されました。明らかに憲法の趣旨に反します。「7条解散」の根本問題はそこです。
今回の衆議院解散の報道では、「解散詔書」を職員が恭しく掲げ、衛視に囲まれて廊下をしずしずと歩く場面もありました。そんなに神格化(?)するようなもの?と何だか可笑しくなりましたが、古文書学的に、その文書が「どう扱われたか」というのも、考えてみると大事な問題。
https://www.youtube.com/watch?v=GQ5RGQTrwyI
一つ思い出したのは、足利義満が明の皇帝から送られた勅書を披見する儀式で、仰々しいのですが、本来の方式からすれば略式で内輪であるとも言われるようです。文書の機能を考える上では重要ですから、運ばれ方、開かれ方、読み上げ方などは、どの文書についても考えてみる必要があります。
様式的に言うと、本来の「詔」は律令官制の中で様々な手続きを経て作られるものだったはずですが、現在の「御名御璽」によるものは、天皇の署名の下に「天皇御璽」の印をあたかも個人印のように押す、ある意味書状的な簡素なもので、それも内閣が安易に用いる一つの原因かもしれない。
そのくせ、この簡単な文書が神格化?され、衆議院の議事をストップさせて解散させてしまう、という絶大な効力を持つ、というのは何だか変です。解散という重大事は、こういうものに頼らずに、きちんと与野党が話し合って、国民のために行うものでなければ。色々、おかしなことをしています。
衆議院の解散が、内閣不信任案の審議が始まった所で「解散詔書」が議場に運び込まれ、それによって議事がストップして解散、という形で行われ、議長が唯唯諾諾としてそれに従ってしまうのが何とも納得がいかないのですが、これは戦前の「帝国議会」のやり方らしい。
西原史暁さんという方が、「衆議院解散時の詔書朗読とバンザイのタイミング」という興味深い記事を書いておられますが、これによると、帝国議会では衆議院の審議中に「詔書降下」が告げられ、起立、朗読、万歳、散会、というパターンが大正時代頃から定着したようです。
https://hi.fnshr.info/2014/11/22/shugiin-banzai/
帝国議会での「解散詔書」の本文は、「朕帝國憲法第七條ニ依リ衆議院ノ解散ヲ命ス」というもので、これは、「大日本帝国憲法」の、奇しくも同じ第7条に「天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス」とあることに基づきます。天皇に解散権があるので、それ以上の理由は不要でしょう。
ところが、日本国憲法の第7条は、国事行為を内閣の「助言と承認」によって行うという規定なので、天皇が自らの意思で解散する訳ではなく、別の理由が必要で、それは第69条の内閣不信任案という、議院側の意思に基づくものになるはずです。だから、戦前のように、議院の審議に優先するものではない。
それをあたかも戦前と同じ様に、「解散詔書」を恭しく運び、「これが目に入らぬか!」と言わんばかりに、問答無用で議会を解散させる、というやり方は、およそ日本国憲法下の解散にふさわしくありません。こんな「帝国議会ごっこ」は、もう止めるべきです。
https://mainichi.jp/articles/20241009/k00/00m/010/281000c
衆議院の「作法」が、というより考え方が全く戦前さながらで、戦後80年近くも経つのに、いまだに旧態依然であることに唖然としてしまいました。そういう頭の古い人たちには、もうみんな退場してもらいましょう。アップデートができない国は当然衰退します。今度の選挙は、「旧弊一掃選挙」に。
(2024年10月10日~11日 X(ツイッター))
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