家計簿をつけていて思い出したことがあります。
それは昔むかーし、小糸が小学生の頃の事です。
小糸は夏休みなど、学校が長期休みに入ると母方の祖母の家に遊びに行ってました。というか、行かされてたのかな?^^;
祖母は母が中学生の頃に離婚し、子供3人を連れて実家近くのボロ借家にて暮らしていました。確か間取りは2Kでした。今思うと、あの狭いところでよく4人で暮らせたものだなぁと感心します。
祖母は近くの和菓子屋さんで販売業務をしておりました。定年まで勤め上げ、しばらくは嘱託社員として引き続き働いていたようです。私が長期滞在している時も少しは休みを取りながらも働きに行ってました。
祖母の給料は当然多いはずがなく、毎晩がま口のお財布とノートを出してきて家計簿をつけていました。私は面倒なことしてるのね、なんて思ってました。なにしろ私はお小遣い帳すらつけるのが嫌だったもので。
祖母は毎日コツコツと家計簿をつけ節約して生活していたんだなぁと、あらためてそんな祖母のことを尊敬いたします。
(2006年4月)
それは昔むかーし、小糸が小学生の頃の事です。
小糸は夏休みなど、学校が長期休みに入ると母方の祖母の家に遊びに行ってました。というか、行かされてたのかな?^^;
祖母は母が中学生の頃に離婚し、子供3人を連れて実家近くのボロ借家にて暮らしていました。確か間取りは2Kでした。今思うと、あの狭いところでよく4人で暮らせたものだなぁと感心します。
祖母は近くの和菓子屋さんで販売業務をしておりました。定年まで勤め上げ、しばらくは嘱託社員として引き続き働いていたようです。私が長期滞在している時も少しは休みを取りながらも働きに行ってました。
祖母の給料は当然多いはずがなく、毎晩がま口のお財布とノートを出してきて家計簿をつけていました。私は面倒なことしてるのね、なんて思ってました。なにしろ私はお小遣い帳すらつけるのが嫌だったもので。
祖母は毎日コツコツと家計簿をつけ節約して生活していたんだなぁと、あらためてそんな祖母のことを尊敬いたします。
(2006年4月)