天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「沖縄の不都合な真実」(新潮新書:大久保潤・篠原章著)を読んで

2016-08-09 20:38:19 | 読書ノート(天道公平)
 さきごろ、「沖縄の不都合な真実」(新潮新書:大久保潤・篠原章著)を読みました。
 「全本土基地の75%以上が存置する」という、沖縄県の、地勢的、歴史的、経済的及び政治的状況について、その実態を述べたもので、共著の二人とも、沖縄で、報道記者活動をされ、また、沖縄に係る評論活動をしてきた(されている)方たちだそうです。
 この本は、普天間の米軍基地を従前から内定していた辺野古移転させようとすることについて、先の知事選挙改選後、辺野古移転に公約とおり反対し始めた現在の沖縄県知事翁長知事と政府担当部署の一連の騒動について論じ、その実態と地元の実情について歴史を遡及しつつ論じています。
 沖縄の基地問題は、県外から見ればひたすら政治的問題で、左翼、右翼、保守主義、その外、入り乱れて百人百様の意見と、主張があります。
 この本は、もっぱら本土で行われる現地を離れた議論(果たして実際に現実を媒介にしているのかという疑義)と、実際の沖縄県民の経済社会的な立場で派生するその利害と、その利害と思惑に基づく政治的な対立について、具体的に述べています。

 当初、那覇市の基地を原因とした住民の騒音被害、その他の被害(米兵の犯罪行為を含めて)を原因として、普天間基地が未居住地(辺野古地区)に移転が決定(政府官庁と地元沖縄県・関係市町調整後)した後に、政治的(地元利害を含めて)に、その結果が反故となり、移転が完了していない今も負担が軽減されるはずの、宜野湾市などの多くの住民などはそのまま、当該被害を受容している、ということになります。
 また、当該移転について、(翁長知事の登場前に)当該折衝にすでに多くの国の費用が使われたとすれば、いくら民主党の鳩山首相が暴走し、政府と沖縄政庁の間で長らくすすめられた折衝と努力をチャラにしてしまったとしても、われわれ国民とすれば、少なからぬ時間と公費を徒消し、その後その実績を上げられない政策は、その後の政府の対応はどうなのかと、その責任を指弾することとなります。

 一方、地元とすれば、当該基地の敷地は、借上げ地で、多くの県・市町などの所有地とその他私有地があるとのことですが、敗戦から現在に至るまで、基地としての借り上げ料、それは当然のことですが、米軍が利用便益するその費用を国から得て、個人とすれば生活の資に充て、また、当該借り上げ価格が適正な時価なのかについては書かれていませんが、県、市町とも、財政的に多大な額を、基地借上げ金でまかない、それ以外にも、その他に基地交付金という名目なのか、国からの特別な給付に依存し、行政経費の多くを頼り、県民・市町民などの必要な費用を賄う財政運営をまかなっています。
 一方、アメリカ軍も、日米安保条約に基づき日本に駐留し、防衛活動(?) (本音は別にして)をするため、戦術的に、施設を設置・展開し、利用しており(彼らの本音は僻すう地の辺野古に行きたくないはずと書いてありましたが)、現在では、東シナ海を隔てた、中共と、日本海を隔てた北朝鮮(ロシアも当然含めます。)という想定敵国が、アメリカの世界の軍事的戦略と経済的覇権を脅かす存在として、当面利害を一にする、日本国の基地に駐留しています。当該費用は、日本政府によって賄われています。 
 敗戦当初、沖縄に駐在するアメリカ軍は、日本及び沖縄の分断政策からか、「琉球」という名称を多用し、沖縄の学生たちをアメリカに招待し、アメリカでの教育機会を与えることにより、日本国としてのナショナリズムの発生や国民意識(?) の一元化を阻止し(「琉球大学」という国立大学の名称もアメリカ政府の命名だといいます。)、反米を反日にすり替えるという巧妙な占領政策を行ったとのことです(当時一部学生たちをアメリカに招待し金門橋を見せその威容とアメリカの実力を知らしめたそうであり、その留学学生の同門会は「金門会」と称し、前の太田知事、現在の那覇市長など様々な中核となる人脈があるそうです。)。現在も、他国(フィリピン、韓国)に比較して、「アメ女」(アメリカ軍兵・軍属のガールフレンドになる子)や、ハローウイン時の基地兵士に対する「ギブミーチョコレート」のおねだりを含め、県民の対米軍に対する感情はきわめてよいそうです。また、若き日、沖縄戦を戦い、戦後米軍によって訓導され、引退された「エリート」太田元知事は、その後「醜い日本人」という本を出版され、当時の当該訓育が今も彼の想念を呪縛しているように思われるところです。

 日本政府も、何やかやで、憲法の制約その他で表向き自国防衛ができない状況にあり、当然、わたくしたちは、国民国家日本の政府として、北海道から、沖縄まで、また島しょ部を含め、国民の安全と経済的利害を守っていただかなければなりませんので、当面、同盟国のアメリカ軍の当該駐留経費を負担することとし、地元行政や業界団体をなだめすかし、自国の「反日」勢力への対応をも含め、結果的に自国防衛と現在極東の軍事的・経済的秩序の現状維持を図っています。

 バカ左翼が、アメリカ軍の即時撤退、憲法による「国際紛争の解決の手段としての武力行使(軍備)の放棄」(そう言っているやつもいるか。)、自衛隊は解散せよといっても、世界的にも極めて不安定な極東の現実政治の体制下ではそういうわけにはいかないんですね。

 しかしながら、現実の地勢的、流動的な東シナ海の中共の覇権行動をみれば、大きな脅威が押し寄せているのは自明であり、その策動が、国民国家日本の安全を脅かし、日本国民及び国土の安全と経済的の利害に大きな脅威を与えることについて自覚的でないならば、その中で、国民の一人としても、それぞれの立ち位置で何をすべきかを考察できなければ、その政治家、ジャーナリストその他の方々は恥を知るべきです。

 この本の趣旨に戻れば、現在の沖縄といえば、口では、基地の完全撤去、と口にしながら、経済社会的に、基地の存在と、日本政府による賃料支払いと、沖縄の地元市町村に交付される振興のための支払いその恩恵なしには運営できない、沖縄の状況、基地なくして存立する、沖縄の建設業労働者を
養うに足る土建業、観光業、サービス業その他の業種は成り立たない、ようです。
 沖縄社会の、基地賃料受給者、地元土木建設業経営者や公務員のいわゆる「勝ち組」と、それ以外の階層の所得格差は厳然としてあり、かといって、今も建設業や、観光以外に、雇用を創出できる産業が育っていないといいます。求職する適当なフルタイムの職場がなく(このあたりは、一部都市圏を除いた、日本の各地方の状況に似ていますが)、貧困と、格差による、離婚、母子福祉の不備、生活保護世帯の実数が日本一であるともいいます。
 もともと、旧琉球王国時代から、当時の階層、士農の比率が、1対2ととても高く、薩摩藩の併合(幕府に許された侵略でいいです。)、明治政府の廃藩置県を経ても、地方政治に余力は割けない日本近代化の事情で支配層であった士族の特権は温存され、新政府と士族の二重課税が農民に課され、既特権は保護され、士族の失職はなかったために(沖縄では御一新はなかったんですね。)、社会的分業の発達が行われず、沖縄に新たな近代的な産業の発生が望めなかったという歴史もあるそうです。
そして、当時偉かったその士族が、その後も社会の上層としての「公務員」として、働くこととなった訳ですね。また、大手の民間企業も創設されぬまま、労組もほとんど官公労(なんと懐かしい。)労働者であり、官民の大きな所得格差もこのあたりから発生しているようです。

 日本の各自治体と類比すれば、県民所得が高い自治体もあり、それぞれ差があり、当該格差を、沖縄が経てきた歴史と、戦後経てきた歴史のみに責任を転嫁するわけにはいかないところですが。もし、仮に米軍基地が即時に沖縄から撤退しても、速やかに、彼らが主張する沖縄振興策により、県民の生活向上が図れるとは言えないでしょう。日本各地の、県、市、町においても、それぞれの努力と苦闘があるはずです。仕事の少なさは、貴重な沖縄の自然を破壊する無秩序な開発につながり、米軍の演習地に多く自然が残っているとの皮肉な現状もあるそうで、先行きのない乱開発に走らざるを得ない主たる産業としての土木業者とその従業員とその家族、彼らの従事できる安定した仕事があれば、県民は救済され、県土の荒廃は防げる筈ともありました。
 また、今後、米軍基地が移転して、基地返還がされ、今まで沖縄の土地が有効活用できなかったのだからと、「思いやり予算」で日本国民が、沖縄という一部地域のために、地域格差を固定し、際限のない贈与を続けるのか、という話になると、そうもいかないでしょう(沖縄は「不幸な」歴史を経ているのだから「自立」するまでそうすべきであると、昔そう言った知り合いもいましたが)。「貧困」を原因にした国民の自立を助ける公的な扶助は、国家による全国民を対象にした別制度の公平な給付でしょうから。

 もともと、辺野古地区への基地移転は、騒音問題と、米兵による市民生活への犯罪被害等を抑止することとして画されたはずですが、彼らに言わせると、神奈川県の厚木基地の周辺の方が類比しても騒音が激しい、もし辺野古に移転すれば、基地周辺の米兵相手のビジネスが成り立ちにくいといって
います。彼らまで、沖縄市などから辺野古地区に移転するわけにはならないのですね。また、移転した場合、借り上げを中止する普天間や沖縄市の地主が困る、といいます。地元産業が成り立ちにくいところで、借り手がすぐさま見つかるとは限らないといいます。思うに、賃貸物件について、優良借主が、もう必要なくなったからいらないと、沖縄市・町や、不動産賃貸業者に解除申し出があれば、当該費用を見込んで生活設計をしていた方々あるいは不動産業賃借業者に即座に不動産バブルが巻き起こるということなんですね。運命共同体の彼らによる、今までの県土の開発の実態を見ていれば、「基地を廃し沖縄の美しい自然を守る」とか、いう建前論も、どうも意識の外にあるらしい。ナイーブな本土人が考える夢物語は、現実と違うのですね。過去にも何度となく行われた、また現在の沖縄市長のもとで、地元土木業者を潤す、美しい海岸地域と貴重な自然を破壊する海浜の不必要な埋立てを、筆者たちは指摘します。そして、同時に建前の基地移転を速やかに行っても、後の生活と、財政運営が困る、という、基地反対、基地賛成勢力を超えた、利害の合一と、基地は別にしても、現在の政府による、県土の借り上げと、沖縄の財政的な保護を望んでいる、と同様に筆者たちは指摘します。
また、それが、全国一の県民所得の低さという現状から抜け出るために、本来の自立と沖縄県民の将来的な「利害」にそぐわない、とも言います。どこかで見た「構造」だなと、既視感に襲われませんか?
 また、沖縄には、琉球新報と沖縄タイムスと二大紙が突出して、それ以外の新聞は売れない(購読者がいない)状況らしく、当該二新聞社は、「基地問題」、「沖縄戦」については、決して異論を許さない(沖縄及び沖縄県民を被害者にしない記事は掲載しないとよめます。)という、同調圧力を発揮し、それに反する自社新聞掲載者との訴訟も行ったそうです。まさしく、県内、県、市町などの運命共同体の、利害の合一と、目的の同一により、「不都合な真実」は口にするな、という、一丸となった暗黙の隠ぺい構造なのです。当該同調を拒否した様々な沖縄在住の表現者たちにも、どのような運命が訪れたかも色々書かれています。
 このような、歴史性、地政学的な経緯を理解できれば、沖縄県知事をはじめ、那覇市長、県内各市町などの一部の首長、土木企業などの民間企業、沖縄在住新聞が、なぜあのような夜郎自大(?)な発言をし、どうも場合によっては、沖縄県民、大多数の県内各市町民などの利害に反するような主張をするのか、また少なからず、国民国家日本の大多数の普通の国民大衆の利害に反する発言ができるのか、よく理解できるところです。

 この辺りは、地元では常識だといわれますが、本土経由の、空疎な、大江健三郎=筑紫哲也視線からは、それが見えないのですね。

 もともと保守派の現在の翁長県知事は、先の基地移転の騒動で、その支持基盤として、「反安保」、「反戦」、「反米」という地元旧社会党、総評系シンパたち(官公労OBなど)の懲りない(ため息をつくような)オールドボルシェヴィキ(沖縄では有力なのかもしれないが、果たして日本全国で、実際のところどれだけ存命なのだろうか。)たちを加え、ますます勢力がましているといいます。

 ただし、この筆者たちも、仕事で沖縄に勤務したとしても、いずれ転勤します。彼らも「本土に転勤できるのならいいわね」という、地元の批判を浴びるかもしれません。しかしながら、どこに居住するにせよ、ジャーナリストとして、目先の組織的・私的利害を離れ、発言すべきことを発言せず、報道すべきことを怠るのは、職務の怠慢や節義の欠如のみならず、人間としての退廃ではないのでしょうか。そして、何より、沖縄に生き、将来も沖縄に生きていかざるを得ない大多数の沖縄県民への背信行為ではないかと思われます。

 私たち普通の国民も、自ら思考し、マスコミや一部バイアスのかかった人々のミスリーディングに抗し、短期的にも長期的にも、多くの国民大衆に被害と不利益を与えかねない、政府、沖縄政庁の不適切な動きを注視し、「それは違う」という態度表明をすべきであろう、と思います。
 このたびも、興味深い本を読ませていただきました。ありがたいことです。

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