身延山、久遠寺、前庭にある山百合(?)です。
私には、安倍氏に対する供花に思えました。
法華経の総本山を訪れるのは久しぶりのことです。
安倍氏の冥福を祈るとともに、わたし自身の社会人として、日本国に対する使命を果たす、お約束を申し述べました。
********************************
安倍晋三氏が、なくなった。
路上で、テロリストに、犬のように撃ち殺された。
私たちは、決して忘れないだろう。令年4年7月8日のことを。
私は、午前11時過ぎに、友人のSNSの画面で見た。デマかもしれないと思った。
NHKを観たが、テロップすらなかなか出ない。
奇妙な静謐が漂う。元首相のテロリストによる、襲撃は、国民にとっては、心配でしょうがないが、NHK(他の放送メディアを含む。)には他人事なのか。そのうち、「事実」の報道だけ始めた。選挙遊説中の、安倍首相らしき人が、路上で襲撃され、血を流し倒れ、病院に運ばれた、という「事実」報道である。
そこには、暴漢に対する怒りも、理不尽な現実に対する悲しみも、国民に対する共感も、何も感じられない、意識してそう振舞っているのか。
これが、公正なメディアなら、そんなものは、私たち日本人に要らない。
死者は便利である。
反論の機会を持たないから、生者の側から好きに言説できる。
それはまた、安倍晋三氏の敵の側からも同様である。いかに有能で、いかに優れた、そして、実は自分の味方であったかと、政治的に、自由に利用できる。昨日までの宿敵が、今日から、つよい味方なのだ。
敵は、本当に惜しい人を亡くした、日本国の将来について、大変残念だ、と、沈痛な顔をして見せればよい、後は、誰かが、勝手に、物語を紡いでくれる。
安倍氏の、享年67歳という報道に、再度衝撃を受けた。
奇しくも、私と同年である。
したがって、安倍氏と共著があり、親しかったであろう、百田尚樹も、同級で、私と同窓(彼は中退したらしいが)である。
彼が、自分のSNSで、ショックと失望、やりきれなさを、嘆いたのはよく理解できる、安倍晋三氏は、政治家として、極めて危険な、厳しい場所を歩いていたのだ。
それがよくわかる、百田直樹は、安倍氏の孤独な戦いと、報われることのなかった厳しい道行きを、やりきれない、と嘆いて見せた。
その、気持ちを私は共有する。https://blog.goo.ne.jp/koheitendo550815/e/9cdbba60d6fc9857625e1f4ca11ce841
「永遠のゼロ」の出版後の講演会に、百田直樹の講演会に、私は参加したことがある。
彼は、復員傷病軍人の、街かどでの、かど付けしている光景について言及していたが、まったく同じ光景を私も見て、当時、ショックを受けている。昭和30年生まれの私にも、戦争が一部で終わっていない、という、それこそ衝撃だった。
彼が言う、三人に一人の割で戦死者が出たのは、まさしく、私たちの父の世代である。
それによって、夫を得られないような割を食ったのは、まさしく私たちの母の世代である。
おまけに、彼らが、運よく帰還した時には、国土は焦土であり、家族は被災し、明日食うものはないという時代だった。
その中で、徒手空拳の中で、奮闘に奮闘を重ね、戦後の平和と繁栄を創出したのは、まさしく、私たちの父の世代である。
私たちは、その事実を誇りに思う。
百田尚樹は、ウクライナとロシアの内戦の認識で、私とは、違う認識に至ってしまった。
それは、残念だが、彼が、その認識を変え、それこそ、シモーヌ・ヴェイユの言う、「いかなる戦争においても、指導者は、最初に、老人、こどもたちのような社会的弱者を、敵の前に差し出す」という、きびしい事実を認識すべきである。
そして、安全な後方から、国民に死ね、という、グローバリストの手先、ゼレンスキーの恥知らずを認識し、NATO、バイデンの戦争操作の図式と、正義を装った、知的迷妄から覚めて欲しい、ものである。
私は、自分でよくわかるが、家に長くいなかった父の代わりに祖父の影響を受けている。
安倍氏も、実父を早く亡くされ、その祖父、岸伸介氏の大きな影響を受けていることは、よくみて取れる。
それにより、60年代の安保延長に依るいうなれば当時の日本国において、歴史的に不可避な道行きに立ちふさがり、敗北したという、つまらない左翼体験を、自らの安いルサンチマン(弱者の怨念)と結びつけ、三代にわたり、岸=安倍路線を攻撃していることである。
しかし、岸氏には、理念があった。
武力によって押し付けられた、進駐軍憲法を、国民憲法に制定し、アメリカ支配体制を、日本人自身による、自主、自立体制を打ち立てることである。
それは、非常に、明確で、当たり前のことだったっが、歴代の政治家たちは手が出せなかった。
そこに、自主憲法の制定という帰結に、敢然として挑んだ、安倍氏の功績は計り知れない。
このたび、安倍晋三氏の死という、事実で、自民党は、参議院選挙に勝利したということだが、必ずしも、真正の保守は、そんなことは望んでいなかった。
昨年9月の自民党の総裁選から、「第二の政治の季節」に出くわした私とすれば、このたびの選挙は、保守とえせ保守とを切り分ける選挙だった。
いわば、自国民の安心安全と、自国の文化伝統を尊重すること、いわばグローバリズムの対極を目指した、安倍元首相、高市早苗総身会長のラインと、えせ保守、岸田文雄首相、茂木幹事長、林芳正外務大臣を切り分ける重要な選挙だった。
非力な私は、自分の貧しいブログで、数度にわたり、参議院議員選挙について、柄にもなく言及し、友人たちの間を回り、意中の候補者に対する政治的な協力を依頼してきた。
まさしく、それは、生まれて初めての経験だった。
この事件は、安倍氏が、我が身を惜しまず、若手の支援に奔走した選挙中のことである。
その、安倍晋三、高市早苗ラインが、理不尽な権力と暴力よってつぶされたのは、まさしく断腸の思いである。熱い夏が、暗い陰惨な夏に思えてきた。
私とすれば、日本国を御するのに、岸田文雄は問題ないが、安倍晋三氏は邪魔になる勢力によって、ケネディ事件以来と思われる深刻なテロが行われたのであろう、と考えるしかない。
安倍氏は、それだけ重要な政治家だったのだ。
私は、先の政権で、安倍氏の政策に全面賛成するわけではない、アベノミクスにも批判軸はある、しかしそれを超える、政治的理念と、国民ファーストという、彼の理念には深く賛同するものである。
無力感にさいなまれつつも、7月9日。前から決まっていた、私自身の信仰のたびに出発した。体調を壊して以来、久しぶりの旅行だったが、毎回苦しむ暑さも、今年は少なく、とても楽な修行の旅だった。
機会があって、私は、若い友人たちと、徹底的に議論した。
国政のこと、コロナのこと、デフレのこと、ウクライナのこと、進駐軍憲法のこと、世界の支廃体制のこと、政治に深く加担する創価学会=公明党のこと、アメリカを中心にしたDSの活動のこと、知らず知らずのうちに、自分が、癒されていくことを感じた。
他者との関係の中で、自分を取り戻すのは、本当に、ありがたいことである。
私は、この体験を生涯忘れまいと思う。
安倍氏の思い出として。
それこそ、安倍氏のおかげだろうか。例年暑さに苦しむ旅が、涼しい風、好天のもとで、楽に旅行ができた。
私にも、目標ができた、どこまで生きられるかはわからないが、安倍氏の求めた大義を、私自身の社会的な目標と重ね、敵対勢力と戦って行こう。
私は、本来、文学や芸術が好きな人間である。しかし、こうなった以上、それだけでは済まない、それこそ、Pick up the torch ( 衣鉢を継ぐ。ともしびを掲げる。 )、を選びたい、私ごときが、大変おこがましい話だが。
末筆ながら、私の推した、参議院議員候補が、ほぼ、全員当選しました。
私の貧しいブログを見て、同感していただいた方には、お礼申し上げます。
大変喜ばしいことです。彼らが約束した、国民憲法の制定、抑止力としての核配備、日本国の富国強兵を図るための原発再会、財務省の意に反する有効な経済政策の実施、消費税の廃止など、覇権国家中国との戦いの確認、いくらもあります。今後もきちんと監視しましょう。
私には、安倍氏に対する供花に思えました。
法華経の総本山を訪れるのは久しぶりのことです。
安倍氏の冥福を祈るとともに、わたし自身の社会人として、日本国に対する使命を果たす、お約束を申し述べました。
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安倍晋三氏が、なくなった。
路上で、テロリストに、犬のように撃ち殺された。
私たちは、決して忘れないだろう。令年4年7月8日のことを。
私は、午前11時過ぎに、友人のSNSの画面で見た。デマかもしれないと思った。
NHKを観たが、テロップすらなかなか出ない。
奇妙な静謐が漂う。元首相のテロリストによる、襲撃は、国民にとっては、心配でしょうがないが、NHK(他の放送メディアを含む。)には他人事なのか。そのうち、「事実」の報道だけ始めた。選挙遊説中の、安倍首相らしき人が、路上で襲撃され、血を流し倒れ、病院に運ばれた、という「事実」報道である。
そこには、暴漢に対する怒りも、理不尽な現実に対する悲しみも、国民に対する共感も、何も感じられない、意識してそう振舞っているのか。
これが、公正なメディアなら、そんなものは、私たち日本人に要らない。
死者は便利である。
反論の機会を持たないから、生者の側から好きに言説できる。
それはまた、安倍晋三氏の敵の側からも同様である。いかに有能で、いかに優れた、そして、実は自分の味方であったかと、政治的に、自由に利用できる。昨日までの宿敵が、今日から、つよい味方なのだ。
敵は、本当に惜しい人を亡くした、日本国の将来について、大変残念だ、と、沈痛な顔をして見せればよい、後は、誰かが、勝手に、物語を紡いでくれる。
安倍氏の、享年67歳という報道に、再度衝撃を受けた。
奇しくも、私と同年である。
したがって、安倍氏と共著があり、親しかったであろう、百田尚樹も、同級で、私と同窓(彼は中退したらしいが)である。
彼が、自分のSNSで、ショックと失望、やりきれなさを、嘆いたのはよく理解できる、安倍晋三氏は、政治家として、極めて危険な、厳しい場所を歩いていたのだ。
それがよくわかる、百田直樹は、安倍氏の孤独な戦いと、報われることのなかった厳しい道行きを、やりきれない、と嘆いて見せた。
その、気持ちを私は共有する。https://blog.goo.ne.jp/koheitendo550815/e/9cdbba60d6fc9857625e1f4ca11ce841
「永遠のゼロ」の出版後の講演会に、百田直樹の講演会に、私は参加したことがある。
彼は、復員傷病軍人の、街かどでの、かど付けしている光景について言及していたが、まったく同じ光景を私も見て、当時、ショックを受けている。昭和30年生まれの私にも、戦争が一部で終わっていない、という、それこそ衝撃だった。
彼が言う、三人に一人の割で戦死者が出たのは、まさしく、私たちの父の世代である。
それによって、夫を得られないような割を食ったのは、まさしく私たちの母の世代である。
おまけに、彼らが、運よく帰還した時には、国土は焦土であり、家族は被災し、明日食うものはないという時代だった。
その中で、徒手空拳の中で、奮闘に奮闘を重ね、戦後の平和と繁栄を創出したのは、まさしく、私たちの父の世代である。
私たちは、その事実を誇りに思う。
百田尚樹は、ウクライナとロシアの内戦の認識で、私とは、違う認識に至ってしまった。
それは、残念だが、彼が、その認識を変え、それこそ、シモーヌ・ヴェイユの言う、「いかなる戦争においても、指導者は、最初に、老人、こどもたちのような社会的弱者を、敵の前に差し出す」という、きびしい事実を認識すべきである。
そして、安全な後方から、国民に死ね、という、グローバリストの手先、ゼレンスキーの恥知らずを認識し、NATO、バイデンの戦争操作の図式と、正義を装った、知的迷妄から覚めて欲しい、ものである。
私は、自分でよくわかるが、家に長くいなかった父の代わりに祖父の影響を受けている。
安倍氏も、実父を早く亡くされ、その祖父、岸伸介氏の大きな影響を受けていることは、よくみて取れる。
それにより、60年代の安保延長に依るいうなれば当時の日本国において、歴史的に不可避な道行きに立ちふさがり、敗北したという、つまらない左翼体験を、自らの安いルサンチマン(弱者の怨念)と結びつけ、三代にわたり、岸=安倍路線を攻撃していることである。
しかし、岸氏には、理念があった。
武力によって押し付けられた、進駐軍憲法を、国民憲法に制定し、アメリカ支配体制を、日本人自身による、自主、自立体制を打ち立てることである。
それは、非常に、明確で、当たり前のことだったっが、歴代の政治家たちは手が出せなかった。
そこに、自主憲法の制定という帰結に、敢然として挑んだ、安倍氏の功績は計り知れない。
このたび、安倍晋三氏の死という、事実で、自民党は、参議院選挙に勝利したということだが、必ずしも、真正の保守は、そんなことは望んでいなかった。
昨年9月の自民党の総裁選から、「第二の政治の季節」に出くわした私とすれば、このたびの選挙は、保守とえせ保守とを切り分ける選挙だった。
いわば、自国民の安心安全と、自国の文化伝統を尊重すること、いわばグローバリズムの対極を目指した、安倍元首相、高市早苗総身会長のラインと、えせ保守、岸田文雄首相、茂木幹事長、林芳正外務大臣を切り分ける重要な選挙だった。
非力な私は、自分の貧しいブログで、数度にわたり、参議院議員選挙について、柄にもなく言及し、友人たちの間を回り、意中の候補者に対する政治的な協力を依頼してきた。
まさしく、それは、生まれて初めての経験だった。
この事件は、安倍氏が、我が身を惜しまず、若手の支援に奔走した選挙中のことである。
その、安倍晋三、高市早苗ラインが、理不尽な権力と暴力よってつぶされたのは、まさしく断腸の思いである。熱い夏が、暗い陰惨な夏に思えてきた。
私とすれば、日本国を御するのに、岸田文雄は問題ないが、安倍晋三氏は邪魔になる勢力によって、ケネディ事件以来と思われる深刻なテロが行われたのであろう、と考えるしかない。
安倍氏は、それだけ重要な政治家だったのだ。
私は、先の政権で、安倍氏の政策に全面賛成するわけではない、アベノミクスにも批判軸はある、しかしそれを超える、政治的理念と、国民ファーストという、彼の理念には深く賛同するものである。
無力感にさいなまれつつも、7月9日。前から決まっていた、私自身の信仰のたびに出発した。体調を壊して以来、久しぶりの旅行だったが、毎回苦しむ暑さも、今年は少なく、とても楽な修行の旅だった。
機会があって、私は、若い友人たちと、徹底的に議論した。
国政のこと、コロナのこと、デフレのこと、ウクライナのこと、進駐軍憲法のこと、世界の支廃体制のこと、政治に深く加担する創価学会=公明党のこと、アメリカを中心にしたDSの活動のこと、知らず知らずのうちに、自分が、癒されていくことを感じた。
他者との関係の中で、自分を取り戻すのは、本当に、ありがたいことである。
私は、この体験を生涯忘れまいと思う。
安倍氏の思い出として。
それこそ、安倍氏のおかげだろうか。例年暑さに苦しむ旅が、涼しい風、好天のもとで、楽に旅行ができた。
私にも、目標ができた、どこまで生きられるかはわからないが、安倍氏の求めた大義を、私自身の社会的な目標と重ね、敵対勢力と戦って行こう。
私は、本来、文学や芸術が好きな人間である。しかし、こうなった以上、それだけでは済まない、それこそ、Pick up the torch ( 衣鉢を継ぐ。ともしびを掲げる。 )、を選びたい、私ごときが、大変おこがましい話だが。
末筆ながら、私の推した、参議院議員候補が、ほぼ、全員当選しました。
私の貧しいブログを見て、同感していただいた方には、お礼申し上げます。
大変喜ばしいことです。彼らが約束した、国民憲法の制定、抑止力としての核配備、日本国の富国強兵を図るための原発再会、財務省の意に反する有効な経済政策の実施、消費税の廃止など、覇権国家中国との戦いの確認、いくらもあります。今後もきちんと監視しましょう。