沖縄・石垣島へ行ってきました・・・その1
沖縄・竹富島へ行ってきました・・・その2 の続きです。
今も続く高知の旧日本兵(大石隊)と竹富島の住民の交流
竹富島に、日本最南端のお寺、喜宝院(きほういん)があり、
そこに蒐集館(しゅうしゅうかん)という民族資料館があるので観ていこうと案内されました。
入り口で館長の上勢頭芳徳(うえせどよしのり)さんに「どちらからお越しになりましたか?」と尋ねられましたので、「高知からです!」と答えると
突然、嬉しくてたまらないと言う表情で、話し出しました。
「私は高知には何度もお伺いしています・・・」と、戦争末期、竹富島に来た高知の大石隊長ほか200名の陸軍兵士と竹富島住民との、当時では考えられないまれに見る、心温まる生活があり、その後沖縄が本土に復帰してから始まった交流が、今なお続いているとのこと。
喜宝院の境内にある、病気や事故で亡くなった9人の大石隊戦没者の慰霊の塔へ案内されました。
住民が日本兵の慰霊の塔を建立したり、慰霊祭をしたりすることは、他に例を見ないことだとか・・・
全員で合掌した後、館内を見物させていただきました。
竹富島で使用された約4000点の資料が展示されており、沖縄県第一号として、国の登録有形民族文化財に指定されているようです。
人頭税関係、染織、儀礼用具等、特に研究者の来館も多いワラサン(結縄)や"町並み"保存の資料も残されています。
お話を聞く中で、慰霊の塔の建立から民俗資料の収集保存など、先代の喜宝院院主・上勢頭亨さんの「うつぐみ」(心をひとつにして力をあわせるという意味)の強さと先見性を感じました。
院主・上勢頭亨さんの没後、喜宝院を継いだ一人娘の現院主・上勢頭同子(うえせどともこ)さん、高知との交流や地元の子どもたちの"心の先生"(その1で記した「大塚勝久写真集」に紹介されています)など実に幅広く活躍されていることを、婿たちが教えてくれました。
高知に帰ってから、
館長の上勢頭芳徳さんに教えていただいた「高知竹富会」の事務局(高知市上街2-2-3 ㈱鍛造連内TEL088-822-2470)に連絡を取り、長年事務局を担当されている六久保衣佐さんにお話を聞くことが出来ました。
そのとき、「うつぐみは時を越えてー沖縄・竹富島と高知の絆ー」という本をいただきました。
この本は、鍋島寿美枝さん(高知市生まれ、高知大学教育学部終了後、小学校教員として28年間勤務、第一回大原富枝賞受賞、日本児童文芸家協会会員)が、友人に誘われて竹富島に旅行した時、これらの話を聞いて感動して、書かれたものでした。
鍋島寿美枝さんは、この本の巻末に「小さな竹富島にかかわって三年。この間に私の人生はずいぶん広がりました。多くの魅力的な方々に出会いました。」と記されています。
挿絵は八百川久須子(やおかわ)さん(高知市生まれ、高知師範学校卒業、小学校教員として35年間勤務、高知県美術家協会会員)が担当されています。
子どもにも読んでもらうために、実にやさしく表現されており、一気に読ませていただき、
戦争末期の厳しい状況下でも、先にたつ人の考え方や行動によってこんなにも違いが出るものかと、痛感させられました。
もう直ぐ99歳になられるという大石喬さん(大石隊長)たちと住民の取り組みなどは、国の指導者の政治姿勢や経済的にも厳しい状況下にある高知県で、どのようにして活性化を図るのか!ヒントになるのではないかと思われました。
沖縄・高知・東京を結ぶ うつぐみの会事務局を担当されている六久保衣佐さん、長時間に渡り丁寧にお話をしてくださいました。
その中に、"竹富島には不登校の子どもは一人も居りません。島の全員が子どもにとっては先生ですから・・・歌や踊り、マナーなど教えます。高知の不登校の子どもなら全員引き受けますから、竹富島へよこして下さい。"といった話も出されましたと紹介されました。
HN: 龍馬
沖縄・竹富島へ行ってきました・・・その2 の続きです。
今も続く高知の旧日本兵(大石隊)と竹富島の住民の交流
竹富島に、日本最南端のお寺、喜宝院(きほういん)があり、
そこに蒐集館(しゅうしゅうかん)という民族資料館があるので観ていこうと案内されました。
入り口で館長の上勢頭芳徳(うえせどよしのり)さんに「どちらからお越しになりましたか?」と尋ねられましたので、「高知からです!」と答えると
突然、嬉しくてたまらないと言う表情で、話し出しました。
「私は高知には何度もお伺いしています・・・」と、戦争末期、竹富島に来た高知の大石隊長ほか200名の陸軍兵士と竹富島住民との、当時では考えられないまれに見る、心温まる生活があり、その後沖縄が本土に復帰してから始まった交流が、今なお続いているとのこと。
喜宝院の境内にある、病気や事故で亡くなった9人の大石隊戦没者の慰霊の塔へ案内されました。
住民が日本兵の慰霊の塔を建立したり、慰霊祭をしたりすることは、他に例を見ないことだとか・・・
全員で合掌した後、館内を見物させていただきました。
竹富島で使用された約4000点の資料が展示されており、沖縄県第一号として、国の登録有形民族文化財に指定されているようです。
人頭税関係、染織、儀礼用具等、特に研究者の来館も多いワラサン(結縄)や"町並み"保存の資料も残されています。
お話を聞く中で、慰霊の塔の建立から民俗資料の収集保存など、先代の喜宝院院主・上勢頭亨さんの「うつぐみ」(心をひとつにして力をあわせるという意味)の強さと先見性を感じました。
院主・上勢頭亨さんの没後、喜宝院を継いだ一人娘の現院主・上勢頭同子(うえせどともこ)さん、高知との交流や地元の子どもたちの"心の先生"(その1で記した「大塚勝久写真集」に紹介されています)など実に幅広く活躍されていることを、婿たちが教えてくれました。
高知に帰ってから、
館長の上勢頭芳徳さんに教えていただいた「高知竹富会」の事務局(高知市上街2-2-3 ㈱鍛造連内TEL088-822-2470)に連絡を取り、長年事務局を担当されている六久保衣佐さんにお話を聞くことが出来ました。
そのとき、「うつぐみは時を越えてー沖縄・竹富島と高知の絆ー」という本をいただきました。
この本は、鍋島寿美枝さん(高知市生まれ、高知大学教育学部終了後、小学校教員として28年間勤務、第一回大原富枝賞受賞、日本児童文芸家協会会員)が、友人に誘われて竹富島に旅行した時、これらの話を聞いて感動して、書かれたものでした。
鍋島寿美枝さんは、この本の巻末に「小さな竹富島にかかわって三年。この間に私の人生はずいぶん広がりました。多くの魅力的な方々に出会いました。」と記されています。
挿絵は八百川久須子(やおかわ)さん(高知市生まれ、高知師範学校卒業、小学校教員として35年間勤務、高知県美術家協会会員)が担当されています。
子どもにも読んでもらうために、実にやさしく表現されており、一気に読ませていただき、
戦争末期の厳しい状況下でも、先にたつ人の考え方や行動によってこんなにも違いが出るものかと、痛感させられました。
もう直ぐ99歳になられるという大石喬さん(大石隊長)たちと住民の取り組みなどは、国の指導者の政治姿勢や経済的にも厳しい状況下にある高知県で、どのようにして活性化を図るのか!ヒントになるのではないかと思われました。
沖縄・高知・東京を結ぶ うつぐみの会事務局を担当されている六久保衣佐さん、長時間に渡り丁寧にお話をしてくださいました。
その中に、"竹富島には不登校の子どもは一人も居りません。島の全員が子どもにとっては先生ですから・・・歌や踊り、マナーなど教えます。高知の不登校の子どもなら全員引き受けますから、竹富島へよこして下さい。"といった話も出されましたと紹介されました。
HN: 龍馬
沖縄・石垣島へ行ってきました・・・その1の続きです。
竹富島の町並み保存と持続可能な観光スタイル!
竹富島は、石垣島から6キロのところ。
観光客を乗せた複数の会社の高速艇が1時間おきくらいに運行されているようでした。
それだけ観光客が多いようです。
竹富島は、珊瑚礁で出来た平べったいお盆のような島で、山も川もなく、直径は約3キロ、周囲わずか9.2キロ。
赤山公園の丘の上に立つ展望台(なごみの塔)の高さが24mあり、島の最高地点とか。
平均気温24度、平均雨量2400ミリ。
世帯数169戸、人口345人(今年4月比4人増)、民宿・旅館13軒、土産品店9軒、食堂・喫茶9軒
島全体が国立公園、集落部分が"町並み"保存地区。
120以上の舞踊・狂言、300以上の歌謡伝承、種子取祭には二日間で約80点もの芸能を奉納すると言う芸能の島。
天然素材を植物染料で手染めして、手織りするミンサー・芭蕉布・麻布など民芸の島。
345人中65歳以上は92人、いたって健康・元気という長寿の島。
古い沖縄の良さを一番残していると言われる竹富島です。
島に着くと、港には観光客送迎用のミニバスが何台か待ち構えており、予約をしていない人も自由に選んでおり、私たちは婿たちの知り合いのバスに乗車。
まず30分の「水牛車観光」(一人1、200円)に出かけました。
10メートルくらい(20人乗り?)の荷台車を大きな角の水牛がゆっくりと引いていくのです。
水牛は、町並みの狭い四つ角もロングボディの荷台車を塀にこすらないように、実に上手に回っていきます。私たちの運転よりはるかにうまいねーと話していました。
のんびりと動く水牛と、たずなをもつ案内人のおじさんの呼吸はぴったり。
その案内人のおじさんは、現場を見せながら町並み保存の取り組みを説明するので、臨場感があります。
"町並み"保存地区では、屋根は赤瓦以外はダメ、サンゴの白い砂を敷き詰めた道以外はダメ、もちろん舗装はダメ、塀もコンクリートはダメでサンゴの小石を積み重ねたもの。
サンゴで出来た島なので材料は沢山あり、昔からやってきた風に強い家づくりとか。
防風・防火対策に、フク木・ガジュマルなどの亜熱帯植物を庭に植えています。
婿は、昔から"福木の花が咲いたらフエフキダイが釣れる"と言われている、と話していました。
塀の周りには、真っ赤なハイビスカス、年中咲き乱れるブーゲンビリア、パパイヤなど。
案内人のおじさんは、屋根で大口を開けて目玉をむいで力んでいる魔除けのシーサー(唐獅子)、役人が見初めたとクヤマと言う娘さんの話など巧みに語ります。
そして、三線(さんしん)片手に荷台車の天井に歌詞が手書きされている竹富民謡「安里屋(あさどや)ユンタ」を歌います。
実に調子が良いので「サーユイユイ」の合いの手が、観光客から自然に出てきて、見知らぬ同士が盛り上がります。
降りるときには、一人1、200円(送迎付き)の乗車料金満足で、又乗りたいと思いました。
二台の水牛車は、水牛を入れ替えて、またお客さんを乗せてゆっくりと出て行きました。
休憩がてら立ち寄った民宿をやっている喫茶店では、年配の人懐こいおばあさんが話し相手で、もっと話して居たいなと思い、泊まるのだったらここにしたいと思いながら店を出ました。
話では、一泊2食付で5,200円、組合ではそのうちに値上げをすることを話しているとか。
3泊4日で、のんびりと滞在していくして人が多いですよ!と話していました。
私たちも1日ではもったいないと思いながら、あちこち急ぎ足で回りました。
滞在するとなれば、国立公園でキャンプは禁止の島ですから、民宿・旅館に泊まります。でもこの値段なら滞在しやすいと思いました。
夕方私たちが竹富島を後にするとき、2艇の高速艇からはかなりの人が降りてきました。
食堂・喫茶も沖縄そばなど種類も豊富で、"よその釜の飯は美味い"だけでなく、しかも安いと思いました。
サンゴの白い砂を敷き詰めた道は、住んでいる人が毎朝掃いているとか。あちこちにほうき目が残っていました。
お金をかけるのではなく、あるものを保存し受け継ぐ(町並みや文化・芸能を守る竹富町民憲章)、また訪れた人と人との心の交流(絆)が、持続可能な観光資源となり、
地元にある食材を活かしたオリジナル料理は安くておいしく、手頃な料金は長期滞在を生みやすく、のんびりとした交流が絆となりリピーター作りの条件ともなるのでは・・・
"癒しの時代"注目度は一層高まるのではないかと思いました。
高知にも、おいしい料理やおもてなしの心があり、よさこい踊り、優れた歴史上の偉人や文化が沢山あります。
高知らしい"持続可能な観光スタイル"をみんなで紡いで行けたら良いなーと思いました。
次回は、今でも交流の続く高知の旧日本兵(大石隊)と竹富島の住民の話です。
HN: 龍馬
竹富島の町並み保存と持続可能な観光スタイル!
竹富島は、石垣島から6キロのところ。
観光客を乗せた複数の会社の高速艇が1時間おきくらいに運行されているようでした。
それだけ観光客が多いようです。
竹富島は、珊瑚礁で出来た平べったいお盆のような島で、山も川もなく、直径は約3キロ、周囲わずか9.2キロ。
赤山公園の丘の上に立つ展望台(なごみの塔)の高さが24mあり、島の最高地点とか。
平均気温24度、平均雨量2400ミリ。
世帯数169戸、人口345人(今年4月比4人増)、民宿・旅館13軒、土産品店9軒、食堂・喫茶9軒
島全体が国立公園、集落部分が"町並み"保存地区。
120以上の舞踊・狂言、300以上の歌謡伝承、種子取祭には二日間で約80点もの芸能を奉納すると言う芸能の島。
天然素材を植物染料で手染めして、手織りするミンサー・芭蕉布・麻布など民芸の島。
345人中65歳以上は92人、いたって健康・元気という長寿の島。
古い沖縄の良さを一番残していると言われる竹富島です。
島に着くと、港には観光客送迎用のミニバスが何台か待ち構えており、予約をしていない人も自由に選んでおり、私たちは婿たちの知り合いのバスに乗車。
まず30分の「水牛車観光」(一人1、200円)に出かけました。
10メートルくらい(20人乗り?)の荷台車を大きな角の水牛がゆっくりと引いていくのです。
水牛は、町並みの狭い四つ角もロングボディの荷台車を塀にこすらないように、実に上手に回っていきます。私たちの運転よりはるかにうまいねーと話していました。
のんびりと動く水牛と、たずなをもつ案内人のおじさんの呼吸はぴったり。
その案内人のおじさんは、現場を見せながら町並み保存の取り組みを説明するので、臨場感があります。
"町並み"保存地区では、屋根は赤瓦以外はダメ、サンゴの白い砂を敷き詰めた道以外はダメ、もちろん舗装はダメ、塀もコンクリートはダメでサンゴの小石を積み重ねたもの。
サンゴで出来た島なので材料は沢山あり、昔からやってきた風に強い家づくりとか。
防風・防火対策に、フク木・ガジュマルなどの亜熱帯植物を庭に植えています。
婿は、昔から"福木の花が咲いたらフエフキダイが釣れる"と言われている、と話していました。
塀の周りには、真っ赤なハイビスカス、年中咲き乱れるブーゲンビリア、パパイヤなど。
案内人のおじさんは、屋根で大口を開けて目玉をむいで力んでいる魔除けのシーサー(唐獅子)、役人が見初めたとクヤマと言う娘さんの話など巧みに語ります。
そして、三線(さんしん)片手に荷台車の天井に歌詞が手書きされている竹富民謡「安里屋(あさどや)ユンタ」を歌います。
実に調子が良いので「サーユイユイ」の合いの手が、観光客から自然に出てきて、見知らぬ同士が盛り上がります。
降りるときには、一人1、200円(送迎付き)の乗車料金満足で、又乗りたいと思いました。
二台の水牛車は、水牛を入れ替えて、またお客さんを乗せてゆっくりと出て行きました。
休憩がてら立ち寄った民宿をやっている喫茶店では、年配の人懐こいおばあさんが話し相手で、もっと話して居たいなと思い、泊まるのだったらここにしたいと思いながら店を出ました。
話では、一泊2食付で5,200円、組合ではそのうちに値上げをすることを話しているとか。
3泊4日で、のんびりと滞在していくして人が多いですよ!と話していました。
私たちも1日ではもったいないと思いながら、あちこち急ぎ足で回りました。
滞在するとなれば、国立公園でキャンプは禁止の島ですから、民宿・旅館に泊まります。でもこの値段なら滞在しやすいと思いました。
夕方私たちが竹富島を後にするとき、2艇の高速艇からはかなりの人が降りてきました。
食堂・喫茶も沖縄そばなど種類も豊富で、"よその釜の飯は美味い"だけでなく、しかも安いと思いました。
サンゴの白い砂を敷き詰めた道は、住んでいる人が毎朝掃いているとか。あちこちにほうき目が残っていました。
お金をかけるのではなく、あるものを保存し受け継ぐ(町並みや文化・芸能を守る竹富町民憲章)、また訪れた人と人との心の交流(絆)が、持続可能な観光資源となり、
地元にある食材を活かしたオリジナル料理は安くておいしく、手頃な料金は長期滞在を生みやすく、のんびりとした交流が絆となりリピーター作りの条件ともなるのでは・・・
"癒しの時代"注目度は一層高まるのではないかと思いました。
高知にも、おいしい料理やおもてなしの心があり、よさこい踊り、優れた歴史上の偉人や文化が沢山あります。
高知らしい"持続可能な観光スタイル"をみんなで紡いで行けたら良いなーと思いました。
次回は、今でも交流の続く高知の旧日本兵(大石隊)と竹富島の住民の話です。
HN: 龍馬
先日、妻と3泊4日で沖縄・石垣島へ行ってきました。
来年1月に高知からの直行便がなくなることもあり、石垣島に居る孫たちの顔を見に行くことにしたのです。
沖縄・那覇空港で乗り継ぎに1時間ほど時間があり、
かって同じ職場で仕事をした、高知の出身で東京でジャーナリストをしていて、
3年前に退職し、沖縄に住み着いているSさんご夫婦と空港内で会うことができました。
高知では趣味でトロンボーンを吹いていましたが、今は三線引きながら歌を歌って老人施設などにボランティアで行っているとのこと・・・
県民所得最下位で人口が増えている沖縄!
私は、県民所得最下位の沖縄(199万円)と下から二番目の高知県(215万円)だが、高知は人口が減っているのに、沖縄だけは増え続けている。
どこに違いがあるのかを調べて、高知の活性化の参考にしたいのでまた力を貸してくださいとお願いして別れました。
那覇空港から石垣空港の飛行機は満席でした。
婿が料理長をしているホテルで3泊し、休暇をとって家族全員が案内してくれました。
町並み保存で観光客が沢山来ている竹富島!
前に来たときは、西表島などを案内してもらっていたので、今回の狙いは町並み保存で観光客が沢山来ている竹富島でした。
竹富島は、石垣島から高速艇で10分ぐらい。この町並みの赤瓦の屋根が有名ですが、婿のお父さんが「しっくい職人」として、保存会の依頼を受けて仕事をしてきたそうです。
73歳になり屋根に上るのが危険になり、1昨年引退したそうですが、シーサーは時々造っているとか・・・
屋根の上に魔除けとして置かれているシーサーも、お父さんの作品が沢山あり、婿はその特徴からあちこちで私たちに紹介してくれました。
昼食で入ったレストランで、店内に置かれていた 「うつぐみの竹富島」大塚勝久写真集(琉球新報社発行)を漠然と観ていたら、婿がお父さんが載っている!とびっくりしていました。
新聞には載ったけど知らなかったと、発見を喜んでおり、私も1冊買って帰りました。
次回は、竹富島の町並み保存と地元にお金が落ちる仕掛け!と今でも交流の続く高知の旧日本兵(大石隊)と住民の話です。
HN: 龍馬
来年1月に高知からの直行便がなくなることもあり、石垣島に居る孫たちの顔を見に行くことにしたのです。
沖縄・那覇空港で乗り継ぎに1時間ほど時間があり、
かって同じ職場で仕事をした、高知の出身で東京でジャーナリストをしていて、
3年前に退職し、沖縄に住み着いているSさんご夫婦と空港内で会うことができました。
高知では趣味でトロンボーンを吹いていましたが、今は三線引きながら歌を歌って老人施設などにボランティアで行っているとのこと・・・
県民所得最下位で人口が増えている沖縄!
私は、県民所得最下位の沖縄(199万円)と下から二番目の高知県(215万円)だが、高知は人口が減っているのに、沖縄だけは増え続けている。
どこに違いがあるのかを調べて、高知の活性化の参考にしたいのでまた力を貸してくださいとお願いして別れました。
那覇空港から石垣空港の飛行機は満席でした。
婿が料理長をしているホテルで3泊し、休暇をとって家族全員が案内してくれました。
町並み保存で観光客が沢山来ている竹富島!
前に来たときは、西表島などを案内してもらっていたので、今回の狙いは町並み保存で観光客が沢山来ている竹富島でした。
竹富島は、石垣島から高速艇で10分ぐらい。この町並みの赤瓦の屋根が有名ですが、婿のお父さんが「しっくい職人」として、保存会の依頼を受けて仕事をしてきたそうです。
73歳になり屋根に上るのが危険になり、1昨年引退したそうですが、シーサーは時々造っているとか・・・
屋根の上に魔除けとして置かれているシーサーも、お父さんの作品が沢山あり、婿はその特徴からあちこちで私たちに紹介してくれました。
昼食で入ったレストランで、店内に置かれていた 「うつぐみの竹富島」大塚勝久写真集(琉球新報社発行)を漠然と観ていたら、婿がお父さんが載っている!とびっくりしていました。
新聞には載ったけど知らなかったと、発見を喜んでおり、私も1冊買って帰りました。
次回は、竹富島の町並み保存と地元にお金が落ちる仕掛け!と今でも交流の続く高知の旧日本兵(大石隊)と住民の話です。
HN: 龍馬
11/23 長宗我部顕彰会の役員で、ツアーのお世話をされているMさんにメールをいただき、長宗我部供養祭に初めて参加させてもらいました。
メールには
全国から高知へ21名の若者ファンが集まってきます。彼らと歴史交流はいかがですか?
中には東京で長宗我部の演劇をしたメンバー5人も参加です。来年再演予定ですね。
できれば高知で公演したいという夢を持っています。
とありました。
今、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み返している私には、幕末に土佐藩を脱藩して活躍した浪士のほとんどが、関が原で負けて250余年虐げられてきた長宗我部の家臣の家系であったことに関心を持っていました。
11時30分、浦戸城跡(国民宿舎「桂浜荘」前)に集合。
若いしかも女性が多いのにびっくり!
浦戸城跡の説明を地元、御畳瀬の瀬戸鉄男さん(長宗我部顕彰会副会長)がされましたが、メモや写真を撮りながら熱心に聴いていました。
何でこんなに若い人が・・・と聞くと、戦国武将のゲームや小説で知りました。「私は信親が好きです」と言った返事が返ってきました。
インターネットで情報交換をしている長宗我部ファンのメンバーが170人くらいいて、長宗我部の大河ドラマ化などを目指していることも、「長宗我部最高委員会」の総大将・千葉県のHさんとの名刺交換で知りました。
地元高知からも20人を越える人が参加していました。
長宗我部供養祭では、若宮八幡宮の宮司さんが「若い人がこんなに沢山参加されたのは初めてです」と話されていました。
信親公墓所、元親公墓所の参拝など地元に居ながら初めてでした。
地元にも若い人を含め熱心な方がおられることを知りました。
長宗我部顕彰会の役員で、ツアーのお世話をされているMさんに、「長宗我部ファンクラブ」をつくりませんか?と呼びかけられました。
呼びかけを受けて
高知の偉人であり、すばらしい文化遺産でもある長宗我部一族の活躍した史跡などを顕彰し、後世に引き継ぐとともに情報を共有することを通して、全国に長宗我部ファンを増やすことを目的としてIT版「長宗我部ファンクラブ」をつくる取り組みを始めました。
現在頑張っておられる長宗我部顕彰会をはじめ、長宗我部に関係する団体や個人をIT版で応援団出来たら良いなと思っています。
「長宗我部ファンクラブ」づくりに力を貸していただける方、こちらにご連絡ください! E-mail: tukasa1@ir.alptec.net
HN: コウチャン
メールには
全国から高知へ21名の若者ファンが集まってきます。彼らと歴史交流はいかがですか?
中には東京で長宗我部の演劇をしたメンバー5人も参加です。来年再演予定ですね。
できれば高知で公演したいという夢を持っています。
とありました。
今、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み返している私には、幕末に土佐藩を脱藩して活躍した浪士のほとんどが、関が原で負けて250余年虐げられてきた長宗我部の家臣の家系であったことに関心を持っていました。
11時30分、浦戸城跡(国民宿舎「桂浜荘」前)に集合。
若いしかも女性が多いのにびっくり!
浦戸城跡の説明を地元、御畳瀬の瀬戸鉄男さん(長宗我部顕彰会副会長)がされましたが、メモや写真を撮りながら熱心に聴いていました。
何でこんなに若い人が・・・と聞くと、戦国武将のゲームや小説で知りました。「私は信親が好きです」と言った返事が返ってきました。
インターネットで情報交換をしている長宗我部ファンのメンバーが170人くらいいて、長宗我部の大河ドラマ化などを目指していることも、「長宗我部最高委員会」の総大将・千葉県のHさんとの名刺交換で知りました。
地元高知からも20人を越える人が参加していました。
長宗我部供養祭では、若宮八幡宮の宮司さんが「若い人がこんなに沢山参加されたのは初めてです」と話されていました。
信親公墓所、元親公墓所の参拝など地元に居ながら初めてでした。
地元にも若い人を含め熱心な方がおられることを知りました。
長宗我部顕彰会の役員で、ツアーのお世話をされているMさんに、「長宗我部ファンクラブ」をつくりませんか?と呼びかけられました。
呼びかけを受けて
高知の偉人であり、すばらしい文化遺産でもある長宗我部一族の活躍した史跡などを顕彰し、後世に引き継ぐとともに情報を共有することを通して、全国に長宗我部ファンを増やすことを目的としてIT版「長宗我部ファンクラブ」をつくる取り組みを始めました。
現在頑張っておられる長宗我部顕彰会をはじめ、長宗我部に関係する団体や個人をIT版で応援団出来たら良いなと思っています。
「長宗我部ファンクラブ」づくりに力を貸していただける方、こちらにご連絡ください! E-mail: tukasa1@ir.alptec.net
HN: コウチャン
平成8年10月15日に「森ときのこを愛する会」としてきのこ会が発足しました。当初はアマチュア無線仲間の十数名の予定でしたが、事前に行った小檜曽山でのキノコ狩りの様子が高知新聞に掲載されたため読者の参加者も加わり、いきなり約40名の大所帯での船出となりました。
いきさつは、二十数年前高知県では野生キノコに手を出す人はほとんどいなかったので、今から始めたらきっと独壇場だろう、よし独り占めにしてやろうとよこしまな発想がきっかけでした。図鑑を丸暗記してこれで完璧と決め込み、採って来たキノコを図鑑とにらめっこで絵合わせするのですが、これがさっぱり分からない。遅々として進まない知識にやきもきしながらも、ひとつ、またひとつと覚えていき食用なら当然ながら試食するのですが、なにしろうろ覚えでおっかなびっくりの試食は旨いどころか、翌日無事に目覚めるだろうかの心配が先にたち味見どころの騒ぎではないのです。
こんな調子だから失敗談をひとつ・・・始めて間もない頃、筒上山の登山道で見つけたキノコをタマウラベニタケと同定して仲間3人で油炒めにして食べた。食後2時間くらいしてから、暑くもないのに首や脇の下にやたら汗をかき、唾がでる。あとの2人も同じ症状という、これはてっきりキノコ中毒と分かったが手の打ちようがない、これと言った処置もしなかったが10時間くらいで何とか治まり事なきを得ました。少し知識がついてきてから考えると、多分ムスカリンという自律神経に作用する毒成分のキノコだったと思われます。以来、約200種類くらいのキノコを食べましたが、これが教訓となったのか幸い中毒はこの一度だけでした。
爾来、当初の目的とは裏腹に「きのこ会」を作ってみたらどうだろうの思いが芽生え、やがて機は熟して会が誕生しました。当初、仲間とのキノコ狩りはブナ林ばかりで、自分で採取した野趣溢れるキノコ鍋は不安も適度な香辛料になるのか、テンションが上がって誰しも「おいしい」の連発でした。
喜色満面のイベントも回を重ねるとあるパターンが見えてきます。マンネリと高齢化です。絶品キノコ鍋もやがてマンネリ、わずか12年でも40~50代には「されど12年」なのです。かくいう僕も還暦を過ぎました。
今、当会は中四国、九州を含め9県の「西日本きのこ同好会」に参加しています。毎年持ち回りで交流会を開催しています。他県は大変キノコの研究に熱心ですが、さすがの高知は「お酒」の研究?に熱心です。きのこ会が存続するには会員の特色が反映されるのも一法かと、登山会と寒ラン会もできました。
年間行事は、観察会5回、定例会6回、きのこ祭り、春山登山、花登山、キャンプ、会報発行(現在32号)、など多分野に亘っています。会員は約70名(男女の比率7:3)、年会費は一家族3000円です。詳細は「森ときのこを愛する会」で検索して下さい。
森ときのこを愛する会 会長 島崎俊弘
いきさつは、二十数年前高知県では野生キノコに手を出す人はほとんどいなかったので、今から始めたらきっと独壇場だろう、よし独り占めにしてやろうとよこしまな発想がきっかけでした。図鑑を丸暗記してこれで完璧と決め込み、採って来たキノコを図鑑とにらめっこで絵合わせするのですが、これがさっぱり分からない。遅々として進まない知識にやきもきしながらも、ひとつ、またひとつと覚えていき食用なら当然ながら試食するのですが、なにしろうろ覚えでおっかなびっくりの試食は旨いどころか、翌日無事に目覚めるだろうかの心配が先にたち味見どころの騒ぎではないのです。
こんな調子だから失敗談をひとつ・・・始めて間もない頃、筒上山の登山道で見つけたキノコをタマウラベニタケと同定して仲間3人で油炒めにして食べた。食後2時間くらいしてから、暑くもないのに首や脇の下にやたら汗をかき、唾がでる。あとの2人も同じ症状という、これはてっきりキノコ中毒と分かったが手の打ちようがない、これと言った処置もしなかったが10時間くらいで何とか治まり事なきを得ました。少し知識がついてきてから考えると、多分ムスカリンという自律神経に作用する毒成分のキノコだったと思われます。以来、約200種類くらいのキノコを食べましたが、これが教訓となったのか幸い中毒はこの一度だけでした。
爾来、当初の目的とは裏腹に「きのこ会」を作ってみたらどうだろうの思いが芽生え、やがて機は熟して会が誕生しました。当初、仲間とのキノコ狩りはブナ林ばかりで、自分で採取した野趣溢れるキノコ鍋は不安も適度な香辛料になるのか、テンションが上がって誰しも「おいしい」の連発でした。
喜色満面のイベントも回を重ねるとあるパターンが見えてきます。マンネリと高齢化です。絶品キノコ鍋もやがてマンネリ、わずか12年でも40~50代には「されど12年」なのです。かくいう僕も還暦を過ぎました。
今、当会は中四国、九州を含め9県の「西日本きのこ同好会」に参加しています。毎年持ち回りで交流会を開催しています。他県は大変キノコの研究に熱心ですが、さすがの高知は「お酒」の研究?に熱心です。きのこ会が存続するには会員の特色が反映されるのも一法かと、登山会と寒ラン会もできました。
年間行事は、観察会5回、定例会6回、きのこ祭り、春山登山、花登山、キャンプ、会報発行(現在32号)、など多分野に亘っています。会員は約70名(男女の比率7:3)、年会費は一家族3000円です。詳細は「森ときのこを愛する会」で検索して下さい。
森ときのこを愛する会 会長 島崎俊弘
あそこの"さばずし"が食べたいね!
つるし柿にする渋柿は、あそこが安いから買いに行こう!
と言うことで、ドライブがてら国道194号線沿いにある、いの町柳瀬にある「水辺の駅 あいの里」へ行きました。
前にも、つるし柿にする渋柿、二袋(1袋30個入り500円)を買って帰り、美味しく出来たので未だ少し柔らかい状態で、友人と子どもに送りました。
直販所の方に、渋柿はもうないんですか?と尋ねると、電話をしてくれて、「今、柿を取に行っていますので昼過ぎになるようです!」とのこと。
お目当ての"さばずし"(姿寿司)は、日曜と祝日のみとのこと。前回食べたのは、確かに祝日だったとあきらめ、さばを含む盛り合わせの寿司で我慢をすることに。
妻とガラス越しに、仁淀川の絶景を楽しみながら、すしやおでんなどを食べていると
元気な声で、丁寧にお客様と対応している食堂の女性オーナー店長さん!
この場でも紹介したくて、少し話を聞きました。
これまでやっていた方が止められるというので、せっかくの場所なので私がやることにしましたとのこと。
11月5日、ごはん処 「山屋紅(くれない)」 (電話088-897-0097)として リニュアルオープン。
モーニングも始めたので営業時間は AM:7:00~PM:6:00
料理は、地元の野菜をふんだんに使い、幾つかのメニュウの中には、仁淀川で取れた鮎の炭火焼きやツガニうどん等もオールシーズンで出せるように準備をしていますとのこと。
私が考えましたと言う、"鮎の塩焼きおにぎり"をご馳走になりました。いけますよ!
HN: コウチャン
つるし柿にする渋柿は、あそこが安いから買いに行こう!
と言うことで、ドライブがてら国道194号線沿いにある、いの町柳瀬にある「水辺の駅 あいの里」へ行きました。
前にも、つるし柿にする渋柿、二袋(1袋30個入り500円)を買って帰り、美味しく出来たので未だ少し柔らかい状態で、友人と子どもに送りました。
直販所の方に、渋柿はもうないんですか?と尋ねると、電話をしてくれて、「今、柿を取に行っていますので昼過ぎになるようです!」とのこと。
お目当ての"さばずし"(姿寿司)は、日曜と祝日のみとのこと。前回食べたのは、確かに祝日だったとあきらめ、さばを含む盛り合わせの寿司で我慢をすることに。
妻とガラス越しに、仁淀川の絶景を楽しみながら、すしやおでんなどを食べていると
元気な声で、丁寧にお客様と対応している食堂の女性オーナー店長さん!
この場でも紹介したくて、少し話を聞きました。
これまでやっていた方が止められるというので、せっかくの場所なので私がやることにしましたとのこと。
11月5日、ごはん処 「山屋紅(くれない)」 (電話088-897-0097)として リニュアルオープン。
モーニングも始めたので営業時間は AM:7:00~PM:6:00
料理は、地元の野菜をふんだんに使い、幾つかのメニュウの中には、仁淀川で取れた鮎の炭火焼きやツガニうどん等もオールシーズンで出せるように準備をしていますとのこと。
私が考えましたと言う、"鮎の塩焼きおにぎり"をご馳走になりました。いけますよ!
HN: コウチャン