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06年2月香港旅行(2/17・駅降りの旅・九龍塘・大圍)その22

旺角11:56→九龍塘 車両番号:108 約4キロ(距離は地図からの目測)
旺角も繁華街の駅だけあって乗車する人が目立ち、だいたい80~100Pぐらいになります。


九龍塘の駅舎です。ここはMTR観塘線との乗換駅で一応の主要駅ですが駅舎自体はこんじまりとしています。改札や乗換え通路は地下にあります。

駅近くでチラシを配っている人がいて私も1枚渡されたのですが、内容を見ると「健康の為に栄養バランンスの取れた食生活を送りましょう」的な内容でした。近くに大学(香港城市大学)があるので、学生向けかもですね。香港では人口に較べて医療機関が少ないらしく、先日の新聞によると予防医学に力をいれていて男性の平均寿命は世界第1位だとか・・

香港旅の雑学ノート・山口文憲著(昭和54年初版)には、このエリアは元々大邸宅の並ぶ田園調布的な高級住宅地だったのが、突如ラブホが増え始め10数軒以上に。当時は住人が英字新聞に反対意見を投書するなど一騒動あったというエピソードが紹介されています。(日本式のラブホが集まっているらしい)
なにぶん古い本なので今はどうかはわかりませんが地図を見るとそれらしきものもあるような・・・


(写真上)羅湖方面のホーム先端部・信号の配置などから、単線並列になっているような感ですが・・(他の駅でも逆方向に信号機が配置されているのを目撃)
営業運転で逆走運転しているという話は聞いたことはありませんが、イギリス的な設計思想的も影響っしているとか?

ちなみに2面2線の相対式の地平駅です

(写真下)九龍塘を発車する羅湖方面行き電車。この先のトンネルをくぐるといよいよ新界地区です。
120キロ制限の標識が立っているのが驚き(せいぜい100キロか110キロぐらいまでしか出さないと思っていたので)

以前のKCRの広報誌の利用者からの投書を紹介するコーナーで「朝のラッシュ時に大圍~九龍塘のトンネル内で徐行運転になったり止まってしまうのは何とかしてほしい」というのに対して、「朝は限界まで列車を運行しているのと、九龍塘はMTRとの乗換えで徐行が多く停車時間が長めになる故のものでご理解を・・」という返答が載っていたのを思い出します。

九龍塘12:18→大圍 車両番号:C218 目測で約5キロ
さてここでも乗車が目立ち一部の車両が120Pぐらいになります。
長いトンネルで獅子山(ライオンロック)を抜けて新界に入ます。九広馬鉄の車庫の横を通過すると次の大圍駅に到着です。


右側のガラス張りの建物が大圍駅の駅舎。2004年12月の九広馬鉄(馬鞍山鉄路)開通にあわせて改築された模様。
私が降りた北側の駅前は結構庶民的な街並みでした。翌日バスで来て南側に着いたらニュータウンの中の駅という感じだったので違いに結構びっくり。

奥には香港らしい?と私が思っている高層住宅も写っています。

別冊宝島・香港発熱読本(96年発行)に、香港内の遊園地(テーマパーク)巡りの記事が載っていますが、それによると当時は駅前に「歓楽城」という遊園地があり観覧車もあったそうです。
記述では、九廣鉄道の列車・新界の山並みが見え、沙田のニュータウンが城門海の入り江を埋めたてて作った街である事が分るほどの眺望だったそうで、観覧車が好きな私としては現存するならぜひ乗りたいところです。
そういえば98年の初訪問時に上水からKCRに載った時に観覧車らしきものがあったようなないような・・?今だったら1人ででも当然乗るところですが今思えば惜しいことを。当時はそこまで余裕もありませんでしたが・・・

ちなみに掲載されている写真や98年版の「香港地方街道指南」を見ると、遊園地跡地に馬鉄ホームなどの大圍駅の拡張部分があるようです。


乗換え順路の案内がありました。
東鉄・馬鉄ともに2面2線の相対式で、東鉄の尖東方面と馬鉄の大圍行が同一平面で乗換えられるようになっています(同一平面ですが間に距離があるので同一ホーム上とは言いがたい)
馬鉄だけ右側通行(他は基本的に日本と同じ左側通行)なのはここでの乗換えを便利にするために。という説を良く聞きますが・・・

ちなみに馬鉄は現状4両でニュータウン地区への新線という様相ですが、将来は沙田中環線?だとかで別ルートで都心に延伸する計画があるとか。馬鉄についての詳細は2/18の項で書きます。


ホーム上にある案内表示機。今回の乗り歩きでは珍しく上水行ですが、なぜか表示が切り替わると時々羅湖行と表示されて迷いがあるような雰囲気が。
この表示機は各駅で見かけますが、老朽化しているのか輝度が落ちてみずらくなっていて写真撮るにも撮りづらい状態でした。

2006/8/9 1:40UP
*****
九龍と新界の分界点
書物によると太子の界限街が歴史的な境界だそうです。
歴史的には界限街以南が割譲地・以北が租借地で、厳密には97年の香港返還は租借地である新界の租借期限切れによるもの。
(という認識でいいんですよね?

今では九龍は都心エリア・新界は郊外エリアという意味分けが強く九龍塘あたりも九龍と称するらしいので、今回はそれに習い九龍塘→大圍のトンネルを境界ということで記述しました。
なんとなくですが街並みの雰囲気もここで変わるような気が。
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