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続2・初代大和市役所(町・村役場)の場所が判明したよ(旧鶴見村役場の場所)


2018年6月と11月の記事で1891年の大和誕生時の大和村(町)役場、1950年に移転した2代目町役場(市制後は市役所に)の場所と現在の様子などについて紹介しました。

元々は下鶴間村・深見村・上草柳村・下草柳村に分かれていた村々が1889年(明治22年)に合併し鶴見村となるも、特に下鶴間VS深見・草柳で折り合いが悪く分村運動が勃発。当時の神奈川県知事による調停策として村名を「大きく和する」で鶴見村から大和村に。下鶴間にあった役場も下鶴間・深見・草柳の中間地点に近い場所に移転することが決まった。という大和誕生の経緯があります。

大和村の前身の鶴見村の役場は矢倉沢往還の宿場町であった旧下鶴間村内にあった。そうですが、では具体的に下鶴間の何処にあったのか・・。ここまで調べるとそれも気になってきますね


つる舞の里歴史資料館を訪問して職員の方に伺ったところ、市史などの資料を調べていただき、大和市史第5巻(近現代資料上編)に掲載があることがわかりました。


364頁から番号抜粋

鶴見村役場を鶴見村下鶴間2357番地とする旨の記述があります。
幸い下鶴間の旧宿場町の辺りはまだ住居表示になっていないので現在の場所は地図ですぐに調べられます

つる舞の里歴史資料館で見せていただいた昭和63年の明細地図では(株)大矢食品という酒・食料品店になっているようですが、現在では民家になっているよう。場所としては下鶴間駐在所から東側に2軒隣です。


つる舞の里歴史資料館に展示されていた明治時代の大和市域の地形図


下鶴間付近の拡大。宿場町らしく街道に沿って建物が並んでいるのがわかります

さて早速現地に向かってみます。つる舞の里歴史資料館から下鶴間までは徒歩20分強とやや遠いです。
南林間駅・市役所方面行きのコミュニティバスのろっと号もあるものの、歴史資料館からのバスは下鶴間は通りません。最も近い「つきみ野南2丁目」バス停から徒歩6~7分ほどです。


下鶴間駐在所(下鶴間バス停付近)
狭い裏道の閑散とした古い住宅街・・といいたいところですが、意外に車の通行量が多く大型バスが片方向に毎時2~3本走ります。道路の反対側に渡るのに難儀したり歩行者は車に気を使いますね


写真左の民家の場所が旧鶴見村役場の場所。
民家の隣がクリーニング店、その隣が下鶴間駐在所です
大和市内でも駐在所があるのが驚きですが、この辺りは古くからの街だったからでしょうか??


折角なのでマイヤマトンと一緒に。
大和以前の地域の歴史を知ることもヤマトンのルーツをたどる上で重要ですね


こちらは駐在所の交差点の脇にある下鶴間ふるさと館
つる舞の里歴史資料館と同じく大和市の施設で、こちらは宿場町の商家建築である旧小倉家住宅を改修したもの。市の施設ということで旧役場と関係があるのかも??と最初は思ったのですが、関係はないようです。

訪問時、閉館時間の16時を過ぎていて見学できませんでした。
季節ごとに年中行事や展示をおこなっているそう。

ということで今回は旧鶴見村の役場について紹介しました。
ここまで調べると今度は旧渋谷村(町)の役場についても知りたくなってきますね。
資料などで現在の高座渋谷駅前の滝山街道沿いにあったようなことがわかりますが、高座渋谷駅周辺は近年に大規模な区画整理が行われ「駅以外は道路や学校なども含めすべて新しく作り直している」というぐらいの状態。調べるのは案外難しいかもしれませんが・・・。

訪問日・3月10日

2019/3/11 2:34(JST)

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