吉原孝太郎
■■■こんな日本でいいのか!?
#戦争前の空気に危機感 音楽評論家・作詞家 湯川れいこさん
しんぶん赤旗 9/27
私は1936年(昭和11年)生まれです。31年に満州事変が起き、生まれたときには戦争が始まっていました。
海軍大佐だった父は44年に病死し、私と母は山形県に疎開しました。45年8月15日、母と並んで玉音放送を聞きました。その翌日、母は父の形見の懐刀を前に置き、9歳の私にこう言ったのです。
「#アメリカ兵に辱めを受けるようなことがあったら自害します。あなたも一緒です」。母は正座している私の両膝をひもで縛り、短刀の切っ先をのど元に当てさせました。懐刀を脇に置くと、母が後ろから頭を押しバタンと前に倒れる「#自害の作法」を練習させられたのです。
18歳年上の長兄は終戦の4ケ月前にフィリピンで戦死し、遺骨もありません。前年、戦地に赴く直前に3日がかりで防空壕を掘ってくれ、宵の明星を指さして、「あれが兄ちゃまだからね」と教えてくれたのが最後の会話でした。
長兄が作業しながら口笛で吹いたメロディーが戦後、進駐軍のラジオで流れてびっくり。#真珠湾攻撃の前後にアメリカで大ヒットした『午後の入江』でした。こっそり聞いていたんですね。 特攻隊員の辞世にもジャズをうたったものがあります。肌の色や言葉の違いを超える音楽を愛した多くの若者の命が無残にも奪われました。
いまの日本は「#戦争前の空気と似ている」と言われて、すごい危機感をもっています。
日本には憲法九条があり、ずっと「専守防衛」をうたってきました。投げ捨てるのはもったいない。でも岸田(文雄首相)さんは九条への思いなど全くなく、#平気でメリカの軍備に加担しています。
#敵の基地も攻撃できる迎撃ミサイルを各地に配備すると言います。でも日本海側には扁発が30基近くあり、ドローン1機あれば攻撃できることを認識していません。#誰のための軍備かというと結局アメリカから兵器を買わされているんですよね。
対立からは何も生まれない。#対話が大事なのに日本は外交がすごく下手。岸田首相は広島のご出身なのに、#核兵器禁止条約の参加に触れない。私は保守政治家ともお付き合いしていますが、彼らは「#アメリカがうんと言わないことはできない」と率直です。#実質的には占領時代のままなのだと思います。
こんな時代、政治には生活に根差した女性の視点が必要です。その点で共産党は女性議員比率がすごい高い。#憲法九条を大切にしている姿勢でも頑張ってほしいです。 (内藤真己子)