kiyasumeは、散々もうblogは書かないと言いながら書いて居ますが、、何時でも中断しようとも思って居ます。最近のblog記事は過去記事から編集抜粋したものが殆どです。体調も優れずに居て、どうしようもありません。何しろ行政から、私は自立支援法と言う制度を受けて居るのですが。その更新書類を書くように届いて居るのですが、、書けないで居るのでして、だから、明日、訪問看護師さんが来るので書いて貰おうかと思って居ます。それだけ体力気力共に無いですよ。相変わらずテレビも見れず、たまにラジオだけ聴いて居ます。昨日は夜7時半に寝て仕舞いました。まあ、薬をその頃に飲んで、寝たのは8時ちょっと過ぎかな、、薬の後遺症と言うか副作用と言うか本当に眠くて仕方がないですね。無理して起きて居ると脳みそが痺れて来る感覚がするんですよ。最近は立て続けにAmazonから商品を買い込みました。まあ、ヘアトニックとか、レトルトカレー、クリープ、だとか。ヘアトニックのマンダムとか俺も古いなぁ〜〜。勝手、チャールズ・ブロンソンがCMで宣伝して居ましたけど、大体がチャールズ・ブロンソンと言っても最近の若い子たちは知らないでしょうね。
【1970年CM】マンダム チャールズ・ブロンソン【フル3バージョン】
それから、今回、遥か43年ぐらい前に記憶して居た事とかを書きましたが。私は結構、昔の印象深かった事は覚えて居るんですよね。処で最近の俳優さんは特にハリウッドの男優はウイリアム・ニールセンとかヒュー・ジャックマンぐらいしか興味が無いです。トム・クルーズとかデッカプリオだとかあまり好きじゃ無いんですよ。まあ見ず嫌いって事もあるのだけど。女優に至っては、はっきり言って美人が居ない!!。ああ、最近では、キングコング(ニュージーランド)の映画でしたっけ???あの映画のヒロインは素敵な美人で可愛かった、名前を思えて居ないけど、、私は女性は、まあ、現実的には、美人じゃなくてもいいと思うけど。優しくて思いやりがあって、明るい人なら、、ただ、映画女優だとか、芸能人は私が好きで応援して居る青木志貴ちゃんだとか見てくれれば解ると思いますが、美形が好きですね。ところでトーキー以前のサイレント時代に大活躍した、リリアン・ギッシュと言う女優さんが居たのですが。
彼女は妖精みたいな女の子でした。あと日本の女優では、二階堂ふみちゃんが好きですね、彼女は決してそんなに美人じゃ無いけど、何時も一生懸命に演技して居て、演技達者ですね。彼女が裸で熱演した、、「ばるぼら」と言う映画がありますが。何遍も言って居ますが、監督はあの手塚治虫の長男で映画監督の手塚眞で、共演はこれもまた確かな演技で評価が高い、稲垣吾郎さんです。よかったですよ。裸じゃなくて、、原作がこれまた何遍も言って居るけど「手塚治虫」なんですよね。少し話はアブノーマルな話ですけど。男女の愛情が深く伝わって来る映画でした。撮影監督で参加した、クリストファー・ドイルの手腕がよかったですね。だから全編ヌードでしたが嫌たらしくは思わなかったですよ。もし興味があったらNetFelixででも見て下さいね。
【予告編】『ばるぼら 』2021年8月25日DVDレンタルリリース
処で、此間三日ほど前にだが、ようやくシャワーを浴びた。沸かしてもよかったのだが、まあ、私のアパートの風呂は、水を入れて置いて炊くと言う風呂では無い。お湯を風呂桶に入れて溜めて入る形なんです。だから貯めるのが時間が掛かるので、すぐに入りたかったし気温も8度はあったのでいいかと思いシャワーで済まして仕舞ったんですよ。それがよく無かった。寝て居たので、出て来て服着てからまた布団に入って寝て居たのですが。暫くしたら腹が痛くなって来まして。だんだん腹痛が酷くなって来るのでトイレに行ったら下痢でして。どうやら冷えて仕舞ったらしいのですよね。汚い話ですが。それでトイレに今度は45分も入って居まして。私のアパートのトイレは便座が暖かくはならないのですよね。冷たい侭なんですよ。
よく昔、アラン・ドロンの映画とか見て居るとフランス人は殆どがシャワーで済ます様なんですよね。まあ、先程のブロンソンもそうですが、今時、アラン・ドロンって言っても若い人は知らないだろうなぁ。だって前に美容室の27歳の女の子にアラン・ドロンと言ったら、黙って居るので、「「太陽がいっぱい」は知って居るでしょう?見たことあるでしょう?」と訊いたら無いと言って居たし。「彼はもう今は84歳になるけど。主演した映画は64本はあるんだよ」と言ったら。「そんなに沢山映画に出て居るのですか?」と言うから、「今度NetflixかDVDで何か探して観て見なよ、俺は、「暗黒街のふたり」か「ブーメランのように」「ル・ジタン」「スコルピオ」「サムライ」何かがお薦めだよ」と言ったけど。まあ、観ないでしょうね。ああ、此れ読んで居る人で、まだアラン・ドロンの映画見て居ない人か。あまり知らない人とか居たら。此の他に、「冒険者たち」「さらば友よ」(チャールズ・ブロンソンと共演)「チェイサー」「愛人関係」「仁義」「危険なささやき」「プレステージ」「高校教師」などがお薦めです。どれか一つでもご覧になられて見ては如何でしょうか?さてともう寝ます。もう夜の10時を廻った。
アラン・ドロン 「太陽がいっぱい」 マリー・ラフォレ
Alain Delon Tribute | Erreur 404
【セリフ入り】ヴァイオレット・エヴァーガーデン【angelite】
今更この話を、人に聞けない人へ向けて短く解説します・・。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
- 彼女は自分がして来た。人を殺めて来た業に苦しみながら
- 自問し苦しみ1人の人間として女の子として
ギルベルト少佐の面影を背負いそれを糧に1人で
生きて行きます。時に彼女は18歳になって居ました。
そんな或る日に彼女にホッジンズ社長が「ギルベルトが
生きて居るらしい」と。告げるのでした・・・。 - 翌日
- ホッジンズとヴァイオレットは汽車と船で遠くにある少佐が居るであろう
- 場所に辿り着きます。ヴァイオレットは狼狽えます、、「私おかしく無いでしょうか、少佐にあったら初めに何を言えば、何と言えばいいでしょうか?」、
- その言葉にホッジンズは「あいつが居るかどうか解らないし、君はタイプライターで、彼への手紙を書いて見たらどうかな?」と言います。
- 彼女は落ち着きを取り戻し、少佐への感謝の手紙を書き上げます。
-
- そして待ちに待った、少佐との対面。何と少佐は、自分が戦争で起こした罪の償いで、この土地の学校の先生になり、、名前を変えて暮らして居ました。しかしなぜか彼女が行くと、彼女に帰ってくれと言います、、
-
彼女は雨が降り頻る中。少佐の家の前で「会えるまで待ちます」と言い張るが。少佐は黙って会おうとはしません。居てもたっても居られなくなった彼女は。ホッジンズに少佐宛の手紙を託し永遠の別れを告げると船に乗り込みます。しかし。ホッジンズがギルべルトに言う「彼女はお前をずうっーと待って居たんだぞ!!」するとギルベルトは言う「彼女の両腕を無くさせ。彼女を不幸にしたのは此の私なんだ!!」そして言う「出て行ってくれ!!」ホッジンズは「この大バカヤロー!!」と怒鳴って彼女からの手紙を彼の机の上に置いて去って行きます。そこに彼の兄のディートフリートが現れて机の上に置いてある手紙を彼に渡して言います。「手紙を読んで見ろ.....。」彼女がタイプした手紙には「少佐、今まで有難う御座いました。字を教えて下さって有難う御座いました。話し言葉を教えて下さって有難う御座いました。名前をつけてくれて有難う御座いました。少佐は私に生きる術を教えて下さいました。本当に有難う御座いました。少佐から言われた"愛してる”と言う言葉が私の道標になりました。心から感謝します....。そして、今なら愛してるも少しは解るのです。だから私からも言わせて下さい。少佐、私も少佐を愛しています」ギルベルトは大粒の涙を浮かべて。肩を震わせた、
彼の兄の、ディートフリードが静かに言う「人はなかなか素直にはなれないものだな。ブーゲンビリヤ家は俺が継ぐ。お前はもう自由になれ。行ってやれ。彼女にはお前が必要だ・・・・。」そう言われるとギルべルトは、走って海辺に行き彼女の船を追いかけて叫ぶ「ヴァイオレット!!」その声を聞いた彼女は甲板で聞いて居たが。なんと船から海へ飛び込んで、二人は夕焼けの中、岸辺で再会し向き合います。彼は泣き濡れるヴァイオレットに言います「俺は君が思って居た上官でも何でもなかった。俺は君の両腕を無くさせ義手にして苦しめた悪人だ、、」しかしバイオレットは首を横に振り「しょう、、しょう、、」と少佐の名を呼ぼうとするが声が出ない。思えば14歳で軍隊の戦闘員になってから。18歳までろくに物事を知らなかった彼女が。此処まで成長したのだった。
最後は泣き崩れる彼女をギルべルトは優しく抱きしめるのだった。まあ、纏めて話すとこんな具合です、、
-
- 簡単にストーリーを掻い摘んで話しましたが。
- 長くなりました。この続きは是非、Netflix
DVD &ブルーレイどちらかでご覧下さい。
私は女性は残酷だと思う事がある。今から43年ほど前に京王線に乗って居て、私の真向かいの席に今で言う書記長カット(中年のおじさんがよくやる横を刈り上げた髪型)をして居る歳の頃36歳ぐらいの男性と、彼の知り合いであろう女性が座って居たのだが。なんとその真前の席には20歳ぐらいの女の子たちが座って居て、その子らが彼に向かって大きな声で色々と言い始めた「何あれ?カッコイイとでも思っているわけぇ〜?」「そうよねぇ、わたしらおじん見るためにこの席座った訳じゃないから〜」「何ドブスと話して居るのよ!!」と言いたい放題。しかしその言われて居る中年男性は気にはして居るのだろうけども、意に解さないと言った面持ちで黙って居る。それでも言い放つバカ女たち。隣に座って居た女性が気にして、その男性に「昨日の会議の内容解りましたか?」「あの、よければ私のノート貸しましょうか?」と言って居るのだ。その女性はブスでは無いし小綺麗な身なりの美人だった。確かにあの時代は、テクノカットが出てくる少し前だったし、まだ長髪が全盛だった。その女の子たちはミニスカートを履いて太ももむき出しだ。私はこのぐらいの若い子たちが嫌いだ、こう言う事を言うと。また、kiyasumeはドスケベだと言われるかも知れないが、最近では、ミニスカートを履いて居る女の子は可也の確率でスカートの中を盗撮されて居る。或時、若い女の子が盗撮されたのに気付いて交番に行って「下着を盗撮されました!!」と言った処。交番の警官から「何もレイプされた訳では無いのだし、、まあ、災難にあったと思って、、」と言われたと怒って居た子が居た。
私はこんなにも女性の人権が蔑ろにされて居るのが許せないのですよ。しかし若い女の子たちも悪い。パンツが見える様なミニスカートを履いて太ももむき出しで歩いて居たら。今の世の中、可也危ないですよ。もっと自覚を持たないと。まあ、若いんだからミニスカート履きたいと思うのは解るけど。男どもは綺麗な足だなどとは思わなくて欲情の目で見て居ますからね。気を付け無いと行けない。此れも可也昔の、確かNHKのドキュメンタリー番組だったと思うが、、17歳の女の子の1日を追ったものだった。その子は中卒で、左官工に丁稚に来て居た子だった。あの時代でも中卒と言うのは珍しかった。私は何も中卒だから悪いとは思わないが。その子は幼くて、やはりミニスカートを履いて、何とその上にヘソ出しルックだった。勉強が嫌いで高校に行かなかったのか?いや、知的障害があるのだろうと思われた。確かに人には色々な事情がある。私だって、最近まで言わなかったが、大学は夜間部ですよ。まあ、何遍も言って居ますがバカにしたい人も居るでしょうね。バカにしたければ、バカにすればいい。私の掲示板に前に書き込みをくれた60代の男性が居ましたが、彼は、夜間中学、夜間高校、夜間大学を出て居て何時も夜は授業の勉強だったから、テレビの番組、ラジオの深夜放送など何も知らないと言って居た。私が大学時代は1976年から1980年ぐらいだから、矢張りその間に放映されて居たテレビドラマなどは殆ど知らないですよ。でも私はその人のことを立派だと思いますよ。補欠合格で親に大金を出して貰って、大学に入り毎日遊んで、テストはカンニング。レポートは人のレポートの写しではね、、兎に角、今の処、若い女の子は青木志貴ちゃんしか興味が無いですよ。と言っても彼女はもう32歳になりますけどね、、最近少し太ったかな、、痩せて居たからいいと思いますけど、、、
遥か昔に描いた漫画です、、
志貴ちゃん、ほっぺた膨らませすぎだぁ〜〜〜!!太って見えるよ〜〜。。。。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
歳を取るのと歳を重ねるのとは違う。年取ってカッコイイ人が居ない。歳を取るから駄目になるのではなくて、努力が足りないから駄目になるのだと思う。歳を重ねると言うのは若い頃に比べたら確かに体力は落ちるかも知れない。しかし人生の応用力は就く。確かに若い頃は解らなかった事が今なら解るなと思えてくる。その上で若い子たちに。「ああ、この人ってカッコイイなぁ、渋いなぁ、、」と思って貰える事が歳を取って行くものの責任なのだと思う。歳を取ると色々と教える事が出来て来る様になる。だから歳を取るとやらなければならない事があるし、歳を取って居るから物事をどんどん置いて行っていい訳ではなくて、一つずつ増えて行くからやらなければならない事が増えるかも知れないけど。それを観て「カッコイイよね」と言って貰えれば頑張って居る意味があるし。「歳取るのもそんなに悪くは無いよ」と若者とか歳下のものに言える様になると思う。そう言う生き方で歳を取る事と歳を重ねる事とは意味合いが違う。歳を取ると言うのは自分が抱えて居た事を、一個一個取り省いて行く生き方が歳を取ると言う事で。歳を重ねると言う事はやらなければならない事がどんどん自分の中に重なって行くと言う事だと思う。だから深みも増す。だけども歳を重ねると言う考え方が必然的に結果として当たり前になれば必然的にカッコ良くもなるし、まあ、渋くも慣れるしで、当たり前だけども老けるは老けるけども。だけども渋みを増すと言うか、そう言う大人で居たいではないでしょうか。歳取っても何時までも・・・。☆ 『歳を取ったからと言って、年寄りくさい格好は辞めましょう。若作りをすればカッコ良くなれますよ.........。』
残念ながら、私は口では、こんなたいそうな事を言えても不言実行も有言実行は毛頭出来ませんけど..。ただこう言う思いは持っては居ますよ。これを実行出来て居る人たちは、尊敬に値しますよね。私に取っては原田芳雄さんがそう言う人でした。彼は自分のやって居る事やら、音楽も芝居も「全て遊んで居る」と言う言い方をして居たけど。体もちゃんと鍛えて居たし。頭も良かった。今、此の事が出来て居るのは若い人ならGACKT君でしょうね。私は何一つ能書きは言えても実行が出来ない。前にある女性から、「実行が伴って居ない。食事も納豆とか食べなさいよね」とか言われたけど。私が酷い貧血に陥って居た時に食べて居たのはキムチと納豆だった。それと魚だ。そう言う食事をして居たら大貧血に陥って仕舞った。此間、初めて女医さんの内科医に見て貰ったが。私が3年前に貧血で意識が無くなって。此の病院に担ぎ込まれたと言ったら。パソコンでデーターを調べて見て。「酷い貧血だったのねぇ...。」と驚いて居ましたよ。ねぇ、日頃、私は本を読んだ知識でなら、どうとでも言えると言いましたが。私の今がそれですよ。人の事は言えません。ただ周りの歳を取った人たちを見て居ると、自分も含めてだけども。歳を取る人は多いが歳を上手く重ねて居る人は少ないですね。やはり歳を行ったものは。歳なりに歳を取って自分にあるものを捨てて行くのではなくて。歳を重ねて物事を深く知り知識が豊富にならないと行けないですよね。そう言う人は余りにも居なさすぎる。だから若者が歳を取った人の事を格好悪いと思うし。一部の知ったかぶりの知識人たちの言う事など。鼻にも引っ掛けない。大体が本当の意味で頭がいいと言う人が居なさすぎる。能書きは書物を読めば幾らでも言えますよ。
ただ此の歳を単に取ると言う事と歳を重ねた利口な人になると言う事は。世の中を見て来て築く事だと思いますよ。ある意味これも哲学的問いなのだと思えますね。人は日々成長して行きます。昨日の自分と今日の自分。そして明日の自分は別物ですから。あるアニメのセリフですが「決まりきった時間が決まりきって、流れて行く事はそれ自体が異常なのだ」と言う話をして居ましたが。私もそう思います。一見。時間は秩序だって立ち現れて来るものだとよく思われて。そう言われて居ますが。私は違うと思います。何故ならその人その人で時間の捉え方が異なるからです。例えば朝、決まって6時に起きる人と朝9時まで寝て居る人。夜遊びする人と夜遊びしない人。女遊びをする人としない人の時間が一律同じだと言うのはおかしいですね。皆違った次元に居て違った時間を過ごして居るわけだから。そのアニメの中で言って居た「キッチリと流れて居る時間があったとしたら、それこそ異常でっせ」と言う事になる。時間とは意識の産物だからです。それは見た目は朝があり、昼があり、夜はありますが。時間の流れは澱んで居ると思いますよ。
kiyasumeの毎度おなじみ、汚い部屋の様子です。。。
ー 原田芳雄さんの思い出。ー
下北沢に原田芳雄さんは住んで居た。毎年12月の終わり頃に原田邸で餅つきをやって居た。いろんな人が来て居た。芸能人は勿論の事。近所の人たちも来て居た。一度だけ餅つきに参加した事がある。餅つきには、男餅と女餅があったと思う。私は芳雄さんを兄貴と慕って居た。勿論本人に言った事は無かったけど。
はじめ私は松田優作を好きになった。そして優作が芳雄さんを尊敬して居ると知ってから、彼の映画「反逆のメロディー」「やさぐれ刑事」「君よ憤怒の河を渡れ」などをミニシアターで見て、ファンに成って行った。1980年代は無理を押して行ったライブハウスで彼のブルースを聴いた。歌が上手い。ライブに行くと会場には原田芳雄の格好をして居る、そっくりさんが結構居たものだ。私も芳雄さんが来て居るアメカジやらを真似て着て居た。1990年代に成ると芳雄さんの映画が立て続けに公開された。聞く処に寄ると、1980年代は映画から遠ざかって居たそうだ。彼はもう役者は辞めて、ブルースシンガー一筋で行こうかと思って居たそうだが。映画監督の若松孝二が彼に「キスより簡単」と言う映画の主演を決めて連絡をして来た事から。その映画を出て高崎映画祭、主演男優賞を貰った事から、また映画界に復帰したらしいです。この映画は石坂啓が書いた漫画が原作で、新宿の飲み屋で知り合った若松孝二が話して居て「君の漫画映画化してやるよ!!」と飲んだ勢いで言ったらしいのですが。それが実現した形ですね。
原作では女子大生のまあこが主人公だが、映画では脇役だったはずのロクさんが主役を張り、全共闘世代に向けたメッセージが込められた。2年後に続編が公開され、原田芳雄、石橋蓮司、室田日出男らが続投した。四人姉妹の三女である泉まあこは、三人の男と付き合って居た母親が亡くなり、自分の父親が誰か知らずに育った。まあこにはスズナリという恋人が居たが、彼は三人の男のうちの一人、シンちゃんの息子だった。
Yokohama Honky Tonk Blues(原田芳雄さんのヒット曲です)
原田芳雄 ブルースで死にな
原田芳雄さんの「無宿人御子神の丈吉シリーズ」のPAL盤DVD。
1990年代は「われに撃つ用意あり」「シンガポール・スリング」「浪人街」「寝取られ宗介」2000年代に「ざわざわ下北沢」「鬼火」それから変わった処では「パーティ7」などの映画に出演している。どれも滅法面白い。私は特に若松孝二監督と組んだ「われに撃つ用意あり」「シンガポール・スリング」「寝取られ宗介」「キスより簡単」が好きな映画だ。若松監督との思い出もある。丁度、2011年公開の「11・25、自決の日!三島由紀夫と若者たち」を見に行った時だ。若松孝二の名は昔から知って居た。『ピンク映画の黒澤明』と言われて居た。ピンク映画はセックスシーンがある。要するにお色気映画だ。しかし若松孝二の作品は単なるポルノではない。制約としてのセックスシーンはあるがそれで見せる映画ではない。どれも低予算映画なれども若松孝二の反骨精神、いや反逆精神か、それが漲って居る。でも私は実はピンク映画時代の若松監督の映画のDVDは「胎児が密漁する時」「腹貸し女」「新宿ジャック」ぐらいしか持っては居ない。どれも強烈な作品ですが。。。
「11・26、自決の日。三島由紀夫と若者たち」のトーク・ショーにて撮影。
若松孝二は震災後に何を撮ったのか?
でも。私は若松監督が、一般映画を撮るようになった頃からの作品をよく観て居る。交通事故で死ぬまでに撮った映画だ。「飽食」「17歳の風景・少年は何を見たのか」「実録・連合赤軍浅間山荘への道程」「キャタピラー」「11・26、自決の日 三島由紀夫と若者たち」「海燕ホテル・ブルー」そして遺作と成った「千年の愉楽」などです。「11・25、自決の日・三島由紀夫と若者たち」を当時既に認知症だった母を連れて見に行ったのだが、トーク・ショーが上映後にあって、主演の井浦新さんやらと若松監督のトークが聞けたのだけれども。私は拍手をして居たら、監督が気付いて、時間も押して居るからと行って次回作の「千年の愉楽」の予告編を掛けたのだけども、映画館の暗闇の中で予告編が掛かる前に、ふと人の気配がして横を向いたら、監督が温和な笑顔で立って居た事があった。その時に私は立ち上がり握手をして。サインをパンフレットにして貰った。監督はその時、「東電を叩く映画を作るよ。」と言って居たが、新宿の道を横断中に左からきたタクシーに跳ねられて亡く成ってしまった。芳雄さんはその前に映画「大鹿村騒動記」の舞台挨拶に車椅子で現れてから、間も無く亡くなって居る。二人は今でも天国で映画を撮って居る事だろう。
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『火の魚』
さて、原田芳雄さんの晩年のTVドラマです。あまりの評判の為、1時間余りながら劇場公開もされました。DVDはAmazonで購入出来ます。名作ドラマです。海外の賞も受賞しました。下の映像はダイジェストです。この映像だけで判断するのではなく、レンタルで良いので見て下さいね。
Image of 火の魚
瀬戸内・大崎下島を舞台に、世間から取り残された孤独な老人と、
時を慈しむように生きる若い女性が、心を通わせていく「命」の物語。
【ストーリー】
広島の小さな島から届けられる物語。テーマは「命の輝き」。島に住む老作家・村田省三(原田芳雄)のもとに、原稿を受け取るため東京の出版社から女性編集者・折見とち子(尾野真千子)が通ってくる。小説家と編集者は、年は違うがプロ同士。たがいに一歩も譲らず、丁々発止のバトルが繰り広げられる。あるとき小説の想定を、燃えるような金魚の「魚拓」にしたいと思いついた村田は、折見に魚拓を作ることを命じる。魚拓を取るには、金魚を殺さなければならない。小さな命をめぐって、二人の間にさざ波が立つ。やがて村田は、折見の“秘密”を知ることになる…。
【キャスト】
原田芳雄、尾野真千子、高田聖子、岩松了 ほか
【スタッフ】
原作:室生犀星
脚本:渡辺あや
音楽:和田貴史
監督:黒崎博
<受賞歴>
★平成21年度(第64回)文化庁芸術祭大賞
★第36回放送文化基金賞優秀賞、演技賞(尾野真千子)、脚本賞(渡辺あや)、演出賞(黒崎博)
★平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞(演出:黒崎博)
★ヒューゴ・テレビ賞奨励賞
★第50回モンテカルロ・テレビ祭・ゴールドニンフ賞(テレビ映画部門)
★第62回イタリア賞・単発ドラマ部門・最優秀賞(イタリア賞)
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人気ゲーム「アイドルマスター シンデレラガールズ」の二宮飛鳥役などで知られる新人声優の青木志貴さん。自身を「ボク」と呼ぶ“ボクっ娘”で、“魔王”のニックネームで「League of Legends」などのオンラインゲームをがっつりやり込むコアゲーマーという異色の経歴も併せ持つ青木さんが、その独自の視点で自身の歩みやさまざまな思いを語ります。「青木志貴/魔王随筆録から抜粋しました。志貴ちゃん大目に見てね、、」
◇
こんにちは、青木志貴です。前回のコラムに書いたFF14。このゲームがもうすぐ大型アップデートを迎えます! ボクも今からとても楽しみにしていて、アップデートに向けて毎日コツコツ遊んでおります。やはりどのゲームも、大型アップデート前のお祭り感は最高ですね!
さて、今回は以前も少しお話しした「推(お)し」について。みなさんには「推し」っていらっしゃいますか? アイドルでも、声優でも、アーティストでも、二次元でも……。もちろんボクにも推しがいます! リアルの芸能人だったりには疎いので、専ら二次元の推しですが……(笑い)。
そんな推しについてですが、アイドル活動をしている知人から、最近こんなお話を耳にしました。「私のことを推してくれてた人が推し変してしまった。悲しすぎるし許せない」。
「推し変」。
聞いてわかるとおり、推しているアイドルやタレントさんなどを変えることです。前までAちゃん推しだったけど、この前のライブを見てからBちゃん推しに変わっちゃったわ~!みたいなことです。僕の知人のアイドルちゃんは、自分を推してくれていた人が別のアイドルちゃんを推すようになってしまって、とても悲しがっていたのです。もう顔も見たくないし、来ないでほしいレベルのショックの受け方でした。大袈裟と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ボクも少なからずその子の気持ちはわかります。
ボクの場合、「もうキライ!顔も見たくない!」とはなりませんが、「ボクが失望させてしまったんだろうな」とか、「飽きられてしまったんだなあ」とか。とにかく自分がダメだったから推しがいなくなってしまったって考えるタイプです。もしくは、「ボクよりももっとすてきで魅力的な方が見つかったんだ、それは仕方ない」って思うようにしてます(笑い)。
推し変によって多少のダメージを受ける点は変わりませんが、ダメージを受けた際の発散の仕方、処理の仕方は人それぞれということですね。中には「自分以外に推しをつくったら、許さないんだからね……?」なんていうヤンデレ気質のアイドルちゃんもいるんだとか。推しのアイドルにそこまで言わせるなんて、それはそれで幸せすぎませんか…?(ポジティブ)
また、推している側の意見として、「どうせ自分なんてたくさんいるファンの中のひとりにすぎないし、自分が推し変したって気づかないでしょー」とお考えの方もいらっしゃると思います。確かに気づかないこともあるかもしれません。
しかしながらそれは推してくださっていた方の熱量にもよるとボクは考えております。「どんなに熱心に推しても覚えてもらえない!」というファンの方や「どんなに推してもらってもファンは覚えられない!」なんてアイドルちゃんもいるかもしれません。
でも、意外とアイドルちゃんやそういうお仕事をしている人って、熱心に推してくださってる方のことは覚えているのです。現場に頻繁に顔を出してくださる方はもちろん、ボクの場合はお手紙をたくさんくださったり、ツイッターでいつもリプをくださったり、配信でたくさんコメントしてくださったり……。そういう方は自然と覚えるものなんですよね(特に名前を変えずにずっと推してくださったりしてる方だとなおさら!)。だから意外と「推し変してもどうせ気づかれないし」と思っている方がいても、気づかれていたりするものです。
ボクも「○○さん、見かけないなぁ」とか「●●さんんこなくなったなぁ」なんて思っていると、やはりボクじゃない別の推しを見つけて“推し事”に励んでらっしゃったりもしましたし、意外とこういう仕事をしている人は、見ているし気づいています。だからって推し変した人を責めたりすることは絶対にないですけどね!(笑い)。最初に言ったように、ボクは「自分がダメだから推し変された」タイプの人間であり、「もっとすてきな推しが他に見つかったから仕方ない」タイプの人間でありますので!
ただ我々にとって推してくださる人は財産なので、悲しくない、寂しくないといえばうそになってしまいますから「どうぞ遠慮なく推し変してくれや!YEAH!」みたいななんでもウェルカムテンションでお送りすることはありませんが……(笑い)
「推し変されて悲しい、許せない」と思ってしまうあなたへ。
確かに悲しいし、裏切られたような気持ちになってしまうかも。でも推し変されたとしても、それまでに推してくれていた気持ちはうそじゃないし、もらったものがたくさんあったはずです。
ファンが大事だと思う気持ちが強いからこそ出てしまう「悲しい」「寂しい」「許せない」という感情ですよね? 何かやらかしてしまったりして、自分に非があって推し変されてしまったのなら、自分が悪いということはわかっているはず。そこを見直せばいいのです。
自分に非がないのに推し変されてしまったのなら、もしかしたら飽きられたのかもしれないし、なにか事情があったのかも。他にもっとすてきな推しが見つかったのかも。何か事情があったのなら仕方ない。もし飽きられてしまったり、他に推しが見つかったのなら、その人に負けないくらい、また推してもらえるくらい、更に自分を磨いてすてきになれば良いのです。ボクはそうやっていつも自分に言い聞かせつつ、負けず嫌い根性で無理やり前を向いています。
推し変したことのあるあなたへ。
以前の推しは、意外とあなたのことを覚えているかもしれないし、推し変されたことに気づいているかもしれません。あなたが思った以上に、ショックを受けていることもあるかも。でも決してあなたが悪いわけではありません。これは仕方のないことです。
「一番好き」は不変の感情ではないし、生きている限り「飽き」は来るものです。やむを得ない事情で“推し事”自体を辞めてしまった方もいらっしゃるかもしれません。それでも、以前の推しのことを「嫌い」になって推し変したわけでないのなら、たまに思い出したときや気が向いたとき、ちょっと興味が出たときで構いませんので、また「気軽に」推していただけたらうれしいと思います。
どうかあまり重く考えず、「気まずいなぁ」なんて感情も気にせず、一番の推しでなくても構いませんので、応援してくださるとうれしいです。うれしいはずです。どんなささいなことでも。
ボクがこのコラムで言いたいのは、「推し変」が悪いことではないよ、ということ。きっとまた自分を成長させてくれるし、もっともっと今居るファンを大事にしようと思えるはず。そして推してくださっている皆さんも、推し変することで気まずさや申し訳なさを感じず、楽しく推し事してください!
お互いがお互いにとって、よい関係であり続けられますように! そんなボクの「推し変」への考え方でした。
◇プロフィル
あおき・しき 1月14日生まれ。162センチ、AB型。「アイドルマスターシンデレラガールズ」の二宮飛鳥役など。声優、タレントと多方面で活動中。ゲーマーとしても「魔王」の愛称を持つコアゲーマー。
今回も過去記事からの抜粋記事でした。短いですが。しかし、もう一度読んで貰いたい記事でした。此処まで読んでくれて有難う御座いました。また更新出来たらお逢いしましょう。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
それをディートフリート・ブーゲンビリアと言う
大佐が軍隊に入れて、戦闘訓練だけを教えます。
彼女の戦闘能力は凄まじくそれで「ライデンシャフトリヒの戦闘人形」
とまで呼ばれる殺戮兵器だと言われる様になりました。
ディートフリート大佐は弟に彼女を好きに使えと
渡します。しかし弟のギルベルト少佐は彼女を
愛して、読み書きの出来なかった彼女に、
文字を教えます。そしてある日。休暇中に、、
彼女を連れて街に出かけると彼はヴァイオレットに
「君ぐらいの女の子が欲しいモノがあったら
何でも言いなさい」と言います。
彼女は「それは命令ですか?」
と聞きます。
と言って先に歩き出します。彼女は後に着いて行きます。
彼はヴァイオレットにこれ以上。戦争地域で人殺し
はさせたくなかったのです。だから悩みました、
そんな休暇中に出かけた町の出店に。サファイヤの
こう言います「少佐と同じ瞳の色です」・・・。
彼はそれをヴァイオレットに買い与えます。
「これ美しいでしょうお嬢さん!!」
彼女はギルべルトに胸につけて貰って言いました。
「言葉が今まで解らなかったから言いませんでしたが
綺麗と美しいとは似た言葉だったのですね・・・。」
そしてこう言いました「少佐の瞳は出会った時から、
美しいです」それから暫くしてイントランス最終作戦に
入りました。もちろんギルベルトは「これ以上彼女を
兵器見たく扱いたくはない」と上官に直訴しますが。
上官は「こんな人を殺める事しか出来ない小娘。
使うだけ使って、あとは好きにすればいい!!」
ギルべルトは烈火の如く怒って喰って掛かりますが、
上官の命令は絶対です。彼は彼女を連れて戦場に
赴きました。そしてヴァイオレットの活躍もあって、、
作戦は成功します。ですが残党兵にギルベルトは
右目と脇腹を打たれて仕舞います・・・・・・。
彼は「自分を捨てて逃げろヴァイオレット!!」
と叫びますが。彼女は「少佐を見殺しには出来ません!」と
彼を小さなその体で担いで逃げようとします。
しかし姑息にも残党兵は自分らが負けたのは、、
あの2人のせいだと。バイオレットの両腕を撃ちます
彼女の腕は根本から千切れて両腕とも落ちて仕舞います。
ギルベルトはそれなのに口だけでも自分を引きずろう
とする彼女に「もうやめてくれ!!もういいんだよ
ヴァイオレット!!。君は1人で此れから自由に普通の
女性として生きて行きなさい」そう言うと爆弾で
吹き飛ぶ建物から彼女をどついて外に出して、、
自分は瓦礫の下敷きになります。
ヴァイオレットが目覚めた所は野戦病院でした。
彼女は気が付くと両腕には精巧な機械の義手が
付いて居ました。そこにホッジンズ中佐が
彼女を引き取りに来ます。。。
何故ならギルベルトから。もし自分が死んだら彼女を
頼むと言われて居たからです。彼は戦後もう軍は退役し
(何故こう言うかと言うと病弱だった妻に。タイプライターを発明した医師が、
そしてそれを使って客の代行で手紙を書く職業を
「ドール」と呼んで居ました。職員は女の子たちで
殆どが資格を持って居ました。
実は感情が無いバイオレットは少佐が亡くなる前に
「心から君を愛して居る、、」と言われて居たのです
ですが言葉がよく解らない彼女は・・・・。
悲しいかな。「愛している」「愛とは何か?」
と言う事が判りません。だからこそドールの仕事
を通して出会う人たちの代筆を通して他人の人生を
顧み。人間として1人の女性として成長して行こう
「愛している」とはどう言う事かを知りたくて.....。
何とヴァイオレットは話を立ち聞きして居て・・・・。そしてその地に飛行機で向かいます、何故なら山の頂上に作戦で駐屯して居たからです。 彼女はパラシュートで山の頂上に降りますが。彼女が駆け着けた時には依頼主は奇襲に遭い撃たれて、虫の息でした。
ヴァイオレットを見つけた兵士は機銃掃射を彼女に浴びせましたが、彼女はそれを躱してその兵士の背後に回り込み腕を捻じ上げて言いました。 「もうおやめなさい」すると、その兵士は彼女が「ライデンシャフトリヒの戦闘人形」と呼ばれて居る兵士だと気づき分が悪いと立ち去りました。
彼女は小屋にその兵士を匿うと話を聞きました。兵士は彼女に言います。「ちゃんと書いて居る?」」「書いておりますよ旦那様」 「お父さん。お母さん。もしまた生まれて来て一緒になったら、また僕を産んで下さい。」そして最後に「僕に告白してくれたマリアに 「恋人らしい事など何もして挙げられなかったけど。君の元に帰りたい・・・・マリア、キスして・・・・・。」」 ヴァイオレットはマリアの代わりにその兵士に優しく口付けをしました。 そして埋葬すると手紙を持って翌日に彼の両親と恋人が待つ故郷に行きます。 そして泣き崩れる両親と兵士の恋人マリアから「息子を彼を返してくれてありがとう」 とお礼を抱きついて言われました。