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古いレコードプレーヤーを修理する今井和美さん=津市美杉町

 

動かなくなった家電の修理を引き受け、修理成功率「90%超」を誇る職人が津市にいる。生産したメーカーすら修理をあきらめた家電を、ねばり強く直す。思い入れのある家電を再び動く様にして貰おうと、全国から依頼が舞い込む。

山に囲まれた集落でひとり修理

 奈良県との県境に近い津市美杉町。山に囲まれた集落に電器店「今井電子サービス」がある。今井和美さん(61)がひとりで営む。

レコードプレーヤーやカセットデッキといったオーディオ機器から、パソコンにスマホ、病院の検査装置まで、今井さんのもとには壊れた機器が次々と持ち込まれる。顕微鏡やはんだごて、測定器などの道具を駆使し、1日5~10件ほどの修理をこなす。「何でも直せますよ」と今井さんは自信を見せる。

 

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今井電子サービスの今井和美さん=津市美杉町

まずは依頼者から電話で様子を聞き取り、持ち込まれた実物を点検する。不具合の原因を分析して特定し、交換が必要な部品があれば、メーカーから取り寄せる。部品がなければ、自作したり、業者に外注してつくって貰ったりする。たとえばオーディオなら、摩耗したゴムのベルトやローラーを交換すれば、再び動く事が多い。

 一方、「乾電池が入って居なかった」「主電源が切れて居た」など、あっさり解決する例もあると言う。

成功率「96%」を公言して居る…

 

 

メーカーですらさじを投げる故障家電を、95%以上と言う驚異的な成功率で再生させる男が居る。電器店主、今井和美(61)。今井が営むのは、三重の山深い里にある小さな電器店。そこにはもう修理出来ないと断られた家電が全国各地から送られて来る。その数は年間数百件、行き場を無くした家電に取っての最後の病院だ。20年前の食器洗い乾燥機、30年前のコンピューター、40年前のカセットデッキ・・・。販売が終わり、部品すら調達出来ない家電を、今井は驚くべき修理技術で蘇えらせる。町の電気屋さんが消えゆく中、修理一筋50年、時代や環境に流される事なく貫いて来た信念と流儀がある。

 

 

 

今回は、壊れた家電に新たな命を吹き込む予約殺到の凄腕修理人、人呼んで“修理の神様”を詳しく紹介しますね!最新のパソコンやタブレットから、古すぎてメーカーや街の電気屋さんがサジを投げたもの、さらには説明書のない初めて見るものまで、ありとあらゆる家電を見事に直してしまうキャリア50年の神業に迫ります!「激レア!赤ちゃんにまつわる昭和レトロ家電」「亡き妻との思い出が詰まったオーディオ」と言う2つの難題に対して、どのように故障した箇所を見抜き、どこで部品を調達し、どんな方法で修理をするのでしょうか?

 

 

静かな山あいの一軒家。家電修理の達人、今井和美さんの作業場に送られて来たのは長年の使用でモニターが劣化し、文字が見えにくくなった20年前のワープロ。実は依頼主は直木賞作家。今井さんは新たに電源の故障を発見し、いきなり分解をはじめました。“神様”と呼ばれる所以は、図面や説明書を見る事なく。経験で得た知識と感覚をもとに直して行く処。あらゆる家電を研究し尽くした事で「仕組みや構造はおおかた予想がつく」と言います。

 

 

そんな今井さんに【挑戦状】が!!昭和レトロ・グッズ「ヘルス・ベビー」の修理に挑戦して貰いました!赤ちゃんがデザインされたパッケージに入ったこの機械を初めて見た今井さん。しかしこの「ヘルス・ベビー」は壊れており、持ち主もどんな音が鳴るのか聞いた事が無いと言います...。依頼主の「本当の音が聞きたい」と言う思いに応えられるか?しかし今井さんの手に寄り「ヘルスベビー」は見事蘇りました。

 

 

さらに、今井さんの元に新たな難題が届きます・・・。依頼主の亡くなった妻との思い出の品で、40年以上前のオーディオ機器。音量をどれだけ上げても小さい音しか鳴らず、雑音も気になります。中を調べると破損した部品が沢山ありました。原因をひとつひとつ確かめながら丁寧に解決して行く今井さん。「この先も長く使って貰いたいから」と、途方も無い作業を続けます・・・。そして、オーディオ機器は蘇えりました.....。

 

 

前例のない難しい修理に遭遇すると。さらに楽しそうに目を輝かせる今井さん。メーカーの請負を経て、たった一人で家電修理店を営む道を選んだ今井さんの原点、そして、ゴールとは・・・?胸に秘めた想いとは・・・・。

家電修理職人・今井和美さんは
三重県の山奥で修理作業を行って居る事が解りました。

動か無くなった家電の修理を引き受け、、
生産したメーカーすら修理をあきらめた家電を粘り強く直し
その修理成功率は90%を超えるそうです!
本当に凄いですよね。( ´∀`)

家電職人今井和美画像

実際に家電修理を依頼する為には
どうしたらいいのでしょうか?

色々と調べて見たのですが
今井電子サービスにはHPやSNSなどはありませんので
家電修理の依頼方法は直接電話のみ
になる様です。

今井電子TVサービス
電話番号 059-273-0459
※掛け間違いなどご注意ください

修理の電話は多い時で200件以上!あるそうなので
業務の妨げになら無い様に気を付けつつ
留守番電話にメッセージを残すなどの配慮をしましょうね( ◠‿◠ )

何でも修理をする家電修理の神様・今井和美さんは
レコードプレーヤーやカセットデッキと言った

オーディオ機器から
パソコンにスマートフォン、
胃カメラ用のモニターなどの病院の検査装置まで
1日5~10件ほどの修理をして居るそうです。

 

 

 

「プロフェッショナル」を観た。kiyasumeの感想です。参考になれば.....。

処で此処の処、ドキュメント番組をよく見て居ます。「プロフェッショナル」とか「ガイアの夜明け」だとか...それで此の間、「電気修理人」という番組を見た、NHKの「プロファッショナル」です。此の修理人は地方の山の麓で「今井電子・TVサービス」と言う電気の修理専門の店を開いて居るのだが。どんな故障でも直してくれるとの事なので、東京からなどの、その他の地域からも毎日壊れた電気製品が、送られて来る程の人気だ。私は笑顔で家電の診断をし、家電を修理する、その修理人、今井さんの人柄にやられた。この人は決して高額な修理代も取らなければ(勿論手間が掛かった物は割高にはなるが)、普通の修理人ならやらないであろう。予防修理までやる。予防修理とは文字通り、壊れた箇所だけ直して渡すのでは無く。その他で追い追い故障に成りそうな処を探し出して、そこを予防的に直すと言う事です。たとえ客に気付かれなくとも。彼は誠心誠意、持ち主に取っては大切な家族である電化製品に処置を施すのだ。仕事中の今井さんは絶えず笑顔を絶えさ無い。そして壊れた原因を徹底的に探し出し突き止め。そして完璧に修理する。殆どの持ち込まれる家電は古く、部品もメーカーにはもう存在しない。彼はそんな時はその部品を作ってしまうのだ。今時の修理人に見せてやりたい。

そんな彼は小学生の頃に親戚の家で聞いたラジオに興味を持って自分で自作した事から、家電製品に興味を持つ様に成った。中学生に成ると、近所でも評判の電気少年に成って居た。初めて手がけた修理はミシンだそうだ。この時直ったミシンを喜んでくれた近所のおばちゃんの表情から、「自分は生涯、人の為に電気製品を直す修理人に成ろう」と思ったそうだ。その後、当時全盛だったブラウン管のカラーテレビを、直して挙げて感謝された彼は高校に行くも1日で退学し、職業専門学校に通い。徹底的に電気機械の修理人としての腕を磨いたのだ。だが修理をすると言ってもどこかの電気店に就職しなければ成らず。今井さんは大手の電気店の系列の店に就職した。しかし此処では彼の修理の腕はあまり役には立てられ無かった。時は高度成長期で、家電は使い捨ての時代だったからだ。修理すればまだまだ使える家電が捨てられ、そして電気店は新製品を客に買う様に押し付ける。今井さんは言う「電気店がお手上げだと言ったら、客はどうしようも出来ない・・・。」と。

彼はそんな電気店に嫌気がさして、大手の家電店の系列の店を辞め、実家に帰って来た。そして「今井電子・TVサービス」と言う修理専門を引き受ける店を開く。そして時代は使い捨ての時代が去り、今は古い物も需要が出来た。今は、服にしても古着をリフォームして着たりする時代だ。もちろん最新鋭の服や家電もある。しかし中古の家電も人々は購入する。そしてリペアして使うのです。私も古い中古のビデオデッキやらラジカセを一台ずつ持って居ますが。何でもありの時代です。今井さんは言う「自分はもしかしたら、修理の為に生まれて来たのかも知れない。」と。そして、番組の担当ディレクターが「どうして、そんなに修理出来るのですか?」と聞くと彼はこうも言う「息するのに、何故息をするかと聞かれても困るように、私はごく当たり前の事を仕手居るだけです」と。そして最後に言った。「自分が好きでやって居る事はずっと続けて居れば何時かは必ずモノに成ります」と....。そうですね。好きな事に年齢は関係無いのですね。今井さん...私もブルースハープが何時かは上手く吹ける様に頑張ろうと思います.....。

 

思い出家電修理人 

神ワザ!修復人 

 

 

『kiyasume論。。。。』

 

尺度を用いずに他人を見る事、それ以外に差別を無くす手段は恐らくは無いのか・・・。誤った尺度で人を見る人も居ます、自分の尺度は普遍的な絶対的なものと考えて仕舞う事もまた、ニヒリズムで、考えなければなりませんよね。何が正しくて何が悪いのか。人を自分の型(尺度)で見る場合は。それのみではなく相手の型(尺度)も尊重しないと差別は無くなりませんよね。

自分の旗と人の旗。これは比べてどちらかが劣ると言う事では無い気がします。私たちは、普段何気なく受け入れて居る習慣やら迷信などを常に疑って掛からなければなりませんよね。その積み重ねが物事を見極め結果的に差別を無くす事に繋がると私はそう思って居ます。

例えば会社に就職する時には能力は実際に働いて貰わないと本当は分からないでしょうし、結局は経験から推し量らざるを得ないので「経験」 が最優先、「人柄(性格)」は余程面接で問題がなければ優先順位としては後回しになると思われます。この間。私のシン・民主主義で書きましたが。資本主義は多くの成果をあげて来たし、繁栄には欠かせない。だが資本主義経済を過度に楽観視すべきでは無いと思います。ただ市場の圧力や個人の利益の追求に頼って居るだけで、左派は国家に任せて置くのがいちばんと考えたが、残念ながらそうでは無かった。マルキストの退廃。導者たちが導く国家こそが倫理観を指針とする唯一の存在だと信じたのだが、それは国家の倫理性を過大評価する一方で、家族や企業の倫理観を軽視した。それに対して右派は、国家による規制の束縛を断ち切れば自己の利益の追求が持つ力を解き放ち、すべての人を豊かに出来るとの信念を抱いた。

しかしどちらもダメだった。だからこそ、「創造的破壊」を起こす事が重要だと言えます。それは競争によって経済発展を促進する。その事の犠牲者たちが補償を求める事が出来る様にする為です。「社会的母権主義」の下では、愛国心が人びとを結束させる推進力となり、不平不満に基づく個々にばらばらなアイデンティティは重視されなくなる。本当の意味での中道の時代が来なければなりませんよね。もしそうなったら本当の意味での差別は要約無くなるでは無いでしょうか.......。

いや、最近のネットやらテレビの報道の仕方、個人攻撃が酷すぎるので、
あえて書いた次第です。


私の過去記事で言いましたが・・・・・・。

大卒が「こう言う事は高卒者には解らないよ」と言う、良くある言い方があります。要するに、ヒエラルキーですね。

そしてヒエラルキーの最大の分断、それが学歴です。大卒は大卒同士で、非大卒はそこで固まり、それぞれまったく違う文化の中で生活をして居ます。言って仕舞えば、違う日本社会で生きて居る。自分とその周囲の視点だけで見る「日本」は可也偏って居る可能性があります。有る経済学者が言って居ましたが、、「日本社会をケーキで例えると、下半分はスポンジ・ケーキで、その上にミルフィーユが乗って居る。下は非大卒で、上は大卒ですね。大卒の人たちは細かい階層に分かれて居て、どこの大学を卒業したかを学歴だと思って居るんですね。それは『学校歴』であり、学歴ではありません。大きな勘違いです」

大卒は勘違いしがち、学歴=学校歴ではない

「1番上には海外有名大や東大が居て、その下に早稲田大や慶応大があって……。自分はどこの階層に居るのかな」。ミルフィーユの様に偏差値別に大学名が並んで、自分は何番目の層、ランクに居るかを気に掛ける。「社会に出れば学歴は関係ない」と言う言葉も。ミルフィーユの階層での話です。ミルフィーユの中での学歴と、社会的な地位とが逆転した時、この言葉はリアリティーを持つ。しかし、その下にスポンジ・ケーキがある事は見えて居ません。

確かに東大の権威主義やら、どこの大学を出たかと言う事で、、何を学んだかは二の次になって居ますね。私は一応は大学に行きましたが途中で統合失調症になりましたし。学んだのは経済学でした。ただ、東大が全てと言う言い方が悪いと言う事も出来ますが、、私は大学そのものが全てだと言う。考え方は違うんじゃ無いかなと思って居ますよ。まあ、馬鹿な私が言っても仙なき事ですけどね。私は自分の学歴を褒めまかして、言う者は下らない人だと思って居ます。

学歴では無くて、その人、本人が如何に有る人かで。判断出来ないと仕方が無いですよね。高卒が働いてくれて居るから、大卒は自由に専門分野で働けるのですよね.......。

此間書きましたが。私は独学が一番いいですね。。。。よく言われますよ。「お前は大学途中で障害者になったのだから、ましては夜学なのだから大学行ったとは言うな!!、」とね。人は勉強が出来るから偉い訳では無いですよね、人としてどう有るべきか。まあ、入社面接ではそこいら辺は後回しで何が出来るのかを問われますが、、まあ、私はそう思って生きて居ますよ..... .

 

『以前の記事からの抜粋ですが。kiyasumeの蘊蓄を聞いて見てやって下さい』

 

===言いたい事===

 

人は自分の考え方で人を見る。人には誰にも譲れない考え方がある。言って見れば其の人間の型(尺度)だ。その人は自分にある、いや、自分が考えた思想で生きて居る。この思想。この型(尺度)は何人にも侵し難きものだ。それは何時出来上がったものだろうか。何時形成されたのだろうか。思想は誰でも持って居る。型(尺度)は誰でも持って居る。しかし、この型(尺度)は、一丁一端で出来たものでは無い。生きて来る上で考えたものだ。人生経験から来て居るとも言える。「知・覚・考・動」この言葉の定義を知って居るか?世の中の大半普通の人の思考はこれだ。しかしこれでは何にも出来ない。「知・覚・動・考」こう変えて見る。この四つの言葉で一番大切な言葉は何か?答えはすでにある。「とも(知)・かく(覚)・うご(動)・こう(考)」だ。ミュージシャンのGACKTは言う....。「物事を知って居たら覚えたなら。とにかくすぐに動く事、行動する事。動きながら、知る事も覚える事さえも出来る。逆に行動しないと。知って居ても其の意味が解らなかったり覚えた事さえどんどん忘れて行く。だからこそ、行動こそが結果を出す一番の近道。考えてから動くからスピードが遅くなる。。考えるのは行動をした後でいい。全ての人間の行動は思考が支配して居る。思考が結果を生み出す。」

私は、物事がうまくいく人に共通する要素は「素直さ」だと思って居ます。素直な人はビジネス書を読んで、面白い事が書かれて居たら「自分もやって見よう」と、すぐに行動に移す事が出来ます。柔軟性に富んで居るから、自分とは異なる意見を取り入れ、行動に移す事が出来るのです。一方、素直でない人は他者の意見をなかなか受け入れようとはしません。悪い意味でこだわりが強く、頑固です。他者の意見を取り入れないと、結局は自分の勘や経験、そしてわずかな知識に頼るしか無く、遠回りをして仕舞います。どんな物差しで自己の価値を測って居るのか、わざわざ意識した事は無いかも知れませんが、実は心の奥では気づいて居るかも知れません。結局の処、「自分は基準に達して居る」と感じれば、自分に対する感情が良くなりますが、「自分は基準に達して居ない」と感じると、自己評価は暴落します。相手を苦手に感じ、相手の事が嫌いになるとき、人は理由を相手に求めます。自分の意に沿わない言動によって、自分は苦しめられて居ると感じるのです。しかし、自分の意に沿わないと決めて居る基準はなんでしょうか。それは自分の価値観で作った自分の型であり、絶対的なものではありません。

それでは、そもそも人はどんなときに、相手を「苦手」「嫌い」と感じるのでしょうか。殆んどの場合、原因は相手の発言やふるまいにあるのだと思います。相手の発した言葉で傷ついた、無神経なもののいい方が癇に障った、だらしないふるまいを見て不愉快だった……。そうした自分の意に沿わない言動が、悪印象を持つ切っ掛けになるのです。勿論、型はあっていいのです。それは自分の発言や行動の規範になるものですし、型がある事によって、自分と言う人間が作られます。ただし、他人をはかるときには、型に“嵌めて考える”のは辞めましょう。自分の型と他人の型は違うのですよ。

 

此処で「禅」の求道者、枡野 俊明氏の言葉を抜粋して於きます。

『「禅の庭」をつくるときに、私は時折、「山是山、水是水(やまはこれやま、みずはこれみず)」と言う禅語を思い出します。意味するのは、山は山として本分を真っ当し、水は水として本分を真っ当して居ると言う事です。山が水に対して「山になれ」と命令する事もなければ、水が山に向かって「水になれ」と指図する事もありません。

禅の教えは、人の社会全般に当て嵌ります。「山是山、水是水」を人間関係に当て嵌めるなら、自分が山なのであれば、水である相手が山になる様に求めては行け無いし、自分も水になろうと頑張る必要は無いと言う事になるのです。山は山として、水は水として本分を真っ当するのが美しいのであり、自然は当たり前の様にそうして居ます。

禅では、人と自分に付いて、「人は人で絶対、自分は自分で絶対」と考えます。絶対と言う意味は、今、此処に、命を頂いて、過不足なく生きて居ると言う事です。人も自分も、共にその様な存在なのです。過不足なく生きて居る誰かに、「此処が足りないじゃないか」などとは言え無いのです。

人は人で絶対、自分は自分で絶対と言う事を意識して、誰に対しても、「水平の視線」で見る様にして見ましょう。視線を高くして見下ろせば、人は小さく見えますし、視線を低くして見上げれば、人は大きく見えます。どちらも相手を正しく見る事になりません。』

常に水平の視線で人を見ることを心がけ、その様に努めて行く。それを怠らない事で、人は人、自分は自分と言う事が身体で解って来る。つまり、実践出来る様になるのだと思います。

 

 

 ==「最後に」==

自分の思想。型には、程度があります。つまり型を使う為には己の意思と行動力が必要です。人を妬んで居る。口を開けば他人を憎んでばかり。他人のやり方考え方をただ否定したいだけ。他人の夢を馬鹿にする奴。あなたはどうですか?悔いを残したか。人を憎んだか。人を愛せたか。罪を刻んだか。何かを失ったか。自分を愛せたか。GACKTは言う。「今日と言う日は、昨日。今日を本気で生きたくて、それでも、この世を去らなければ成らなかった者たちが残して行った輝かしい未来だ。そんな一日だ。だから本気で生きろ!!」自分の思想。型(尺度)。然しながら、其の思想は常に更新し。そして磨いて居なければチンケなプライドと成って仕舞うのですよ。私は自分の思想(型)。を持っては居ますが。それで人は計りません。あくまで、それは自分の型だからです。自分の思想。要するに旗ですね。それは大切です。然し他人が掲げて居る旗もまた大切なのですよ。下賤な考えで其の旗を汚すのは辞めましょう。