・・・エッセイ「哀しみ」・・・
昨日の昼です。。。コカコーラのコップの中はコーラでは無くアイスコーヒーです。私は真冬でもアイスコーヒーを飲みますよ。
私の仕事は重い荷物をライトバンやらトラックに積んで配達する仕事です。勿論、免許は持って居ません。だから助手です。私は荷物を車に積んで居る時に目眩がして目頭に手をやりました。すると一緒に働いて居た。橋本という男と従兄弟のゆきかずが「オラ!額に手なんか当てるんじゃ無い(笑)!!」と怒鳴るのです。私はよく其の儘、荷台に倒れて仕舞いました。そして意識が無くなりかけました。するとニヤニヤ笑って言うのです「オラ!何寝てんだバカヤロー」と。私はそんな状態で薬を飲むと卒倒するのに、私の親は私を働かせました。堪り兼ねた私は、先生に薬は飲めないと言いました。するとその医院の先生は、「薬を飲まないと、ダメだよ」と初めは言って居ましたが。そのうちに大学病院ならば、私に合う薬があるかも知れないと言い、
母校の東京医大に行く様にと推薦状を書いてくれました。私は大学病院の精神科に掛かりました。私を担当したのは小穴教授でした。この人はアメリカにちょくちょく行く教授で私の額にライトを当てて、精神分裂病なら、赤いうっすらとしたものが見えるはずだと言いました。結果そんな物は見えずに、教授は私を自律神経失調症とまた診断しました。そして診察をして居ましたが。アメリカに行く事に成り、私を置いて居なく成りました。私は事情が飲み込めずに、その後も東京医大に通いましたが、色々な医者にたらい回しにされました。そんな中、ある若い女の先生から「〇〇君、主治医を早く決めなさい」と言われて、私はその後見て貰った男の先生に掛かる様に成りました。その先生は温和な人で、私に「東京医大は悪評があるから、開業する先生がいるからその人のクリニックに通ったらどうですか?」と言いました。私は仕方がなく開業する先生の居る立川のクリニックに行く様に成りました。
Wishbone Ash...Throw Down The Sword "Live"
私は書店で「精神分裂病」と言う本を購入し。立川の喫茶店に入りその本を読んでから。母に読む様に渡しましたが、母は「わたしはお前を精神病などとは思って居ないから、そんな本は読まない、読みたくもないよ!」と言って本を読みませんでした。会社では従兄弟のゆきかずが一緒に車に乗れと言い、載せると私が薬の後遺症で舌がもつれて居るのを嘲笑って言いました、「アウアウか、〇〇ちゃん、頭八分目なんだろう、ええ、低脳野郎が!!」と罵声を浴びせます。私は何を言われても黙って居ました。そんな事を言って居るゆきかずは、或る日、フランスに親会社の食品材料大手メーカー不二製油の招待で研修に言った後に、手帳を机に忘れました。社員の皆んなが、その手帳を読んで、何故か私の処に置いたので。私は手帳を広げて見て呆れました。「I can’t speak English」と書いてあり、カタカナで「アイ・キャント・スピーク・イングリッシュ」とルビが振ってあり、そして意味、「私は英語が話せません」と書いてあったのです。
この英語は中学一年で習う英語です。しかもこの英語は間違っています。英語を使う人にとって、言語は「話す / 話さない」ものであって、「話せる / 話せない」と解釈する対象ではないのです。英語圏では”I don't speak English” ”I don't speak very well.”が自然な表現となります。ここで ”can” を使ってしまうと、言葉が発せないとか、文字が読めないと言う、何かしらの障害があるような意味に成ってしまいます、大変奇妙に見えるのです。私の周りに居た、若い社員たちは高卒の社員たちならそんな事は知っていました。だから私に手帳を渡したのです。私は苦笑いして、その手帳を常務である従兄弟のゆきかずの机に置いときました。そしてゆきかずは帰って来ると私を車に乗せて、「車の免許持っていなければ何故取らないんだ!!金が無いなら会社に借りて取れ!!」と言うのです。私は精神疾患を持っています。だから免許は持てません抗精神薬を飲んで居るのだから当たり前です。ゆきかずはそんな事も分からなく知りません。そして「お前は頭がないバカだから車の免許も取れないんだろう」と嘲笑うのです。私はゆきかずには何も話したくはありませんでした。
Gary B.B. Coleman - The Sky is Crying
そのうちに私は営業から外れて、倉庫番に成りました。するとゆきかずが来て言うのです。「〇〇ちゃん、財布の中に30万入ってるんだろう?(笑)リビングニュースなんか誰の許可を得て取ってるの、困るよ会社でこんな新聞読んで居たら(笑)まさか、会社に払わせているんじゃないだろうな!!自分で払って貰わないと困るよ(笑)」そして私が無視をしていると、母に「〇〇ちゃんは怒ればいいのに怒らないんだ」と言うのです。母はゆきかずを呆れて居ましたが。私はその数々の嫌がらせの所為で精神状態が不安定に成り、1回目の入院をしました。そして3ヶ月間入院をして、職場に戻りました。しかしゆきかずの嫌がらせは続きます。ゆきかずに入院したとは私の方からは言いませんでしたが。ある日彼が私に「キチガイ!!」と言いました。
私はそう言われても黙って居ました。先ほど話に出たリビング・ニュースとは地域の情報誌で無料です。ゆきかずはそんな事すら知らないんです。この当時会社は親父が取って来た食料品メーカーのリスカの醍醐工場のチョコレート棒、「うまい棒」が大ヒットして億という儲けが出ました。私は倉庫番を続けて居ました。或る日、ゆきかずが言いました「〇〇ちゃん、ちょっと車に乗って居てくれない?」そして私を車に乗せると後から乗って来て。怒声で言いました。「しっかりして働いて貰わないと困るよ〇〇ちゃん!!。」私はいい加減に切れてゆきかずを怒鳴りつけて言いました。「あんたねぇ、皆んなから、自分がなんて言われて居ると思っているの!!自分が利口だとでも思っているのか!!」そう叫びました。するとゆきかずは両耳を塞いで「言わないでくれ!!言わないでくれ!!」と涙ぐみ始めました。そして涙ぐみながら再び言うのです。「仕事をちゃんとやって貰わないと困るよ!!」と・・・。私は頭が6分目しかないのはお前だろうと呆れて居ました。
「今日から他人」ダウン・タウン・ブギウギ・バンド from album "脱・どん底" 1974年
そのうちに会社に武井くんと言うアルバイトが入って来ました。その若者は知的障害を持って居ました、ゆきかずは武井くんにわざと冷蔵庫の上にあるものを取れといい。彼は言われた通りに取ろうとして足を踏み外し、下まで落下すると、それを見て居た、ゆきかず、けんじ、かしろうの3人は手を叩いて「ざまみろ!ざまみろ!ざまみろ!」と喜んで罵声を浴びせたのです。そして私のところに来て言いました。「武井はこう言ってたよ〜〜〇〇ちゃん、〇〇ちゃんはどう言うんだい。え〜〜。あうあうか〜!お前も知恵遅れか!!」私は親父に言いました。「ゆきかずに何か言ったの?」すると親父は「あのバカな、此間だ千葉の醍醐の工場に連れて行ったんだ、そして、社長と話させたらな、醍醐の社長が怒ってな、こんなバカは二度と連れてくるな!!と本人の目の前で言われたんだ」と言い。
そしてな会社に帰って来たらなリスカの社長からうちの社長にな「あんたの息子はバカか!!」と電話が掛かって来てな、、「おめえに嫌がらせをするんだろう。おりゃ、知ってるぞ」と言うのだ。私は「親父でもねぇ、この会社の跡取りは親父の兄貴の子供であるゆきかずなんだから、そう邪険にしない方がいいよ」と言いました。ゆきかずの唯一の誇りは自分が出た大学の明治学院大学だった。私は断言するが1970年当時、新設の大学だったから、テストの点が取れなくとも、寄付を沢山すれば補欠で入れてくれたのだろう。私も大学入試の時に担任から言われた、東京電機大学なら推薦を取れるぞと言われたのだが、私は理系は苦手だったので、訳あって東京農大を受けたが落ちて、滑り止めの拓殖大学に入ったのだった。私は大学を敬って偉ぶってたいそうな処とは言いたくはない。その意味では素直に自分の出た大学を「私の出た明治学院大学はたいした処だぞ!」と自慢出来るゆきかずを、まあ、程度問題だが「羨ましいねぇ.....。」とは思う。
木村+ホトケ+塩次伸二 嫌んなった
そうこうして居るうちに私はまたもや調子が悪くなった。親父の行動がおかしい事をし始めたのです。親父は年で外回りが出来なくなって、会社に居る様に成ったのだが、親父の兄貴であるかしろうと、その子供たちのゆきかず、けんじが会社乗っ取りを考えはじめたのだ。彼らは底意地が悪く,ワル知恵だけは長けていた。専務である親父が働けなくなると、ゆきかずは親父をとことん追いつめたらしい。社長のかしろうは月に数億の儲けが入って居た時期に金を押領し、しこたま溜め込んでいた。私の家は弟が医者に成った。金は物凄く掛かって居る。私立だったから寄付金を毎年2回は募る、1回数百万だ。一介のサラリーマンの家から医者は出ないものだ。成れ無いのだ。学費やら寄付金やら色々払えはしない。そう言う分には親父は息子を医者にしたのは大したものだと言えよう。
負け惜しみで言うのでは無いが、私も藝大ぐらいは行ける頭が欲しかった。まあ、欲は言うまい。美大ぐらいは行きたかった。武蔵美に行くのが夢だったが・・・・母は猛反対した。結局。私は拓大の商学部に行った。しかし私は、漫画を描いたりイラストを描いたりして居たが、ある時に虚しく成って全て辞めた。親は私には親父の後を継いで貰いたかったのだ。あんな商売。私は嫌いだ。大体が時代にもう合っては居ない。製菓材料の卸問屋と言うものは、菓子の食品材料の企業の特約店だ。親父の会社は、旭成化、不二製油の特約店だった。電気店が家電メーカーのパナソニック、ソニーの特約店であるのと変わりは無い。そして町の電気屋が次々と消えて無くなり家電量販店のビックカメラやらヨドバシカメラやらに移行したのと同じ様に、そして今や総合ネットショプAmazonが幅を効かせて来た様に。一介の製菓材料卸問屋もまた消えて無くなる運命にある。
私の母は私のやる事に全てイチャモンを付けた。子供の頃から映画とかのポスターやらチラシを集めていると全てゴミ箱に捨てられた。音楽関係の仲間から電話が掛かって来ると全て断った。絵を描いていると怒って「辞めてくれ」と言って書かせなかった。私は何だったのか?私のやる事は全て否定し、そして精神病になると働けと言ってあんな連中の居る会社に叩き込んだ。一度私は母に言った事がある。「子供の頃から嫌な環境で育てられ自分の進みたい道には行かせずに、いったい俺は何だったんだ!!」と怒鳴ったら、母は涙を浮かべて「ごめんよ、ごめんよ」と泣き出した。この文を読んでいる人に言いたい。もし、お子さんが居るのなら。子供の好きな道に進ませてやってください・・・・。そして事もあろうか親父は自分の息子である私に刃を向け始めた。
その時期についての事はこのblogで散々書いて来たから、此処ではもう言うまい。私は会社を辞めた。そして病院も変えて本格的な精神病院に通って治療に専念をしたつもりだった、つもりだったのだ。処がまた再発した。10年前に自分の部屋をめちゃくちゃにしたらしい。私は記憶がごっそり無く成って居る。そんな私を姉弟は見捨てた。姉は医者の処に嫁いだ。弟は医者だった。しかし見捨てたのだ。兄弟に精神病疾患障害者は要らないと。私は最近に成って、ゆきかずの家の前まで行ってゆきかずが帰る処を物陰からじっと見て居た事がある。何故かと言うとあいつが元気なら言いたい事もあったし。ぶん殴ってやろうかとも思って居たからだ。しかし、ゆきかずももう70歳を超えた。此処18年見ない間に随分とジジイに成ったものだ。私は彼を哀れんで帰って来た。生きても恐らく6年は生きまい。死んだらあの世で神様はどう言うかな?天罰はいずれ下る....。
今現在掛かって居るお金は、ケーブルTV代とインターネット代合わせて1万3千5百円に、スマホ代1万3千円に、食費・朝と昼で1万6千円、夕食代1万8千6百円だ。あと3ヶ月毎にパーマ代8千6百円と髪染め代6千8百円が掛かる。電気代1万5千3百円、水道3千6百50円、ガス代3千4百円あと雑費で3万円、家賃5万円で、医療費8千円で合計17万6千5百82円です。こんな事をネットで公開するのはバカかと言われそうだが、いいのです。私は開き直って居る.......。
さて、どんなものか。私は障害を持って居るので医療費は此れでも安いです。(国が負担してくれて居る。本来ならもっと医療費は掛かって居るはずだ。抗精神薬は最高に高い額。普通の薬の10倍はするであろう薬を処方されて居るからだ。)。生活保護費は15万円ぐらいです。そして医療費やらは国が全額持ってはくれる様にはなる。だから3万切り詰めれば暮らせます。ただ此の儘では預金が出来ません、それをどうするかですね。こうやってblogに書くと考えが纏まる。人に寄ってはこれを見て贅沢だと言う人も居るでしょうが......。
しかし訪問看護師は、私が61年間で買い込んだ物を見て、贅沢をして居ると思うらしい。確かに購入したDVDは173枚。録画したDVD及びBlu-rayは1,196枚、今持って所有して居るビデオテープは56本、後レコードが600枚そしてCDが330枚、そして本が約720冊、Bluesharpがマイナーとメジャー合わせて72本、眼鏡が3丁にサングラスが2丁、パソコンが1台、4Kテレビが1代、ミニコンポが1台、それとラジカセが1台、CDラジカセが1台、カセットデッキが1台、スマホが1台、そしてipadが初号機と2号機の2台。ビデオデッキ1台とリージョンフリーDVDプレイヤーが1台。映画関係のパンフレッドが50冊、映画ポスター・チラシが合わせて49枚。あと洋服が50数着あります。それから掃除機、洗濯機、電子レンジ、トースターがあります。確かに今の時点でこの量を見れば結構色々と所有していて、贅沢だと思われるでしょうけど、私はこれを61年間で貯めたのですよ。このblogをお読みに成って居る方はお判りかと思いますが引越しで手放したものは、この他にレーザーディスク400枚。レーザーディスク・プレイヤーが1台。そしてCD75枚です。私はずぅーと独り身です。私はこのほか車もバイクも自転車も持っては居ません。
私は旅行には行きませんし、外食も殆んどしません。出前も殆んど取りませんし、稀に外食を食べてもハンバーガーにポテトとコーヒー。それとホットケーキと蕎麦だけです。生活保護は是等自分で生活保護を受ける前に購入したものは所有を許すそうです。然し、生活保護に成ると電気製品は実質上買えませんよ。数十万の物は買えません。私は生活保護に成る事を考えて一昨年の暮れに4K対応テレビを購入しました。あと今年以内に、お金があるうちにパソコンも買い換え様と思っています、今使っているiMacはもう8年方使っています。私は物持ちがいい方です。物は大切に使います。だから一度買うと壊れるまで使うしあります。まあ、物を買込まない方、物を収集しない方に取っては贅沢だと映るでしょうね。
確かに今はDVDとかCDでは無く,HDDに全て入れるのが流行って居るそうですよね。そして、映画はTSUTAYAのDVDレンタル、Netflix、Amazon prime。書籍は図書館で借りればいいと良く言う人もいます。物を増やさない人が居るのも解ります。しかし私は自分がいいと思ったものを身の廻りに置いて暮らすのが好きです。本などは、小説やら、ちょっとした読み物は図書館でいいと思いますが。やはり読みたい映画分析本や思想書や気に入った雑誌などは身近に置いて置きたいですね。私は結婚はしなかった。好きな女の人は居たけど、ゆきかずの悪辣な手に依って別れる羽目に成った。だから子供も居ない。街を歩いて居て、子供連れの夫婦とか見ると、いいなぁと思う。でも人にはさだめがあるのだと思います。私の人生はこうだったのだ。私は独りだ。然し独り身も、今やまた良しだと思う。さあ後何年生きられるか、もう僅か8年で70歳に成ってしまう。私は自分の状態で持って後生きても10数年だろうと思う。果たして此れから先、どう言った運命が待ち構えて居るのだろうか。そしてどんな人生を送るのだろうか.....。もう、いい事は望めそうも無い事だけは事実です......。
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おすすめ映画紹介!のつもりが、ほぼ雑談(;´∀`) ホームシアター ブルーレイ
先月購入したアニメのDVD・ブルーレイが見終わったので紹介wwナイツ&マジックがイチ押し
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