今回は、皆さんお知りに成りたいであろう、生活保護に付いてです。長い文章になりますが、皆さんの偏見を無くす為に記載しました。最後までじっくり読んでやって下さいね。其れから、今回でまた1週間ぐらい更新が止まります。体調不良の為です。私は毎日体調が良くはありません。かなり無理をして記事を上げて居ます。毎日寝て居ます。そして殆んど日常の事が出来ません。だから買い物もヘルパーさんに行って貰っています。毎日頭が痺れて来て起きて居られ無いし、付随運動が(薬の後遺症で)出て来て居ますし、ゆだれも相変わらず出て来ています。だから1週間程また更新を止めます。ですので宜しく、其れではどうぞ、お読み下さいね・・・。(๑>◡<๑)
ルルティア(Rurutia) - 氷鎖(Hyousa) //Music-Box Ver.//
つい先日、日本の人口は8年連続で減少して居ると言う発表があったばかりだ。労働力不足の解決が喫緊の課題と言われながら、いったん弱者に転落するとなかなか労働力として復帰しづらい仕組みは改善されないまま。ライターの森鷹久氏が、生活保護受給者から働く社会人として自立する難しさについてレポートする。
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渋谷区内の喫茶店に現れたのは、ブカブカの着慣れないスーツに身を包み、コンビニのレジ袋をぶら下げた・水田伸介さん(27歳・仮名)。27歳にして昨年12月に晴れて社会人デビューしたと言う男性だが、新卒者のようなキラキラした”フレッシュさ”は感じられない。財布や携帯をビジネスバッグではなく、レジ袋に入れて居るあたりからも、一般的な社会常識から逸脱した、彼の感覚をうかがわせる。
そのズレた感じの出所をたどろうと彼のこれまでの生活について話を聞くと、昨年の10月までは神奈川県横浜市内の就労支援施設で働きながら、生活保護者向けの寮で生活を送って居たことから話は始まった。
「以前は月に10万円ちょっとの生活保護を受けていました。作業所(支援施設)で働いて、月に数万円…とは言え5万6万ではありませんが給料も得ていました。寮費は食費込みで月に10万円くらい。食事は質素でしたが毎日出るし、バスも電車も地下鉄も、公営のものならタダで乗れる(※自治体により公共交通機関の無料乗車券が取得出来ることがある。割引券の場合も)。スマホも持てたし、衣食住に困ることはなかった」(水田さん)
水田さんの半生を振り返ると、それは壮絶としか言いようがなかった。物心がついた時には、関西地方の児童養護施設で生活しており、小学校低学年の時に、神奈川県内の親族の元に移り住んだ。しかし、一年もしないうちに居心地が悪くなると、関西の知人宅に潜り込み、万引きや窃盗などをして飢えをしのいだ。補導や逮捕された経験も数知れず。無理やり親族宅に連れ戻されたが、罵倒され、暴力を受けるようになり、発達障害の診断を受けてからと言うもの、自身がこの世に生きてはいけないのではないかと思い、自殺未遂を繰り返した。
なんとか18歳までを生き抜くも、親族からもいよいよ見放された。そんな時に助けてくれたのは、かつて生活していた児童養護施設の関係者の女性だ。女性の尽力により、生活保護を受けられるようになった。そして、社会復帰のために就労支援施設に入ったのだった。
施設では丸二年間を過ごした。年齢や境遇、様々な人がいたために友達と言えるような人はついぞ出来なかったが、施設の職員は皆優しく、今でもたまに食事を共にする。こうしてようやく「社会復帰」をした水田さんだったが、何時「元通りになるかも知れない」と不安な日々を送る。
「確かに形だけは社会復帰なのかも知れません。生活保護も打ち切られ、寮も出ました。しかし、私のような経歴ではまともな職場で、まともに働くことは出来ません。今は、小さな運送会社で事務の仕事をしていますが、給与は月に10万円行くか行かないか。社会人デビューとは言え、フルタイムで入る仕事が出来ないからです。
ボーナスはもちろんなし。都内の風呂なしアパートは月に三万円もするし、交通費も全て自身で出す。食事も当然自分で買ったり作ったりですが、携帯代、光熱費を払うと手元には数千円も残りません。契約社員で一年毎の更新ですが、正社員になれる可能性はありません。そもそも、会社の景気が良くなく、私のような“傷モノ”を安く雇って会社を回しているような向きもあるのです」(水田さん)
側から見れば、水田さんに甘えが見えるようにも映るだろうし、努力が足りない、自身に問題がある、などなど、彼にぶつけたいのは一言や二言では済まない。しかし、彼は普通の人が想像する以上の壮絶な環境で暮らさざるを得ず、そうした環境からやっと這い上がってきたばかりである。そんな彼が絶望し、また社会からこぼれ落ちそうになって居る。
「働いたら負け、なんてネットでよく言われますけど、このままだと本当にそうだなと思いました。懸命に頑張っているつもりなんですが、生活が良くなるとは思えないし、いつまでも元犯罪者で、発達障害の話をすると“そう言う人だ”と距離を置かれ、二度とまともな人とは見なしてくれない。働いて居れば辛いことも多く、これなら生活保護を貰って施設で作業をやっていた方が楽なんです。施設で過ごしながら将来が見えないと嘆いて居ましたが、働いても将来が見えないなら、もう絶望するしかない」(水田さん)
生活保護者向けの寮を運営する都内のNPO団体代表も、こうした元生活保護者の「回帰」について警鐘を鳴らす。
「特に若い生活保護者の社会復帰に向けた支援については、社会復帰までと言うより、復帰後の支援体制が薄いと感じます。復帰までは生活保護などの金銭的なバックアップ、食住の支援体制はある程度整ってはいます。しかし、いざ復帰しましたと言う後の支援は全くないと言っていい。施設の職員などが個人的に相談に乗ったりすることはあっても、それ以上のことは出来ません。だから結局、会社や人間関係、慣れない社会生活に溶け込めず、生活保護に舞い戻る。そうして生活保護者の中には、生活保護費をだまし取るような悪質な自称支援者の口車に乗せられ、家畜のような生活を強いられる人も、ホームレスになる人も居る」(NPO団体代表)
何時までも支援に頼る人々を「甘えだ」「金の無駄遣い」と断罪することは簡単だ。しかし、彼らが支援に頼らなくて済むような制度を作ること以外に、この社会をよくしていく術がないのも事実だ。労働力不足の現在、皆が活躍できると言う社会を作るためには、弱者を一方的に斬り捨てるのではなく、どんな人手も社会の一員として働いて生きることが出来る仕組みを成立させるのが、一番の近道だと言うことも忘れてはならない。
『ある女性・生活保護受給者の声』
安倍首相が最初に手をつけたのは生活保護費カットだった。2013年から生活保護基準の最大10%にも及ぶ引き下げを断行し、全国で約1000人の原告が裁判で戦うと言う前例のない運動が起きた。
その一方で「生活保護受給者は楽してお金を貰っている」と言う発言がネット上で散見されるように.....。
生活保護の生活とは、どんなものなのか?私が生活保護を受けていたのは安倍政権前なのだが、参考までに、自分の体験を語らせて頂きたい。
私は30代の時に生活保護を三年間受けていたのだ。
住宅扶助に収まる家は、どこもボロボロ
私は20代の時、仕事で失敗して実家で引きこもりをして居た。時代はリーマンショックのあおりを受け、健康な男性ですら職を失う時代だった。そんな社会情勢のため、私は簡単なバイトすらも受からず、実家で母と暮らしながら精神科に通院するだけの日々を送っていた。
働いて家を出たいのに、それが出来ないのは非常にストレスで、時折自殺未遂をして精神病院に入院した。そんな中、通院しているクリニックのスタッフから「家を出たらどう?一人暮らしができるようにサポートするわよ。一人暮らしを始めたら就労支援もするから」と言われて、私は家を出る決心をした。30歳の時である。
物件探しは母とした。生活費は実家の仕送りと障害年金で賄うつもりでいたが、贅沢な生活が出来る金額でもないので、家賃はなるべく抑えたい。それに、クリニックのスタッフから「家賃は念のため、生活保護費の住宅扶助に収まる金額で」「45000円以内(都道府県によって上限金額はばらつきあり)で」と言われていたので、その通りの金額で探し始めた。
予算内の物件はどこもボロボロで、狭かったり、環境が良くないところばかりだった。大きな道路に面していて、部屋の中まで轟音が響いてきたり、洗濯機が玄関の前に置いてあって、洗濯をする際に、いちいち外に出なければならなかったりした。でも、お金がないのだから、文句は言えない。私は妥協に妥協を重ね、1Kのアパートを契約した。今まで住んだ中で一番ボロボロの部屋だったけれど、実家を出られる喜びは大きかった。
生活保護受給者は差別を受けることが多い
一人暮らしを始めてからは楽しかった。今までは、成人しているにも関わらず母親と暮らしていることに負い目を感じていたけれど、立派に自立している気持ちになれた。台所で包丁を持ってキャベツを刻むと、それだけで生き返った気がした。
日中は精神科のクリニックのデイケアに通い、それ以外は何もすることがないので、本を読んだりテレビを見て過ごした。スタッフから就労の話はなかなかでない。そうこうしているうちに一年が経過し、定年退職を迎えた父から「お金が無いので、送金出来ない」と言われた。それをクリニックのスタッフに告げると「じゃあ、生活保護を受けましょう」とあっさり言われた。恥ずかしながら、この時、私は生活保護に関する正確な知識がなかった。差別を受けることが多いものだということすら知らなかったのだ。多分、生活保護という単語が大きく話題になったのは、お笑い芸人の母親が生活保護を受けていたことが発覚してからだと思う。そのニュースの前は、生活保護と言う単語があまり身近でなかったのではないかと記憶している。
福祉を受けることは、プライドを捨てること
クリニックのスタッフに「貯金が10万円以下になったら教えて下さい」と言われ、その金額になったので、そう告げると市役所に同行してくれると言った。その人はクリニックのソーシャルワーカーだったので、申請の仕方や、手続きに慣れているのだろう。それに、市役所側も、専門職の人間が一緒なので、無下に追い返したりはしなかった。
私は資産がないと言う証明のため、通帳を役人に渡した。その後、「財布の中身を見せてください」と言われ、戸惑いながら、札入れと小銭入れを開いた。役人は小銭の金額までチェックする。自分は精神障害者なので、障害支援課にはよく来ているし、手続きに関しても慣れているが、小銭の金額までチェックされるのは驚きだった。
「これ、読めますか?」
そう言って渡された書類には生活保護に関することが書いてあるのだが、ご丁寧に全ての漢字には振り仮名が振られていた。私はこの書類すら読めない人間だとカテゴライズされているのだと悔しかった。福祉を受けると言うことは、プライドを捨てることになのだと要約分かった。
今までは国民健康保険証を持っていたが、それも使えなくなるので、返納した。生活保護受給者は医療費が掛からないので、保険証の必要がない。しかし、病気になった時、どうやって病院に掛かればいいのかは教えてくれなかった。
何故、私は生きて居るのだろう?
生活保護を受け始めて、分かったのは、この先に明るい未来などないと言うことだった。定期的に生活費が振り込まれるが、生活するだけで精一杯の金額だ。友達から海外のミュージシャンが来日しているからコンサートを一緒に観に行こうと誘われたけど、お金がないので断った。友達に飲みに誘われても、飲み代を捻出するのが大変だし、友達の税金で生活していると言う罪悪感が湧いてしまう。
私は徐々に友達に会わなくなった。大好きだった映画館からも足が遠のいた。毎日、スーパーで底値の野菜を買い、洋服はユニクロで売られているセール品の中でもさらに安くなっているものを買った。自分が好きなものを食べ、好きな服を着ることが出来ない。私は次第になぜ生きているのか分からなくなった。
ある冬の日、とうとう風邪を引いた。熱が出て、咳が止まらなくなり、病院に行きたいのだが、どうしたらいいか分からない。市役所に電話をすると「医療券を出すので取りに来て下さい」と言われた。しかし、市役所は自転車で20分近くかかり、バスも頻繁に出ていない。私が電話口で戸惑っていたら「市役所の出張所でも医療券は出せますので」と言われたので、コートを羽織って、出張所に歩いて向かった。
出張所の受付の人に「生活保護受給者なんですけど、病院に罹りたいんです」と小さな声で告げると、書類を手渡された。罹りたい病院名や診察を受けたい理由、それに名前を書く欄がある。書類を提出すると、受付の女性は電話を掛けた。きっと市役所に掛けているのだろう。電話が終わると書類にハンコを押して返してくれた。それを受け取って、病院まで急ぐ。病院でも「生活保護なんですけど……」と伝えなければならなくて、恥ずかしかった。
働けるなら、働きたい。でもどうやって仕事を…
そうしたちょっとしたことの積み重ねで、生活保護を受けていると、恥の感情が自分の体の中に染み込んでいく。生活保護を受けることは国民の権利であり、相互扶助の精神で行われていることなのに、私はとても居心地が悪かった。生きているのが申し訳ないし、働けない自分が悔しかった。
生活保護を受ける生活は、ただ、生きているだけだった。朝起きて、味噌汁と納豆をかけたご飯を食べ、お昼はデイケアでお弁当を食べる。簡単なプログラムをこなした後、家に帰り1人で夕食を摂る。
最初は楽しかった一人暮らしだけれど、生活保護を受けても、就労支援は行われず、生活保護のワーカーからも何も言われない。働けるなら働きたいけど、仕事のブランクが10年以上ある自分がどうやって仕事を探したらいいのか見当がつかない。
半年くらい経った頃、この生活が永遠に続く気がして怖くなった。友達にも会えず、胸を張って街を歩くことも出来ない。欲しいものも買えず、楽しいことも出来ない生活。私は早く死にたいと考えるようになった。
自殺未遂をして入院。でも生活保護だから入院費は無料
平日の昼間、河川敷まで散歩に行った。川向こうには小さなビル群が見える。あの中で沢山の人が働いているのに、私は何もしてない。私と同じ年代の人は会社で仕事をし、仕事が終わればどこかに飲みに行き、家に帰れば家族がいる。それなのに、私には何もない。
生活保護費は本当にギリギリの額なので、家計簿をつけながら、うまくやりくりしないと生活が続かない。自転車で遠くにある激安スーパーに行くのが日課になり、人生の目的が生活費を節約することに変わっていった。私はなんのために生きているのだろうと思うと、後から後から不安が湧き上がってきて、頭の中には死の影が漂い始めた。私はとうとう死ぬことを決心した。
ネットの掲示板で自殺のスレッドを見つけて読み込むと、市販薬でも死ねると言うことが書いてあった。私はその薬を買うために行ける範囲内の薬局を何軒も回った。
アパートに帰ると、大きな錠剤を口に放り込み、何度も飲み干した。確実に死ねる量を飲まなければならない。未遂で終わってはいけない。大量の薬を飲んだ私は疲れて横になった。気がついた時は、救急病院に搬送されていた。鼻にはチューブがつけられ、胃洗浄を何回もされた。警察官に実家の電話番号を聞かれるが、意識が混濁している上に、薬のせいできちんとしゃべることが出来ない。私はその後、何度も人工透析をし、一週間ほど入院をした。なんとか一命を取り留めたが、死ねなかった絶望の方が大きかった。会計の時に母が驚いていた。
「エリちゃん、生活保護だから、今回の入院費はゼロですって」
私が生活保護を受けたのは、自分の責任だと思う?
生活保護受給者の自殺率は、受けて居ない人の二倍以上だ。30代になると5倍を超えると言う。
30代の生活保護受給者は精神疾患の人が多く、彼らの就労は依然として厳しい。そこへ生活保護バッシングが加われば、元からストレスに弱い彼らには耐えることが出来ない。若い生活保護受給者には復職への支援が必要であるし、働くことに困難を抱える人たちへの理解は不可欠だ。
私の友人の夫は良い企業に勤めていて、とても収入がいい。そして、時々、差別的な発言をする。私は意を決して彼に聞いた。
「私が生活保護を受けたのは、自分の責任だと思う?」
彼は私から目を逸らして黙って居た。
「黙っているって言うことは、私が悪いと思うの?」
彼はさらに黙り続けた。否定しないと言うことは、そう言うことだと思っているのだろう。
私はその姿を見て、世の中のマジョリティたちは、私たちのことを少しも理解していないのだと要約分かった。そして、自分たちが恵まれた立場にいるのは、自分が努力して勝ち取ったものだと勘違いしていることにも気がついていないのだと察した。
障害者になるのが耐えられず、障害者手帳を拒否
マジョリティである健康な人たちも、将来は歳をとって老人になる。歳をとって、身体が動かなくなった時、身体障害者手帳を取得することが出来るのだが、それを拒否する人が多いと言う話を何かの本で読んだことがある。若い時に、自分が差別していた障害者になるのが耐えられないと言うのが理由だそうだ。さらに、生活保護を受給している高齢者世帯は過去最多を記録している。今、健康で働いていようとも、将来自分がどうなるかは分からない。
菅首相が総裁選の出馬会見で「自助・共助・公助。この国づくりを行っていきたいと思います」とニュース番組で述べたが、自助と共助は国が行う公助が行き届かない場合に行うものだ。自分たちでなんとかしてくれ、とはあまりにも無責任だ。
岸田総理も「扶養照会は生活保護の仕組みの上で必要な事だ」として、此の悪例を見直そうともしない。。。
政権交代という、大きな動きの中、私たち国民も政治の動きから目を離してはならない。そして、おかしいと思った時は声を上げよう。10万円の特別定額給付金が給付されたのも、SNSで声を上げたからだ。小さな声が集まれば国に届くのだと言うことを忘れないようにしたい。
(編集:榊原すずみ)
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もしあなたが、もしくはあなたの大切な人が、ひどく落ち込んだり、気持ちがふさぎ込んだりして、いつもの気持ちが保てなくなっていたらーー。
そんな時は、次のところに相談してください。
厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」(全国共通)0570-064-556
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悩みを抱えている人のためには、以下のような相談窓口があります。
ある人が言っていた。その人の団地に住んでいる40歳の女性は生活保護者で、、毎日ビデオを見て煎餅を齧っていて許せないと言うのだ。どう言う事なんだろうか、生活保護者はDVDもNetflixも見ては行けないのか???煎餅一袋百円だ。その人は外にも出られずに自宅の自室にいて、わずかなお金でDVDを見ながら煎餅を齧っているのだろうに...。其れしか、やりようが無いのだろうに、其れを何故金を持っている赤の他人が許せ無いのだ???そして大概の人は生活保護者は贅沢をしていると言う。そして問題にするのが生活保護費の病院での診療費がタダになると言う事だ。「透明性が無い、許せない!!」と言うが、生活保護受給者は、大抵が精神疾患を持っている病人で障害者だ。生活保護費は皆さんが考えているよりも遥かに低いのですよ。基本13万円しか貰えない。もし、此の生活保護費で医療費まで出させたら、生活保護者は死んでしまう。だから国が面倒を見ているのですよね。健常者の方達は、多少の負担があっても自分で医療費は払えるでしょうに、、何で障害者の事をいちいち槍玉に上げてウサを晴らす真似をするのか・・・・・・。以前、大阪の精神クリニックに罹っていた、61歳の男性が放火をしてそのクリニックの院長ともども患者を皆殺しにしたと言う事件がありましたが。
彼は自分も黙って死んで行ったので、「凶悪な犯行!!人でなし!!」と罵られていますけど。警察が動機を調べた処、彼は勿論障害を持っていて、何と所持金がまるで無かったらしい。其れで大阪の区役所に生活保護を申請に行ったらしいですけど、、彼は持ち家を持っていたので撥ねられたらしいですね。、何でも持ち家の他に親から今から40年前ぐらいに遺産相続したアパートも一軒持っていたらしい。原則としては持ち家があったら生活保護は降りないんですよ。ましては彼には貸していたアパートもあった。しかし2軒とも老朽化が酷く、入居者は一人も入らずに生活苦だったらしい。何故、国は持ち家があると生活保護を認めないのかと言うと。家屋はともかく土地は高く売れるからだ。まあ、あの男は誰か親身になって相談してくれる処か人が居ればよかったのだろうけど、、一般の人たちが考える様な甘い事は通らないのですよね。其れからよく引き合いに出して言う人がいるけど、不正受給ですが、ある人のblogを見に行ったら、生活保護の受給者は皆、不正受給者みたいな認識でしたが、、、
Rurutia / ルルティア - 爱し子よ(Ballade Ver)
不正はいけません。あたりまえです。とりわけ、悪質で規模の大きい不正には厳しく臨む必要があります。生活保護の不正受給についても、それは当然です。とは言うものの、生活保護と言えば不正受給を連想すると言うような風潮が、あまりにも過剰に広がっています。まるで不正だらけのように言う国会議員もいて、実態とかけ離れています。生活保護の不正受給はごくわずかな比率だし、不正と扱われていても悪質と言えないケースは多いのです。全体の100%のうちの0,4%にしか過ぎません...。
神奈川県小田原市の生活保護担当課が「保護なめんな」などのローマ字が入ったジャンパーを作り、相当数の職員が着用していた事が問題になりました。保護の申請者・利用者を不正予備軍のように見て、不正受給防止を職員の主たる仕事のように位置づけるなら、本末転倒です。威圧的な姿勢は、助けの必要な人を阻む壁になります。他の自治体も、不正受給の実情を冷静に見つめ直し、職員のスタンスに問題はないか、この機会に点検するべきでしょう。
此処の処、生活保護について真面目に考えている。考えれば考えるほど、貰うのが躊躇われる。何故か?それは、住居代が5万3千7百円まで、そして生活費が月8万なのだそうだ。私の場合、障害があるので、障害者加算があるので、それプラス1万7千円程だ。要するに今のアパートが5万円の家賃だから、5万+8万+1万7千円、合計、14万7千円になると言われた。しかし此れでは生活出来ない。私が色々と計算した処に寄ると、食費が丸々出ないのだ。さてどうしようと思い、、
そうだ、この生活保護を貰ってアルバイトで月5万ほど稼げばいいかなと思ったが。そうすると収入に成ってしまい、貰って居る生活保護費から5万円が差し引かれる。要するに貰える金額が9万7千円に成ってしまうのだ。だから生活保護を貰うとアルバイトも出来ない。そしてお金を借りると、例えば1万借りたとすると、借主に1万返すだけでは済まなくなるのだ。なんと、役所に、収入として申告しなければならず、要するに1万借りたものが2万に成ってしまうのだ。1万借りたものが2万返さなければ成らなくなってしまう、こんな馬鹿な話があるか?
よく、生活保護者は贅沢をしていると言う人がいるが。文化的な必要最小限の生活などとは程遠い、どうにか生きていられるだけの最低限のお金しか貰えないのだ。例えばこれに兄弟からの仕送りが月3万有ったとする。そうするとこの3万は収入となるので、生活保護費から3万が引かれる事に成る。皆さん、生活保護を貰って生きているだけの生活、何の楽しみもない生活に耐えられますか?。行政はこの金額から貯金をしなさいと言っている。どうやったら貯金なんか出来るんだ。前に訪問看護師が言っていたが、そんな生活保護費の中から300万貯めた人がいると言う。
そしたら、行政は300万も貯めたんだから数年は暮らせると、生活保護費を打ち切ったとその看護師は丸で喜んでいるが如く私に話して来た。しかしこの話は丸嘘だ。どうやって生きているだけの生活費から300万も貯められる。その話をした訪問看護師は私が保険を解約したと言ったら、幾らお金が貰えたんだと、しつこく聞いた。私は憮然として4年前に数百万だと言ったら「へぇ〜〜!!」と言っていた。複数の訪問看護師から「〇〇さんは、此処18年ぐらい持ち金で暮らせて来たなんて凄い。お金持ちだ」と言われる。月に幾ら稼いで居たんだとしつこく聞くので、「月に30万だよ」と言ったら、「へっ、何だ!。」と言う。他人は特に若い女の子は残酷なものだ。彼女らは例えば私がポケットからレシートとかのゴミを落とすと「ほら!!落としたよ!!」と怒鳴る。こっちは薬のせいで動作が鈍いのだ。こんな連中が訪問看護師なのですよ・・・。
言わせて貰うが、訪問看護師の給料は多額のお金が貰えている。月に30万から37万は貰えている。なのに何故、人の生活費が気に成るんだ。それは悪意があるからだ。そして若いヘルパーの女の子も言う、「私が掃除に行っている生活保護を貰っている人がさあ、1千万の隠し金を持っていると言うんだぁ〜。頭来ちゃうわよ、私の税金で生活してんのよ!!」私の税金???気持ちは分かるが。まあ、確かに1千万円あったら、使い方にもよるが8年は暮らせるから・・・。
私が家賃5万円の処に引っ越して来たら、ケア・マネージャーは「生活基盤だけは整いた様ですね?」と言っていた。そして私が訪問看護師に前なども、「俺も生きても、あと8年から10年ぐらいだから....。」と呟いたら「なら、今すぐに財産処分しな!早くすれば!!」と言われましたよ。だから「今すぐに死ぬ訳じゃないのだから。まだ財産は必要でしょ!!」と言った。はっきり言ってぶち殺してやりたい心境だった。「今、何故、財産処分しないの?」とは何だ。まだ生きているのだぞ。人の痛みが全然分かってはいない。まあねぇ行政に携わっているものは、大変だとは思うが、もう少し、此方側に立って考えて物事を言って貰いたい。まあ、所詮、赤の他人なのだ....。赤の他人にしては面倒を見てくれて居る方だとは思うが....。まあねぇ、金払ってるんだから当たり前なんだが・・・・。私の個人的な負担は無いが、区から行政から看護ステーションには毎月9万幾らのお金が入っている。それも私が統合失調症だから国の配慮でだ。普通は自分持ちだ。一般人が訪問看護師を雇うとなると。ほぼ10万は月に掛かりますよ、払える金額ですか?彼女らには訪問看護師としての自覚を持って貰いたいですね。大体が薬のセットと血圧と体温脈拍を測るとすぐに帰りたがる。患者の話を聞くのもたとえ世間話でも治療の一環でしょうに、まあ、真面な人もいるけどね・・・・。
年金を貰うと、生活保護費は年金分差し引かれます。甘いモノでは無い。そして、私は今のアパートを、後3年後には出なければ成ら無い。何故なら建て替えで3年後に取り壊されるからだ。ケア・マネージャーが其れを聞いて「まずいな..。」と言っていた。何故なら、生活保護はしっかりとした、居住地が成ければ認めてくれ無いからだ。私は後3ヶ月後には申請に行かなければ成ら無いのです。
生活保護になると、どうなるのか漫画にしてみた(マンガで分かる)
前に、ケア・マネージャーに電話を掛けた。用件は生活保護を申請するのは辞めようと思うと言う事だったのだが、掛けたら反対に、此方が説得させられた。「働こうとする意志は立派だけど。障害を持っていて果たして働けますか?」と言われた。私が「Amazonで働こうと思う」と言うと、「Amazonの仕事はキツイですよ。あの広い倉庫内を慌ただしく商品を探して周り、しかも毎日8時間の重労働。務まりますか?」と言われた。私が生活保護の情報を知れば知るだけ貰えなく思うと言うと、「それは情報操作だ」と言う。
勝手1990年代に、生活保護でお金を貰って、楽しく暮らそうと言う「生活保護完全マニュアル」だとか言う本が出たのだそうだ。一部の人たちが、汗水流して働くよりも生活保護を貰って楽して暮らそうと言うことが流行ったのだそうだ。そのせいで今だに不正受給者がいるらしい。私の場合、障害者手帳も持っている事だし。生保を受ければ障害者加算もちゃんと付くし、大体が月に14万7千円は貰えると言われた。Amazonで無理して働いて16万だから...。大体が私は障害を持っている上に歳が逝って居る。「Amazonで働いて居て、もし体に不調が出て身動きが取れなく成ったら、その時はどうするのですか?」と言われた。
そして、「生活保護を受ければ医療費はタダですから」と言う。私は考え込んでしまった。確かにそうなのだ、言われる通りなのだ。歳が行ったヘルパーさんにも言われた、「皆さん障害を持っていて働けない人はその金額で充分暮らしていますよ。確かに贅沢は言えないけど。暮らせていますよ」と言って居た。私は今は持ち金が幾許かはある。生活保護を受けるのは今年の9月頃に成るのだが、福祉関係者は心配は要らない、大丈夫だと言ってはくれている。
私は今現在、月に17万ぐらいで暮らしている。訪問看護師がこの間、月14万6千円まで生活を落とした方がいいと言っていた。確かに金使いすぎだとは思うが....。まあ、この問題は難しい。健常者の様には如何ない。私は最近買い物をよくする。何を買うのかと言うと書籍と洋服を買う。後たまにDVDだ。ケア・マネージャーに私はケーブルTVとインターネット、それにスマホ代は外せないと言ったら、生活保護受給者でもそれらをやっている人はいると言われた。私の場合、酒もタバコもやらないから、充分それで生活出来ると言われた。私の状態で働こうとするのは無謀だと言うのです。
まあ、仕方が無いです。確かに私は障害の為に此処18年間働いてはいない。皆さん18年間も働かずによく暮らせて来たと思うでしょうが、私は働いて居た時に母に給料とボーナス全額を渡してはいたが。私は自分の給料からは財形貯蓄で金を貯めていたし、母が生活費の中から金を貯めてくれていた。それらの金で5年前まで暮らして来たが何遍も言うが金が尽き。そして外資系の保険会社に積立式の年金保険と生命保険を掛けていたのだが。4年前に成って其れ等を解約した。そして纏まった金額の金を手にしました。保険を積立式にしといてよかったのです。ヘルパーが言っていた。「国は暮らせる様に考えているのだから、大丈夫ですよ。贅沢は出来ないけど、それは仕方が無いです」まあ、本当に仕方がない。誰だって生活保護なんか頼りたくは無い。生活保護者に対する世の中の風当たりは凄まじいものです。至る所でバッシングの話を聞きます。しかし世の中のマジョリティーの人達に言いたい。あなた方だって何時、私の様な事態に陥るか分かりませんよと・・・・・。
今、生活費で罹っているお金は、ケーブルTV代とインターネット代合わせて13,737円に、スマホ代7,153万円に、食費・朝と昼で14,000円、夕食代18,980円だ。あと3ヶ月毎に髪染め代とカット代で18,600ぐらいは掛かるだから分割で溜めていて月に5,000円が掛かる。電気代6,264円、水道代は生活保護者は免除になるから、ガス代3,124円あと雑費で1,640円、家賃5万円で、合計119,898円です。残り自由に使えるお金は26,102円でしょうか?こんな事をネットで公開するのはバカかと言われそうだが、いいのです。私は開き直っている......。スマホ代は、使ってもいないのに払わされて居たモバイル・ルーター使用料と機種代と後少しだったスマホ代を一括で払った。そうしたら、請求が来た。何と解約料金に2万円も取って居た。全額で5万円ぐらいの請求が来た。もう2度とauではスマホを買わない。
さて、どんなものか。私は障害を持っているので精神病の医療費は安いです。(国が負担してくれている)内科の費用と薬代は実費だが。私の様な重度の障害者手帳(1・2・3級とあって、1級は寝たきりでヘルパーと訪問看護師がいないと何も出来ない人。2級は自分で少しは動けるが、日常生活に副作用の支障があって、ヘルパーと訪問看護師が必要な人。3級は精神疾患でも軽い人)があるが、私は2級だから、そして精神障害者を守る自立支援法で守られているから精神科の医療費と薬代は罹らない。精神病患者は私の様に重い患者は、国が面倒を見てくれているのですよ。生活保護費は私は14万6千円ぐらいだそうです。3万4千円切り詰めれば暮らせます。しかし此の儘では預金が出来ません、それをどうするかですね。こうやってblogに書くと考えが纏まる。人に寄ってはこれを見て贅沢だと言う人もいるでしょうが......。
しかし他人は、私が63年間で買い込んだ物を見て、贅沢をしていると思うらしい。確かに購入したDVDは173枚。録画したDVD及びBlu-rayは1,196枚、今持って所有して居るビデオテープは56本、後レコードが680枚そしてCDが330枚、そして本が約720冊、Bluesharpがマイナーとメジャー合わせて72本、眼鏡が3丁にサングラスが2丁、パソコンが1台、4Kテレビが1代、ミニコンポが1台、それとラジカセが1台、CDラジカセが1台、カセットデッキが1台、スマホが1台、そして弟から貰った、今は壊れている初号機と2号機の2台のipad。
映画関係のパンフレッドが50冊、映画ポスター・チラシが合わせて49枚。あと洋服が50数着あります。それから掃除機、洗濯機、電子レンジ、トースターがあります。確かに今の時点でこの量を見れば結構色々と所有していて、贅沢だと思われるでしょうけど、私はこれを63年間で貯めたのですよ。このblogをお読みに成っている方はお判りかと思いますが引越しで手放したものは、この他にレーザーディスク400枚。レーザーディスク・プレイヤーが1台。そしてCD75枚です。私はずぅーと独り身です。私は、此の他に車もバイクも自転車も持ってはいません。
私は旅行には行きませんし、稀に外食やら出前を取りますが。生活保護に成ったら一切食べられません。生活保護は是等自分で生活保護を受ける前に購入したものは所有を許すそうです。然し、生活保護に成ると電気製品は実質上買えません。数10万の物は買えません。私は生活保護に成ることを考えて5年前の暮れに4K対応テレビを購入しました。4kテレビではありません、あくまで対応テレビです。あと昨年、お金があるうちにパソコンも買い換えました、前使って居たiMacは8年方使っていました。
私は物持ちがいい方です。物は大切に使います。だから一度買うと壊れるまで使うしあります。まあ、物を買込まない方、物を収集しない方に取っては贅沢だと映るでしょうね。確かに今はDVDとかCDでは無く、HDDに全て入れるのが流行っているそうですよね。そして、映画はTSUTAYAのDVDレンタル、NetflixやらAmazon primeで鑑賞して。書籍は図書館で借りればいいと言う人もいます。物を増やさない人がいるのも解ります。
しかし私は自分がいいと思ったものを身の廻りに置いて暮らすのが好きです。本などは、小説やら、ちょっとした読み物は図書館でいいと思いますが。やはり読みたい映画分析本や思想書は身近に置いて置きたいですね。しかし、其れも生活保護に成ったらもう出来ません。私は結婚はしなかった。好きな女の人は居たけど、ゆきかずの悪辣な手に依って別れる羽目に成った。だから子供も居ない。街を歩いて居て、子供連れの夫婦とか見ると、いいなと思う。でも人にはさだめがあるのだと思います。
私の人生はこうだったのだ。私は独りだ。然し独り身もまた良しだと思う。さあ、あと何年生きられるか、あと僅か7年で70歳に成ってしまう。私は自分の状態で持って。後、生きても10数年だろうと思う。生活保護が受けられなければ死ぬしか無い。何遍も言いますが。。。以前に生活保護を貰うに当たって役所の生活保護課に行った人がアパートも金がなくなって住めなくなり、泣き付いても、生活保護課の職員はその人をバカに仕切って「インターネット・カフェがあるだろうに、漫画喫茶に行きな。へっ!!(笑)」と鼻で笑われて相手にされなかったそうだ。果たして此れから先、私はどう言った人生を送るのだろうか.....。人間何時でも死ねる。とうに死ぬ覚悟は出来て居ます。こんな世の中に未練なんか無いですから。もう、生活保護が通らなかったら、私の人生は終わりなんですよ....。でも最後まで希望は捨て無いでいようと思ってもいます、何故ならこのblogでblog仲間から心配して貰っているからです。3ヶ月後、もし申請が通ったら此のblogにてお知らせします。ですので宜しく御願い致しますね。。。

Aさんは、生活保護の不正受給を問題にする報道や「働けるのに働かずにパチンコへ行く生活保護の人」と言うSNSへの書き込みを見る度に、調子を崩し、引き籠りがちになった。当然、作業所の工賃は安定しない。Aさんの住む1Kのアパートの同じ階には、他に5世帯が住んでいる。年金生活の単身高齢者のBさん(女性)とCさん(男性)、幼児を抱えたシングルマザーのDさん、「生活保護は羨ましいかも」と時々思う若いワーキングプアの男性Eさん、と言う構成だ。
ある朝、目覚めたAさんは、昨晩のテレビ番組で紹介された、「どう見ても五体満足で働けるのに、働いていない生活保護の男性がいる」と言う視聴者の声を思い起こして、どうしても布団から出られずにいた。最悪なのは、他の出演者が「本当にそうですよ、働いていないのに医療も無料で受けられるし。年金暮らしで医療費が儘ならない方が沢山入るのに・・・。」と同意した事だ。その「五体満足で働ける生活保護の男性」は、もしかするとAさん自身の事かも知れないではないか。
司会者は曖昧な笑みを浮かべ、明確な「ノー」を言わなかった。そして手元のスマホの中では、ツイッターに「生活保護受給者は許せない!!」と言う同意ツイートがあふれた。Aさんはテレビの電源を切り、スマホをロックし、睡眠薬を飲み、なんとか眠りに付いたのだった。なんとも心地よくない寝覚めではあるが、Aさんは顔を洗い、歯を磨き、衣服を着て靴を履いた。そのとき、ドアの向こう側から単身高齢者Bさんと誰かの会話が聞こえた。
Bさんは、会社に勤めて居た夫をパート主婦として支えて来た女性だった。夫が病に倒れた為、保有して居た住まいを売却して療養資金と夫の葬儀費用に充て、夫亡き後はこのアパートで単身生活をしている。受け取って居る老齢厚生年金は、生活保護基準より少し高い金額だが、医療費の自費負担などを支払うと生活保護以下の暮らししか出来ない。



