この間、近所の内科に行って来た。診察室に入ると先生がニコニコしている。そして、「いやぁ〜素晴らしい。みんな正常値ですよ」と言って検査用紙を見せて、糖尿病もなければ、コレステロールの値も正常値だという。「ただ中性脂肪が多い35〜149のところ221もある。酒飲むのですか?」と聞かれたので、酒は飲まない。今、痩せる薬の漢方薬を飲んで居ると言ったら、「あの薬は脂肪をこそげ落とす作用があるからなぁ、でもその割には肝臓の値も正常だし。いいですね!!」と言われた。この間ヘルパーさんが「糖尿病でしょ?」と聞いて来たので。心配して居たのだが。だって、よくよく考えて見れば、食事は本当に質素だし。朝は、もやしとニラを炒めて目玉焼きにパンとコーヒーで、昼は食パンにコーヒーだし。夜の弁当はベネッセのカロリー計算した弁当だし。それで太っているのだから、何でだと言いたいのだけども。おそらくジュース類の飲み物だろうと思う。夏場は1日2リットル近く飲むから・・・・でも、コーヒーはインスタント・コーヒーにシュガットを入れて飲んでいる。人は見た目で糖尿病だとか脂肪肝に違いないとか、勝手に言ってくれる、私は体重が増えて、此処の処、77、8 kgもあるからだ。去年の8月には体重が60kgだったのだから1年で17,8kgも増えた事に成る。処置なしです。ただ見た目、太っているから血糖値が高い糖尿病だろうとか周りは勝手に推測する。それに私は着痩せするタイプだ。おしゃれな格好をするとそんなに目立たない。だから内科の先生も「いいじゃない、問題ないですね。」と言うので「先生太ってますよ〜」と言ったら「見た目の身長から言って5キロぐらいだよ」と言う。よく、ダイエットの薬を飲んで15kg〜20kg痩せたと言って芸能人が、使用前と使用後の薬の効果を映像付きで見せているが、あれは、ほとんどが美容整形に行って脂肪吸引をしているはずだ。飲むだけで脂肪が20kgも落ちるのならば苦労はしない。ところで一昨日からトイレによく行く。ガスがすぐに溜まるし、便はよく出る。昨日は酷く40分毎に便が出た。恐らく防風通聖散の効用が効き始めたのだろうと思う。この暴風通聖散は漢方薬で肥満症の改善、手っ取り早く言えば、脂肪をこそげ落とす作用がある。長時間飲まないと漢方だから効かないが...この薬と同じ作用がある市販の薬では「ナイシトール」と言う物がある。効用は同じです。ああ、ただ、「ナイシトール」は防風通生産の3倍ほどの効力がある。しかし値段はその分高い。1瓶5、6千円はする。防風通聖散は医薬品だから内科で処方出来ます。私は精神科で出して貰って居ます。今回内科の医院に行ったのは、今までは総合病院だったので、内科でも見て貰って居たのですが。突然、精神科の先生から、うちの内科は限りがあるので内科専門の病院に行った方がいいと言われたからだが。確かに内科の医院の方が面倒見がいいのです。人は本当に見た目でその人を決めつける。太って居ると、だらしがない生活をしているからだ。ばくばくものを食い飲んで寝転んで居るからだ。きっと血糖値が高く糖尿病やら脂肪肝のはずだと決め付けて話す。太ると言うのは脂肪の核が太る体質だから太るのであって、少ない食時量だけども太るのはこの体質に依ります。肥満とは、脂肪組織に正常以上に脂肪が蓄積した状態です。人間の体内で最も多い構成成分は、体重の50~60%を占める水分で、次が脂肪分です。脂肪分が体重に占める割合、つまり「体脂肪率」は、正常男性で15~20%、正常女性で20~25%が適正と考えられており、男性で20%、女性で25%を超えますと、肥満と判定されます。体脂肪率は、二重エネルギーX線吸収測定法と呼ばれる方法などによって正確に測ることができますが、肥満かどうかは身長と体重から簡単にはじきだせます。これは身長に対する体重の比率が、脂肪の蓄積量に関係していることが分っているためです。今日よく利用されているのは、「体格指数」:Body Mass Index(BMI)と呼ばれているもので、世界共通の肥満判定の物差しともいえます。体格指数は 体重(kg)÷[身長(m)× 身長(m)]の式によって計算します。身長の単位はメートルです。正常値は22で、25.0以上を肥満と判定します(2000年日本肥満学会肥満症診断基準検討委員会)。ちなみに同委員会では、25≦BMI<30を肥満(1度)、30≦BMI<35を肥満(2度)、35≦BMI<40を肥満(3度)、40≦BMIを肥満(4度)と分類しています。私は去年の夏10kg痩せました。しかしリバウンドで10kg以上太りました。今年に入ってから、漢方薬の防風通聖散を飲み始めました。最近になって効果が現れ始めた。とにかく、大便によく行く様に成りました。効果が出て来て居るのだと思います。しかし、また、食事制限を始め様と思って居ます。此処の処2ヶ月ぐらいで7kgも太ったからです。私は外食は全くと言っていい程しません。たまに入って、ファスト・フードのハンバーガとカフェ・ラテを食べるぐらいです。まあ、これが太るのは解りますが、たまにです。ご飯やらラーメンは原則食べません。夜に弁当に付いて来る老人の摂取量のご飯だけです。少ないです。その代わりに食パンを食べるのですが、精神科の医者に言わせると食パンが太るそうです。夜食はこんにゃくを油で炒めて中濃ソースを掛けて食べています。死んだ弟の嫁さんはモデルでもあったので、昼はゆで卵一つしか食べませんでしたっけ・・・
昔、親父が会社で「オリャ〜昼はカツカレーなんざの栄養が何にも無い物を食べている」と言うので、カツカレーのカロリーがどの位あるのかを教えたら、言わなくなりました。親父は本当にバカだったと思います。高倉 健が生前テレビ番組に出て来て言って居ましたが、殆ど何も食べないそうです。だからご馳走を並べられたら、「どれも食べられないけど、今日は半年ぶりにカレーライスだけ頂きます。美味しいなぁ」と言って食べて居ました。私の親戚には俳優の宇津井健が居ますが、健さんに聞いた処。お米は一粒も食べないそうです。いつもおかずだけしか食べて居ないと言って居ました。それも野菜が主だそうです。私も先生から食パンを辞めて、野菜炒めを食べなさいと言われています。ですので考えています。ただそうすると食費が掛かるので、食パンは6日分で200円以内で済みますからねぇ・・・私は10年ほど前に精神的な病に罹り、今来ている訪問看護婦さんたちは薬の管理で来て居るのですが、余程に酷い重度の精神疾患患者を見て居る為か、私を見る目もそう言った目で見て居る看護師が居ます。大体が患者とのコミニケーションは薬と普段の生活の仕方・振る舞いが主で、私が趣味の話だとか過去の思い出話などをしても大抵の人は嫌がるだけです。どうしてかと言うと。例えば私が音楽の話やら漫画の話、哲学、映画の話などをしても自分らがそんなに解らないからです。だから話が噛み合いません。知らないのなら患者を見る序でに聞き出して仕舞えと思えばいいのに、そうは思わない様です。私は人と付き合うとその人の趣味を聞かせて貰って、自分に合えば参考にしました。中学の時に友達の家の親父が立派な書斎を持って居て、私の親父は本を全く読まない人だったから、大いに刺激を受けて自分も本を読もうと思いました。その人はラテン語で書かれた哲学書を所有して居て、職業が弁護士だったから流石だと思って居ましたよ。まあ、子供の友達の方はボンボン育ちで何も出来なかったのですが。大人に成って書斎を持つのが夢だったのですが、今は、居住区の6畳間が書斎兼生活空間です。蔵書はほぼ700冊ぐらいは所有して居ます。最近は哲学書はそんなに買い込みませんが。本は手軽なので散歩をした時やらに、買い込みますね。後はAmazonで購入です。最近、散歩で購入した本は堀江貴文著「情報だけ武器にしろ」と樹木希林著「一切成り行き〜樹木希林の言葉〜」とAmazonから「萩原健一・ショーケンよ、永遠に。」と東京人のバックナンバー「特集・あの頃よもう一度、フォークの季節」です、久々購入してしまった。私は此れらの本を平行に並べて読んでいます。今、この本を読んで居たと思ったら、他の本を少し読んで、また他の本を冒頭、少し読むという方法で読んでいます。樹木さんの物になるだけ執着をするなだとか、ホリエモンの、今の世の中はフェイク情報だらけだから情報は自分で集めろだとか、ショーケンのロックバンドの話、ショーケンが手本にしたブリティッシュ・ブルース・ロックからミック・ジャガーの振り付けとか。1968年当時のフォーク・シンガーの立ち位置の話だとか、為に成ります。そう言えば、この間読んだ本につげ義春さんの近況が書かれて居て、彼は漫画の新作は発表せずに、精神病の息子の介護をして居て。漫画の方は「過去に描いた漫画の復刻新刊が発売になる度に自分のファンが買って呉れて居るので有難い」とか?彼の漫画は芸術だから、皆さん買い求めるのでしょうね。新しいファンも付いている様だし、そう言った印税で結構暮らしが出来て居る様ですね。でも新作を読みたいですけどね・・・。つげさんの本は全集は2巻しか所有して居なくて。「ねじ式」やら「無能の人」などは他の単行本で所有して居ます。清水 正著の「つげ義春を読む」「つげ義春を解く」など分析本も所有して居ますよ。私は1960年代から1970年代の演劇、漫画が好きなので、つげさんの他に寺山修司、つかこうへい、等、何方かと言うとアングラ的な物が好みです。後は蜷川幸雄だとか、彼は去年の5月に亡く成りましたね。寺山修司を知ったのは「あしたのジョー」の作詞からだったし、つかこうへいを知ったのはNHKで放映された舞台の寸劇でした。あとは浅川マキとか彼女も数年前に亡くなりましたよね。なんか皆んな鬼籍に入りました。。。しかし昔の方が凄い人が多かった様な気がします。私の青春時代は1970年代から1980年代に掛けてですが、1980年代は余り好きでは無かったですね。やはり1970年代でしょうか?当時は新宿が文化の発祥地といった感じで、例えばレコード店などもディスク・ユニオンだとか、今はそれにタワー・レコードでしょうか。最近は両方とも来店は仕手居ません。Amazonで事足りてしまうから。私は1970年代、少年漫画誌も読んでいましたが、「ガロ」「 COM」「ビック・コミック」「プレイ・コミック」などの青年漫画誌をよく読んで居ましたね。私の描く漫画の画風は青年漫画誌の影響が強いですよ。今、たまに買入する月刊漫画誌は「アックス」「幻燈」でしょうか。「幻燈」はなんだか最近は見ないので、廃刊になったかな?まあ、ちょっと他の人と違うセンスかなとも思いますけど。今の少年週刊漫画誌はなんか買う気がしません。作品的には面白いのがあるのは知っていますが、何遍も言う様だけども、10年ほど前に週刊少年マガジンに読み切りの連載で若干20歳の漫画家の「聲の形」を病院の入院中に読んでえらく感激しましたが。それから数年経ってアニメ化されましたよね。最近のアニメでは、新海誠の新作「天気の子」は久々劇場まで見に行こうかと思って居ます。まあ新海誠の作品は「ほしのこえ」は未だ未熟だなと思って居ましたが、その後「言の葉の庭」で素晴らしいと思い。その後見て居ます。もう、宮崎駿は古いと思いますよ。後、押井さんの新作アニメが観られなくて、がっかりしていますが。まあ細田守とか新海誠は宮崎駿の後継者と言うか。宮崎さんの影響下にあった監督たちですよね。御大、宮崎駿の新作は来年公開だそうです。それで本当に引退ですね。もう78歳ぐらいでしょうに?私はアニメの創世記から見て来ています。幼稚園の頃は東映の「白蛇伝」「わんぱく王子の大蛇退治」とか「ホルスの大冒険」とかね。最近のブームだった「エヴァンゲリオン」のTVシリーズは1990年代に見たのですが、イマイチ良さが解らなかったけど、最近に成って見直して見たら、凄く良かったので。庵野は矢張り凄いなとは思う。音楽(クラシック)の使い方なども一級品だと思う。私はどちらかと言うと「装甲騎兵ボトムズ」やら「太陽の牙ダグラム」とか矢張り押井さんの「うる星やつら」「御先祖様万々歳」それに「ゴースト・イン・ザシェル・攻殻機動隊」「イノセンス」などが好きだ。「ヤマト」「ガンダム」は高校の時にテレビ放送、大学時に映画と見たが、今は、「ガンダム」はともかく「宇宙戦艦ヤマト」はリメイクの新作はいいけど。昔のものは少し野暮ったく見える。リメイクの新作はいいですね。新しい解釈が今風で居て作品に重みを持たせて居る。あと「銀河英雄伝説」などがいいですね。そして忘れてならないのは「あしたのジョー」ですね。出崎 統監督の不朽の名作だ。あと「ブラック・ジャック」も。出崎ファンとしてはこの2作は皆さんに観て貰いたい。原作の漫画もいいけど。出崎さんの演出、杉野さんの作画がいいのです。
Legend of the White Serpent (1958) TOEI MONTH
わんぱく王子の大蛇退治 予告篇
Hildasong - Horus Prince of the Sun AMV by Walt Scott (2003)
うる星やつら 給湯室にて
「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」予告編 YouTube2
Ghost in the Shell 2 - Innocence - Trailer
[仮] シン・エヴァンゲリオン劇場版 :|| 予告
ドキュメント 太陽の牙ダグラム (1983) 予告 / Fang of the Sun Dougram Movie Trailer
装甲騎兵ボトムズ 01 AT VOTOMS Roots of Ambition
一年戦争史 episode 1 「ブリティッシュ作戦」
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第六章までのダイジェスト
あしたのジョー2 劇場版主題歌 明日への叫び (ジョー山中) Ashita no Joe 2 MOVIE
ブラック・ジャック FINAL - Textless ED
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「教養」を前面に出しているだけあり、他の「アニメ論」とは様相が異なる。劇場映画含めて「10年代」という先端作品だけを題材にしている点、アニメに対して感想や印象を語らず、作品の扱う題材を古今東西の豊かな知識で照射し、作品の内実を再定義して読解する点。こうした行為を通じ、教養の総合的なネットワークのつながりを楽しむ本としている。次から次へと町口の蓄えた知識が怒濤のように提示された結果、対象となったアニメは現代社会のみならず、人類史上へさえ新しく位置づけられる。そのアクロバティックな語り口から見えてくる世界は実に新鮮で、知的好奇心の触発に圧倒された。
社会現象的なヒット映画『君の名は。』論では、平安から中世の古典を参照しながら日本の「夢見のシステム」に触れ、その上でゼロ年代に流行した「セカイ系」を脱構築した作品だとしている。新しい流行と片づけず、千年単位で続く「人の営み」の普遍性にも目を向けているのだ。誰も予想しない爆発的ヒットとなったテレビアニメ『けものフレンズ』論では、「アニメが描くサピエンス全史から人工生命まで」と近年のベストセラーを引用したサブタイトルを提示。作中に出てくるフレンズ(種々の動物属性をもつ美少女キャラたち)の「擬人化」に触れながら、「〝ヒト〟とはなにか」と究極のテーマを語る。
また『メイドインアビス』論ではキャンベルの神話論と先端カルチャーの「世界観主義」を語っているし、流行の「異世界転生もの」からは『幼女戦記』を取りあげ、「萌え」と世界大戦に通じる「総力戦」を「企業戦士」の秘めた能力につなげて論じる。その他「生命工学」「ヘーゲル哲学」など何かに偏らない総合性が、本書最大の魅力と言える。つまり町口の言う「教養」とは、脳に詰めこんだカビ臭い専門知識ではなく応用こそが力になるものなのだ。「いまを生きる者」に向けて作られている深夜アニメだからこそ、古来から最新科学まで幅広く目を向けることで、現代社会で何が起きているのかを見きわめ、生き抜けということだろう。
アニメ雑誌など流行とともに推移してしまうメディアでは評価までは捉えにくく、かと言って歴史的な観点の古典的な評論でも対象にされづらい「10年代深夜アニメ」。もし自分が「いまを生きる大学生」だったら、鑑賞するアニメを消耗品で済ませず、自分がホントは何に惹かれたのか、ネットの風評からの影響を切り離し、しっかりとしたパワーのある語り方を切望するはずだ。本書はそうした潜在的なニーズに応えた挑戦でもある。
学問が先に立つならば、アニメが主従の「従」と扱われるのかという危惧もあったが、あくまでアニメを「主」とし、「本書を読めばアニメ自体の奥深さに気づいてより楽しめる」とした姿勢に好感をもった。何よりも著者の膨大な読書量に支えられた教養の、幻惑感さえ漂うマシンガントーク的「語り口」そのものにエンターテインメント性がある。三部作の先にある、「令和のアニメ論」の進化形態を心待ちにしたくなる一冊だった。
薬剤所の鏡による自撮りです。太って居るなぁ〜〜。豚だ・・・お見苦しくてすみませんです。。。
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「情報から体験へ」
なぜ今、「体験」が重視されているのだろう。それはきっと、ここ十数年のうちに私たちの生活が「情報」に寄りすぎたからだ。情報のインプットだけでは得られない価値が世界にはあり、「体験」はそれを補填しうる。
にもかかわらず、データという武器を手に入れた私たちは、可視化できないものをないがしろにしてはいなかっただろうか。言葉にならず数字にもできない感動が、体験の中には眠っているというのに。
「コスパ」の意識からは得られないものがある――2019年4月17日に開催された、最先端のCX(顧客体験)に向き合うカンファレンス「CX DIVE」において、そんなことが語られた。
「THE SEAMLESS WORLD」がテーマとなった本イベント。最後を飾るクロージングセッションでは、広告とコンテンツの境界や、コミュニケーションの未来について5名のゲストが意見を交わし合った。
スピーカーはクラシコムの青木耕平氏、博報堂ケトルの嶋浩一郎氏、LDH JAPANの長瀬次英氏、ヤフーの井上大輔氏。モデレーターはハフポスト日本版・エディターの南麻理江氏が務めた。
顕在欲求を満たすサービスは、便利だが愛は生まれない
「今朝、牛乳を飲んできた人?」
会場にそう問いかけるのは、井上氏。手が挙がった数十人に、さらに「その牛乳、何のブランドだったか覚えていますか?」と続ける。すると、ほとんどの人が手を下ろす。いかに私たちが日々ブランドを意識せず生活しているかが浮き彫りになった瞬間だった。
井上氏「“牛乳を飲む”という行為そのものはこの上なくタンジブルな(実体がある)体験にも関わらず、ほとんどの人がブランドを意識していない。まずブランドを意識させないことにはブランドエクスペリエンスを高められないですよね」
それに対し、青木氏は人々の行動の根底は“顕在意識”と“潜在意識”に分けられると話す。
青木氏「顕在意識で選ぶものにはすごくこだわるけど、潜在意識の方はほとんど自動化されていて、無意識にものを選んでいる状態になりますよね。私も顕在意識による行動は1日のうち30分ほどしかないかもしれません。まず、顕在意識のスイッチを入れないことには、リッチな体験を提供してもただ消化されてしまうだけになってしまいますね」
では、“顕在”のスイッチをオンにするためにはどうすればよいだろうか。一つのソリューションは、ロゴの反復。赤地に黄色のMマークを見るとマクドナルドを想起するように、コミュニケーションの中で繰り返し使うことで消費者にロゴを認知させる工夫はできる。もう一つは、違和感を意図的に作り出すことによって体験への意識を向けることだ。
青木氏「ちょうどいい違和感があると、体験したときに誰かに話さずはいられなくなります。嶋さんの『本屋 B&B』もそうですよね。本屋なのにビールが飲めるの?という違和感。潜在的な欲求を満たすと、顕在意識に切り替わるんですよね」
東京・下北沢でビールが飲める本屋を経営する嶋氏は、自身の経験から顕在意識に関する持論を展開。顕在化されたニーズに応えても、顧客からの感謝は生まれづらいという。
嶋氏「僕が思ういい本屋は、買うつもりじゃなかった本まで買っちゃう本屋。それってつまり、潜在的な欲求に働きかけているんですよね。『そうそう、それが欲しかったの!』と、自分が本当は欲しかったものを見つけてくれた存在に、人は感謝すると思うんです。一方ですでに顕在化した欲望に答えるサービスがありますよね。ネット検索なんかその最もたるもの。リアル本屋の対抗軸でいえばネット書店がそういう存在なわけです。これらのサービスは”コンビニエント”だって感じるけど、なかなか”LOVE”にはならないんですよ」
コスパの時代だった平成。令和は「脱ブランド」に向かうと予測
嶋氏のいう「そうそう、これが欲しかったの!」というセレンディピティを生むためには、何が必要なのだろうか。話題は、デジタルマーケティングが抱える課題へと移る。
嶋「デジタル広告に関わる人は、上からの目線でプランを立てがちですよね。ファネルを作って、コンバージョンレートを考えて、どれだけの人を最後刈り取るとか。ここにバナーを置くとコンバージョンが上がるんですとかね。でも、人間の行動はそんな昆虫みたいなものじゃないでしょ」
青木氏「『百戦錬磨のナンパ師に口説かれたくない問題』と一緒ですよね。こういうシチュエーションでは、こんな言葉をかけると成功すると言われても、口説く行為にテクニカルさを感知してしまうと興ざめするものです」
デジタルによって情報が爆発した平成は、まさに「コスパの時代」だった。レストランを選ぶときは必ず「食べログ」をチェックし、本を購入する前にはAmazonのレビューで評価を確認する。情報があふれるようになったことで、人は損をすることに過敏になった。
嶋氏「本屋でも『泣ける本ください』とか『企画ができるようになる本ください』って本を探している人も多い。つまり、読書が何に役立つか事前に決めて本を買う人がいっぱいいる。ちょっと前、ある調査で高校生がある種の音楽を『使える音楽』って形容していることを知ったんです。えー、使えるって言葉を音楽に使うんだってびっくりした。音楽は好きか嫌いかでしょって思ってたから。とにかく消費時に損をしないことを最優先で考える人が増えた。コンテンツなんて、つまらないものがあるから面白いものが際立つというのに」
コスパの時代では、時とともに、消費者と広告の関係性も変わっていった。かつて、コンテンツの一つとして楽しまれていた広告は、今や邪魔者扱いだ。
井上氏「僕は昔、テレビCMやチラシが大好きだったんです。昭和の時代は広告も目的の一つだったし、ワクワクするものでした。それが平成に入ると、広告が嫌われものになってしまったんですよね。本来データとかテクノロジーを活用すれば広告はもっと面白くできるはずだったんですが、平成の時代はデータをターゲティングとかメジャメントにしか使わなかった。それで広告が面白くなくなってしまった。、令和の時代には広告を見に行きたくなるような面白いものにして、目的にしていかなければいけないと思っています」
青木氏「先ほど嶋さんが、潜在意識に訴えかけるものに人は感謝するとおっしゃっていましたが、『ありがとう』のリレーションってすごく価値が大きいものだと思っています。テレビCMがありがとうを生む可能性を考えたとき、みんなが好きなタレントを企業のお金で見せてあげていると捉えることもできるのでは」
井上氏「確かに、好きなタレントのテレビCMはスキップしないですよね。でも難しいのは、みんなが好きなタレントが存在しなくなっていること。かつてはお笑い界の大御所を起用すれば誰もが好感を覚えましたが、今の中高生は大御所コメディアンより人気のYouTuber。人の“好き”が多様化していることが、ベストな広告を作れない要因の一つだと考えています」
CMに対する人々の反応の変化や「好きの多様化」という言葉に対して、長瀬氏も従来のマスマーケティングが直面する課題について自身の見解を述べた。
長瀬氏「CMの話は、従来のマスマーケティング手法が抱えている課題でもありますよね。これまでのマスマーケティングでの調査方法は『34〜39歳の女性はこういうことが好きで、こういうことを考えている』とカテゴリに人を当てはめるものでした。でも、人はカテゴリにはめられたいわけじゃない。これは、青木さんの言う『百戦錬磨のナンパ師に口説かれたくない問題』と近しいものだと思います」
人の好みが多様化したのも情報社会がもたらした影響の一つだが、検索エンジンやSNSで調べれば何でも分かってしまうこの時代にCXが担うべき役割は、思いがけない出会いなのではないかと嶋氏は語る。
嶋氏「すぐに役立つものは、言ってみれば確認作業。情報プラットホームが悪いわけではないけれど、確認作業からLOVEは生まれません。CXが担うべきは、体験と体験を重ね合わせることで新たな気付きを与える役割なのだと思います」
井上氏は令和は「アンチブランドの時代になる」と予測。企業も個人もブランドが重要と言われる一方で、ブランドが持つ効能が、行き過ぎたコスパ意識を助長しているのではと指摘する。
井上氏「ブランドの役割は選択コストを下げること。ブランド論全盛とも言える現代ですが、これだけブランド化されたものが選ばれる背景は、消費者が単に選択コストを低くしようとしているだけなのかもしれません。すると、それは結局のところ、先程から議論されている合理化の文脈の話になる。その反動で脱合理化が進むと、それは同時にアンチブランド時代の到来を意味するのかもしれない」
コミュニケーションは、メディアからカタリストへ
マーケティングが壁にぶつかり、脱ブランドの流れも予想されるなかで、企業はどのように顧客とコミュニケーションをとっていけばいいのだろうか。
メディアの役割は、企業などの社会と消費者の媒介になること。しかし最近は、消費者とメディアとの接触時間が減っていると井上氏は言う。対して、増えているのはLINEなどの消費者間のコミュニケーション。企業がかつてメディアに任せていた消費者へのメッセージの投げかけを、消費者と消費者の間に入ってコミュニケーションの媒介になる「カタリスト」にスイッチすることで代替していく必要があるという。
井上氏は、企業がカタリストとなった事例として、コカ・コーラのアメリカでのキャンペーンを挙げた。
井上氏「大学の入学式でコーラの冷蔵庫が用意され、そのなかにあるコーラのキャップを開けるには、誰かと組み合わせないと開かない特殊な仕様になっていました。すると、自然と新入生たちは近くの人に声を掛けるようになります。これが消費者と消費者の間に入ってコミュニケーションを生むカタリスト。身近な例でいうと、LINEスタンプもカタリストですよね」
カタリストは令和に起こりうると予想した「アンチブランド」にもつながる。例えば、国内にはいまだに数多くのスナックが存在している。むしろ、ここに来てスナック人気は高まっている。全国チェーンのスナックというものは無いが、カタリストとして機能するには、ブランドとして型化されていないこと、軟体動物のような柔軟さが必要なのかもしれない。当たり外れがあるので選択コストはかさむが、そんな非合理をおしてでも脱ブランド化されたものを選ぶのも必然だろう。
カタリストに共通する要素は、「共時性」。同じ時間を共有することで、互いのつながりを強固にしていく作用を持つ。これまでブランドと呼ばれていた対象の中にも、おそらくカタリスト的機能を有するものもあっただろう。
長瀬氏「スナックもラジオも共時性があるカタリストですが、偶発的とも言えるその体験を、どうCXにつなげていくかは考えないといけませんね。企業側がコントロールしきれない部分もあるはずなので」
青木氏「バズマーケティングも共時性の一つで、みんなの共通の話題になっているから面白いという側面はあると思うんです。でも、バズに加担するかを選ぶこともできて、リツイートはしないが、ひっそりと受け取ることもできる。そういう人たちの思いは可視化されないんですよね。
広告業界にいると、数字としての結果がほしいあまりに、広告換算額を優先するなど本質的でないことをしてしまうことがあります。でもそれを優先することで、声は上げないが静かに心を動かしていた層を取りこぼすことになりかねません。そろそろ、数字ではない感覚を信じていい時期に来ているのではないでしょうか」
インターネットが普及した平成前期と、SNSが発達した平成後期。数字によるマーケティングが可能になったことで、実態のある人をマスとして捉えてしまってはいなかったか。登壇者と参加者それぞれが、マーケティングのあり方を捉え直すきっかけになるセッションだった。
数字より、生身の思い。性別や年齢より、思想やライフスタイル。ブランドより、カタリスト。次の時代への一歩となるようなヒントが数多く示され、活況を呈したカンファレンスは幕を閉じた。
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最近、一人幽霊に出くわす。此間は駅前の書店に居た。「お前さあ、こんな本は読まないだろう。そうだろう、だから聞いてんだよ」とあたかも相手が居るか如く一人で勝手に喋って居る。見れば年の処、30歳ぐらいの中年の男だ。見た目は少し小太りな中年に成り掛けの青年か?と言う様な出で立ちだ。頭がおかしいのかと思うが、ごく普通に話している。多分、彼の耳には相手の声が聞こえているのだろう。以前にも居た。電車に乗って居た時だ、矢張り30歳ぐらいの男だった。彼も小太りだった「本当によう〜。俺、困っちゃったぜ。もう、お前ときたらよう・・・」とか一人で話して居た、病院にも一人居た。彼は痩せぎすの23歳ぐらいの青年だった。「俺さあ、あれほど皆んなが居る前では喋ってはダメだと言って居たろう?なんでおとなしく黙って居ないんだよ・・・」と言って居た。此間は、本屋で本を2冊買って、お金が端数4円と言われたので、「ちょっと待って下さい・・・」と探すが、こんな時に限って小銭が無い。なので「すみません4円あるかと思ったら無かったです」と2千円を渡すと。ブックカバーをお付けしますかと聞かれた。まあ、いいと言い。お釣りを貰って、会計から離れると、「今の人はおかしくなかったわよ?」と女の子の店員が若いイケメンの青年の店員に話し掛けて居たら、彼は大きく頷いて居た。私は「ちょっと、俺もおかしく見えて居るのかよ?」と思い、店の中にある鏡の前に立って自分の姿を映してみた。確かに、私は若作りだ。今時こんな格好をしている初老の男は居まい。でも、そんなにおかしくは見えまいとは思う。しかしこの間、J:COMの営業が来て一緒に家の近辺を歩いて居たら。前から来た50歳ぐらいの奥さんがジーと私を見て居た。私は目が合わない様にしたが、しばらく自転車を押しながら見て居た。確かに、年取ってからの長髪はあまり居ない。と言うか。ロン毛の若者も殆んど見ないご時世だ。私は1970年代風ファッションをしているだけなのだが、矢張り目立つのだろうと思う。ヘルパーのオバハンが「何時もちゃんとした格好をしているけど、堅っ苦しくないの?」と此の間聞いて来た。私は少しびっくりして「なんで?」と聞いたら、「だって何時も白いワイシャツを着ているじゃない?」と言う。「そうですね・・・」と言ったら、「それ汚れたらどうするの?」と言う。私がその時は洗濯しますよと言うと。「かえはTシャツ着ないの?」と聞いてくるので「Tシャツは、最近、殆んど着ないですね」と言ったら「へー」と言うので、「替えのワイシャツはありますので」と言ったら。「いちいち洗うんだ〜」と言って不満そうにして居た。私は映画監督の小津安次郎がいつも同じ格好で居て、不思議に思った女優が小津監督の家に行った時、監督が席を外した隙にタンスを開けたら。同じ服が沢山ハンガーにぶら下がって居たと驚いて居た話を知って居る。お洒落とはそう言った物だと思う。人間こだわりを持たないといけない。今は、ファスト・ファッションの時代だ、みんな脱個性派の格好をして居る。それは言い方を変えれば世の中、世間に溶け込む方法でもある。1990年代に入ってから個性的な格好をして居る人はメッキリ少なく成った。私はその頃40代だった、私はミリタリージャケットを羽織り生活をして居た。今やミリタリージャケットを着て居る人は少ない。ああ、此の間、歯医者で同じ60代の親父が来て居たっけ....私は原田芳雄さんを真似ただけだが・・・。1990年代から2000年代に掛けてはミリタリーファッションが流行ったものだ。
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【UNIQLO】EC限定のミリタリージャケットってどうなの?実際に着用してみました!【メンズファッション Dコレ】
私がおススメの大人なミリタリージャケットの着こなしを解説
しかし今は何来てもいい時代だと思う。私が、50代の頃、矢張り髪を長髪にして帽子をかぶり、長めのコートを羽織って、冬場母を連れて歩いて居たら、若者から「あの人、目立つ格好を仕手居るよな・・・」と声が聞こえて来た事があった。見るとその若者二人は安手のパーカーにマフラーを仕手居たが。最近の若者は虚栄心が強い。ちょっとカッコイイなと思う若者を見ると人の目を気にして男も女もスノッブな感覚で歩き始める。原宿のある人気ナンバーワンのカリスマ美容師の元には日本全国から若者がやって来る。皆んな彼による。カッコイイ髪型を求めてだ。しかしその美容師は注意深くその若者を見て、例えば前髪を長くして目を隠している若者には、「眼が大きいのだから、前髪を切ろうと思うのだけども、どう?」と聞く。若者はその美容師の言うことは意味があるのを知っているから任すのだ。そうすると俄然カッコイイ髪型にしてくれる。思えば若者はいい。美容師でもスタイリストなカッコイイ髪型に仕手呉れる美容師が居る。それに比べたら、年寄りには、そんな美容師は居ないし、大体が髪は短めにするのが決まりみたいな風潮がある。私はよく年配の方から「ご職業は、物書きですか?芸術家ですか?」と聞かれることが多い。そんな時は何時も「ミュージシャンです」と答えている。。。私は50代の頃の自分に戻しただけなのだ。それは20代の頃やら30代の頃に戻したいが、寄る年波には勝てない。問題は痩せる事だ。減量を始めようと思う。
「美」を創る仕事〜美容師としての四半世紀〜
OCEAN TOKYO代表 高木琢也出演「日本一の美容師とホストスザク」(歌舞伎町 clubApple)本店代表高木✖︎原宿店代表三科のコラボセット講座
話を元に戻すが。
まわりにだれもいないのに声が聞こえたり、いつも人に見られている気がする、まわりの人が自分に危害を加えようとたくらんでいるようで怖い、不気味なイメージが目に浮かぶ、といったサインがある場合は、「統合失調症」という病気の始まりかもしれません。
統合失調症は、現実と非現実の境目があいまいになって、考えのまとまりが悪くなる病気。順序立てて物事を考えることができない、意欲が低下して身の回りのことをするのもおっくうになる、その場の状況に応じた感情が生まれない、人とのコミュニケーションがうまくできない、集団の中でなじめない、いつも同じ考えが頭の中を支配している、といったサインが特徴です。
はじめのうちは、気分が落ち込んで集中力ややる気がなくなる、眠れないといったうつ病のようなサインのほうが目立ったり、不安や緊張で神経過敏になったり、考えが頭の中でスピードアップしたり、逆にスローダウンしたような感覚を覚えたりします。
いつの間にか自分をとりまく世界が変わってしまった気がして、こころが不安定になり、これまでできていたことができなくなった、家から出られない、眠れなくてつらい、というときは、早めに家族に話して、こころの専門家に相談してみましょう。
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