北関東の宮彫・寺社彫刻(東照宮から派生した宮彫師集団の活躍)

『日光東照宮のスピリッツ』を受けついだ宮彫師たち

『明治の左甚五郎』-高澤改之助(石原知信)

2018年11月18日 | 各論⑤石原常八
高澤改之助は、その高い彫技から「明治の左甚五郎」と呼ばれました(文献1)。

・手挟みの「松に鷹」


●高澤改之助の出自
天保四年(1833)花輪生。明治二十四年(1891)没。
父は花輪の三代石原常八(主利)。改之助は、祖父の石原二代常八主信から教わっています。改之助は、明治期に尾島に移り住んで、途中から姓を石原から高澤に変えています。

・石原常八の直系の系譜
改之助の弟の幸作は早逝し、息子の寅次郎は桐生本町二丁目屋台を手掛け、政吉の二男の伍助は桐生本町1丁目屋台を手掛けています。(ちなみに同町三丁目は石原常八、同町四、五、六丁目は岸亦八)(文献4)。初代常八の□は「詖」。

「江戸三八」:石原常八主信、弥勒寺音八、武志伊八

●尾島の正光寺




中備の龍の裏には、「御用 彫師 高松義武八代 当国花輪 石原知信作」と刻銘されています。義武は、高松又八の弟子の石原吟八郎義武のことです。この銘では石原姓を名乗っています。高松、義武の末と名乗っていることから、改之助は「花輪の本流」の出である自覚があったと思われます。







●尾島の稲荷神社







●宿稲荷神社(榛東村)
父の石原常八(三代)と、兄弟達と一緒に製作しています(後述)。

・拝殿の向拝部








・拝殿内部に飾られた額
 右下に「金二両 花輪 石原常八、同改之助、同鶴次良、同増太良、岸孝作」の名があります。岸孝作は、改之助の弟。

 



●板倉の雷電神社の奥宮
雷電神社本殿は、三村若狭守主利棟梁のもと、二代常八主信(改之助の祖父)の代表作になります。この本殿の裏には精巧な彫物が付いた奥宮があります。彫工は不明ですが、改之助作として明らかな正光寺の獅子の木鼻と酷似し、この奥宮は改之助の手によるものと思われます。棟木に墨書があり「慶應四年(1868 ) 棟梁 三村正秀」とあり(『雷電神社奥宮社殿修理工事報告書(平成6)』)、時代的にも改之助に一致します。

・比較(獅子の木鼻)、左は正光寺(改之助作)/右は雷電神社奥宮の木鼻


・雷電神社奥宮(群馬県館林市)









●高澤改之助の夢(文献2)
明治になり、社会情勢の変化に伴って宮彫師のニーズが少なくなる中で、柴又帝釈天本堂で江戸期からの彫工の技を残そうとしました。その夢は、改之助の生前には実現せず、思いは弟子の加藤寅ノ助に受け継がれ、現在の帝釈天ができました。
(林兵庫 六代正啓は、柴又帝釈天の設計を担当しましたが、以前に棟梁を務めた尾島稲荷神社で高澤改之助と一緒に仕事をしており、その縁で帝釈天の彫物についても改之助に相談していたと思われます。)

・柴又帝釈天本堂  本堂に付けられた十枚の胴羽目は、当時の名工十名により、一枚ずつ制作されました。


・最後の胴羽目が改之助の弟子である加藤寅之助の作。


 左下に「横浜 彫刻師 加藤寅之助 大正十一年 作」と刻銘されています。横浜は、改之助の弟の高松政吉が活躍した場所で、寅之助は政吉との縁があったと思われます。虎之助の息子・加藤正春(江口祐康)も彫師になっています。



●改之助の墓 (尾島哀愍寺の墓所)



●石原常八の周辺も含めた系譜
 黒字の名は「彫工」、青字の名は「大工」。赤線は血縁、オレンジ線は養子関係、青線は師弟関係。石原常八家は、飯田仙之助、岸亦八の系譜と関係を持ちます。改之助の弟である幸作は、岸家に養子に入っています。また改之助の弟・石原歓次郎(政吉)は岸亦八の下で修業しました。さらには弥勒寺音八の子は、石川流の分家に養子に入っていて彫工の交流が活発であったことがわかります。初代常八の□は「詖」。



参考文献
1.松本十徳:「利根川沿岸の造営文化」、群馬文化207号、p51-58、昭和61年
2.松本十徳:「石原常八と星野政八」、群馬風土記10号、p114-119、平成元年
3.阿部修治:『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』、2011年
4.奈良彰一:「桐生祇園・鉾・屋台考」、桐生史苑 第40号、p26-31、平成13年
5.小林一好:「藪塚に住んだ名彫工 岸亦八とその門人」、群馬風土記9号、平成元年
6.松本十徳:「山之神の豊淋斎 岸大内蔵藤原義福」、群馬風土記11号、平成元年
7.松本十徳:「名作の数々と悲運の最期 稀代の名彫工・弥勒寺音八」、群馬風土記1号、昭和63年

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
当本殿の作者が改之助作と言われていますが (舎人氷川神社 総代 松本 尚正)
2024-02-09 12:25:48
初めまして、私は都内足立区舎人にある氷川神社の総代メンバーのものです。
うちの神社の拝殿の作者が改乃介ではないかと、最近になり解ってきました。昔からの言い伝えでは、日光東照宮の修復の帰り道に、闇バイト(笑)で、民家の納屋で製作し、夜ろうそく明かりで、組み上げたと伝えられています。最近になり、とある方が神社の文献が出てきたからと、届けて頂き名前が載っていたので、区の学芸員が調べています。今年辰の年に当たるため、御開帳を執り行うにあたり、色々と調べていて、このブログに行き当たり、コメントさせて頂きました。
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舎人氷川神社 総代様へ (管理者)
2024-02-16 18:20:14
コメントありがとうございます。
9日にコメントを頂いておりましたが、確認が遅くなり申し訳ございません。舎人氷川神社本殿は素晴らしい彫物が沢山ついていて、以前覆屋周囲から見させていただきました。3月3日に公開される情報は友人から得ており、できれば見に行きたいと思っております。高澤改之助は彫技がトップクラスだと思っております。私は、フェイスブックKitanoMiyaの方で発信しております。
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