泥より出でて泥に染まらず

人生を引き寄せ、好転させるには?自身が何十年も苦しみ抜いた経験と、様々な文献から日々考察していきたいと思います。

【28】苦労は報われない、でも努力は報われる③

2023-04-26 07:20:00 | 引き寄せ

こんにちはニコニコ


今回も私自身の経験も踏まえて、「苦労」と「努力」について考察したいと思います。今一度個人的なお話にお付き合いください。


前回までのお話です。嫌いな英語とITを一網打尽にしてやろうとシンガポールでIT企業で勤めましたが、英語とITは伸び悩んでいる状態。


そもそも嫌いなので、成長しない。どこまで行っても「苦労している、畑違いだ」という気持ちが抜けない。そこで、今思うとそもそもの選択に誤りがあったことに気づきます。



間違いは以下の通り



 ​ないものねだり



自分にないものを求めてしまった


英語とITという苦手な2つをあえてメインに置いたため、毎日が苦痛でした。そしてどこかで「これは元々私の道じゃないからな。できるわけないじゃないか」などという逃げ道まで作る始末。当然、これらに対する情熱があるわけでなく、一分一秒が苦しくて仕方なかったのです。


この状態では、この分野での成長は新たな苦しい課題を作り出すだけ。いつしか向上せずなるべく「現状維持」しようと努めることになります。


するとどうでしょう。今度は生きる活力が失われていきます。「こんなに嫌なことに我慢して、何も達成感がないのに、何のために自分は生きているんだろう」などと考え始めます。


自分にない能力をうらやむあまり、自分もそこに行こうとした結果、自分の畑ではないところに身を置いてしまった。その道の先には、どこまでも他人の畑が広がっていたということです。


ないものねだりという不純な動機でスタートするのではなく、そもそも自分の得意不得意、好き嫌いに従い、そこを軸に置いた選択をするべきでした。



 苦労は良いことだと思った


この道が修行道であると信じた


苦手なものを克服するにはそれなりの代償、つまり修行が必要なのだということで、「最初の一年は辛いものになる、修行なのだから当然だ。しかし、これを乗り越えた先に明るい未来がある」と常に自分に言い聞かせていました。自分自身を洗脳し、苦手を得意に変えようとしたのです。それはとても崇高で立派なことだと信じていました。


しかしそれは幻想でした


結果、これらを人並みにできるようになった今でも「嫌いなものは嫌い」です。情熱もわかないので、なるべく時間を割きたくないですし、取り組むには「それなりの気合」が必要となります。自身の成長にもなりません。


結局、


人間苦手なものは苦手なのです


結局、人間が苦手なものを無理に克服しようとしてもなかなかそうはいきません。強い意思でそれを好きであるとだまそうとしても、潜在意識が拒否反応を示します。


こんな状態で苦しみながら取り組むことが「苦労」ということです。


苦労の先にあるのはどこまで行っても「苦労」です。嫌々ながらやってそれを乗り越えても、また更なる苦労が待っているのです。


それは潜在意識が全力で拒否しているので、「これはあなたの道ではありません。すぐに変えなさい」ということを示しています。


おそらく「苦労」というのは、この誤った道を修正するきっかけを知るのに使ってあげると有用なのだと思います。


ですのであえて言わせて頂きます。



「苦労は報われない」



今苦労していると感じているなら、現状維持ではなく、何か別の道や方法を検討する時期なのかもしれません。


明日はこの「苦労」することについてまとめたいと思います。


ここまで読んで頂き、誠にありがとうございましたニコニコ




【27】苦労は報われない、でも努力は報われる②

2023-04-25 08:59:00 | 引き寄せ

こんにちはニコニコ


今回も私自身の経験も踏まえて、「苦労」と「努力」について考察したいと思います。よろしければ、個人的で若干ネガティブなお話にお付き合いください魂が抜ける



前回までのお話です。大学を卒業した私は就職活動に失敗し、街角で見た「これからは英会話とITスキルが必要」という文言に共感してしまいます。そのまま苦手意識の高かったこの2大巨塔に真っ向から立ち向かうことにしてしまったのです。


これが波乱の幕開けでした。



 ​苦しみ抜いた一年目



こうしてシンガポールのIT企業にて社会人一年目をスタートしました。予想通り、訳のわからないITの専門用語が英語で飛び交ってくる、新卒なので仕事のノウハウも一から、住む所は自分で探さなければならないという過酷な状況でした。


来る日も来る日も嫌いな英語とITの勉強、その合間に英語のネットや新聞で家探しという生活。それでも一年が過ぎた頃には、あれだけ苦手だった英語もITも仕事も形にはなってきたのです。住むところも結局4回引っ越す羽目になりましたが、こちらもようやく落ち着き、何とか危機的状況は脱し、一定の気流には乗りました。一定の評価をもらえるようになり、「英語話せるITエンジニア」の肩書きは手に入れました。



あれから15年程が経ちましたが、英語もITも相変わらず全く好きではありません。情熱もわかないので、なるべく時間を割きたくないですし、取り組むには「それなりの気合」が必要です。新しい境地に挑むことも億劫です。



つまり…



人間、嫌いなものはどうやったって嫌いなのです



個人差もあると思いますが、嫌いなものを無理に克服しようとしてもなかなかそうはいかないということです。強い意思で、それを好きであるとだまそうとしても、潜在意識が拒否反応を示します。「これはあなたの道ではありません。すぐに変えなさい」と言ってくるのです。


これを無視し続ければどうなるか。耐え難いものに耐え続けているので、そのストレスは強く、やがて心身に来ます。続けた先に待っているのは、倒れた自分です。



 苦労とは



苦しみながら無理をして嫌いなことに取り組む、もしくは努力することが「苦労」ということだと考えます。


「苦労」の先にあるのはどこまで行っても「苦労」です。嫌々ながらやっているので、それを乗り越えても、また更なる苦労が待っています。そして「これじゃない感」がずっと付きまといます。



それでも、自分で選んだ道だ。必要な苦労なんだと考え、耐えに耐えてきました。



結果…




入院して動けない身体になってしまいました!




持病の腰痛が悪化し、激痛で救急搬送されました。2階から降りられず、レスキュー隊まで来て頂く始末。自宅の前には救急車と消防車が停車し、日も落ちた夕飯時にご近所を大いに騒がせてしまいました。


検査結果は「椎間板ヘルニア」っぽいとのこと。


ポイって何やねん!と突っ込み入れたくなりますが、CTもレントゲンもMRI検査も受けましたが、根本原因は不明。


その後2日程で退院しましたが、現在も下肢に強い痛みがあり、歩行困難な状況です。どの医者にも「ヘルニアは大したことないのに何でそんなに痛いのかわからない」などと言われ、痛み止めだけ出されサジを投げられました。


一時期は杖をついても歩くのが困難で、痛みで眠れない日々も続きました。現在はリハビリを続け、少しの距離は歩けるようになりましたが、長距離は休み休みでないと歩けず、遠出はできなくなりました。


根本原因は未だ不明ですが、一説には「脳が痛みを出している」のだそうです。すると考えられるのは強いストレスでしょう。「苦労」の代償です。


今振り返ってみると、新卒時点での選択には大きな「誤り」があったことがわかります。この選択をもっと慎重にしていればこんなことにはならなかったかもしれません。


さて、誤りとは何だったのか。明日はこちらを考察してみたいと思います。


ここまで読んで頂き、誠にありがとうございましたニコニコ



【26】苦労は報われない、でも努力は報われる①

2023-04-24 09:28:00 | 引き寄せ

こんにちはニコニコ


今日は私自身の経験も含めて、「苦労」と「努力」について考察したいと思います。少し個人的なお話にお付き合いください。



人間はとかくないものについて、あこがれたり、うらやましい、あるいはねたましいと感じるかもしれません。隣の芝が青く見えてしまいます。


また、前回のエントリーのようにメディアがあおってくることもあり、必要以上に自分の能力不足を気にするようになってしまっています。


私もそんな一人です。大学卒業時は「就職氷河期」の真っ只中で、そもそも新卒枠が大幅に縮小されていました。手書きの字で埋め尽くした無数のエントリーシートはゴミのように掃き捨てられ、書類で通っても待っているのは人格否定込みの圧迫面接。



そんな時、街角の本屋の前で、図書カードをエサにして、「英会話とITスキル」を同時に学べる講座の無料体験ができると宣伝していました。



確かに私は受験でも英語で苦労し、実際に英語が話せない。ITも音痴で当時Wordでレポート作るくらいしか使えない。


そんな時「これからのグローバル社会は英会話とITスキル」と言われてグラッとしてしまったのです。


私の考え方の一つに嫌いなことだろうが、苦手なことだろうが「然るべき環境に飛び込んでしまえば、あとはついてくる」ということでした。そしてコンプレックスはそれほどまでにしなければ克服できない。むしろ克服してしまえば、弱点を減らすことができると信じていたのです。


その英会話&ITスキル講座の無料体験は、行ったが最後、高額なコースを押し売りされるのはわかっていましたから、これは完全にスルー。


一方で決心したのは、もう「英語もITも環境に飛び込ませるしかない!」ということでした。就職活動もうまくいかず、日本に希望も持てない。そこでとんでもないことを考えついたのです。


海外でIT企業に就職すれば、英語もITも両方マスターできるじゃないか!


すぐにインターネットで探し始めたら、あったのです。新卒枠で入れる海外のIT企業。勤務地は「シンガポール」。英語が公用語の国で治安もいい。実は奥さんも昔住んでいたので環境もある程度把握できる。日系企業も日本人も多いらしい。



まさに最高の環境じゃないか!



面接でも拍子抜けするほどあっさり受かり、まさに渡りに船でした。大学を卒業した私は意気揚々とシンガポールへ移住したのでした。


こうして「ないものねだり」から始まった初めての海外。「chicken or fish?」すら聞き取れない答えられない状態のまま、波乱の海外生活が幕を開けたのでした魂が抜ける


続きはまた明日アップ致します。


ここまで読んで頂き、誠にありがとうございましたニコニコ




【25】プロセスを考えないこと

2023-04-23 08:55:00 | 引き寄せ

こんにちはニコニコ


前回は引き寄せや願いを実践する際に、「執着してはいけない」というお話を紹介させて頂きました。引き寄せたい事柄を強く思えば思うほど、余計に「ない」という現状が気になり出します。そうなったが最後、「ない」状態への引き寄せが一気に加速するということです。


ある程度納得して引き寄せに入ったら、「手放し」てしまうことも大事ですね、ということででした。


今回も執着しようとすると起こることについてご紹介させて頂きます。



 ​プロセスを考え始めてしまう


引き寄せで大事なことは、それが目の前に「既にある」という状態を感じることにあります。何かよくわからないけどそれが今そこにあるということです。


ところが、成就したい願いについて考えれば考えるほど、それが叶うまでのプロセスを想像し始めてしまいます。あるいは、「このような状態で叶うのかも」というように、結果にまである程度予測を立てるようなことまでしてしまう可能性があります。


するとどうなるか。宇宙なるもの、もしくは神様かもしれませんが、引き寄せを作用させようとする存在が、あなたのためにプランとして用意してくれていたのに、勝手にプロセスが上書きされてしまい、想定していた結果と異なるものになってしまうということです。


例えば、「大金を引き寄せる」という願いだった場合を考えます。


神なる存在は「ある人物からビジネスの提案があり、これに向かって本人が努力、迅速に行動をとることにより、気流に乗り、長いスパンで見た時に莫大な利益を産む」とプランを立てていたとします。


ところが、当の本人が「なかなか大金入ってこないな。やっぱり金額が高すぎたか。1億なんて大金が入ってくるとしたら、現状宝くじくらいしかないよな」などと考えると神なる存在は「そんな方法じゃないよ!そもそもそれじゃあなたの成長にならないでしょうが」となって、この引き寄せは白紙となってしまいます。むしろ、「宝くじにでも当たらない限りは大金が入ってこない」ということになり、いつまでも現状は変わらないでしょう。


 「手放す」ことは「お任せ」すること


前回の記事では、「手放す」ことが必要と申し上げました。また、その前にエントリーした「神社での願い方」の中で紹介した、小林正観さんのおっしゃっている「神様の仰せに従います」という考え方です。


手放すことは神様にお任せしますということです。私たちがやるべきは明確な結果の創造であり、その後に続くイメージです。「何だかわからないが大金が振り込まれている」と想定し、「そうなったら自分はどうするだろうか。どんな気持ちなんだろうか」ということに集中すればいいのです。「振り込まれている状態」にする筋書きは「神のみぞ知る」ということですね。



今回も引き寄せが失敗する原因の一つについて考察しました。

ここまで読んで頂き、誠にありがとうございますニコニコ





【24】執着しないこと

2023-04-22 08:06:00 | 引き寄せ

こんにちはニコニコ


引き寄せについて様々な角度で考察し、誰でも再現性の高い方法を目指して日々考察しています。



とはいえ、無意識に無自覚に良いものを引き寄せている方々がいます。彼らは「引き寄せ」なんて単語すら知らない可能性すらあるのですが、共通しています。


 肩に力が入っていない


知人に本当に格式のある名家の息子さんで、裕福な方がいます。人懐っこくて、明るく、誰にでも好かれる好青年といった感じです。


そんな彼のお金に対する基本的な考え方は「お金なんてすぐ手に入る」です。



例えば、私が会話の中で「金銭面が…」などと言い出すと、すかさず「えー!?キミなら必要なお金なんてすぐ稼げるでしょうよ」とサラッと言ってきます。嫌味でも何でもなく、本当にそう思っているのです。


お金に対する執着がなく、必要な分は当然そこにあるものと考えているのです。


私が「いやいや、給料なんて上がらんし、生活費でほとんど持ってかれるからさ…」などと返すと、「じゃあ、さっさと給料高いところに移ればいいじゃない。そんなの悩みでも何でもないじゃん。もったいないよー」などと言うのです。


元々お金に困っていない彼にとっては、既に金銭面が悩みではなく、実際にステータスも給料も高かったのです。


このように既にそれを「持っている」人には、当然ですが疑いなく「持っている」という確信があります。これが更なる「持っている」状態を引き寄せるのです。


つまりお金ならお金について執着がないとも言い換える事ができます。


 執着すると引き寄せられない


願いや引き寄せに意識を向けすぎると、やがて「そうでない」状態が気になってきます。一度気になり出したが最後、頭から離れず、「ない」状態への引き寄せが始まってしまいます。


ロンダバーンの『ザ・シークレット』でも願った後は「手放しましょう」とアドバイスしています。一旦意識を外しましょうということですが、執着しないようにと言い換えることができるかと思います。


最初は気分よく「お金をお願いします♪」とお願いする。「お金お金〜♪」、「気分を上げてお金お金って言おう〜♪」と半ば無理やりテンション上げて頑張るようになり、そのうち「お・か・ね!お・か・ね!プンプン」となってきて、「お金お金、っ言ってるじゃん!全然引き寄せられないし、むしろどんどん減ってるんですけど!ムキー」となってくる。


最終的に気分は悪くなり、「お金がないこと」の引き寄せに入ってしまう、というのが失敗例としてよくあるパターンでしょう。


このパターンに一度でも入ってしまう場合、まだ受け取る準備ができていない可能性があります。金額を信じられる額まで減らすか、一旦この引き寄せから離れた方が良いかもしれません。


ここまで読んで頂き、誠にありがとうございますニコニコ