ƔƔ kisujapan ƔƔ 

 
 
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各人

2013年11月25日 15時12分30秒 | 買い物

早速、警察に行き前の担当刑事に事の成り行きを話した。

「と言うことは、「禁酒会」の裏筋の金融会社がある訳だね」

と刑事が言うなり、地図を持ってきて、3人で探した。

しかし「禁酒会」も金融会社も載っていない。

刑事は「谷町君ちょっと」と呼び、今の話をして、調べるよ

うに言った。

しばらくして書類のようなもを持ってきて、「その場所は、

横浜寿町の暴力団扇組の所有する倉庫となっています

「金のもつれか。班に分け、寿町扇組と金融会社に今から

一斉にどうなっているか調べてくれ、もみ消されないよう」

「君たちは家に帰り、連絡を待ってくれ」と指示された。

綾子は「心配だわ、怖い」と怯えている。

「大丈夫、空手3段の俺が付いている」と綾子を抱きしめた。

綾子はずっとこのままでいたかった。

「禁酒会」に力を入れたおかげで、雄一と綾子の関係が

一気に縮まった。

「綾子、来年は高校だな。誕生日はいつだ」「来年の6月8日

で16才になるの」。

雄一は「16才か。結婚できる年だな」と小声でつぶやいた。

「綾子は知らないだろうが、俺が生まれて、離婚し、俺は今

の母、前妻の恵美子さんと暮らすようになり、その後父は

有子おばさんと結婚して綾子が生まれたとなっていたが

実は最近知ったのだが、綾子は有子おばさんの連れ子

だったんだ。前に、私の母(恵美子)殻聞いていたが、し

っかり調べると、それが事実らしい。木田家と恵美子家の

縁を切るために」。

綾子は返すことが出来ない状態であった。

「つまり綾子と俺はまったくの他人なんだ。だからおおやけ

には出来ないが、付き合うのも、結婚するのも問題は無い。」

「もし結婚しても2人だけの挙式になるだろう。

「ただし、まだまだ時間が有るから、俺も綾子も変わってし

まう可能性は有るが」

その時警察から電話があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


各人

2013年11月24日 19時33分07秒 | 買い物

順調に「禁酒会」だが、メディアで取り上げられたが

当然反対する人も多く、嫌がらせや、反対運動も強く

会を強くするため、全国的に電話や手紙、インターネ

ット等で繋がりを強くし、関西一円や、力のある団体

には会いに行った。

動いてくれる会員が多くなり、雄一も楽になってきた

時、綾子からの電話で1週間ほど綾子宅に行く事にした。

綾子はやはり雄一には大事なものだった。

綾子も雄一を大切な人と思っていることは知っている。

問題は両方の生みの親の母親は違うが、父親が同じと

言うことだ。

戸籍上ではまったく他人だが。

それは早急に決めることで無いので、とにかく慶子

の父親が殺人である理由を和夫から聞き出した。

和夫も良子も仲が良い分けないが、仕方ない。

頭を低くし、付き合いを良くしなければ、綾子の

両親なんだから。

聞くところによると、部屋では2人がいた後があり

近所の人が、知らない人が飛び出していったのを、目撃

していたからである。

部屋には珍しく、座布団が1つ出ていて、確信が持てた

のは、外は前夜降った雨で、地面はぬかるんでいて、殺

害された慶子の夫は滅多に出て行かないのに、濡れた

靴跡があり、それもその家には無い革靴の後だった。

犯人の失敗であったと思われる。

おそらく、手袋をしていたようで、誰も尋ねてこないのに

指紋がまったく付いていないことが逆に計画的だったこと

を物語っている。

目撃証人によるモンタージュ写真が作られたが、だれも

ピンと来なかった。

現場には入られず、せっかくだから雄一は、近くにある

「禁酒会」を綾子と尋ね回った。

しかし1人で回るより、中学生でも綾子が一緒だと、い

つもと待遇が違う。

綾子ももうすぐ中学3年生で、私服を着ればなかなか良い

女になってきたと思う雄一であった。

さすが首都に近いから禁酒会も多かった。

数件目の禁酒会は帰り際に外に出、来た反対に行くと、裏

が、金融屋をしていた。

こんなことしたら、禁酒会が良く思われないと思っていると

中からガラの悪い人が3人出てきて、綾子も気づいたかして

「あっ」と言った。

モンタージュそっくりであったのだ。

続く


各人

2013年11月23日 18時54分38秒 | 買い物

雄一はお金を集めると共に、学内にサークルを作った。

「禁酒会」である。

現代では「禁煙排除」の時代で、健康に悪いと言う事を

みんなの頭に詰め込み、タバコは体に悪く、周りの人にも

迷惑をかける。

ポイ捨てで街が汚れるなどと言い、消費税8%どころでは

なく、ほぼ倍になった。

昔ながらのタバコ店はほとんど潰れていった。

タバコ店は競合しないよう、店と店の間に決められた範囲

があり、タバコ権利書と言うものがあり、バブルの時には

数千万にも上がった。

老後でも出来るように、せっかく買ったタバコ権利書は無く

なった。

ほとんどコンビニが販売している。

タバコは買い取り式で、400円のタバコを300個仕入れると

即金で12万円払わなければならない。

全部売っても儲けは1万2千円。

売れない現代では潰れるしかない。

喫煙出来る場所も減り、タバコ販売に関する人たちは、かなり

多く、首切り、会社倒産と悲惨な事になっていることはあまり知

られていない。

「禁酒会」を作ると、驚くほど多く集まり、他大学からも入りに来た。

あまり多すぎ、パソコンで登録制にし、会員証を発券した。

会員費は取らなかったが資金として寄付を募ったら入会をする

人はほとんど1000円は寄付をする。

これは予定外だが、あまり学内でお金集めはしたくなかったが、

それだけ酒害に会った人が多いと言うことだ。

中には万札を出す者もいた。

入会に当たっては1人1人に、酒についてのエピソードを聞き

自分たちがあった酒害を聞き、パソコンがうまい会員に打ち込ま

せた。

正面の壁には

  1. 飲酒の強要
  2. 一気飲ませ
  3. 意図的な酔いつぶし
  4. 飲めない人への配慮を欠くこと
  5. 酔ったうえでの迷惑行為
と筆書きして額に入れて貼り付けた。
 
入会者にまず、お酒による害を徹底に調べさせた。

そして今まで貯めてきたお金、寄付金を使い、学校の側に

事務所を借り、NPO法人「禁酒の会」を作り、大々的に

酒による被害者の保護を目的に、関西に広めた。

日本には「禁酒会」は多く、関西にも一杯あり、繋がってい

った。

続く


各人

2013年11月22日 19時54分40秒 | 買い物

雄一も普通で無い幼少期から今まで暮らしてきたが

まったくまっとうな性格に育った。

小さい時の周りの人々、特に両親により性格が出来

てくるものだ。

その幼少期に両親の言い争い、喧嘩、離婚と衝撃な事

が続いた。

別れた時には母を守ろうとして自分の意思で、母と共に

出て行った。

それは誰も教えたわけでなく、決めたことではなかった。

和夫も、酒さえ無ければ良い正確だが、相当ストレスが

溜まっていたのだろう。

恵美子はいやみも無い女性で、その両方の良いところが

集まったのだろう。

大学になりやっと京都に行き、親戚と離れた。

しかし実は京都の大学に逃げたと言ってもいい。

和夫には中学、高校には親友はいなかった。

小学生から空手を習い、中学に入ると共に、学校に無か

った空手部を作り、多くの部員を集めたが、かなり厳し

く、喧嘩空手と言われる独特のスポーツ性の無い、空手

であり、部員は減ってゆき、最終的に不良と言われる者

たちだけが残り、人数は7人で、辞めていった者には、

厳しく、このクラブのことは言わないことを署名させ

言ったものにはそれ相当の処罰を与えるとも署名させ

中学時代では数人の元部員が、殴る蹴るなどの暴力と

寄付金と称して1人10万円を取った。

全生徒は知っていたが、普段は明るい和夫を演じ、闇の

暴力団として彼に逆らう者はいなかった。

その上、不良少年やいじめをするグループを、叩き倒し

やはり1人10万円を取った。

「空手部」は正義の集団と先生達やPTAには気に入られ、

不良少年やいじめをするグループから助けた者にも優し

くし、鍛えれば物になるものをクラブに入れ、厳しく鍛

えた。

そうとは知らずがんばって強くなっていった。

そのために、中学、高校が一体となった学校に入ったので

ある。

高校に入ってからは益々激しくなり、空手部として、鍛え上げ

学校からの部費も多くなった。

それはいじめなどの難問を解決してくれるからである。

そして地位とお金を儲け、京都の大学に行ったのである。

当然京都の大学ではそんな事を知っているものもいない。

出て行った高校は同僚が、しっかり締めるようにしておいた。

大学では、持っているお金は使わず、高額のアルバイトを続け

母の恵美子の彼氏や恵美子にため、こずかいを貰い、貯金は

かなりなものとなった。

果たして何に使うつもりなのか。

続く


各人

2013年11月21日 21時42分15秒 | 買い物

第2章 「雄一」

雄一が幼い時、父とは母は離婚した。

父、木田和夫で母は恵美子である。

雄一が生まれた時、和夫は居酒屋にいた。

仕事が終わると毎晩のように居酒屋に通っていた。

明るく良い酒だが、たまにつまらないことで、同僚とぶつかるが

仲が良いからである。

その日は、急な破水で、良子が119に電話した。

そして苦しいながら、姉の慶子にも電話した。

その頃はまだ携帯電話など無く、慶子は戸の前に「良子は子供が

出来るから東西病院に来て」と張り紙をして隣にも頼んでいた。

慶子は和夫に怒りを覚えながら、自分の時と同じようだと、不安も

強かった。

息子の幸一が産まれた時も、夫の耕介は酒屋にいた。

それがいつまでもトラウマになり、産まれてから、幸せな日など一日

も無かっただけに。

和夫の兄も妻の玲子と来た。

祖父の正も何とかやってきた。

慶子の夫耕介も来ない。

肝心なときに一番いなければならない和夫はまだ来ない。

病院についてから2時間後に和夫が来て「どうだ良子は」と尋ねたが

誰も相手にしない。

しかし祖父の正が持っていた杖で和夫を叩いた「お前と言うやつは」

とまた叩こうとしたとき兄の和一が止めた。

「こんな時に辞めておけ」と一括し、みな静かになった。

そして出産が始まり、雄一が生まれた。

複雑な気分を持ちつつみんな、喜んでいる。

その後、祖父正を中心に兄夫婦と、慶子らが集まり、まず兄の和一が

土下座して恵美子と産まれたばかりの子(雄一)と慶子に謝った。

「本当なら離婚物だが、雄一のために我慢してくれ」と頼んだ。

それが兄と同じ道だから、慶子も許しがたく、恵美子も泣いてしまった。

そして落ち着いてからもう酒は辞めると言い放った。

その後も和夫は酒が辞められず離婚した。

そしてしばらくして有子と結婚した。

その後有子が綾子を生んだとき時は、さすがにいて、酒を断絶すると

誓った。

その後有子は和夫と綾子の3人と暮らし、雄一は恵美子について出

て行った。

誰の血を引いたか素直で真面目な青年となっていった。

ただし恵美子の新しい彼(後の父)は働き先の飲み屋で知り合った

酒飲みであった。

それが分かったのは、結婚してからだが。

続く