梵語「ナム」を中国で「南無」と漢訳し、「帰依帰命」と意訳されました。
南無阿弥陀仏・南無妙法蓮華経の南無ですね。
「帰依」とは、神仏を信仰して、その威徳にすがること。
「帰命」とは、身命を投げ出して仏の教えに従うことと辞典にあります。
これでは分かりづらいので、分かりやすく意訳します。
神仏が依り憑く対象物の依り代(よりしろ)に帰順・帰服する事の「帰服依代」を帰依といいます。帰依は原因です。
「帰命」とは、神の分け御霊の命を、無事に神霊界に帰還させ成仏する事です「帰還.命.神霊界」が帰命です。帰命は結果です。
これが「仏教は、南無の二文字である」と言われる理由です。
「南無」だけでは分かりづらいので、
南無(A)=阿弥陀(B)としたり、南無(A)=妙法蓮華(C)と展開しましたが、
B=Cですから、阿弥陀=妙法蓮華となります。
BさんもCさんもAさんです。
「南無」が分からないという事は、神仏の教えが分からないという事です。
これを無明(アヴィドヤ・むみょう)といいます。
ですから私達は、「無理解・明」の無明の者に、「明」(かみ)を、明確に諭しています。
さぁ!今日も一日明るく楽しく健やかにスタートです!
言葉の正しい定義をしないと、言葉のイメージでダマされ振り回されます。
「地球のお役に立つとか、地球の為にとか、地球のイノチを守るとか、地球にやさしくとか、地球に愛を」とかは、言葉のイメージです。
地球の役割を知らない者の言う事です。
言葉のイメージの錯覚・妄想・幻想に振り回されています。
そう言う方は、地球の定義、概要を調べた事が無いのです。
美しく綺麗そうな言葉でも、言語明瞭の意味不明です。
定義し正しい認識で、正しい現実が現れます。
『地球の為に』と言う言葉の裏を知ることです。
私達は、宇宙で一番美しく光り輝く愛に満ちた、
たった一つのかけがえのない命の
素敵なあなたをいつも愛しています!
お節介オヤジの一言。
⭕️『恩返し』と『恩送り』があります。
『恩返し』は、受けた恩を直接その相手に返えします。
『恩送り』とは、別の第三者に返す事です。
他人に親切にすると、他人に親切になれた自分を発見します。
視野が狭く、他人に気遣いができず、
周りが見えない、思い込みの強い、
自己中心の人間であっていいのでしょうか。
法図の教えの『アリンガトワ』を、日常生活に染み込ませる様に、意識的にすることです。
⭕️幸不幸も何でもあるのが我が人生です!なんで私が!と、思った事が何度もありました。
先ず、厳しい現実を試練として受け入れる!
『試練』とは、心の強さや実力の程度が厳しく試されるような苦しみ。あることを成し遂げる過程や人生のある局面で遭遇する苦難です。
かって、私も事故に遭ったり、パニック症候群になったり、幽霊に憑依されたり、
いろいろ何年間も本当に苦労しました。
一日一日生きる事が辛い修行でした。
それで思いました。決められたその日まで、
人間は、自分に厳しく、他者に優しく、明るく強く生きねばならないのだと。
私の敵は私自身でした。今は老いてそれなりにキチッと私が私を味方をしてくれています。
(同行二人・どうこうふたり)
身体にもかなり苦労をかけました。
ですから、我が身体は生き死にを共にする戦友です。今さすりながら労っています。
さぁ!今日も哀しみ辛さを乗り越えて、
笑顔のありがとうでスタートです!
⭕️日本人の最大の錯覚は、日本人全員が、
《意識と認識が違う》ということが未だに分かっていないということです。
意識が定義されていない為に、
「認識力を失う」ことを『意識を失う』と言っています。
「意識を失う」に「無明(梵語アヴィドヤ)」という別の意味があります。
意識は変えられません。変えられるのは認識です‼️