日本仏教は、彫刻物品名の「仏」に始まり、釈迦仏教は、「仏陀」に始まります。
日本の仏の教えとインドの仏陀の教えは違います。全く異質なものと言えます。
死んだら仏になり、天国で安らかに眠るという認識は、「重大な事実」を見逃しています。
それを新刊『サトリ(法図)の真解』で明らかにしました。
何人かは良心が目覚めると信じての発刊です。
何人かですよ。幻想好きな人間に分かりづらいと思います。
そして、サトリ(法図)に意識を集中すると、自分のタマシイの本質が浮き上がってきます。
サトリ(法図)をなぜ見たく無い者がいるのかというと、
その答えは、神化からはずれた自分のタマシイのあまりの汚れの酷さに倒れ、
自信喪失し、生きていけなくなるからです。
あるいは、自分自身が、景色風物としての役割の地球型ヒューマノイドと分かるからです。
法図が霊性のリトマス試験紙(紙にて神を示す)と言っている理由です。