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☆光と影の魔術師☆

「Snap Shotのススメ」

2013-12-18 02:40:51 | ライカマウント
「Snap Shotのススメ」

 スナップ・ショット(Sanp Shot)とは、もともとは狩猟用語のようだ。不意に飛び立つ鳥などを素早く撃つことを指すという。
 写真用語としては知恵蔵によると、日常の中で、目の前の光景や出来事、人物などを一瞬のうちに素早く撮影する撮影技法、またはそうして撮られた写真のこと。撮影場所は屋内外を問わず、撮影対象も幅広いが、料理や品物などあらかじめ入念な準備をした上で撮影が行われる「ブツ撮り」や、被写体の人物に事前に同意を得て撮影される「ポートレート写真」などとは区別される・・・とのことである。
 日常の中でとの記載だが、戦場写真もある意味スナップであり、非日常が含まれると思うのだが・・・
 それはさておき大切なことは、撮影する事象自体、撮影者が用意したものではない、ということである。
 その場に居た撮影者が、素早く、その場の事象を切り取る・・・端的に言えば、そのような撮影だ。

 近年、デジカメや携帯やスマホなどの普及により、ある意味気軽に、どこでも撮影が可能になった。
 スナップという言葉も普及し、気軽でどこでも撮れることがスナップだ、みたいな印象があるのかも知れない。ゆえにややもすると、あまり考えずにパチパチ写すことと認識する向きもあるようだ。
 ただ、本人はあまり考えてないとしても、その事象に目を向け、脳にその情報が伝わり、何かを認識、判断し、撮影しようと行動を起こすことは、例えば機械で定時的に、なんの意図も働かず自動撮影するのとは、自ずから異なると言える。
 撮影者本人にその意思がなくても、何かを感じ取り、切り取った筈である。
 感性豊かな方がそのようなスナップを撮れば、考えなくても、他の方に伝わる写真が撮れよう。

 ところで、スナップ・ショットの名手と言えば、海外ではフランスのアンリ・カルテイェ・ブレッソンが、さらに国内では、木村伊兵衛が、代表格として取り上げられることが多い。
 小型カメラの普及により、手持ち撮影ができるようになったので、スナップ・ショットという分野が出現したのだ。二人とも第二次大戦以前からの写真家であり、使用機材もライカ・・・とくにM3を多用したようである。
 歴史上、幸いなことに、お二人の競演という場面もあるのだが、フランス語があまり堪能でなかった木村であるが、身振り手振りでブレッソンと写真談義に花が咲いたという。また自らが写真に写ることを極度に嫌ったブレッソンが、笑顔でカメラに目を向けた写真がある。これはもちろん木村が撮影したもので、ブレッソンが余程、木村に友情を感じていたか、さらに木村が如何に素早くスナップ・ショットを披露したか・・・おそらく両方の要素があるのだろう。

 ブレッソンは元々画家出身。その流派は構図を極限まで追求するタイプで、まるで数学の幾何学模様を連想させるような、非常に緻密な構図を熟知している。ゆえにその写真を分析すると、非常に細かい構図が構成されており、事象に対して類稀な感覚を持っていたと考えられている。
 さらに複数の動く人物が画面の中で動いたとしても、そのそれぞれの動きを瞬時に予測し、自らが描く構図の中で、まさに決定的瞬間を捉えるという、天才的な能力を備えていたといえる。この決定的瞬間とう言葉自体、ブレッソンの写真集、逃げ去るイメージ、をアメリカで発売するときに、題名が変更されたものであり、まさにブレッソンのための言葉であるともいえる。

 一方、木村は幼少時からカメラ・写真に興味を持ち、江戸っ子独特の、粋だね~という言葉が口癖だった。
 カメラはライカを首から提げるか、もしくはコートのポケットに入れていたといわれている。通りすがりに人物などを撮るにしても、相手に気づかれないように素早く撮影し、ポケットにスッとしまう・・・まさにその様子は、居合抜きに例えられたという。

 当時のカメラはフィルムライカである。もちろん露出もピントもマニュアルだ。手前味噌で恐縮だが、前回の猫の撮影を行った際、まず、この場所に猫がいつも居るのは、私は経験から知っている。信号の途中の分離帯に居るので、信号を渡る前に、わざと赤信号で立ち止まり、シャッター・絞り(被写界深度)を確認し、撮影準備にすでに入っている。
 信号が青になり、渡り始め、猫に近づき、周囲の流れに乗る形で、素早くワンショットで撮る。さらに余裕があれば中央分離帯に立ち止まり、信号が再び赤から青に変わるまで、猫を数枚撮影し続けることもある。
 木村と私を比較するわけではないが、木村が居合抜きと呼ばれる程のスナップの名手であるためには、相当の知識と経験、さらに撮影する事象に向かうまでの、機材の設定など、それ相応の準備が必要だということだ。

 スナップ・ショットで撮影すべき事象は、ありのままの形であり、撮影者が意図して組み替えたり用意することは通常しないが、撮影する側には、相当の構図の考慮、人物など動きのある場合はその絶妙のタイミング、さらにその場所が近づいてきたときの光と影を読む、カメラの設定など、かなりの知識と技量を、本来は要求されるのだ。
 ブレッソンの写真には、ちょうどよい空間に、子供が走っていたり、紳士が水たまりを飛び越えていたり、まさに動きを予測したうえでの決定的瞬間が捉えられている。

 長くなったが、スナップ・ショット程、事前から考えを巡らし、さらに極めて限定されたタイミングで撮影する撮影法はない。オリンピックの撮影よりも、そのチャンスはある意味、一期一会だ。
 スナップ・ショットはかなり、知的なゲームだ。ブレッソンや木村の時代と違い、現在はフィルムライカよりもさらにカメラは小型化されている。スナップに向くカメラも色々あるので、楽しまれたら、如何と思うが。

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