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WEB漫画「獣人ちゃんと愉快な仲間」まとめ

品川区と鉄道の歩み5

2009-01-27 21:42:55 | 東京
⑧「高度経済成長期~東京モノレール」昭和22年に品川区が誕生。戦後、戦災などで鉄道や駅も様変わりして行きます。戦後復興を乗り越え、昭和30年、高度経済成長期を迎えます。昭和38年の首都高速1号線開通を皮切りに高速道路網が完備され荷物の輸送は鉄道からトラックへと主役が奪われます。その頃、昭和39年の東京オリンピック開催にあわせ東海道新幹線が開業。鉄道の主役は旅客になります。この年、東京モノレールの浜松町駅~羽田駅間が開業。オリンピック来場者を見越して羽田空港と都心のアクセスが目的です。当時は名古屋鉄道も経営に参加。名鉄モンキーパークモノレール線(愛知県犬山市・昭和37開業、平成20年廃業)で採用していた日立アルウェーグ式という技術を東京モノレールにも応用しています。開業時の運賃は250円。当時の国鉄初乗り運賃が20円で、とても高額でした。昭和40年5月には大井競馬場駅も完成。大井競馬場の来場者だけではなく昭和58年に誕生した八潮の人たちの重要な交通になっています。
一方、東京国際空港へのアクセスとして知られる京急ですが、空港への道のりは遠かったようです。大正時代に羽田空港付近まで路線を確保するものの、なかなか空港駅の建設が認められませんでした。平成10年念願の羽田空港駅が開業。東京国際空港へアクセスするもうひとつの鉄道となりました。

⑨「遅れて来た1号」東京の地下鉄は昭和2年、東京地下鉄道(株)が浅草~上野間を開業したことから始まります。昭和14年に銀座線が全面開通。昭和29年丸の内線開業。昭和36年日比谷線開業。その日比谷線と競って工事を進めていたのが都営1号線(浅草線)です。京成(押上)~京急(品川)間で東京オリンピックに向けて工事を進めていました。昭和35年押上~浅草橋間が開業、昭和39年には大門駅まで開通しましたが、結局、東京五輪に全線開通が間に合いませんでした。五輪期間中は工事が中止され、五輪後、工事を再開。昭和43年泉岳寺まで完成。京浜急行と相互直通運転を開始しました。また11月には泉岳寺~西馬込間が開業して全線開通しました。第二京浜国道に沿って走る都営1号線(昭和53年に名称が浅草線になる)ができて荏原地区は益々便利になりました。京急は昭和50年に三崎口(三浦市)まで開業。三浦半島までのアクセスも便利になりました。

⑩「反対された品鶴線」昭和4年に品川~鶴見(横浜市鶴見区)間の東海道本線の支線として通称品鶴線という貨物線が開業。昭和44年、この路線を利用して旅客鉄道駅を作る動きが高まってきました。しかし、国鉄と品川区の話し合いは難航。さらに昭和53年住民訴訟が起こり昭和55年公金支出差し止めという判決がでてしまいました。昭和55年10月国鉄は、これまで東海道本線を運行していた横須賀線を品鶴線で運行することに決定。昭和58年国鉄は第三セクターによる駅建設を開始。紆余曲折ありながら昭和61年西大井駅が開業しました。西大井駅周辺の人たちは便利になりました。横須賀線は総武線直通運転を行い、千葉駅~九里浜駅(横須賀市)間を運行しています。平成13年には湘南新宿ラインが運行を開始。大宮(さいたま市)~大船(鎌倉市)間を運行。大崎駅まで埼京線の線路を使い大崎駅から横須賀線の西大井を経由します。西大井駅前南地区は平成15年にはジェイタワーが完成。補助205号線、歩行者専用道路、森前公園など公共施設が整備されました。






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