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WEB漫画「獣人ちゃんと愉快な仲間」まとめ

品川区と鉄道の歩み3

2009-01-25 21:40:15 | 東京
⑤「大師電気鉄道と電燈」:電車としては関東で最も古い歴史を持つ大師電気鉄道。今の京浜急行です。明治32年1月に六郷橋~川崎大師で開業。川崎大師へお客さんを運ぶ目的でスタート。
4月に京浜電気鉄道に改称。明治34年大森停車場~八幡(現大森海岸、当時八幡海岸海水浴場)を開業。
明治37年には八幡(現大森海岸)~品川(通称八つ山、現北品川)を開業しました。これまで市街地では火災の危険性から蒸気機関車を走らせることができませんでした。
代わりに乗合馬車が市街地を往来していました。明治23年第3回内国勧業博覧会に電気機関車に乗客が乗れるように改造した『電車』が登場すると乗合馬車は路面電車に主役を奪われてしまいました。その電車を使ったのが大師電気鉄道です。当時の私鉄は民鉄と呼ばれました。
陸蒸気の駅に反対した品川宿の人たちも火災の危険性の無い電車駅を認め、八つ山付近に駅ができました。そして、東海道に近い場所を走り、品川宿の人たちは大変便利になりました。線路と架線がまちの景色に加わりました。
さて、明治23年の電車初公開に協力したのが日本初の電力会社「東京電燈」(明治19年)です。明治20年に家庭用配電を開始。明治21年には138灯だった電燈の数は明治34年には5万灯に増加。明治23年には芝区より南を担当する品川電燈が設立。これまでのガス灯や石油灯から電燈に変わって行きました。
京浜急行は多摩川(川崎市)に火力発電所を作り自給自足で電車を運転。明治34年大森停車場~八幡開業時には沿線界隈に電力を供給しています。
電車の登場とともに電気の存在が庶民に認知されて行きました。大師電気鉄道は線路の幅を日本で初めて世界標準にあわせて1435ミリで設計しました。輸入した電車がそのまま走ることが可能です。ちなみに東海道線は標準より狭い1067ミリで設計され、それが国鉄の標準になり今でも変わっていません。今も相互乗り入れしない路線はJRと私鉄で線路幅が違います。
路面電車ではない鉄道路線で電車を導入したのは中央線の前身、甲武鉄道です。明治37年蒸気機関車と併用で電車を採用しました。
また、明治41年には品川線にも電車が登場。やがて鉄道の主役は陸蒸気から電車に変わって行きました。





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