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能登半島地震から1カ月 不安や苦悩、そして期待発生時間の午後4時10分被災者らの思いさまざま

2024-02-01 21:46:03 | 日記


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https://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-_west_west_affairs_V2IFNDM2RFNCVAHEZEOO2PBXQM

 

能登半島地震の死者240人に 輪島市で2人増加

能登半島地震の死者240人に 輪島市で2人増加

石川県は1日、能登半島地震で確認された死者が新たに2人増え、同日午後2時現在で240人になったと明らかにした。2人はいずれも輪島市。連絡が取れない安否不明者は4人減って...

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改めまして
お亡くなりになられた方たちの ご冥福と
大切なご家族を亡くされたご遺族のみなさまに心からのお悔やみを申し上げます


筆者のご先祖様のゆかりの地だけに
ホント、あまりにも悲惨な出来事に言葉が出ません

能登の各地にある諏訪神社は無事だったのでしょうか


それにしても
SNSでは

「能登半島地震は人工地震である」

という話しがある一方で

地震研究がご専門の大学教授の話しを聞くと
「昔から続く自然地震だ、活断層もある」。。。

まあ、そんな説明もされているようです


が、
神学では、そういう捉え方はしません

とくにヴェーダでは!

では
どのようにとらえたのか

これは
「死神」の仕業!なんです

「脱命者」とも訳されます

自分の愛する人たちの命を奪うもの!
これを「死神」としたのです

で、
「なぜ、そうなったのか?」を徹底的に追求したのです

それは、
とことん調べ尽くし納得がいくまでです

途中であきらめたり妥協は一切しなかったのです


その有名な書が
「ウパニシャッド」です

この書物は
「何で人は死ぬのか」
「おい、死神よ!お前の正体は何だ!?」
「わたしたちに何の怨みがあったのだ!」
「二度と、私たちの前に現れるな!」
「天寿を全うさせろ!」
「死んだらどうなる?」
「愛するものを、どこへ連れ去ったのだ?」

これを
志を同じくする人たち
多くの霊的詩人たちと徹底的に議論していたのです

これは
お釈迦さまが誕生するよりも、少し前の時期のことです


こういう考察、
ときに哲学的な追及
今でいえば徹底的な調査!

これをやっているのでしょうか

どこか途中で
これ以上は無理だ!
と、あきらめてしまったりはしていないでしょうか

これは
今回の能登半島地震だけの話しではないはずです

過去に起きた大地震や
台風や水害で大事な方を亡くされた方も少なくないはずです


で、
このような必死な問いかけって
必ず答えが見いだせるのです

そういう人たちが増えれば、
日本という国土に「死神」が付け入るスキがなくなるのです


初めに来たとき、この地には 全く何もなかった。
共に来た仲間も、みな死んでいった。飢えによって。
その死因は飢えによるものだった。

「わたしはアートマンを身につけよう、氣をしっかり持とう」と、
死にゆく運命にある者は決意した。

そこで死はアルカ=太陽。不老不死で温かく万物を照らし、
多くの生命を育む、その存在を、模範とし、称え歌い、唱え、独り言?ながら歩み始めた。

今にも死にそうであったが讃歌を歌っていると、そこに水が生じた。

「わたしがアルカ=太陽を歌っていたら、わたしのために水が生じたぞ」と。

まさにこれが、アルカのごとくに生きようとしたことによるものであろう。
このように、アルカ=太陽のような不死なる存在を歌う人、
アルカ=太陽のごとき人には、水=安楽が生じるのである。

 

ここでいう「アートマン」とは
聖書でいう「I am」(我是)と同義です

西洋哲学では「内在するもの」という言い方をしているようです

その「内在するもの」とは何か?

「生と死を超越するもの」(transcendence of life and death)のことです


または
「私に心を持たせてください」という風にも訳すことができます

「私にも自己(主我=エゴ)があればいいのに」と英訳されたものもあります

 

この1文で興味深いのが
ただ、あてどもなく念仏やお題目、意味の分からないマントラを唱えるのではなく
命をつなぐために必要な、より具体的な「水をくれ!」と
唱え続け、声に出すのがつらい時は、
その欲するもの、実現したいことを念じ続けた!ということです


ヴェーダ的な解釈で言うと

カラオケで歌う好きな歌の歌詞で
「ここは、好きじゃない」
「ここは、こうした方が自分の意志にフィットする」
という時は、自分流にそれに変えるべきなのです

それをしないままに歌っていると、それが自分の意志となり
潜在意識にまで知らず知らずのうちに蓄積されてしまうのです

そして、それが叶っちゃうのです
そういう世界観が実現しちゃうものなのです


で、ここでは
何者によっても殺されることのない
生命力「生」の象徴である
「太陽になろう」
「太陽のような強い存在になろう!」
と、決意したのです

太陽信仰をバカにする人が多いようですが
認識不足ですよね

その後の太陽信仰教団は確かに敬遠したいところですが
この出発点は「死神には絶対に負けない!」という決意から始まったのです


1年調べ、追及してもわからなかったら
その来年もやればいいのです

10年調べても答えが見つからなかったら
さらに、わかるまで何十年かかっても突き止めてやる!
という強い「決意」「意志」(will)を持てばいいのです

そうすれば必ず答えは見つかるのです


こうした「決意」「意志」(will)のことを「祈り」というのです


アルカ=太陽のごとく生きようとしたことで水が得られたものの、
その水も無常にも泡となり、水気のない固い大地となった。

死と隣り合せであるこの者にとっては、身体と心を苦しめることとなった。

その苦労で疲れ果てた時に、その者の生きる意欲・情熱は、火のごとくに燃え上がった。

 

ヴェーダや易経でいう「水」とは生命力・若さの象徴でもあったのです

その反対は「乾き」です
または「枯渇」「枯れる」「乾燥状態」。。。

これらは「老い」「死」を象徴としていたのです


しかし、そんなことでは諦めません

自分を苦しめる、禁欲・困窮生活に疲れ切ったとき、
彼の熱と本質は火に変わりました。


「もうダメだ!」
と、限界に達したとき
彼の心(アートマン)は「火」になったのです

この「火」とは「生きる情熱」のことです

 

そして自分自身の心持ちようを3つに分けた。

1つは太陽のごとくに、もう1つは周囲の様子に気を配ること(風=水の匂いを)、
もう1つは生きる意欲(情熱の火)をたやさないこと。
この3つこそが息をしつづける、生きていくために必要となるものを見出すこと。
この3つに分別したのである。

その当時の車・乗り物である馬を使い

太陽が頭を出す方角が東である。そして両腕を使い方位を識る。

太陽は西に沈む(尾)。そして両腿をも活用して方角を検証した。
沈みゆく太陽に向き合うと脇腹は南と北を向く。
〔太陽より〕(高き所)背は天である。この腹は空界(空腹)である。
胸なる大地に沈み大地より出でる。(日は昇る)。

これは生き抜く力(「造物主」の称号)によって確立されている。

 

生き抜く力を「造物主」としたそうです
力強いですよね

で、

これを知っている人は、どこへ行ってもしっかりと立ちます。

または

したがって、(それを)知っている人は、どこへ行っても休息の場を得ることができます。

彼は水域(水=今いる地域)の中で、しっかりと立っている。
これ(ライバル対策)を知っている彼は、どこへ行ってもしっかりと立つ。

 

それから神々は生命力、生き抜く力、息(呼吸)を発動する器官に命じた。
――しぶしぶ「そうするか」といって、声を出し祝福の歌を歌った。

歌うことによって生きぬく力を高めるための機能が高まり、神々にも行きわたった。
たとえ些細なことでも、歌い奏でることで得られた。
よき風潮と状況を嗅ぎ分ける力、それをキープし自分自身のものとした。

 

彼ら(悪魔=死神)は知っていた。
「本当に、この歌手によって、彼らは我ら(悪魔=死神)に打ち勝つだろう」。

彼らは大慌てで、邪悪なもので、人の心・感情を強く動かし感動させた。
その悪とは、人々が吸い込む(学習する)には不適切なものでした。
これは、まさにその悪~死神そのものであった。

そして、彼らも、その非常な悪に染まる(食欲旺盛な死神の餌食になる)のです。

 

多くの人が亡くなる理由として
死神が大食漢だから、常に死者を必要としていた。。。

この考え方って面白いですよね


で、
生命力の源が「歌を歌うこと!」だというのです

避難所で
歌を歌うことはあるのでしょうか

今は、
そういうのは「迷惑行為だ!」という認識を持つ人が少なくないのではないでしょうか

でも、
この風潮って「死神」を喜ばすだけのようです

つまり
長い年月をかけ、
人々が、そうした反応をするように誘導されてしまった!
ということでもあるのです


嘘だと思うなら、
昭和の初代ウルトラマンの時代の映像を見てください

みんなで歌を歌うシーンってよく出てきてたはずですから

このサーマン(歌のこと)の礎(本質)を知っている人は、物事の基を知っている人である。
サーマンの土台となるものは、まさに言語、すなわち詩作能力にある。

語る能力とは、すなわち言語(詩の内容)そのものである。
なぜなら、まさに、生命力(息と呼吸)は、この言語の力が土台となり、
詩歌として歌われるからである。

しかし、それは「食べるものがある」、「食料に恵まれている」ということが、
その根底にあることは言うまでもない。

 

ちなみに
アメリカの大統領の演説って
このサーマン~サーマ・ヴェーダから来てるんですよ

オペラ歌手も、おそらく同じです

みんな、知らなかったでしょ

 

ウパニシャッドで有名な1節に

「無より有にわれを導け!」

というのがあります

この同一箇所を別訳すると

「本当のことを教えろ~本当のことを知りたい!」

ということなのです

 

  無から有へと、わたしを導け!
 (何も無い今の状態から、有し続ける才能と成果へと、わたしを導け!)
  暗闇から光明へ、わたしを導け!
  死から不死へ、わたしを導け!

  非現実的なものではなく 本当のことを教えてくれ!
  暗闇の中から 私を光に導きたまえ!
  死の世界から 私を不老不死に導いてください!

非現実は死を意味する。現実には不死身で実在する。

「非現実的なものから、本当のところに導いてくれる、私を本物ところに導く!
ほんとうのところは「死から不老不死に導け」と言っているのです。

言い換えれば、「私を不滅の存在にしてくれ」と。

暗闇は死を意味する。光は不滅・不老長寿・不老不死です。



すごいですよね
ここまで徹底的に「死」をテーマとした文献って
あまり見当たらないと思います

法華経の観音経にも「死」に関する記述がありますが
ここまで力強い表現はしていないのです

 

1日も早く
The Supreme Beingと霊的につながること!
そこから、すべては始まります



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