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女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

特殊部落(文鳥花子作)

2015-06-25 06:03:32 | 日記
私は、えったである。
村の川沿いに生まれ、育った。

もう平成の世の中なので差別はないはずだった。
しかし、私は差別された。

「馬鹿」「外人」「ちょうりんぽう」などと。

隣の李さんも、おなじであった。
私の父も、隣の李さんの父も近くの火葬場のおんぼだった。

火葬場は、村のはずれにあり、の父親がつとめていた。
白い煙が上がると、また誰かが死んだのがわかるところにがあった。

今では、公営住宅が建ちむかしのおもかげはなくなったが。
の若者は、ひっそりと暮らしていた。

出自は、ばれないように、そばに誰かが通ってもあわないように、へやであそんだ。
親たちも、子供たちに、そうするようにしかけた。

むらの中にある、太鼓焼きはとてもおいしいものだった。
のこどもたちのおやつになり、まいにちうれていた。

外から来るこどもたちにもうっていた。

「えったのおばちゃん、おんぼやきちょうだい」

「はい、はい、おまちね」

外から来る子供には、おんぼやきといわれておいしいとにんきだった。
私は、あるときに、村の外の青年に恋をした。

しかし、家にはつれてこれないので、隣町でいつもわかれた。
一人とぼとぼ歩く道で、ある不安がよぎるのだった。

”とわかれば、たぶん別れがくるだろう、だからひみつにしておこう”

でも、やがて青年に私のすむところがとわかり、捨てられた。
私は、それから死ぬことばかり考えて、うろうろとした。

近くにある、おおきな深いダムに身を投げて私は、自殺した。
そのときに、むらのおばちゃんがいった。

「それ、以外の人と交際しないことだね、また悲劇がおこった」

それから、の人は、よそのの人とは交際したが、以外の人とはつきあわなかった。
それが、親から教えられた戒めだった。

「を隠すんだ」

もしばれたら、いきることがつらくなり、地獄になることを代々おしえるのだった。

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